第2話 心音のララバイ

 早朝、昨日の魔王軍との戦争の結果が伝えられた王宮は、狂乱の最中にあった。というのも、敵地へとおもむいた兵士は尽く戦死したという話だ。敵の居城は灰と鎧の山にまみれ、玉座への扉は固く閉じられていた、まるで買ったばかりのおもちゃを壊した子どものように。

 何より衝撃的だったのが、戦いにおもむいた兵士のほとんどが、この領土最強と名高い精鋭ぞろいの部隊『アーネスト隊』の所属だったことである。


「――以上のように戦いが終結したことを、私、ハロゲン・ライトーがお伝えに参った次第でございます」


 そう名乗る男はひざまずき、玉座に続く赤いカーペットにうつむいている。


「あのアーネスト隊が全滅とは、王国の名折れだぞ。ハロゲン将軍?」

 玉座のかたわらに立っていた大臣が、口角泡を飛ばしながら喚き散らした。


「・・・・全て私の責任です。いかなる処罰をも受ける覚悟はできています」


 苦渋の表情を浮かべるハロゲンをよそに、傾聴に徹していた国王が口を開く。


「まあよい。処罰の話は後でいくらでも出来よう。ともあれ、大臣よ。至急、凱旋の準備を行うのだ」


 ろうそくの火が不意に揺れた。


「・・・・しかし国王さま、全滅とあっては凱旋など・・・・」やけに歯切れの悪い言葉を発する。


「兵士なぞ、別の部隊からの寄せ集めで良かろう。訓練用の鎧に泥でも塗っておけば、国民などはそう疑うまい。

 名誉あるアーネスト隊とはいえ、兵士どもの顔など市場のタコでさえ覚えてはおらんわ」


 王の言葉に、ハロゲンは頭を上げた。


「お待ちください・・!それでは兵舎の兵たちが――」

「控えよ!国王様に楯突くつもりか」


 ハロゲンの眼前に剣の面がロウソクの火を照り返し、赤く煌めく。


「・・・・もうよい。将軍、貴様はいつまでも

その、けちな正義を通そうと言うのだな。

ならば、余もそれに敬意を払い、余の意のままにやらせてもらおう。

――大臣よ」


 呼び掛けに応じ、大臣は耳を寄せる。

そして王は、己の権威にまかせ、声色を低く叫んだ。

「これより国王の名のもとに法案を呈する。

『軍の指揮、及び決定権の全ては国王が有し、その他一切の者の関与は如何なる場合も受けないものとする』」


「お、仰せのままにぃッ」それに付け、大臣は王室を飛び出ていった。


「・・・・将軍も、よいな」


 ハロゲンは再び顔をうつむけ、

「・・・・仰せの――」と言いかけた時。

 王宮中のろうそくが、まるで祝い事のように"ふっ"と、一斉に消えた。闇が広がり、暁星すらも空にない。


――やがてどこからか唄が聞こえる。

誰もが知っている子守唄。

漁師は唄を、波のさざめきといった

農夫は唄を、麦の揺れる音といった

主婦はかまど 物乞いは雨といった

動植物も怪物モンスター

誰もが唄った子守唄


         ◇


 すぐそこで唄が聞こえる。母が自分を寝かしつける際によく唄っていたものだ、と男は郷愁に浸る。鼻腔をくすぐる午睡の匂い。

 男は目を開く。天窓から差す光に天使か死神のごとき埃が透けている。

――ベッドが堅い。どうやら天国にいる訳ではないらしい。

そして、どうやら装備を身につけていないようだ。


「どこだ、ここは」

 シーツに疑問を投げかける。辺りを見渡すとそこに件の女の姿があった。


 女は唄うのを止め、言った。

「あら、もう起きたの。

 そうね。言うなれば、天国よりももっといい場所よ。・・・・さん」


「エ、――なんだって?」

「"est"

 貴方の剣に刻まれていたでしょう?呼び方に困るから勝手にそう呼ばせてもらうわ」

 女は背を向けたままの姿でそう言った。

――あれは、とエストは言いかけたが、独り言のように揺れる女の尾の先がそれを阻んでしまった。


――ところで、

「どうして俺はまだ生きている。

 てっきりあんたのご機嫌な朝食ブレークファストにでもなったとばかり思っていたが」

あるいは失血多量で森の有機肥料にでもなっていただろう。

 女は尾を巻き、呆れた顔を向け言った。


「朝食から『ニンゲン』なんて、最悪なご馳走よ。肉は固いし、脂身だらけ。オマケに人が消えた次の日には村中大騒ぎ。いい事ナシよ」

「へえ?ラミアにも、好き嫌いってものがあるんだな」

「当然よ、霞でもすくって食べていた方がまだマシ」

体を戻しながらそう言う女は、鍋を火にかけている最中であった。


――それは、鍋か。

「ええ、朝食を食べそびれてしまったんだもの。今朝、やけに重い荷物を運んでいたせいでね」


「そりゃどうも」エストはベッドから立ち上がろうと、壁に手をついた。

「では、俺はお暇させてもらおうかな」

よろよろと立ち上がる。歩き出そうという時、エストの足に鱗の付いたしなやかな、鞭のような尾が巻きついた。


「・・・・待ちなさい。そんな足で、どこへ向かうというの」

女は言った。


「出口を探すのさ。近くに、村でもあるんだろう」男の目は虚空を見つめている。


「無茶よ。言ったでしょう?出口は無いって。そんなの斧も使わずに巨木を切り倒すようなものだわ。ましてや、その足で・・・・」


 エストがふっと笑う。

「なに、切り落とすべき巨木がないよりマシさ」

鍋のスープの匂いが漂っている。

なおも"鞭"は足から離れてくれない。

「・・・・離してくれ。どのみち俺にはもうその足しかないんだ」


 そう言った時、エストの足から"鞭"が離れた。そしてそれと同時に女はこちらに這い寄り、エストの目前まで迫った。

紡錘形の瞳がこちらを見つめている。女はベッドのかたわらに手を伸ばし、棒状のものを眼前に突きつけた。それは木材で作られた義足だった。

「足ならある。出口までの道のりも教える。

・・・・だから、そんな馬鹿なことはよしなさい」


 表で風が枝葉を揺らした。音の続く二小節の後、エストはニヤリと笑んだ。

「なんだ。いつの間に俺はそんなに好かれていたんだ」義足を受け取ると、女はすぐさま顔を背けた。


「違う。そんなことじゃないわ。

 ただこの森を人間の亡骸なんかで穢して欲しくないだけ。

 本当に、それだけ」

女はそう言い放った。艶やかなその尾を、胸に抱えて。

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LAMIA 〜半人半蛇と折剣の兵士 片倉イト @hesse_kokuten

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