第7話
7 練習開始
指揮者に決まった3年生10名が音楽室に集められたのは、決まった日の説明会以来数日たってからだった。2組と5組は2曲とも指揮者、伴奏者ともに1名、他にクラスは1曲1名となったようだ。今日は指揮指導の具体的な日程を決めるのが目的らしい。
「2組って決まるの時間かけたってほんとか?」
隣に座った1組の宇佐美君が聞いてきた。
「ああ、けっこうな時間だったな」
「それで、奏がやるのか?」
「くじ引きだよ、仕方ない」
「1組はアッという間に決まった、伴奏はいつもやりたがり女の矢部、あいつは勘違い女で、さほど上手くないのにしゃしゃり出てきて」
「でも立候補があるのは良いじゃなのか?」
「そうだよ、でも立候補されたら、他に伴奏して欲しいやつがいても推薦しづらいからな、決まりってことだよ」
「で、指揮はうさ子ってこと?」
「俺、去年やってるからって推薦された、まぁ推薦入試の足しになるかなと思って引き受けた」
この宇佐美君と俺は去年同じクラスで、健と同じサッカー部、通称“うさ子”、先生にも友達にも好かれ、サッカー部の部長で、去年は生徒会の副会長、つまり学年の“頼れる男子”の一人。といっても俺たちの中では、頼れる男子ではなく、毒舌評論男子だ、健や綿田さんも毒舌系ではあるが、このうさ子は舞台裏での評論が、けっこう過激で、それでも嫌われないのは“的を得ている評価”といえるからだ。俺もうさ子は好きな友達だ。
「うさ子は推薦で受験?」
「ああ、推薦で少しばかり高偏差値のところに入れてもらうさ、その後は・・・どうなるかなぁ~実に楽しみだ」
「なんだよ、どう楽しみなんだ?」
「人生一寸先は闇って言葉知ってるだろ、そのままさ」
「闇って・・・」
「暗闇さ、まぁ、その闇をどこでどのくらいの期間経験するかは、人それぞれだろうけどさ」
「・・・」
「人生に不公平はつきものだ」
人生を達観しているとでも言うのか、それとも単なる中二病なのか、うさ子は同級生とは思えないと感じることがある。
「皆さん、始めますよ、いいですか?」
俺がうさ子と話をしている時間に、音楽の高岩先生が黒板にこれからの予定を書き出し終えて、集めた生徒に静かにするよう指示をした。
7月の初めの授業までに歌詞の確認を宿題にして、パート分けもやっていきます。そして半ばにクラスで声出しをしますが、まずはパートごとに練習、2部以上に分かれる曲の場合は、伴奏者にパートの練習用のピアノを録音してもらってそれを使う予定です、指揮者はクラス練習とは別に、録音した伴奏と合わせて指揮を練習してもらうつもりです。なので、指揮が初めてでも心配しないで大丈夫ですからね」
高岩先生は配布した資料に書かれている内容をより具体的に説明してくれた。初心者の向けた個別練習も日程がいくつか挙げられている。この時間帯で希望すれば初心者向けの指導をしてもらえる、ということなのか。部活と塾、それに指揮の練習かぁ、と少し憂鬱なった。
「そんなに考え込まなくても、初心者向けって、結局はなんとなくピアノに合わせて振ってる感じを出す練習だよ、大した時間じゃない、すぐ済むさ」
「えっ?」
おれはうさ子の声に驚いた。
「全く、そんな顔でため息をつくなよ、こっちまで憂鬱なりそうだ」
「俺が?」
「気がついてなかったのか?今、ため息ついてたぞ」
俺はうさ子に言われて、ハッとした。自分では全くそのつもりはなかったが、気持ちがため息として出てしまっていたらしい。
「まぁね、厳しい夏にあるかと思うとさ」
「勉強?」
「そうだね、その上に指揮の練習だ」
「でも、伴奏がバッチリだから、それは安心だよな」
「うさ子は柳田さんのこと知ってるのか?」
俺は柳田さんがピアノをバッチリ弾く、ということうさ子が知っていたことに驚いた。
「ああ、幼稚園が一緒だった、と言っても年長の1年間だけ、そのとき既に保育士より上手かった」
「そうだったんだ」
「お母さんって人がピアノの先生だったみたいで、卒園の時、謝恩会で弾いてくれたんだよ、だから覚えている。でもその後、お母さんが亡くなって、お父さんと海外に行って、それで小学校5年の時に戻ってきたみたいだ」
うさ子と俺とは中学から友達で、小学校やまして幼稚園のことは全く知らなかった。
「うさ子、柳田さんと同じ小学校だったんだ」
「たった2年足らずだけどな、幼稚園だけで、大した知り合いじゃない」
「じゃあ、今はお父さんと2人なんだ」
「どうだろう」
「どうして?」
「これは、5年の時の戻ってきた時に母親たちが噂をしていたけど、お父さんって人もピアニストで、結構有名らしく、海外で活動していて、日本には演奏会の時くらいしか帰ってこないらしい、柳田さんは1人なんじゃないかって、あんな広い家に、大丈夫なのかって話しているのを聞いたんだ」
「1人・・・」
「行ったことはないけど、母親たちの話だと、山辺地区の高台にある大きな家が彼女の家らしい」
山辺地区とは、俺たちの町から車で20分くらい離れると、森林だった土地を人工的に公園にして残した高台がある。その高台には高級感漂う家が数軒あり、その辺りのことだ。俺たちも、その辺りの公園を利用する時はバスに乗って遊びに行っていた。
「そうなんだ」
「あの辺りは、学校なんてないから、通学も大変だろうな、バスで来てるって話だし」
「欠席が多いのって、そのせいなのかな?」
「どうだろう、ただ、親がいなきゃ、だれでも学校なんて行きたくないさ」
「でも、あんまり欠席が多いと、受験できなかったりしないのかな」
「成績なんて関係ない音楽高校にでも進学するんじゃないのか?」
「そうかぁ・・・」
俺は生返事をしながら、柳田さんのエオリアンハープを頭の中で思い出していた。教壇では高岩先生が指導希望日を募っていたので俺は慌てて手を挙げた。
毎年が猛暑と言われるようになり、どの夏が本当の猛暑なのかよくわからない、と健がぼやいている。
“俺は夏が暑いことより、毎年猛暑って言ってたら、何年の猛暑が本当の猛暑なんだかわからなくなって、猛暑の意味が全く通じないって”言っている。確かに健の言うことは一理ある。
「まぁ夏が暑いのは仕方がない、それに人は勝手なもので、冬になれば早く夏にならないかと思うし」
俺も健に同調した。
俺も健も部活が終わり、俺はこの後に指揮指導があるから音楽室、健は家庭科の宿題を仕上げるために被服室を使うらしく、教室で時間をつぶしていた。
「指揮ってどうよ?」
健がどう答えて良いかわからないような質問をしてきた。
「どうって・・・まだ何もしてないからなぁ」
「今日が初?」
「うん」
「そうかぁ、じゃあまだ、これからだな」
「ああ、まだどうなるんだか」
「2組は、伴奏がバッチリだから、優勝レースの本命らしい、そのクラスの指揮者だ、頑張れよ」
「はぁ?」
俺は思わず声が大きくなった。
「どういうことだよ、優勝って」
「うさ子予想だ、2組が本命かなって」
「なんで、そうなる、伴奏や指揮じゃなくて、合唱コンクールだし」
「でも、俺は例年聞いていてさ、伴奏がきれいに入るクラスって、歌が栄えるっていうか、そんな感じがする」
こういう感想を言えるのは健に楽器の心得があるからだろう、俺はよくわからない。
「うさ子も指揮者だし、あいつは何でも上手いから、そいつに言われても素直に喜べない」
「ふーん、俺にしてみたら、奏は以外と器用だと思うけどね、運動も勉強も」
「まさか」
「自分では気がつかないだけさ、まだ子どもだから」
「なんだよ、子どもって、うさ子も健も同じ年だし!」
「ムキになるなよ、年じゃないんだよ、うさ子はうさ子の悩みがあって、奏がうらやましいんだよ」
健がそう言って説明をしてくれたが、俺にはさっぱりわからない。子どもと言われたことに腹が立つというよりは、子どもであることを羨ましがられていることが意味不明なのだ。
「おっ、そろそろ被服室が開く時間だ、じゃあ俺行くな」
健は俺がいまひとつスッキリしていない顔を気にすることなく、教室を出ていき、俺も音楽室に向かうべく、教室を後にした。
音楽室に入ると、柳田さんが来ていた。
「佐藤君の練習日だって聞いたから、来ちゃった」
そう言って柳田さんは俺に遠慮するように笑った。
「ううん、ありがとう、でも、初めてで全くできないから、伴奏があってもつまらないかも」
そう言いながらも、きっと柳田さんはすでに伴奏を仕上げているのだろう、余裕な表情でピアノの椅子に座っている。
「早くから伴奏と合わせられるのはとても良いことだわ、まだ伴奏を仕上げているクラスは他になくて、指揮も伴奏もバラバラで練習してる状態なのよ」
高岩先生も柳田さんの仕上げのペースに驚いているようだった。
「じゃあ、始めましょう、まず佐藤君、人差し指で始めてみるから
高岩先生は、自分の人差し指突き出して俺に指示し、持ち方、課題曲、自由曲も4拍子だからと、4拍の振り方を説明してくれた。
「まぁ、説明だけではわかりにくいし、伴奏に合わせて動かしてみましょうか」
「もう?」
「合わせてみるのが一番いいわ、大丈夫、誰でもできるから、柳田さん良いかしら?」
「はい」
柳田さんは全くためらうことなく、鍵盤に手を置いた。
「とりあえず、私がやってみるから、見ていて」
そう言うと、柳田さんは先生がでを振り下ろすとともに、弾き始めた。
あの時以来、柳田さんのピアノを聴いた。曲は違うけど、やっぱり上手い、なんだか吸い込まれそうな音だ。
「うん、とても良いわ、柳田さんの伴奏は全く問題なさそうね」
「ありがとうございます」
「じゃあ、佐藤君、やってみましょう」
高岩先生は少し困っているような俺にことなど全く気にならない様子で勧めてきた。
「まだ・・・」
「やってみるのが大事よ、ほら」
そう言って高岩先生は、椅子に座っていた俺をピアノの横に立たせ、自分はその正面に立った。
「佐藤君、その位置だと、グランドの翼で、私から見えにくいな、練習の時はピアノの隣でもいいかな」
柳田さんが声をかけてくれたことで、俺は気持ちが緩んだのがわかった。
「そうねぇ、確かにこの位置は見えにくいわね、じゃあ、佐藤君、こっちね」
高岩先生は、今度は俺を引っ張るようにして、柳田さんの横に立たせた。
「これなら、合わせやすくていいわ」
柳田さんが提案した立ち位置に、高岩先生も満足げな様子だ。
俺と柳田さんは、向かい合うような位置で、練習を繰り返した。高岩先生は、大丈夫、上手くできている、と言ってくれるが、俺はどうも上手くいってるとは思えないのだ。伴奏とは合っている、でもなんだか、おかしい。俺は楽器の知識も音楽の知識もないから、何が、どうおかしいのかわからないけど、でもしっくりこない。
「うん、佐藤君、いいと思うわよ、次もがんばりましょうね。柳田さんも今度も来てもらえる?」
「はい、確か、来週の木曜日ですよね、大丈夫です、来ます」
「そう、よかった、佐藤君も、少し時間が空くけど、家でも練習しておいて、指揮は手があれぼどこでもできるから」
「はい・・・」
高岩先生の評価が上々だし、これでいいのだろう、と返事をした。
「来週かぁ、10日以上かぁ、忘れそうだな」
「練習日を?」
「いや、今日言われたこと」
俺と柳田さんは練習を終えて、帰る準備を始めた。たった数時間の練習をしただけなのに、思った以上に気軽に話せるようになっていた。
「言われたことって言っても、基本形を繰り返すばかりで、曲に合わせてとか、その程度じゃない?覚えておくほどの内容でもなかったと思うわ」
「えっ?」
「高岩先生の指揮の指導は、理論でも技術でもなく、雰囲気を出すことなのね」
「雰囲気・・・」
「確かに雰囲気は大事だけど、なんか、それだけだと・・・」
「それだけだと?」
「ううん、いいの、だって指導してくださるのは高岩先生なんだし」
「・・・」
「じゃあ、帰りましょう、職員室に寄って鍵を返して・・・」
「柳田さんだったら、先生とは違うことを教えられるの?」
俺は思わず思ったことを聞いてしまった。柳田さんが少しばかり高岩先生の指導に納得がいかない様子だったのがきになったし、その理由を知りたくなったからだ。柳田さんはハッとしたように俺のほうを見た。
少し気まずい空気が流れながら、俺たちは階段を降りて、職員室のある棟へ移動した。
「ねぇ、明日って何してる?」
職員室の扉をノックして、入り、職員室にいた先生に断り、鍵戸棚に鍵をかけた。その隣で俺の様子をうかがうように柳田さんが聞いてきた。
「明日?」
「うん」
「えーっと、明日は午前が塾で、午後部活に来る予定だけど、それがどうかしたの?」
「もし、よかったら私の家で練習しない?」
「・・・」
俺は本当に自分の耳を疑った。今、柳田さんは俺に“自分の家で一緒に練習をしよう”と言ってくれたと思うが、にわかには信じられなかった。
「佐藤君?」
おそらく固まってしまっていたのだろう、柳田さんは心配そうに呼んでくれた。
「あ、あ、ああ、ごめん、うん、いいよ、いい、いいのかな?」
俺の返事は返事になっていないのが自分でもよくわかったが、どうにもできなかった。
「いいの?じゃあ、明日の部活が終わったらバス停に来てくれる?」
「・・・」
「バス停じゃ駄目?」
「いや、バス停、うん、わかった、バス停、大丈夫だから」
「そう、じゃあ明日、よろしくね」
その約束をしてから、どうやって家に帰ったのか、よく覚えていない。家に戻ってからもしばらくは何が起きたのかよくわからないまま部屋で呆然としていた。夕方から塾の授業があるからと、健が誘いに来てくれたことで、現実に引き戻され、慌てて着替えて塾に行った。
エオリアンハープから始まった夏、そして、それは未来への足音だった @iyada
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