ままあるほうか

太田

ままあるほうか

図書室のカウンター内は人間が二人並ぶと少し狭い。肩が触れ合うか触れ合わないか、微妙な距離感を保ち続けるのはなかなか楽ではないのだ。これが左隣で静かに本を読んでいるのが親しい間柄の友達だったのならこんな気まずさに悩む必要もないのかもしれないけど、この子と私は、性別、通っている高校、学年、それから図書委員という共通点くらいしかない。つまりは同じ委員会に所属するだけの他人だ。記憶する限り、数度しか会話を交わしたことはない。その一度だって、さっき起きた些細なトラブルがきっかけと、緊急時に余儀なくされた会話だった。

見た目だけで語ってしまえば私の友人に多いタイプには思えない。真面目そうで、読んでいる本も信じられないくらい分厚い。いつ使うのかも分からないポイントカードがぎゅうぎゅうに詰められている薫の財布よりも分厚いんじゃないかな。なんて、退屈を紛らせたくて人間観察の真似事をしてみたけど、まさか真横をジロジロ見つめるわけにもいかないから、私にはせいぜい手元の本を盗み見ることくらいしかできなかった。

そんな時間ももうすぐ終わりだから、まあいいんだけど。

カウンターから右上を仰いだところの時計によるともうすぐ十七時を回ろうとしている。

図書室に私たち以外の生徒はおらず、委員会活動の終わりの時間も近い。

この退屈さも、あと少しだけの辛抱だ。


図書室にはスマホが持ち込めない。というか鞄自体が持ち込めない。図書室を利用する生徒はみんな入口脇に置かれたロッカーに鞄をしまい、勉強道具なんかは脇に抱えて持ち込む必要がある。図書委員も例に漏れず、おかげで暇な時間にスマホを触ることができないのだ。

「締め作業、今のうちにしておきませんか?」

手持無沙汰に秒針の動きをボーっと眺めていたら、突然向こうからそう声をかけられた。

いきなり向けられた矢印に驚いて、私はつい肩を震わせてしまう。さっきからチラチラ窺っていたのがバレていただろうか。

「そ、そうだね。早く帰りたいし」

答える声は自分でもわかるくらい動揺していた。

「ありがとうございます。私は本棚の方を見てくるので、カウンターはお願いしますね」

「はいっ!」

教師にもしたことがないくらい快活な返事が思わず口をついた。しかしなんともテキパキ話が進んで行く。隣の子……隣にいた子は立ち上がって、本棚の陰に消えていった。

共通点、一つ追加。身長も私と同じくらいだったな。


カウンター周りの締め作業はそう難しい作業ではない。

返却期限の日付を表すさいころ型のカレンダー、ここの日付を一日進めておくこと。

貸し出し用に使うパソコンのシャットダウン。

それから机の上とカウンター周りを軽く掃除。これくらい。

図書室の入り口脇にあるロッカーからモップを持ち出して、カウンター周りを軽く掃く。とは言っても、図書室の先生は綺麗好きで有名だから、私が掃除をするまでもなくカウンター周りの床にはホコリ一つ落ちていなかった。

それに今日は月曜日。図書室の清掃は毎週金曜日に行われるから、一週間の中でも一番図書室が清潔なのが今日だ。ますます私が手を動かす意味はない。

まあ形だけでも手を動かすのが大事だ。本棚の方を見て回っているあの子にサボっていると思われるのもなんだか嫌だし。

って、あれ……?


モップの先で床を撫でるだけの手を止めカウンター上の一部分をジッと眺めていたら、

「お疲れ様です。こちらは異常ありませんでした」

唐突に後ろから声をかけられ、私は慌てて床の掃除に意識を戻す。

「あ、ああ。うん。こっちもすぐ終わるよ」

「はい」

ぎこちない会話は、そんな事務的な返事によって一ターンで途切れてしまう。

私は沈黙を誤魔化すようにモップを持つ手を動かして、あの子は元いたカウンター内の椅子に座り直して、分厚い本をぱらぱらめくっている。

ああダメだ、私はどうしても、この空気に耐えられそうにない。

「それ、すごい分厚いね。どんな小説なの?」

「え?」

まさか声をかけられると思っていなかったのか。彼女は本から外した動揺交じりの目線を私に向けた。それっきり動きを止めて言葉も続かない様子に、つい助け舟を出す。

「そんなに分厚い本って、私始めて見たかも!あ、もしかしてあれ?ハローワーク?だっけ、いろんな仕事が紹介されてるやつ!あれなら私も読んだことあるよ!めっちゃ分厚いんだよね!」

読んだと言っても大分前の話だけど。私の知っている分厚い本なんて、ハローワークか広辞苑くらいだ。

「あれは進路に悩んでいる中学生が対象の本だと思いますよ。私には必要ないものです」

あくまで変わらぬトーンでそう返される。言葉の端々から会話を続ける意思のなさが感じられてしまってくじけそうになるけど、ここで折れちゃあいけないだろう。私は言葉を続ける。

「へ~そうなんだ!ってことは、あなたは進路とか、もう決めてるの?」

「はい。探偵です」

「そっか~探偵か~」

ん?聞き間違いだろうか。

「探偵?」

「はい。探偵」

右手の握りこぶしを顔に近づけて、虫メガネをのぞき込むマイムと共に再び尋ねる。

「この?」

彼女はピストルの形にした右手を顎に当て、言った。

「この、探偵です」

この、と言われても……。

彼女の言っているのは恐らく、先日薫に引っ張られて半ば強制的に見せられた映画で大活躍していた、眼鏡と蝶ネクタイがトレードマークのスケボーに乗った小学生の彼と同じ職業なのだろうが……。

でも、それは何と言うか……本当に?溢れる疑問が止まらない。

「え……っと、なんで探偵になりたいの?」

つい、そう尋ねてしまった。推理小説が好きなのだろうか。もしかして、今読んでいるこのやたら分厚い本も大長編のミステリーだったりして……。

私の期待も意に介さぬまま、彼女は飄々と答えた。

「なんで、と言われると、困りますね。私はなんで探偵になりたいんでしょうか」

「わかんないの?」

「だって、アイドルになりたいと言っている人に、なんでアイドルになりたいの?と聞いても、答えは返ってこないでしょ?」

「そうかなぁ?テレビで見たアイドルに憧れたとか、色々あるんじゃない?あ、もしかして探偵に助けてもらった過去があるとか?」

「いや、ないですね」

「ないんだ」

ないらしい。彼女のことについて話しているはずなのに、なぜお互いに分からない尽くしのまま話が進んでいるんだろうか。私はまだしも、どうしてこの子まで疑問でいっぱいの表情を浮かべているんだ。あなたの話をしてるんだけどな。

私は、この子……そうだ、原さん。原さんのことが気になってたまらなくなっていた。

あと考えられる可能性と言ったら、

「アニメとか漫画……小説の影響とか?」

「いや、私はあまり創作物を楽しむのが得意ではないので……」

再び彼女の読んでいた本に目をやる。資格勉強に関する本のようだった。

「じゃあ、どこで探偵という職業を知ったの?普通に生きていて、フィクション以外で探偵を知る機会ってなくない?」

「どこで……。どこ、なんでしょうね?」

「いや、知らないよ」

つい、薫と話している時のテンションそのままに言葉を返してしまった。

なんともペースを乱される子だ。

「もしかすると、私がよく歩く道に探偵事務所があって、そこを通るたびに探偵の文字が頭に刷り込まれた結果気づけば探偵を目指していた、という可能性もありますよ」

自分のことのはずなのに、他人事みたいな話し方をする。それも、わけのわからない論理を振りかざして。

「それだけで憧れるかなぁ?文字だけで?どんな仕事かもわからないのに?」

「……確かに、室木さんの言う通りかもしれません」

あ……名前、憶えててくれたんだ。ってか、こんな適当な推測しかできないのに、探偵を目指すほどの素質があると思えないけど……。

「探偵になるためになにかしてることはあるの?」

アイドルになるなら歌や踊りの練習。教師になるなら勉強や人前で話す練習。目指すものがあるのなら、そこに向けて重ねるべき努力があるはず。けど、

「……ないですね」

「ないんだ」

ないらしい。

もしかして、からかわれてるのか?

これまで、人付き合いと言うものをそう少なくない数経験してきた自負はあった。

けれどこの子……原さんのような子を相手取るのは間違いなくこれが初めてだ。彼女はあまりに独特過ぎる。人間関係の限りのなさを思い知らされ、未知の領域へ踏み込んでいくような感覚に思わず、私は椅子を座り直した。原さんが口を開く。

「でも、そんなのわからないものですよ。今私が持っている知識の全部、その一つずつがどこからどのようにして学んだ知識か、なんてわからなくて当然です。私はどのようにして朝に太陽が昇って夜に沈むことを学んだのか。どのようにしてラーメンの食べ方を知ったのか。どのようにして日本語を習得したのか。どのようにして探偵という職業について興味を持ったのか。実物を目にしたのか、誰かから教えられたのか、誰かとは誰なのか、そんなのわからなくて当然なんですよ」

「……そう、かなぁ?ラーメンと探偵は違くない?」

「違うかもしれません」

気の抜けるような返事に、私の疑念は確信に変わる。あ、これ、からかわれてるな。

そんな疑いの目線を向けているのがバレたか、原さんは胸をポンと叩いて、高らかに宣言した。

「そんなに疑うのなら、私が探偵として優れていることを証明してみせます。なにか解決したい謎はありませんか?些細な違和感でも大丈夫ですよ!」

そんなことを急に言われても、そんなのすぐに挙げられるわけがない……あ。

一つだけ、あった。なんてことのない、けれどずっと頭の片隅に引っかかり続けている光景。こんなの、謎として扱えるのかもわからないけれど、それを考えるのは私じゃない。

カウンターを挟んで相対す、自称探偵志望の少女だろう。

「そしたら、さっき少し気になったことがあるんだけど」

「望むところです!」

私が見下ろす形で、高低差と共に交わされていた目線が、同じ高さまで上がってきた。

原さんが勢い良く立ち上がったのだ。

「それでは原さ……原……ごめん、下の名前なんだっけ?」

「一葉です。か・ず・は」

「へ~、和風の和に葉っぱ?」

「いえ、数字の一に葉っぱですね」

「かずは……可愛い名前だね~」

「ありがとうございます。そう言うあなたは、室木……」

「つかさだよ。ひらがなでつ・か・さ」

「はい、覚えました。室木つかささん」

「よし!……って、何の話だっけ?」

そうだった、気を取り直して。

「コホン。原一葉さん。あなたにこの謎が解けるかな?」

形ばかり壮大な風を装ってしまったけれど、果たして私の頭に引っかかり続ける違和感と言うのが謎と呼んで然るべきものなのかどうか、不安はなかなか拭いきれない。

まあ謎として成立しているか否かなんて気にするだけ無駄だと思おう。所詮世間話の延長でしかないわけだし。私はカウンター上の一スペースを指さして、言った。

「ここ、貸し出し用の鉛筆があるでしょ?これ、さっきは七本しかなかったと思うんだけどね……」

図書室のカウンターの上は物で溢れていて、その一角に貸し出し用鉛筆が数分入れられたボックスと、その横には鉛筆削り器が設置されている。カウンターにいる司書か生徒に声をかければ誰でもこの鉛筆が使用できるようになっていて、一日にニ~三人程度の利用者が声をかけてくる。もちろん鉛筆削り器も声をかければ誰でも使える。

そんな貸し出しボックスの中を数えると、鉛筆の数は八本。私がこの部屋に来た時には確か、鉛筆は七本しかなかったはずなのだ。一本増えている。

司書の先生の達筆な字で『図書室貸し出し用』と書かれたマスキングテープが鉛筆の周りを囲うように巻かれた後、向かい合った接着面同士が張り付けられている、そんな目印のついた鉛筆。この目印があるおかげで、貸し出し用とそうでない通常の鉛筆が一目でわかりやすく見分けられるはずなのに、八本の鉛筆には全てマスキングテープが巻かれている。だから不思議なのだ。

「おかしいと思わない?どうして鉛筆が増えたのか、原さんにはわかる?」

顎に手を当て、原さんはしばらく考え込む。さあ、お手並み拝見と行こうじゃないか。

まず原さんが口にしたのは、

「鉛筆が七本あったのを確認したのはいつ頃のことでしたか?」

当然の疑問だった。まず疑うべきは私の証言だろう。

「今日の当番が始まる前だから……二時間前くらいだね」

委員会に急かされ嫌々図書室にやってきて、なんとなく眺めた貸し出し鉛筆コーナー。私の記憶違いでなければ、向きも揃わぬ雑な形でしまわれていた鉛筆のラインナップは、虹の七色と似た色をしていたはずだ。貸し出し用鉛筆は少なくなれば適当に補充されるので、そのカラーが偶然虹の七色と似ているなんてすごい偶然だと、一人で盛り上がっていたからよく覚えていた。

そう話すけど、原さんの表情は厳しいまま。

そりゃあそうか。スマホが手元にないせいで写真に撮っていたわけでもないし。

他に証拠になりそうなものと言えば、本の貸し出しに使用するパソコンでアクセスできるブラウザの検索履歴に残された『虹 七色』の文字だけだ。虹の七色の顔ぶれを確かめたくて調べたんだけど……

「検索履歴だけでは鉛筆が七本しかなかったとは言えません」

「そうだよね……」

確かに七本しかなかったと思うんだけど、それを証明できなければ謎と言い張ることもできない。私が気を落としたのが伝わってしまったか、原さんは続けざまに言った。

「大丈夫です。ちょっと待っててください」

そう言うと、原さんは立ち上がってカウンターの前、こちら側まで回ってきた。掴み上げたのは、貸し出しコーナー横の鉛筆削り器だ。

カウンター内に戻った原さんはポケットからティッシュを数枚取り出して、カウンターの上に広げる。次の瞬間、

「ちょっ!」

原さんは、鉛筆削り器の削りカスが詰まった受け皿の部分をティッシュの上にひっくり返した。普段からやっているのかと疑ってしまうほどに慣れた手つきで、私の制止が挟まる余地も、細かいカスが飛散する隙もなく綺麗にひっくり返されたそれを、原さんはスッと持ち上げる。

「いきなりどうしたの?」

ティッシュの上にあけられたカスたちを広げ、じっくり眺めている原さん。私の質問の声は届いていないらしい。

「見てください」

原さんが、ティッシュの上に広げられた削りカスを指で示す。

「ん?」

「鉛筆削りの削りカスには、少しだけ鉛筆表面のコーティング部分が含まれています。ほら、ここ」

原さんに示されたところを見る。言われてみればそうだ、鉛筆を削った時に出る削りカスには、中心の木の部分を縁取るようにコーティング部分のカラフルな色が確認できる。

「色ごとに分けてみましたが、コーティング部分の色は七色しかありません」

分けた、と簡単に言うけど、削りカスの量はなかなかのものだ。その上、色を確認できる部分のサイズは申し訳程度という言葉がよく似合う慎ましさだった。これをこの一瞬で……?

「ほんとだね……って、これだけで私の言ったことを信じてくれるの?」

「いえ、まだです。そもそもこれだけ削りカスがたくさん出ているのはなぜか、覚えていますか?」

「それは……さっき私がそれをひっくり返したから……」

「はい。室木さんが貸し出し鉛筆コーナーを箱ごとひっくり返してくれたので、ボックスに入っていたほぼすべての鉛筆の芯が折れてしまいました。それらを拾い集めて削り直したからこれだけカスが出ているんです」

先ほど私が、返却された本を本棚に戻しに行った時のことだ。仕事を済ませてカウンターに戻ってきた私は椅子の足に躓いて、勢いそのままカウンターに手を付き、貸し出し鉛筆のコーナーを盛大にひっくり返したのだった。室木さんと簡単な会話を交わしたのも、この時が初めてだった。「大丈夫ですか?」「怪我はありませんか?」かけられる心配の声にああ大丈夫だよと返しただけの、そんななんてことのない一幕。

あれがこうして推理の手がかりになるなんて……。

感動する私をよそに、原さんは続ける。

「そもそも図書室は先週の金曜日に清掃されたばかりで、司書の先生は潔癖のきらいがあります。鉛筆削り器の中身は綺麗に掃除されていたはずですし、カウンター下のゴミ箱にもまだゴミは入っていません。つまり」

「つまり?」

原さんは貸し出しコーナーの鉛筆を一本持ち上げて、催眠術でもかけるみたいに、私の目の前にそれを持ってきた。

「この白い鉛筆が、ここに入っているはずがないんです」

削りカスの中に白色のコーティング部分が含まれているものはなかった。ごみ箱にも削りカスが捨てられていないのなら、白い鉛筆は今日まだ削られていないことになる。けど、私がボックスをひっくり返した時に拾い上げた鉛筆は先ほど全て削ったはず……。矛盾が生じるわけだ。

「室木さんの言っていたことは間違っていない、ということになりますね」

「原さん……!」

こんなにあっさりと、不確かだった私の記憶を、原さんは確かな手掛かりを持って真実だと認めてくれた。探偵になりたいだなんて適当なことを言っているだけだと思っていたけど、これは考えを改めなければいけないな。

理解の難しい部分は多くあれど、彼女の探偵を目指しているという言葉に嘘はない。はずだ。

「でもここからが難しいんです……。この鉛筆におかしなところは見受けられませんから」

原さんはそう言って、繊細な手つきで持ち上げた鉛筆を上下左右に眺めている。

確かに、例えば美術のデッサンに使うような極端な濃淡をしているわけでもなく、断面が六角形で、長さも極めて一般的。こうしてわざわざ話題の中心に置かれているのが不自然に思えるほどに、その白い鉛筆は”普通”だった。

原さんは再び立ち上がりカウンターを出て、先ほどひっくり返した鉛筆削り器の受け皿を元に戻す。その後、どこから取り出したのか分からない、アニメのキャラクターが描かれた鉛筆を削り器に突っ込んだ。

「原、さん?」

私の声はガリガリ音を立てて削られていく鉛筆の悲鳴に負けたようだ。

図書室の鉛筆削り器は、古い型の割に削るスピードが速くて、なかなか使い勝手がいい。その代償として音がうるさすぎるというデメリットはあるけど。

原さんはただ黙って鉛筆の悲鳴が止むのを待ってから、削り終えた鉛筆をまた繊細な手つきで持ち上げ、美術品でも干渉するみたいに眺めている。カウンターに戻って今削った鉛筆と例の白い鉛筆を、そして自分の筆箱からキャップ付きの鉛筆を一本取り出した。キャップを外すと綺麗に尖った黒い芯が現れて、合計三本の鉛筆をしばらく眺めた後、持ち込み禁止のはずのスマホをポケットから取り出したと思ったら、三本を並べて比較した写真をカメラに収めた。

満足いく写真が撮れたのかスマホをしまった原さんは、次にカウンター上のメモ用紙を一枚千切って、問題の白い鉛筆を手に持ち適当な線を引いていく。先の尖った白い鉛筆が引く線は、尖った芯の先からもわかる通り細い。

と。原さんの筆圧が強かったのか、伸びる細い線が付箋サイズのメモ用紙の半分にも達しないうちに、キンキンに尖っていた白い鉛筆の芯が折れてしまう。私は思わずあっと情けない声を漏らしてしまった。削りたてのように尖った芯がこうも早く折れてしまって、自分のものではなくても視覚的なショックは強かった。原さんはそんな私と違って、折れた芯を数秒眺めた後、顎に手を当て深く考え込む様子を見せている。

原さんは再び立ち上がって、再び削り器に白い鉛筆を差し込んだ。すっかり元通りの姿を取り戻した白い鉛筆で再びメモ用紙に線を引いていく。今度は一往復こそできたものの、やっぱりすぐに芯が折れてしまった。さぞ折れやすい鉛筆だ。

さっきからわけのわからない行動ばかりが続くけど、原さんのことだから、きっとなにかはっきりとした意図があっての行動なんだ、よね?

私はただ黙って、手際よく進んで行く原さんの”捜査”を見守っていた。


そういえばもう委員会活動の終了時間は過ぎているんじゃないか。沈黙によって落ち着きを取り戻し時計を見やる。とっくに十七時は過ぎている頃だった。もう帰ろうと思えば図書室を施錠して職員室に鍵を返せばそれは叶うけど、ここまで来て帰るわけにもいかないだろう。

ただ待つのも退屈で、私なりにも一本増えた黒の鉛筆の謎について色々考えてみることにした。マスキングテープの目印をちょこちょこ弄りながら考えを巡らせていたその時、気づく。

そうだ、白の鉛筆はあれだけキンキンに尖っていたんだから、削り直す時に削りカスが出なかったんだ。だから鉛筆削りの中にあった削りカスは七色だけだった。これだ。

なかなか悪くないように思う。これはかなりいい推理なんじゃないか。

そんなことを考えていたら、

「色々分かりました」

久しぶりに聞く原さんの声。返した私の声は、思ってもいないくらいに弾んでいた。

「ほんと!?」

「はい。色々わかって、おかげで色々わからなくなりました」

「ええっ!?難しい話だね……。あの、その前に一つ聞いてもらってもいいかな?」

「どうしました?」

私は先ほど浮かんだ推理を語った。自分の考えを纏めて言葉にするのがこんなに難しいのかと、伝言ゲームには難航しつつ、精一杯に伝えた私の考えを、

「その可能性はないと思います」

しかし原さんは一刀両断した。

「あの鉛筆はごらんになった通りすぐに折れてしまいましたから。あれだけ勢いよく散乱して、あの鉛筆だけ無傷でいられるとは思えません」

言われてみればその通りだ。他の鉛筆がすっかり折れている中であんなに折れやすい鉛筆だけ折れていないなんて、よく考えるとおかしい。

「確かに……。ごめん、忘れて」

「はい。それでは気を取り直して。まずは……鉛筆が勝手に増えることはありませんし、鉛筆がひとりでに動くこともありません。だから、誰かが貸し出しボックスの中に鉛筆を一本多く入れたことになります。それがどんな人物なのか考えてみました」

「なるほど……」

そうやって考えを進めていくのか、参考になるな……って、私は別に探偵になるわけじゃないし、参考にする機会なんて一生巡ってこないか。

「まず、ボックス事ひっくり返されて飛び散った鉛筆が想像以上に遠くへ飛んで行ってしまった可能性を考えました。私たちが拾いそびれた鉛筆を誰かが見つけて拾ってあの貸し出しボックスに戻してくれたんじゃないか……」

「なるほどね!それなら、削りカスがないのも納得だね!」

「いえ、先ほど言った通り、問題の鉛筆は大分折れやすい状態にありました。私の語った通りであれば、あの鉛筆が尖った状態で貸し出しボックスに戻されていたのはおかしいんです」

「そっか……」

原さんは言葉を続ける。

しかし私みたいなバカでも理解のしやすい、滞りのない説明には感心してしまう。

「次に考えたのが、何かの間違いで貸し出し用鉛筆を持ち帰ってしまった生徒が今日こっそり貸し出しボックスにそれを戻した可能性です」

「ああ。それなら鉛筆が尖ってても違和感はないね!」

「いえ、この写真を見てください。この図書室の削り器は古い型なので、完成形の鉛筆の削れ方が少し特殊な形になるんです」

そう言って原さんが見せてくれた写真には、三本の鉛筆の先っぽが並べられていた。尖った芯の形は、確かに一本だけ他二本と形が違うのがよくわかる。よく見ると、図書室の削り器で削ったのであろう二本は、先っぽの木と芯の部分が短い。

「ほんとだね……」

「はい。犯人……というか間違えて鉛筆を持って帰ってしまった人物Xさんが貸し出し用の鉛筆を使用したのなら、鉛筆を削り直す必要があります。ですが、自分の家で削り直したそれが図書室の特殊な削り器で削ったものと同じ形になるとは考えづらいんです。もちろんXさんが偶然図書室のものと同じ型の削り器を使っていたのなら話は変わりますが、電動で、それもかなり古い型のこの削り器が、令和のこの時代に偶然被るとは思えません」

「それなら、借りた鉛筆を一度も使わないまま間違えて持ち帰っちゃったんじゃない?キャップを被せれば、尖ったまま、図書室の削り器の形のままで鉛筆を持ち運べるし……」

「キャップを被せるまでしておいて、この目印に気づかず持ち帰るとは思えません」

「あ……」

言われてみれば当たり前の話だ。マスキングテープで大きくつけられた目印に気づかず持ち帰ってしまうなんて、あまりに間抜けすぎる。

「他にもいろいろ考えましたが、貸し出しボックスに鉛筆を戻した人には、なんらかの意図があった、ということは間違いがないと思います。つまりはボックス内にこの白い鉛筆を戻すこと自体が目的だったのです。そう考えれば犯行は容易ですから」

「そうなの?」

「ええ、そもそも貸し出し用鉛筆は頻繁になくなるので、高い頻度で新しい鉛筆が補充されます。だからマスキングテープの目印を手に入れるのはそう難しいことではないはずです。今日より何日か前に図書室の削り器で削っておいた鉛筆に目印のマスキングテープを巻く。後は今日貸し出し用の鉛筆を借りて、それを返却する際にどさくさに紛れて目印を付けた鉛筆を一本多く貸し出しボックスに戻す。やろうと思えば簡単ですね」

人の意図の介在がないものと考えていたから難しかった問題が、誰かが意図すればそう難しい犯行ではない。原さんの流れるような口調も手伝って、明かされた真相には拍子抜けすら覚えてしまう。けど、私一人では絶対にたどり着くことのできない場所であることも確かだ。

やっぱり、原さんはすごい。

「ただここからが問題なんです……。今日鉛筆を借りた生徒、もう少し範囲を広げてカウンターに近づいた生徒でもいいんですが、一人も顔が思い出せなくって……」

「顔か……防犯カメラとか、は、見られないよねぇ」

「……すみません訂正します。顔を思い出したところで名前がわかる生徒がいなくって……」

大分悲しい訂正が入れられた。

「ええ……。ともだ……知り合いとかいないの?顔と名前が一致する人とかさ」

そう尋ねるけど、それっきりしばらく口を開こうとしない原さんの悩まし気な表情に、私は質問を間違えたことを痛感する。これはあんまり聞かない方がよかったな。

しかし原さんは一転、明るい表情を私に向けて言った。

「室木さん」

「……私?」

「はい、室木つかささん、ですよね?」

「うん」

「以上です」

以上か……。原さんの交友関係の狭さは今は置いておいて、でも大丈夫。

私もようやく、原さんの役に立てそうな時が来たみたいだ。

「大丈夫、私が覚えてるよ。鉛筆を借りに来たのは三人だったかな。まず、生徒会副会長の阿波(あわ)先輩。そこから三十分くらい開いて美術部部長の摩周(ましゅう)先輩。摩周さんの数分後に来たのが学年一位の成績を誇る、凡(ぼん)先輩……だったかな。みんな三年生だね」

一息ついて、続ける。

「カウンターに近づいた人まで完全に覚えてるわけじゃないけど……あ、最近はあの人が良く図書室に来てるよね。三年の雨野(あまの)先輩。以前は素行不良であんまりよくないグループともつるんでるって有名だったらしいんだけど、最近になって心を入れ替えて別人のように勉強してるって、男子がよく噂してる先輩だよ」

言い切る。しかし原さんから言葉が返ってこない。なにか考え込んでいるのかと彼女の顔を見ると、鳩が豆鉄砲を食らったようなという表現がよく伝わってくる、呆然とした様子の原さんがそこにはいた。先ほどまで鮮やかな推理を繰り広げていた彼女はどこへやら。心配になって、私は声をかける。

「だ、大丈夫?私の話、聞こえてた?」

「はい……。室木さんは、この学校の全生徒の顔とフルネームを覚えているんですか?」

「やだなぁ、そんなわけないじゃん。超人じゃあるまいしさ」

「そう、ですよね……なんだか安心しました」

「流石に下の名前までは知らないよ」

「…………」

原さんはまた黙り込んでしまった。恐らくだけど、私の語った情報を整理して犯人の正体に考えを巡らせているんだろう。あまり邪魔してもいけないかなと思い、私もしばらく黙っていた。

黙りつつ、懲りずにまた推理とやらに挑戦してみることにした。原さんの語った手がかりも踏まえれば、三人の中に存在している人物Xの正体だって、思い当たれそうな気がする。

それは一体、誰なんだろうか。

美術部の摩周先輩なら鉛筆をよく使うだろうし、成績優秀な凡先輩なら、勉強のために鉛筆をよく使う、のかな?と思う。マークシート式の問題集を解くには鉛筆を使うこともあるだろう。

ただ、なぜ貸し出し鉛筆を一本増やすようなことをしたのか、と考えると途端にわからなくなる。わざわざ鉛筆を貸し出しボックスに戻した理由……。

その時、頭に電撃が走ったような、そんな感覚に襲われる。

つい先ほどと似た感覚。さっきは全くの的外れを語ってしまったけど、今度は違う。

「原さん!」

試行の最中に突然声をかけられた原さんは、その冷静な表情を崩した。声をかけるにしても、流石意に勢いが良すぎただろうか。

「ど、どうしましたか?」

「私分かったよ、人物Xの目的が!」

「本当ですか!?ぜひ聞かせてください!」

原さんの顔がググっと近づけられる。流石の私でも味わったことのない距離感に、原さんの興奮具合が見て取れた。さっきからこれっぽっちも推理の役に立っていない私の意見にここまで前のめりになれるなんて、原さんはその意味でも凄いなぁ。

でも大丈夫、今度は間違っていないはずだ。促されてすっかり気持ちよくなった私は、揚々と語りだす。

「それはずばり、シンデレラだよ!」

「シンデレラ?」

私の言葉を原さんはそのまま繰り返す。

それはあまりに突然投げかけられた可能性を咀嚼しているようにも見えた。

「そう!つまり人物Xさんは、その鉛筆の持ち主を探してるんだよ!貸し出しボックスにその人の持ち物である鉛筆をこっそり置いて、その鉛筆の持ち主が現れるのをずっと待ってるんだよ!めっちゃロマンチックじゃない!?」

顔も知らぬあの人の正体を求めて、健気な思いが図書室で交差する……。

ああなんて素敵な真相!

「いくつか疑問をいいですか?」

バラ色に彩られた推理と書いて妄想に耽る私に、疑念、違和感、困惑の色に満ちた原さんの質問が投げかけられた。かかってこいだ。

「うん」

「まず、人物Xさんが鉛筆の持ち主を探す動機が分かりません」

「そんなの決まってるよ。持ち主の人が好きだからだよ」

そんな私の返答は予想されていたのか、すぐに原さんから反論の言葉が飛んできた。

「好きとは言いますが、人物Xさんは鉛筆の持ち主の何に惹かれたんでしょう。図書室に忘れられていた鉛筆の持ち主、というだけの顔も知らぬ相手に好意を抱くでしょうか?」

「それは……」

「それに、人物Xさんの行動が人探しだったのなら効率が悪すぎます。見た所何の変哲もない鉛筆ですから、この鉛筆の持ち主がこれを熱心に探すとは思えませんし、そもそも図書室の貸し出しボックスなんて使わずに、職員室前の落とし物ボックスに入れておけばいいだけの話で……あっ」

原さんの言葉が途切れたのは、一切の隙がない論理的反論の前にすっかり意気消沈した私に気づいたからだろう。もう全く返す言葉が見つからないくらいに、原さんの言う通りだった。

「推理の邪魔してごめんなさい……」

謝罪の言葉しか返せない。そのことが一層原さんの罪悪感を加速させてしまったらしく、原さんはブンブン頭を振って、否定の意を体いっぱいに示した。

「いえいえ!私こそ、否定することばかり言ってしまって……。そ、その…………」

「原さん……?」

全力で謝罪をしていた姿から一転、口をぽっかりと開けたまま原さんは動きを止めてしまった。人間意図しないままこここまで微動だにせずいられるのかと、感心してしまうほど鮮やかなマネキン仕草だった。

「もしかしたら……」

そう呟いて、問題の白い鉛筆を手に持った……かと思ったら、図書室貸し出し用と書かれたマスキングテープの目印に指をかける。

慣れない手つきで少し時間はかかったものの、原さんの格闘の甲斐あって外されたマスキングテープはすっかり縒れてしまっている。ついさっきまで目印として大切に役割を果たしていたテープも、こうなってしまえば形無しだ。

原さんの行動の意図が分からずいた私に、原さんはにやりと微笑みながら言った。

「わかりましたよ、室木さん。犯人、というか人物Xは、生徒会副会長の阿波先輩です」

それはあまりに突然もたらされた真相だった。明日の天気みたいにサラッと語られた人物Xの正体に戸惑っていて、マスキングテープの下に隠されていた違和感に気づくまでには少し時間がかかってしまうほどだ。


六角形の鉛筆上部、各面にサインペンで書かれた、1から6の数字に。


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「ご協力ありがとう、おかげで校内の問題解決が進んだよ」

そんな言葉と共に伸ばされた手を握り返す。こんな首脳会談みたいな一幕に自分が巻きこまれる日が来るとは思わなかった。

思わず片手だけで握り返してしまったけれど、あれは対応として正解だったんだろうか。

両手で応じるべきだったのかな。

そもそも、この手を握るべきは私ではないはずなんだけどな。

「いえいえ、私は平和な図書室の空気を大切にしたかっただけですから」

心にもないことを言うと、周囲にいた生徒会役員や教師たちが色めき立った。


とても居心地の悪い空間から逃げるように訪ねた図書室では、私なんかよりもよっぽど賛辞を受けるべきであるはずの人物が、貸し出しカウンターで涼しい顔してまた分厚い本を眺めていた。今読んでいるのも資格勉強に関する本のようだけど、私の勘違いでなければ、表紙に書かれた資格の名前があの日と異なっている。

図書室に入ってきた私に気付いた彼女は栞も挟まずに、読んでいた分厚い本を閉じた。

「あ、お疲れ様です。どうでしたか?」

「いや、全く身に覚えがない状態で褒めちぎられるのって、想像以上にストレスがすごい」

「ありがとうございます、私の代わりを務めてくれて……」

「いや……まあ、室木さんが悪いわけじゃないから……。ただ疲れた……」

こぼした液体が広がって行くように、私はカウンターに身を投げ出す。

言ってしまえば行儀の悪い私の行動も、原さんは咎めない。ただ黙って、一度閉じた分厚い本をまた開く。

一本の鉛筆から始まった話は、私の想像の及ばないほどにまで膨れ上がってしまった。

それも、取得する意思があるのかないのかどうかも分からない資格について書かれた本を退屈そうに眺める、この子の手によって。

「原さんは、探偵になりたいんだったね」

「ええ。なりたいと言うより、なるんですけどね」

未来が見えているのか疑ってしまうくらいに、あっけらかんと原さんは言った。

「そっか……まあ、才能はありそうだね」

「わかってもらえてよかったです」

「うん、あれ見せられちゃったらねえ……」


思い出すのはあの日、私と彼女が初めて出会った日。



####################


「なに、この数字?」

マスキングテープの下から現れた六つの数字に、私の疑問は増える一方だった。

けど、原さんはそんな私と真逆の反応を見せていた。

この数字を見て、彼女の疑問はすべて解消されたらしい。

「ただの一から六の一桁の数字ですね」

当たり前のようにそう言う。

「それはそうだけど……これが何?」

「日常にも一から六の数字が書かれたものがあるじゃないですか。室木さんもきっと使ったことがありますよ」

そんなことを言われても……。特殊な人生を送ってきたことがない自負に溢れた私が、そんなわけのわからない数字が書かれたものを使ったことなんて……ああ、

「サイコロ?」

「そうです。この鉛筆はきっとサイコロ代わりに使用されていたんでしょうね」

そう言って原さんは持っていた白い鉛筆をカウンター上に転がした。カラカラ音を立てて転がる鉛筆はやがて一つの面を上にして動きを止める。空に向く面にはサインペンで書かれた3の数字が示されていた。

私たち二人の合意があって、推理は一つマスを進んだ。すごろくのように一歩一歩確かな事実を重ねながら、原さんの推理は繰り広げられていく。

「次です。さっき室木さんがとても素敵なことを言ってくれました」

「私?なんか言ったっけ?」

強いて挙げられることとしたら原さんの下の名前を褒めたことくらいだろうか。

「人物Xは、鉛筆の持ち主を探していた、という話です。あれは正しかったのではないかと私は考えています」

それは私が語った推理だった。今思うと根拠も何もない妄言にすら思える。それに、

「でも、その可能性はさっき否定されたんじゃなかった?」

他でもない、原さんの手によって。

「そうですね。ですが、鉛筆に書かれた数字と人物Xの正体を踏まえて考えると、見えてくるものがあるんです」

人物Xの正体……先ほど原さんは、生徒会副会長の阿波先輩だと言っていたけど。

「まず、落し物の持ち主を探すには方法が回りくどすぎる、という点について。この鉛筆がなにか特別なものであったのなら、落とし主はこの鉛筆を必死に探すでしょう。そしてこの鉛筆の特殊な点についてはこの数字が教えてくれます」

「サイコロ代わりに使われているから珍しい、ってこと?」

「そうです。もちろんそれだけではありませんが」

でも、小学校の頃、転がして対戦するタイプの鉛筆でクラスの男子たちが盛り上がっていたのを見たことがあるけれど。サイコロ代わりの鉛筆なんて、そんなに珍しいものだろうか?

「次に、人物Xが人探しにわざわざ図書室の貸し出しボックスを使用している点です。これには二つの理由があったのではないかと考えています。一つに、貸し出し用のマスキングテープの目印でサイコロ部分が隠せること、そして、この鉛筆が図書室で発見された物であることです」

図書室の落し物は図書室へ。考えてみれば今更言語化せずとも当たり前の話に思えるけど、では一つ目に語られた、サイコロ部分を隠すことに何の意味があるんだろうか。

浮かんだ疑問を投げてみると、原さんはすぐにこれに答えてくれた。

「人物Xは鉛筆の持ち主を探したいのですから、持ち主以外の人間の手にこの鉛筆を渡らせることをなるべく防ぎたかったはずです。だから他の貸し出し用鉛筆の中に紛れ込ませても目立たないようにしたかった。マスキングテープの目印で数字を隠して、芯は削って尖らせて、傍から見れば何の変哲もない鉛筆に仕立て上げた。逆説的に言えば、この鉛筆に違和感を覚える人間がいれば、それが鉛筆の持ち主であると一目でわかるような状況を作ったのです」

「なるほど……なんだか、すごい執念だね……。人物X……阿波先輩はそこまでして鉛筆の持ち主を見つけたかったんだ」

「はい。執念が凄いのは阿波先輩だけではなかったと思いますが。鉛筆の落とし主も、この鉛筆を探すのに必死だったはずです」

推理は着実に進んでいるはず。けれどわからないことはまだ多い。

さっきから原さんが言うには、この鉛筆は多くの人間が必至になるほど特別なものであるらしいけれど、その特別さの理由がさっぱりわからないから話があまり見えてこない。

今度は、私が浮かべた疑問を口にもしないうちに、原さんは答えを示してくれた。

「ではこの鉛筆の何がそこまで特別なのか。この鉛筆は、何かしら賭け事に使用されていたのではないかと私は考えています」

「賭け事……?ギャンブルってこと?」

「ええ。ただ友人同士で盛り上がるだけのギャンブルであればいいんですけどね。生徒会副会長がこうも必死に持ち主を探していることを踏まえると……」

原さんは一瞬言葉を止め、問題の白い鉛筆を再び掴み、転がした。

「違法ギャンブル……は言い過ぎかもしれませんが、犯罪絡みのギャンブルである可能性は高いと思います」

「犯罪って……そんな……」

原さんの言葉に曖昧な様子はない。彼女は本気で、たった一本の何の変哲もない鉛筆が犯罪に関わっていると、そう言っているのだ。見飽きたはずの図書室の風景が、なにかとても居心地の悪いものに思えてしまって、私は思わず体を背もたれにベタッと張り付けた。

「流石に、考えすぎじゃないかな……。こんな場所でそんなこと……」

「違法ギャンブルと言えばなにか大仰な話に思えますが、恐らくその実は形を変えたカツアゲのようなものなんだと思います。図書室の一角で、上級生が下級生からギャンブルを言い訳にお金を巻き上げる。巻き上げたお金の行き先はわかりませんが。多様な学年の生徒が頻繁に集まっても違和感の少ない場所、と考えれば図書室は最有力候補として挙げられます」

信じがたい、けれどここまで踏んできた一歩一歩が示す答えには不信を挟む隙がない。

絶句する私をよそに、原さんは続けた。

「鉛筆の芯が折れやすくなっていたのは、この鉛筆が何百回何千回とサイコロとしての役割を果たしたからでしょう。荷物の持ち込みが制限されている図書室であれば、まさか賭場が繰り広げられているとは思われづらいでしょうし、もっと言えば、それがギャンブルの公平性の担保にも繋がっていたのかもしれません。まあ、弱い立場の人間から金銭を巻き上げるような人間が公平性を重んじるとも思えませんが」

「じゃ、じゃあ、阿波先輩がこの鉛筆を仕掛けた理由は……」

「想像になりますが、校内でよろしくない金銭のやり取りが行われている情報が生徒会に入っていたんだと思います。被害に遭った生徒からの情報提供があったのかもしれません。ですから、阿波先輩が鉛筆を忍ばせたのは、全く見当のついていない犯人の正体を探るというよりかは、ギャンブルに関わっていた人物を炙り出す狙いの方が強かったのかもしれませんね」

原さんの語った内容に矛盾するところはなく、けれどイマイチ彼女の話を信じ切れなかった私は、それから数日後に図書委員にもたらされた生徒会からの捜査協力のお願いによって、時間差で彼女の推理力の高さに感心させられていた。

なぜか最上級生でもない私が、捜査協力の筆頭に祭り上げられたのには納得がいっていないけど。

その後、被害生徒からの声が集まり、図書室を舞台にした恐喝事件はギャンブルの胴元、当該生徒への停学処分と共に幕を閉じた。


####################


「認めるよ。原さんは探偵になると思う」

言うと、原さんは深いため息をついた。

「当然です……と言いたいんですけどね。今回の一件を通して、改めて自分の至らなさを痛感しました」

「そうかなぁ?少ない手がかりから鮮やかな推理、しかもそれが的中してたんだからすごいことじゃん」

「いやいや。貸し出しボックスに近づいた生徒を覚えていてくれたのも、私の推理の責任を負って生徒会へ足を運んでくれたのも全部室木さんでした。私一人の手柄ではありません」

推理の責任、探偵になるにはそんなことまで考えなければいけないのか。難儀な商売だ。

「じゃあさ、私が将来仕事に困ってたら、原さんのところでアシスタントとして雇ってよ」

こんな冗談、改めて原さんの方を向き直してまで言うことではなかったかもしれない。唐突に顔を合わせた原さんはこちらがびっくりするくらい戸惑っていて、やがて俯いてしまった。困らせてしまっただろうか。ここまで真に受けられるとは思っていなかったんだけど。

原さんは、ボソボソと何かを呟いている様子でいる。

「優れた人間観察力にコミュニケーション能力。確かに、捜査の手伝いをしてもらうにはうってつけの人材かもしれません……」

なんか前向きに検討され始めてるし。

ダメダメ、そんな不安定な職業、とてもじゃないけど人生を預けられないよ。

上手く躱すには何を言えばいいだろうか。

「あはは、将来は雇用関係かもね……」

「かも、ですか……。曖昧に濁されなくなるくらいまで、室木さんに私の探偵としての素質を信頼してもらえるよう頑張らないといけませんね」

「ははは……がんばってね……」

これはなかなか困ったやつに目を付けられた。あの推理力と洞察力を持った原さんから、果たして私は逃げ切れるのだろうか。

「早く次の謎を見つけないといけません。原さんに私の才能を存分に見せつけるのです!」

図書室という静かな場では憚られるくらいの声量で、原さんは高らかにそう告げた。

未来の名探偵から逃れる方法をあれこれ思案する間、自分が笑みを零していたことに気づかぬままで、私は静かな図書室の空気に身を預けていた。

委員会活動が終わる十七時まで、まだまだ先は長いようだ。

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ままあるほうか 太田 @yamaiuotani

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