僕らの名前

第59話

2033年5月31日 火曜日。


おばさんからの支援を受けてどうにか高校生活を送った。卒業してからは自動車整備士の資格を取るために地元を離れて専門学校に通い、今は整備工場に就職している。実務経験も豊富でようやく一人前になったので、来月には地元に戻って仕事をする予定だ。


絵を仕事にしようとも考えたけど、あくまでも趣味の一環として続けることにして、時々個展を開いて絵を売っている。まだ全然知名度は高くないけど、一人でも二人でも絵を魅入ってくれるだけでも満足だ。


「以上、経過報告です」


久しぶりの墓参り。墓石の下には祖父と祖母と母さんが眠っている。死の決断をしてから12年。目まぐるしい日々は早く通り過ぎたように思う。


僕の妄想した未来予想図は的中した。身長も伸びて体もがっちりしたし、仕事仲間と酒を飲みに行って誰かの家で雑魚寝をしたし、真夜中に独りでドライブにも行った。15歳の僕は大人になることを怯えていたんだ。ちゃんとした大人になれるわけないって。でも生かされた命は、不器用なりになんとかやっていけてる。


人の浮ついた話は聞かされるけど、僕は身に起きた出来事を誰にも喋っていない。時間が過ぎていく事にあの日々の記憶が霞んでいく。祈さんを思い出すどころか、顔も曖昧になってしまっている。果たしてそれは良いことなのか悪いことなのか。写真を一枚でも撮っておけば良かった。


彼女がいた証明は手紙のみ。未だ本物の奏雨さんには逢えていない。


「本当に逢えるのかな」


5年前に花房さんと結婚して三人のこどもがいる穂苅君には「早くいい子見つけろよ」と急かされている。高校の時、消えた祈さんについては遠い街に帰って行ったとだけ伝えて誤魔化した。ありがたいことに僕が振られたと解釈してくれて、女の子を紹介されたことは何度かあったけど付き合うまでには至らなかった。


運命的なものを感じないと言ったら高望みするなと怒られても仕方がない。でも、霞んだ記憶の一部、猫のような目に綺麗な声がちらついてきてどうしようもない。


明日、明後日、1年後、10年後。本物の彼女に巡り会えるまで頑張って生きよう。その時は彼女に祈さんの記憶が少しでも残っていてほしい。


「そろそろ家に帰ります。長い間放置していたからまた住めるようにしないとね」


花を添えて墓石の側面を撫でた後、僕はその場から去った。


行ってらっしゃい。


そんな声は聞こえない。僕の頭の中で勝手に再生しただけ。


亡くなった人はすでに何かに生まれ変わっている。母さんは花となり、咲いて枯れてまた人に生まれ変わっているだろう。


巡り巡ってまた母さんの子になれることを、今のうちから楽しみにしている。


僕は振り返り墓石に向かって手を振った。


「行ってきます」


墓石の近くに咲いていた名も知らない白い花が、ゆらゆらと風に揺れていた。

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