第3話

 カコン―、カコン―、カコン―。9月末、とあるアパートの1階の郵便受けに、一定のリズムで新聞の夕刊が入れられていく。直樹は逃げ出してから1か月経ち、県をまたいで、新聞配達の日雇いバイトに精を出していた。直樹にとって新聞配達のバイトは、生活費を稼げて事件の状況も把握できる一石二鳥の仕事だった。新聞の記事によると、警察はひき逃げ事件と窃盗事件の容疑者の関連性を調査している、とのことだった。事件からしばらく経つと、新聞に取り上げられることはほとんど無くなっていたが、新聞をチェックするたびに、直樹はヒヤヒヤとしていた。毎日真剣な顔で新聞を読む直樹は、同僚から勉強熱心だと評判だった。


 その日のノルマを終え、事務所に報告に戻った直樹は、ある少年の後ろ姿を見つけ、声をかけた。

「おつかれさま。良平くん、今日も頑張ってるんだね」

良平は直樹のほうに振り返って会釈する。良平は中学生で、女性に勘違いされるような、容姿の整った少年だった。

「おつかれさまです」

振り返った良平が浮かない顔をしていることに、直樹は気づいた。いつもは明るく振舞っているため、普段との違いが一目瞭然だった。

「ちょっと元気がないみたいだけど......。配達先でなんかあったとか?」

直樹が良平を気遣うと、良平は何か言いたげにしたが、それを飲み込んで、取り繕った笑顔を見せた。

「いえ、なんでもないですよ。ちょっとぼーっとしてただけです」

直樹は、やはり良平の様子がおかしいことに気づいていたが、あまり深入りされたくない様子だったので、話題を切り上げることにした。

「おいおい、中学生が大人に隠しごとなんてするもんじゃないぞ?俺にも良平くんくらいの歳の弟がいるからさ、なんかあったら言いなよ」

そう言って、直樹が事務所を出ようとすると、あの、と良平が引き留めた。

「それなら、ちょっと相談があるんですけど......いいですか?ここだとあれなので、そこのコンビニで」


 直樹はコンビニで2本の缶コーヒーを買って、コンビニの喫煙所の腰掛けに座っている良平に1本を手渡すと、良平は、ありがとうございます、と頭を少し下げて、コーヒーを受け取った。直樹は、中学生にしてはしっかりした子だな、と思いながら、良平の隣に座る。良平は、缶コーヒーのふたを開け、一口飲むと、話を始めた。

「言いにくいんですが、僕の家はお金が無くて......。僕の分は構わないので、せめて弟が食べていけるお金があればいいんです...。ですから、その......お金を貸してもらえませんか?」

直樹は、良平の相談を受けて、うーん、と頭を抱えた。良平は直樹の姿を見ると、そうですよね、と少し俯いた。

「いや、俺にお金があれば貸してたかも......。でも、ちょっと事情があって、俺もお金が無くってね」

良平は、"事情"ですか?、と直樹に問う。直樹は困った。中学生の前ではせめて大人でいたかった直樹は、パチンコで負けすぎて消費者金融で満額まで借入を受けているくらい金欠であることを正直に言うことはできなかった。

「いや、実は色々あって警察に追われてて、転々としてるんだよね。だからまともな仕事に就けないっていう感じかな」

こんなこと中学生に話すようなことじゃないとは思いつつ、直樹のなかでは、消費者金融でお金を借りていることのほうが後ろめたくて、避けたい話題だった。それに、警察に追われて仕事に就けないことも真実ではあった。

「警察、ですか......あの、お金のことはもういいので、僕の家に来てもらえませんか?ちょっと話があるんです」


 良平の家は事務所から自転車で20分ほど走った、山のふもとにある2階建ての伝統的な一軒家だった。周りは見渡すかぎり田んぼだった。そのほかに見えるのは、遠くにポツポツとある民家くらいだった。

 良平が家の扉を開け入ると、直樹が後に続く。リビングに通されると、良平が荷物を部屋の隅の床に下ろす。

「ソファに座っていてください。ちょっとお手洗いに行ってきます」

そう言って、良平はリビングから出ていくと、家の中は静かで、物音ひとつ聞こえなかった。直樹は、親はいないのだろうか、と疑問に思った。しばらくすると、良平がリビングに戻ってきて、直樹が座っているソファとは別の小さめのソファに腰掛ける。話があるといって呼ばれたものの、良平は少し俯き加減のまま何も口にしない。直樹は気まずくなって、疑問を投げかける。

「親御さんはいないの?結構遅くまで仕事してるとか?」

良平は、視線を下に向けたまま、口を開く。

「母は自分が小さいころに離婚していなくなりました。父は......」

言いかけて、良平は直樹のほうを向く。そして、立ち上がって、話を切り出す。

「塩田さん、ついてきてもらってもいいですか」

”塩田”とは、直樹が新聞バイトをしているときの偽名だった。ああ、と言って、直樹も立ち上がり、良平の後に続く。良平はリビングの隣にあるキッチンに向かい、巨大な冷蔵庫の前に立った。一般的な冷蔵庫よりも一回りくらい大きな冷蔵庫だった。良平は冷蔵庫に手を当て、おもむろに話し出す。

「この冷蔵庫、とても大きいですよね。昔、父は料理人で、そのときから置いてあるんです。でも、母と離婚してから父は徐々に人が変わってしまいました」

直樹は、良平が何を言いたいのか、掴めなかった。良平は話し続ける。

「塩田さん、今から冷凍室を開けます。中を見ても、騒いだりしないでください」

直樹は嫌な予感がした。ゴクリと唾を飲み込んだあと、小さく首を縦に振る。良平は、ありがとうございます、と言って、冷凍室の取っ手に手をかけ、ぐっと力を込めて引くと、冷凍室の中が露わになる。冷凍庫の中を見た直樹は、言葉が出なかった。そして、すぐに吐き気がこみあげてきて、口に手を当てて、キッチンのシンクに走った。


 直樹は落ち着くと、再び冷凍室を確認しに戻る。冷凍室には、凍えた成人男性の遺体が入っていた。冷凍室の側面には、ところどころに血痕が付着していて、事件性は明らかだった。

「これは...」

直樹は、やはり言葉が出せないままでいた。

「これは父です。父は母がいなくなってから、自分と弟を虐待するようになったんです。ちょうど2週間前、弟が殴られて意識を失いかけました。それでも父は殴るのを止めなくて、弟が死んでしまう、って思ったら、やるしかなかったんです。後ろから頭を何度もバットで殴りました。二度と動かなくなるまで......」

良平の”二度と動かなくなるまで”という言い方が、直樹には妙に生々しく聞こえた。良平が父をどのように捉えていたのか、その言葉だけで十分に伝わった。そして、直樹は良平を自分に重ねた。弟を守るために罪を被った自分と、弟を守るために父を殺害しなければならなかった良平―。当時の良平の気持ちが、まるで自分のことかのように感じられた。

「これ、どうするつもりなんだ......?」

直樹がそう聞くと、良平は俯く。

「どうしたらいいのか、自分にもわからないんです......。でも、このままじゃいけない。だから、塩田さんに聞きたかったんです。この先、どうすればいいのか」

直樹は考える。自首すれば良平の弟は孤独になってしまう。隠し続けても生活を続けていくことは困難。良平は、そのジレンマの中にいる。他に道はあるのか―。そのとき、直樹は1つの道を見つけた。

 「良平くんは家から燃えるものをあるだけ集めてほしい。バイトでもらった新聞の余りとかあるだろう。あと、エアコンのリモコンを持ってきてほしい。あーごめん、もう1つ、車のカギってあるかな?」


 1時間後、リビングには、大量の新聞紙の山と、エアコンの暖房で解凍された成人男性の遺体があった。その横で直樹はライターと車のカギを手にしていた。

「今からこれに火をつける。このままで遺体が見つかると、きっと遺体の傷から色んな証拠が残る。もしかしたら良平くんに疑いが向くかもしれない。だから、全部焼く。そして、俺はこの家の車を借りて逃げる。その後、良平くんは、家を出て警察に行くんだ。そして、父が殺されて放火されて車を取られた、って言うんだ。わかったね?」

「そんな......!それじゃあ塩田さんが......」

驚き、気まずそうな顔をする良平に、直樹は笑顔で返して、良平の肩にポンと手を置く。

「罪が1個増えるだけで車がもらえるなんて、むしろありがたいよ。それに良平くんは弟のそばにいる仕事があるからな。そっちのほうが大事だ」

それを聞くと、良平は唇を嚙みしめながら、直樹に頭を下げた。直樹は良平が気を取り直したのを見ると、遺体のほうに向いてしゃがみ、ライターを新聞紙に寄せる。

「じゃあ、つけるよ」


 ―その日の夜、全国で逃走犯の指名手配のニュースが大々的に流れた。

名前は濱田直樹、年齢は22歳、中肉中背、身長170cmくらい、ひき逃げ・窃盗・強盗・殺人・放火の容疑で○○県に車で逃走・潜伏中―。

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