神様からの頼み事 ~劇作家ウィルフレッドの苦難~
ひろ・トマト
第1話
[――かくして勇壮なる騎士、美麗なるトバイアスは、邪悪なる魔術師ゲネルサを打ち破りました。しかしウェリンズに平穏を取り戻した勇者は、彼の最も敬愛する美女オフィーリアの手によって命を絶ちました。かの騎士の平穏がどうか十二神により救われますように……」
舞台に立つ語り手が言葉を投げかけ、優雅に一礼を行う。
それと同時に幕が閉じ始め、閉幕へと向かう。
それを合図に観客たちが、会場を埋め尽くさんばかりに拍手を行う。
あるものは顔を涙に濡らしながら、別のものは余韻に浸りながら拍手を行っている。
ヘンリーもまたそうした観客の中の一人だ。
彼は満足感に全身を包み込まれながら、心からの礼賛を送る。
観客、役者、小道具、劇場。
これらすべてが最上の舞台を形づくっている。
だが、これらを巡り合わせつなぎとめるにはやはり素晴らしき脚本とそれを書く脚本家が必要だろう。
「やはりウィルフレッド様の脚本は素晴らしきものだ……」
誰に聞かれるでもなくヘンリーはつぶやく。
ウィルフレッド・ウォッシュボン。
彼こそが、今しがた観客を魅了した舞台……「トバイアスとオフィーリア」の作者であり、アルヴェン王国中にその名をとどろかす新進気鋭の劇作家だ。
彼の作り出す作品は、市民はもちろんのこと貴族や王族にすらその価値を認められている。
今や彼の名声はアルヴェン島に留まらず、隣国のライスター王国やブレーヌ王国にも伝わっている。
商人であるヘンリーもまたウィルフレッドのファンであった。
「いやはや、一体どうしたらこのような物語を描けるのだろうなあ」
「まったくだ」
隣からヘンリーの独り言に反応する言葉が聞こえる。
横を向くと男が座っていた。
痩せぎすで、屋内だというのにローブを被っている。
「おや、あなたもそう思いましたか。本当にウィルフレッド様の才能には見ほれるばかりです」
男の出で立ちを不思議に思いながらもヘンリーは話かけた。すると男は首だけをヘンリーのほうに向けてにやりと笑う。
「確かに。物語はよくできている。人同士の愛憎やら物語の背景やら、実によく作りこまれている。だが……」
男は言葉を止める。
「いささか、複雑だったな」
「……そうでしょうか」
ヘンリーは視線を男から外す。
客たちが、感想を言い合いながら、余韻に浸りながら劇場を後にしている。
劇場の幕も閉じたままだ。
「確かに複雑な場面もありましたが、全体的にはわかりやすく……」
再び視線を戻すと、男の姿は消えていた。
目を離したのは一瞬のうちのはずだったが、最初から何もなかったかのように空席があるばかりだった。
不思議に思いながらも、男を探すことはせずヘンリーは席を立った。
アルヴェン王国の王都ローデント。その都市のなかにある劇場サローグ座。
ローデントに存在する劇場の中でも新進気鋭のその劇場はウィルフレッドの手により高名な知名度を獲得していた。
「今回の舞台も無事に終わった。観客の表情を見れば舞台は成功なのだろう。だが……」
この劇場の中で一人の男……ウィルフレッド・ウォッシュボンが悩んでいた。
「だが!だが違う!私の書くもの、否!書くべきものは違う!」
彼は整った茶色の髪をくしゃくしゃにしながら叫ぶ。
「――だがなんだ?私の書くものとは一体何だ?悲劇も喜劇も書いた。しかし、私の心は満たされない」
ウィルフレッドは悩んでいた。
劇作家として成功をおさめ、今やアルヴェン島で彼を知らぬ者はいない。
金も十分すぎるほどある。
この名誉ある劇場に自分専用の部屋まで用意されたほどだ。
しかし彼は満たされなかった。
何を書いても何かが違うと感じる。
自分の胸の内にくすぶる思いを放出できずにいる。
「――まったく、劇作家として成功を収めたというのに、自分の書きたいものすらわからんとは。いやはや神々も残酷な運命をお与えになったものだ」
頭を抱え、椅子に座り込む。
このところ彼はずっとこうして悩んでいた。
遥か過去、幼子のころに文を書き始めたときは確かに書きたいものを書いていた。
だが書いたものが評価され、仕事として書いていくうちに変わってしまった。
客、スポンサー、貴族。
そういった者たちが望むものを書いていった結果、ある時自分の心の内にあるものがさっぱりわからなくなってしまったのだ。
「――やれやれ、どうしたものか」
ウィルフレッドが悩みながら、座っていると。
「ずいぶんと悩んでいるみたいだな」
不意に、声が響く。
ウィルフレッドは飛び上がり声の聞こえたほうへ体を向ける。
ここには彼一人しかいないはずだった。誰かが入ってきた気配はないし、そもそも鍵がかかっている。
視線の先にはローブを深くかぶった長身の男が立っていた。
「凄まじく成功したというのに悩みがあるとは。定命の者も難儀なものだな」
「……君は、何者かね」
努めて冷静に目の前でたたずむ男に尋ねる。
驚きを隠せないウィルフレッドとは対照的にローブの男は悠長な様子だ。
「そう警戒するな。別に危害を加えたいわけじゃないんだからな」
フードを脱ぎ、備え付けてある椅子に座りながら男は言う。
「質問に答えたまえ。君は何者だ……どうやって入ってきた」
男は肩をくすめ
「どうやってと言われても普通に入ってきただけだ。確かに扉は開けなかったから驚くのもむりはないが」
椅子から立ち上がる。
「まあ、そんなことは置いておいて。俺が何者か、だったか。よし、では名乗ろう。
――俺は享楽の魔神、放蕩の神ラズガネス。どうぞ、お見知りおきを」
男は芝居がかった口調で語り、最後に一礼する。
その姿は優雅であり、そしてどこか恐ろしい雰囲気も漂わせていた。
ウィルフレッドは神学者ではないがそれでも知っていた。ラズガネスの名を。
魔神ラズガネス。享楽と放蕩を司る魔神であり、人類の文明を肯定し、積極的に人類に関わってくる魔神であるという。
目の前の男はその魔神を名乗っていた。
「……それで、神が私に何の用だね」
「おや、ずいぶんとあっさり信じるんだな」
「たった今ありえないことを見せられたのでね。信じるしかなかろう」
「うーむ、話が早いのは良いが、俺としてはからかいがいがないな」
ラズガネスは口元に笑みを浮かべ、普通の人間と変わらぬ様子で会話している。
とても神には思えない。だがウィルフレッドの本能は判断している。
この男は危険だと。
「じゃあ、さっそく本題に入ろうか。ウィルフレッド・ウォッシュボン。お前に劇の脚本を書いてほしい」
「……脚本?」
予想外の言葉にウィルフレッドは呆気にとられた。
「そうとも脚本だ。稀代の天才劇作家にしかできない仕事だ」
「それを書いてどうするつもりだ。まさか芝居でもするつもりか?」
「そのまさかだ。正確には芝居するのは俺ではないがな。俺の配下にやらせる」
「配下?」ウィルフレッドは尋ねる。
先ほどから目の前にいる自称「神」が何を言っているのか、劇作家にはさっぱりわからなかった。
しかし神は真剣そのものだった。少なくともウィルフレッドの目にはそう映っている。
「配下は配下だ。デルビアやネクナーシュ、ピルネロー。お前たちが魔物と呼んでるやつらだ」
ラズガネスが挙げた名は、魔神たちに仕える魔物たちの名だ。
ウィルフレッドは見たことはないが、物語や歴史書などにはよく見る。
「……配下がいるのなら、その者らに書かせればいいではないか。わざわざ私を使うことは……」
「それができたらいいんだがな」
ウィルフレッドの言葉を遮るように、ラズガネスは言葉を漏らす。
「最初は奴らにやらせようとした。だが奴らは神であるこの俺の想像を超えるほどの馬鹿の集まりだった。奴らに創造性なんぞありはしない。物語を考えるよりも自分の欲望を満たすことばかり考えてる阿保ばかりだ」
ラズガネスは心底残念そうな様子だった。
神にも感情というものがあるのかとウィルフレッドが変な関心をしていたところで
「その点でいえば定命の者は素晴らしい。非力ですぐ死ぬが、創造性がある。物語を書き、文化を生み出し、世界を変える。愚かな魔物どもよりよほど面白い」
ラズガネスは言う。
「故に、だ。そんな定命の者たちの中でもさらに創造性のある人間ならば、きっと俺の望みを叶えてくれるだろうとそう思ったわけだ。」
ラズガネスの言葉にウィルフレッドは深く考えた。彼の言っていることは何とも現実味がない。
幻想的な物語も抱腹絶倒の喜劇もいくらでも書いてきた。だがこの状況はそれらよりも更に可笑しいものだった。
だが神の誘いをことわるというのも気が引けた。この超常的な存在は一人の劇作家の命を奪うことなどたやすいものだろう。
それに考えてみれば面白い状況ではある。神から脚本の依頼を受けたなど世界中さがしても一人だけだろう。
「……よく分からんが、高く評価してくれるのは分かった。君の話は怪しいが……いいだろう。引き受けよう。神からの直々の依頼なぞこの先なさそうだからな」
ラズガネスは破顔する。
「そうかそうか!引き受けてくれるか!やはり俺の目に狂いはなかったな。では早速仕事の話を……」
「その前に。一つ聞かせてほしいのだが。この仕事は、失敗したらどうなるのだ。それによっては引き受けるのを考えなければならんのだが」
ウィルフレッドの疑問にラズガネスは皮肉っぽく笑う。
「なんだそんなことか。心配しなくても安心していい。俺はお前のような人間は好きでね。命は取らん。俺を他の魔神たちと一緒にするな」
そんな神の言葉をウィルフレッドはいまいち信用できなかったが、ともかく引き受けることに決めた。
「で、どのような物語がいいのだね」
羽ペンと紙を持ち劇作家は尋ねる。
「指定はない。ないが……あまり複雑な物語にするな。後々回収される伏線とか複雑に絡み合う人間関係とかそういうのは入れるんじゃない。」
「なるほど。シンプルな物語がいいわけか。ほかに要望は」
「そうだな、あまり恋愛や友情はいれないほうがいい。魔物に感情なんぞないからな。理解できんだろう。」
こうしてラズガネスから依頼を受けたウィルフレッドは早速執筆にとりかかった
神からの依頼、などというのは初めてだが、ウィルフレッドは素人ではない。
史上最高の天才とまで謳われた彼にとってこの依頼は簡単かに見えた。
現に一週間もたてば脚本の原案は完成していた。
が、しかし。
「駄目だな」
進捗を確かめにきた神は、ウィルフレッドから脚本を受け取り目を通した。
そして開口一番そういった。
「具体的にどこら辺が駄目なのだ?」
「全部だ」
どこか冷たい口調で言い放つ。
「これじゃ物語が複雑すぎる」
「いつもよりシンプルにしたつもりだが」
「この程度じゃだめだ。猿が見ても理解できるような脚本にしろ。まずそこからだ」
そういうとラズガネスの体はふっと闇の中に消えた。
残ったのは没になった脚本と呆然とする劇作家のみ。
仕方なくウィルフレッドは新しく書きなおす。
そしてさらに一週間後。
再びラズガネスが現れ脚本を読んだ。しかしウィルフレッドの望む言葉は聞かれなかった。
「だめだな。まだ複雑すぎる」
「なんだと!ものすごく単純に書いたんだぞ。これでも駄目なのか!」
「定命の者の常識で考えるな。固定観念は捨てることだ」
ウィルフレッドはまたしても呆然とした
それからも脚本を作っては没にされ、また書き直すという生活が続き、気が付けば3か月がたっていた。
ウィルフレッドにも生活がある。劇場からも脚本の依頼が届き、そちらにも労力を割かなければならない。
いかに彼が優れた劇作家であれど、方向性が見えない作品を平行して作るのは骨が折れた。
ちなみにラズガネスからの依頼には納期がない。それはありがたかったのだが状況が好転するわけではなかった。
ウィルフレッドは自室で脚本を羽ペンをもち、紙と相対する。が、ほぼ白紙だ。
彼は大いに悩んでいた。この3か月ありとあらゆる脚本を書いた。しかし性悪な神によって何度も不採用となっていた。
もちろん彼も脚本の書き直しは何度もしてきた。
しかし、ここまで難産なものは初めてだ。
だからといって投げだすことはしなかった。それは彼の劇作家としてのプライドが許さなかった。
「うーむ……」
頭を抱えうなりながら考える。
文を書き進め、ある程度のところまで書くが、納得がいかず紙を放り投げる。
床にはそうしたくしゃくしゃになった紙が散乱している。
今までの人生の中でも上位に入る難しさだ。
だからといって誰かに相談することはしなかった。
これは彼自身のプライドの問題でもあったが、魔神と関わりがあるということが知られたら大事だからだ。
良くて劇作家としての道は断たれる。最悪の場合、異端として処されることだろう。
故に一人でこの難題を片付けねばならなかった。
何度目かの紙を犠牲にしたころ。
ウィルフレッドは少し休憩することにした。
席を立ちキッチンへと向かう。
ウィルフレッドは執筆の休憩をするときは紅茶を飲んでリラックスすることが日課だった。
ポットに茶葉を入れ、暖炉の上にポットをつるす。
後は湯が沸くのを待つだけだ。
(そういえば茶菓子もあったな)
ささやかな癒しの時間を楽しもうとして、ふと部屋の本棚に目が移る。
そこには、ウィルフレッドが今まで出版した著作がいくつも並んでいた。
小説から詩作、劇の台本まである。今まで書いた劇の台本の初版もそこには並んでいた。
マニアが見ればさぞ興奮することだろう。
余談だがウィルフレッドの死後所有していた本の多くは彼の所属するサローグ座や
ローデントにある博物館が所有してすることになったのだが、いくつかの本は熱心なファンが買い取った。特に時の国王ローレンス2世は熱狂的なファンであり、最高傑作と名高い「ゲルズヴァン」の初版本を手に入れるために”信じられないほどの金”を使ったとされる。
そんなマニア垂涎の本棚の本に手を伸ばしぱらぱらとページをめくる。
「ふん、懐かしいものだな」
しばらくそうしていると、ある一冊の本を見つけた。
一番上の棚の一番左にあるその本は、久しくウィルフレッドの記憶から消え去っていたものだった。
他の本のような仰々しさを感じる装丁とは違い、いかにも手作りといった感じの本だ。
表紙には名前が書いてある。「勇者アルトリウス」。
何を隠そうこの本はウィルフレッドが子供のころに書いた本にして、彼が最初に書いた本だった。
親に連れられ、劇を見に行き、その完成度の高さに完成して、自分も舞台の物語を作りたいという欲動のまま書き上げた作品だった。
――まさかここに保管していたとは。忘れていた。
なつかしさを感じながらページをめくり読み進める。
さすがに今とはくらべものにはならないほど文は下手だし、表現技法も幼稚だ。
伏線もない。物語の進行も単調だ。
だが、ウィルフレッドは確かに感じた。この物語を完成させた情熱を。
ページをめくりながら、この本を書いたころを思い出す。
あの時は大変だった。文をかいたことなどなかったのに、見よう見真似で、無我夢中で書き進めたものだ。
だが大変なだけではなかった。展開を思いつくたびに、文を書き進めるたびに、楽しいという気持ちがどんどん蓄積していった。
そしてついに完成したときは筆舌に尽くしがたい感動が得られたものだ。
思い返せばあの時の感動を超えるような経験はいまだにしたことがなかった。
最後まで読み進めて、ウィルフレッドは一つの確信に至った。
「……これだ。私の書きたかった物語はこれだ!」
いてもたってもいられず、机に向かう。
羽ペンと新しい紙をひったくる様に取り出すと、さらさらと書き始める。
ウィルフレッドを駆り立てるもの。
それは情熱だった。この物語を舞台で見たいという単純な。
子供のころの情熱を思い出して、紙にぶつけた。
――そうだ自分に足りなかったものはこれだ。
なんとしても日の目を浴びたいというその一心。
自分の世界を作りたいという欲望。
成長するごとに、自分が認められて、求められるままに書いていくうちに薄れていったそんな気持ちこそが足りなかったのだ。
ウィルフレッドは自分の欲動のまま、時間も忘れて書き進めた。
白紙の紙に彩り鮮やかな文章が飾られていく。
夜も更けたころ、ついに物語は完成した。
題名は「勇者アルトリウスと魔王ヴォーグ」
文章は普段の彼の作品とは似ても似つかぬほど違う。
単調で、荒々しく、そして純粋な物語。
これこそが彼ののぞんだ作品だった。
翌日。いつものようにラズガネスが現れた。
魔神は作品を受け取ると、ゆっくりと読み進めた。
ウィルフレッドは固唾をのんで見守る。
しばらく読みすすめ、ラズガネスは本を閉じる。
「なるほど。わかりやすくまとまってる。いいだろう、合格だ」
ラズガネスは笑みを浮かべながらそう言った。
「合格か!いや、良かった!評価されたようでなりよりだ」
「ふん、正直投げ出して逃げるかと思ったぞ」
「逃げ出すなど!それはプライドが許さん。一度受けた依頼は最後までやり遂げるとも!」
「はは、それは頼もしい。--さてそれじゃあ……」
ラズガネスは改まった様子で、ウィルフレッドに向き直る。
「褒美の時間といこうか」
「褒美?」
困惑するウィルフレッドに、ラズガネスは肩をすくめる。
「当然だ。依頼を受けて達成した。ふさわしい報酬というものが必要だろう」
「報酬か……うーむ。思いつかんな」
「なんでもいいぞ。金でも地位でも。なんなら執筆の才能を今より上げることもできる」
「あいにくと全部持ってる。金も地位も才能もね」
ウィルフレッドは皮肉っぽく笑い、神からの褒美を断ることにした。
ラズガネスの提案は確かに魅力的なのだろうが、今の自分にはそれほど必要なものには思えなかったからだ。
「欲が少ないってのは別に美徳じゃないぞ。ただ損するだけだ。とはいえ要らないってんならしょうがない。また必要な時に呼び出すがいい」
そういうとラズガネスは闇の中へと消えていった。
半年後。
サローグ座にてウィルフレッド・ウォッシュボンの新作「レーブス王」が公開された。
「レーブス王」はウィルフレッドはラズガネスからの依頼に悪戦苦闘しているときと同じ時期に平行して書いたものだ。
講演は予想以上に好評であり、天才劇作家の名声をさらにとどろかせることになった。
最後の講演が終わり、観客が物語の余韻に酔いしれているころ。
ウィルフレッドはサローグ座の支配人室にいた。
目の前にいるのは、支配人のバートラム。
二人は劇の成功を祝って、ワインを飲み交わしていた。
「ウィルフレッド!今回の舞台も大成功だ!まったくお前の才能には見ほれるばかりだな」
「ありがとう、バートラム。今回も成功してよかったよ」
二人は旧知の中でありウィルフレッドの才能に最初に目を付けたのがバートラムだった。
以来、ウィルフレッドとバートラムは一緒に仕事を続けてきた。
「ところでバートラム。君に折り入って相談があるのだが」
「なんだいウィルフレッド。珍しいじゃないか、君が相談なんて。まあいい。話してみろ」
「君と組んで長いことになる」
ウィルフレッドは感慨深そうに言った。
「もう15年にもなるな」
バートラムも同じ気持ちのようだった。
「君が立ち上げたサローグ座にも長いこと尽くしてきた」
「そうだな。君がいなかったらこのサローグ座はここまで大きくならなかったろうな。今じゃローデントで一番大きい劇場だ」
「そうだろ?だからなバートラム。今まで君の望むままに脚本を書いてきた。それは別にいいんだが、たまにはわがままを聞いてもらいたいんだ」
「というと?」
「今度やる舞台なんだが、今から渡す脚本でやってほしいんだ」
「なんだと?」
バートラムは驚き半分に聞きかえした。ウィルフレッドがこのような意見を出してくることは今までなかったからだ。
バートラムが観客のニーズを分析し、それを元にウィルフレッドが脚本を書くという流れだった。
過去に一度だけ
「君が書いてみたい脚本はないのか」
と聞いたことがあった。すると
「今はないな。君が提示してくれるテーマを書ければそれでいいとも」
という返事が返ってくるばかりだった。
後にそう答えていたウィルフレッドが自分の書きたいものが見つからずに苦悩するのだが、バートラムはそんなことは知らなかった。
故に驚いた。はっきりと自分の望む脚本でやってほしいと答えたのだから。
「それでどんな脚本なんだ」
「これだ」
ウィルフレッドは一冊の冊子を渡す。
題名は「勇者アルトリウスと魔王ヴォーグ」
ラズガネスの依頼で書き上げた作品にして、ウィルフレッドが本当に書きたかったものだ。
彼はこれが舞台で演じられるのを見たかったのだ。
バートラムはぱらぱらと読み進め、最後まで読み切るとウィルフレッドのほうを見て、気まずそうば表情を浮かべた。
「あー、まあ、その、うん。君の気持ちはよくわかった。本当に。だがあえて言うならな……」
バートラムの表情はさらに気まずさを増し。
「……やめといたほうがいいんじゃないか」
そう言うのであった。
だが、その言葉はウィルフレッドの想定内であった。
「そう言うと思っていた。君の言いたいことは分かるとも、バートラム。出来が良くないだろう?」
それはウィルフレッド自身がわかっていたことだ。
展開は単調だし、伏線もなにもない。舞台でやるにはつまらないものになるだろう。
「それもそうなんだがなウィルフレッド。僕はな、君の名声にまでひびが入るんじゃないかと思ってるんだ」
「ああ、わかっている。だがどうしてもやりたい!この通りだ!」
そう言って頭を下げる。
「わかったわかった!顔を上げてくれウィルフレッド。……あまり気は進まないが君も要望を叶えよう。だがどんな評判になっても知らないからな!」
親友に頭まで下げられては、バートラムも承諾するほかなかった。
消極的ながらも、ウィルフレッドの提案を飲むことにした。
こうして、「勇者アルトリウスと魔王ヴォーグ」は公開される運びとなった。
数か月後。サローグ座にて。
ウィルフレッド・ウォッシュボンの新作が公開された。
例によって劇場にはウィルフレッドの新作を見ようと多くの観客が訪れていた。
商人であるヘンリーもまた、こうして訪れた観客の一人だ。
今、劇の上映も終わり、会場中から拍手喝采が響いていた。
しかしヘンリーは拍手こそすれど、どこか釈然としない気持ちであった。
「……いつもの劇とは毛色が違うな……」
「確かに。いつもとだいぶ違うな」
そんなヘンリーの独り言に反応する声があった。
ヘンリーは左隣を見る。屋内だというのにローブを着た痩せぎすの男。
いつかの舞台でヘンリーに話しかけてきた謎の男の姿がそこにはあった。
「おや、あなたは……いつぞやの舞台でお会いしましたね。この舞台も見ておられたのですね」
「ああ。俺もファンなんでな。ところで……あんたは今の舞台をどう思った?」
「今の舞台ですか?……まあ、そうですね」
ヘンリーはうつむきながら言葉を選ぶように話し始める。
「ウィルフレッド殿の感性といつものは、私のような常人とはまったく違うものです。さらに多くの物語も書いています。常日頃から物語に囲まれおられるので、浮かぶアイデアも常人とは大きく違ってくるのでしょう。故にこそ、なんというか、我々とは違う目線でこの舞台の脚本をお書きになられたのでしょうね」
「つまり?」
ヘンリーは気まずそうな顔を浮かべる。
「……私には、その、面白さがあまり理解できませんでしたな」
ローデントの通りをラズガネスは歩く。これから彼にはやることが沢山あった。
まずは配下の魔物に演じるという概念を教えねばならない。
役者としての訓練はそれが終わってからだ。
「それにしても……自分が書きたいものと観客が求めているものが違うとは。世の中そう上手くはいかんな」
にやりと笑いつつ、遠目に見えるサローグ座に思いをはせる。
数か月前天才劇作家が苦悩とともに物語を作り上げていく日々が急に懐かしく思えるのだった。
神様からの頼み事 ~劇作家ウィルフレッドの苦難~ ひろ・トマト @hiro3021
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