第9話


 展望台の様子は七年前とほとんど変わっていなかった。

 なんと僕らが動かした木箱のゴミ箱の位置もそのままに見えた。


 あの中で僕らは息を潜めて覗いていたのだ、この場所で愛し合う男女の営みを……。

 僕は西向きの柵に手をかけて眼下の海を眺めてみた。


 まだ太陽は高い位置にあり、空も海も青かった。

 風が僕のスカートの裾を舞い上がらせる。

 

 それを抑えながら乱れた髪のまま振り向くと、思いつめた表情の辰夫が立っていた。

 辰夫の手の中で何かが光った。

 辰夫がそれを差し出すまでそれがナイフだとは気づかなかった。


「どうしたのさ。何考えているの」

 辰夫はこめかみに汗をかきながらそのナイフを僕の方に向けてきた。


「服を脱いで裸になれよ」

 信じられない言葉が辰夫の口から聞こえてきた。


「店では大勢の男相手に尻ば出しとるとやろうが」

 僕が黙っていると辰夫が叫んだ。


「俺はおまえが好きやったんや。一番好きやったんだよ。それなのにおまえは俺の前からおらんごとなった」


「僕の居場所はわかっていたはずだろう。訪ねて来ればよかったんじゃないか」

 どうしてこんな事になったのか、さっぱりわからない。さっきまでは全く普通に話していた辰夫なのに。


「冗談じゃなか。娼婦になったおまえなんか見たくもなかばい。俺だけのものになって欲しかったとに」

 ナイフを構えた辰夫がじりじり寄ってくる。

 彼の目の中に狂気を感じた僕は言う通りにする事にした。


 コートとワンピースを脱いで、ブラジャーを外した。風が冷たくて一瞬震えが来たが寒さを感じたのはその一瞬だけだった。


「小さかけどちゃんと胸の有るとやな、早う下も脱いで素っ裸に慣れ」

 何が彼を駆り立てているのか、まだわからないからなるべく刺激しないようにゆっくりショーツを下げて、左足、そして右足を抜いた。


「きれいかな。娼婦になっても、公彦はきれいか。その台に手ばついて尻ば向けろ」

 七年前僕らが覗いたカップルの恰好だった。


 手を台において体を預けると、辰夫のほうに腰を向けた。

 さらに向こうを向けと言われて、僕は海の方を向かされた。


 辰夫が近づいてくるのが感じられる。

 そのまま後ろから刺されるのではと思って冷や汗が出てきた。脇の下がべとべとだった。


 お尻に息を感じたあと、すぐに肛門に濡れた感触があった。

 辰夫の舌の感触だった。このままここでするつもりなのかと思っていたら、彼はすぐに離れていった。


「悪かったな。脅かして。でも、もう一回だけ公彦のすべてば見たかった」

 振り向くと辰夫は自分の喉にナイフを突きつけて後ずさっていた。


「やめろ。どうしてそんなことしないといけないんだよ」


「公彦は自分の幸せのために、おじさんやおばさんの気持ちも考えんで玉抜きまでしたとやろうが。俺も公彦の気持ちば考えんで自分の幸せのために、自殺してもよかはずや」


「どうしてそれが辰夫の幸せなんだよ。わけわかんないよ」


「さっきも言うたやろ。俺は公彦が一番好きだったって。公彦が自分のものにならんのなら死んだ方がましだってこったい」


「むちゃくちゃだ。お願いだから止めてくれよ」

 今にも喉をつきそうな辰夫の手が微かに震えている。


 飛び掛ってナイフを奪われる事を警戒したのか、辰夫が一歩二歩と退いていく。

 僕はその場に膝と手をついて頭を下げた。


「頼むから、思いとどまって。辰夫の気持ちに気づかなかったのは謝るから」

 そのとき、頭の上から辰夫の笑い声が降ってきた。


「自分勝手に幸せを追い求める事の無茶苦茶さが、やっとわかったや」

 さっきまでの辰夫と違って急に冷静な声になっていた。


「巻き込まれてみらんばわからんやろう」

 芝居だったのか。それにしてはハードな芝居だ。


「なんだよ。僕に反省しろって言いたかったわけ? 服まで脱がせて」

 急に寒くなったから手近に合ったコートを拾って裸のまま肩にかけた。


「まあな。それに公彦の裸も見たかったしな。玉抜きした部分もよう見せてもろうた」

 こらえきれない笑いが辰夫の口からこぼれていた。

 急に憎たらしくなったけど、辰夫の言いたい事は身にしみてわかっている。


 服を着ていると後ろから辰夫に思い切り抱きしめられた。

 耳元で辰夫の声がする。


「本当言うと、ここで公彦ば殺して自殺するつもりやった。でも、そいも自分勝手やもんな」

 目の前の海が少しだけ赤くなっていた。

 夕陽と呼んでも良いくらいに太陽が傾きつつある。


「いくら追いかけても、太陽は沈んでしまうからね。人間はいつか必ず死ぬんだし。辰夫がそのつもりなら、ここで辰夫に刺されるのも悪くなかったかもしれない」


「おいおい、冗談やって言うとるやろ。人ば殺人犯にするなよな」

 夕焼けで赤くなった顔の辰夫に僕は口付けをした。


 すぐに辰夫も舌を吸ってくる。

 沈みつつある夕陽に染められながらも、僕の心の中の炎は燃え上がっていくようだった。


 ボブと父の顔が頭を掠めていったけど、燃え上がる炎の前ではそれは枯葉のようにあっという間に灰になって消えてしまう。


 キスをしながらふと眼を開くと、例のゴミ箱が目に止まった。



 そして、その中から覗く誰かの視線と一瞬目があった気がして、僕は軽い眩暈を感じるのだった。





夕陽を追いかけて おわり

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夕陽を追いかけて 放射朗 @Miyukiharu

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