LAMIA 〜半人半蛇と折剣の兵士

片倉イト

第1話 逃げ、落ちた先に

 森は実に静かだった。本来人の手の行き届かないこの森の、その上魔王の瘴気がこの大地の至る所に飛散する中だ。そういった世相をこの森からは一切感じることがなかった。


 男は手負いだった。右脚の膝から先を失い、胸当ての剣撃の跡には泥が詰まっている。腰にさげた折れた剣の、その鞘には"est"と刻まれていた。

 男はそんな自分の姿を思い、「まるでヘビのようだ」と笑った。


 やがて、東の日が木漏れ日をつくった頃、妖精のような歌声が木々を揺り起こした。それにさそわれるように這うと、そこには女がいて、泉で水浴びをしていた。赤く、艶やかな長髪や、白くつるやかな躰。泉は女の腰から下を全く隠していた。

 男は泉のほとりに腰掛け、女に声をかけた。


「水浴び中失礼する。一つ尋ねたい事があるんだが、良いかな」


女は男の姿に気づくと、体を拭いていた布を胸元に引き上げた。


「こんな森に人が迷い込むなんて、珍しい事もあったものね。

貴方は旅人?それとも、狩人かしら」

「そうだな、とりあえず『旅人』ということにしておこう。

実は、森の出口を探していてね。できれば近くに村なんかがあれば助かるんだが・・・・こんなだしね」


 男は足をパンパンと叩いてみせた。女はちらりとそちらに目を向け、言った。


「そう・・・・でも残念だけど、出口なんて存在しないわ」


 女は口元を隠しながら、柔らかな微笑を湛えた。爽やかな朝の空気は、より一層木々をざわめかせた。


「ねえ聞かせて?この森から出ることってそんなに重要なこと・・・・?」



 女は水を切りながらこちらに向かってくる。男には、その瞳を、追うまでもなく真っ直ぐに見つめることができた。


「・・・・もちろん、命に関わる」

「やっぱり、死ぬのって怖いかしら 教えて・・・・?」


 白く、吸い付くような肌が露わになる。


「・・・・死ぬほど怖い」

「じゃあ仮に今、貴方のその剣を奪って首を掻き切ろうとしたら、抵抗する・・・・?」


 男は、頷いた。


「そう。それなら、安心した」終に泉のベールが脱がされたその半身。妖しく煌めく、梅の花に似たそのうろこ。たなびくようなそのしなり。


 女の脚は、紛うことなき"ヘビ"であった。


「『ラミア』・・・・こんな時に出会っちまうとは・・・・」

「そう。かたわの旅人あなたは、逃げ惑うにせよ命を乞うにせよ、ラミアわたしの餌食になる運命にある」


 女の細い指が男の頬を撫ぜる。チロチロと揺れる舌の先に鋭い牙があった。

途端、男の体は力無くうなだれた。

「だめ。もっと私に絶望を向けて頂戴」

 男の顔が持ち上げられ、目が合ったとき、その口元は緩み、息を吹き出し笑い転げていた。

 女は目を見開いて一歩後ずさる。尾の先が水面に触れ、身震いをした。

男はまたもや顔を背け、語り出した。


「俺もいちおう"蛇"でね。

 そうなったのは――まァ、つい昨日のことなんだが。全て失って、むざむざこんな所に逃げてきた」


 女を見やる。まだ驚きの表情が伺える。


「ただ野垂れ死ぬのは嫌だが、俺の終わりに何か価値が生まれるなら、いいさ。

――いや、それにしても、笑い疲れた」


 男は大きくあくびをして、眠りに落ちた。

その時のやけに体が浮いた感覚が、己の死を意味していないことを信じて。

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