第60話
家の持ち主として時々は見に来ていたけど、クリーニングやリフォームをしないといけない箇所がある。寮生活に慣れていた分、一軒家で独り生活するのは色々と不便も出てくるだろうけど、とにかく頑張るしかない。引越し屋が来る前にある程度掃除をしておこう。
家中の窓を開けて換気をして、せかせかと室内の掃除を始める。
床の雑巾がけをしているとチャイムの音がした。大変だ、もう引越し屋が来たらしい。
急いで玄関へ向かう。換気をしていたからドアが全開で、すぐにその人物を確認することができた。
どこかで見たような学校の制服を着て、黒髪のボブに、切れ長でスッとした目。丸い輪郭に白い肌。猫のような子だった。右下に、小さな泣きぼくろ。
デジャブ。霞んでいた記憶が鮮明になっていく。
絶望に染まっていたあの日、僕を救ってくれた人。
「あの、どちら様ですか?」
「
僕は目を丸くして彼女を凝視する。
「はい、そうですが、加賀美さんって……」
「父に数日前連絡をくださったでしょ? 今日こっちに戻ると。本当は父が訪ねる予定だったんですが、急遽仕事が入ったので私が代わりに来ました」
そうか、そうだったのか。
加賀美さんの家にあった写真。あれは奏雨さんだったのか。
僕はすでに12年前、逢ってはいないけど本物の奏雨さんを写真で見つけていたのだ。
目が合った彼女はふいと目を逸らして手土産の菓子折を差し出してきた。無表情だがほんのりと頬が赤くなっている。
「父が持っていくようにと。受け取ってください、後日挨拶に伺うとのことでした」
気づかなかったが、祈さんも最初に来た時、頬を赤くしていたのかもしれない。
一目惚れ。生命終了支援センターが言っていたのを鵜呑みにしてる。
まさかね。
「……どうして笑っているんですか?」
「いや、どうも頭が追いつかなくて。来てくれてありがとう。待っていたんです、あなたをずっと」
「はぁ……。あの、おかしなことを聞きますけど、どこかでナポリタン、泣きながら食べてませんでしたか? 見かけたことがある気がして」
「そうですね、レトロな喫茶店で、食べていたかもしれません」
12年前、僕は一度死んでまた僕として生まれ変わった。今日までやっぱり幾度もどん底に落ちては生きるのが辛くなったこともあった。
それでも僕はここに在る。待ち望んでいた人が目の前にいる。偉大なことを成し遂げる力はないけど、僕にとって生きる意味がこの瞬間だった。
晴天の下、涼しい風が通り抜けていく。どこかから懐かしい花の匂いがした。
僕と彼女の関係に名前が付く日はまだ先の話である。
また逢う日を楽しみに 弐月一録 @nigathuitiroku
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