第4話
放火殺人事件が起きた日の夜、刑事の神倉は焼け焦げた民家に訪れた。事件の調査のためだった。神倉は一人の少年に声を掛ける。その少年は、良平だった。
「えーと、君がこのお家の高橋良平君で合ってるのかな?」
良平は、はい、と答える。
「つらいところ申し訳ないのだけど、ちょっと話を聞かせてくれるかい」
良平は、大丈夫です、と答える。良平の受け答えを見て、神倉は少し驚く。
「良平君はしっかり者みたいだね」
良平には、神倉の言葉の意味がよくわからなかった。
「どういう意味でしょうか」
「いやこういうとき、肉親を亡くされたお子さんは、まともに受け答えができなくて困るんだけどねぇ。君みたいな子は珍しいな、とね」
良平は思わず刑事から目を逸らした。するどい観察眼を持つ刑事に、すべてを見透かされそうに思ったからだ。神倉は良平が目を逸らしたことに気づいたものの、気にせずに質問を続けた。
「事件があったとき、君はどこに?」
良平は目を合わせないように、刑事の口元も見ながら答える。
「自分の部屋の押し入れに隠れていました。自分の部屋にいるときに大きな物音が聞こえて、見に行ったら、父がバットで殴られていたのが見えて、怖くなって押し入れに......」
「それは怖かったね。また思い出させるようなことを聞いて悪いんだけど、お父さんと犯人は、もみ合うような感じだったかな?例えば、お父さんが抵抗していた、とか」
良平は、はい、と答えた。それを聞くと、神倉は自分のあごに手を添え、何かを思案した後に、協力ありがとう、と言って、良平の前から去った。
神倉は警察車両の助手席に座って、リクライニングを倒し、後頭部で腕を組んでいた。
「さっきから考え事して、どうかしたんですか?」
運転席に座っている、部下の日野が神倉に聞く。
「いやね、あの良平とかいう子、おそらく嘘をついているんだよ。彼は、父親が殴られているのを見ていた。さらには犯人と父親がもみ合っていたと答えた。でも、父親の遺体は、後頭部の骨だけが損傷している。普通、もみ合っていてバットで殴られているなら、まず体の正面が骨折していないと、おかしいんだよねぇ」
神倉は、するどい目つきで車の天井をじっと見つめていた―。
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放火事件の翌日の早朝、直樹は車で息吹山の参道を走っていた。息吹山は山道が頻繁に霧で包まれる特徴があり、”霧が出ているときに備え無しで立ち入ると人がいなくなる”、という言い伝えで、全国的に有名な山だった。特に、秋に入った頃の早朝は、霧が濃く、人が立ち入ることはほとんどない。直樹は、身を潜めるにはうってつけだと考え、あえて最も危険な時間を選んで、息吹山に入った。
直樹が徐行で山道を走っていると、喫茶店を見つけた。喫茶店は営業しているようで、昨日から何も食べていない直樹は車を止めて、喫茶店に入った。直樹はカウンター席に座ると、コーヒーとパンにゆでたまごとサラダがついた500円のモーニングのセットを注文した。
先に出てきたコーヒーを飲んでいると、カランカランと扉につけられたベルの音がして、1人の客が入って来た。直樹は、結構人気の店なのかな、と思った。すると客は、ここ失礼します、と言って、直樹の隣の席に座った。直樹は声で男だとわかり、男に向かって、軽く頭を下げた。直樹は、他にも席があるのになんで隣に座るんだよ、と不自然に思った。しかし、きっと常連客で決まった場所に座るのだろう、と自己解決した。
「いや、最近の世の中も物騒になりましたねぇ。そうは思いませんか」
男は、直樹の隣で新聞を広げながら話し始めた。急に隣に座られ話しかけられ、直樹は、はぁ......、と気のない返事をした。こんな面倒な客に絡まれるのならこの席に座るんじゃなかった、と直樹は後悔した。
「実はこの近くで放火殺人事件があって、犯人は逃走中らしいんです」
直樹はギクリと自分の内側から音が鳴った気がした。直樹が沈黙していると、男が話を続ける。
「でもね、私はこの事件には別に真犯人がいる気がするんです。この犯人が起こす事件は一貫性がないんです。1件目の事件では何も盗まなかったのに、2件目と3件目には盗みを働き、2件目の事件では誰も傷つけなかったのに1件目と3件目は人を傷つけたり......。だから、犯人と決めつけるのは早いんじゃないかと」
直樹は饒舌な男に違和感を感じた。ただの客どころか、もはや一般人ではないと思った。直樹が何も言わずに男に顔を向けると、男が名乗る。
「あぁ、申し遅れました。私、刑事の神倉です」
そう言って神倉は、警察手帳を胸ポケットから取り出し、直樹に見せた。
「あなたが濱田直樹さんですね?」
直樹が席を立ち、店を出ようとドアを開けると、背後から声を掛けられる。
「私はあなたを逮捕するつもりはありません。でも真実を聞きたい。だから一緒に来てはもらえませんか。このまま逃げたって、もうすぐ警察がやってきます」
直樹は足を止めて、少しだけ神倉のほうに首を向ける。
「俺が全部やったんです!......それでいいでしょう」
直樹はそう言って店を飛び出した。
直樹が車を走らせてからしばらくすると、背後からピーポーピーポー、とサイレン音がいくつも聞こえてきた。危険だとわかりつつ、直樹はアクセルを思い切り踏んだ。しかし、サイレン音は徐々に近づいてきて、ミラーに何台ものパトカーが映り込んだ。息吹山の鉄橋に入ると、とうとうパトカーは直樹の車の真後ろにつけていた。止まれ、という警告を無視して走り続けると、サイドミラーに2台のパトカーが映り込んだ。パトカーが直樹の車両を追い越そうとしていた。追い越されたら道をふさがれておしまいだ、と察した直樹は、諦めた。だが、直樹はブレーキを踏まなかった。アクセルを保ったまま、ハンドルを思い切り右に回した。直樹の車両はコースを外れて、鉄橋の柵を破壊し、地上40mの高さから落下した。警察が慌てて、鉄橋の下を見たが、直樹の車両は濃霧に消えて何も見えなかった―。
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3日後の昼、全国にニュースが流れた。
「放火殺人の指定手配犯は鉄橋から落下後、いまだ行方不明。谷底の川に落下した車両と犯人のものと思われる靴は見つかったが、本人は見つからず。死亡が濃厚か―」
神倉と日野はラーメン屋のテレビで、そのニュースを見ていた。隣でラーメンを食べている日野が神倉に話しかける。
「この犯人、結局亡くなってしまったんですかね」
神倉はラーメンのスープをすくいながら、答える。
「さあねぇ、もう終わったことだし、それでいいんじゃない?知らなくていいこともあるってことなんだよ、きっと」
日野は、え!と言って、ラーメンを食べる手を止めて、神倉のほうを向く。
「神倉さん、事件の真相が気にならないんですか?高橋良平が嘘ついてるって言ってたじゃないですか!」
神倉は、日野の話を無視して、テーブルにお金を置いて店を出ていく。後ろから、ちょっと待ってくださいよー!、という声が聞こえたが、神倉は仕事に戻るのだった。
自己犠牲的な指名手配犯 @jori2
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