番外編:君色に染まる



※高瀬と羽鳥が初デートで美術館に行く話




 羽鳥とリビングでテレビを見ているときだった。ふと、今日までデートらしいデートをしていないと気づいてしまった。一緒にコンビニへ行くとか、ホームセンターに付き合ってもらうのは抜きにして、だ。

 思い立ったが吉日。


 さっそく羽鳥と出かけようと思ったが、アラサーの立派な大人なのにデートプランが全然浮かばない。高瀬は家で何か作るのが趣味だったし、羽鳥も写真を撮りに行く以外は、家で映画を見ているインドア派だ。


 気付いてから、毎日、悶々とスマホでデートスポットを探していた。会社の接待ならこんなに迷わないし、ぴったりなところをすぐに見つける自信がある。誰かに訊けば、すぐにいい場所を見つけられただろうが、羽鳥を一番知っているのは自分だという自負があった。だから、この難題は時間がかかっても一人で解決したかった。


 そんな折、会社がスポンサーをしている写真展のチケットを手に入れた。困っていたところへ助け舟だと思ったが、さすがに初めてのデートで、お手軽すぎる気がした。けれどチケットを見た瞬間、高瀬は恋人同士の定番のイベント「チケットもらったんだ、来週一緒に遊びに行こうよ」っていうのがやりたくなった。

 

 要は年甲斐もなく初めてのデートに浮かれていたのだ。

 毎日、家で一緒にいるのだって幸せだけど、待ち合わせてどこかに行ったり、外でご飯食べたりっていうのがしてみたい。

 この機会を逃したら、多分一生二人でどこかに出かけようって雰囲気にならない気がした。



 *


「――なぁ羽鳥、今度の日曜、空いてるか?」


 高瀬が作ったダイニングテーブルと椅子で、向かい合って夕食を食べているときだった。意を決して話を切り出した。

 意気込みすぎて声が裏返っていた。急に恥ずかしくなって、慌ててハンバーグを口に入れたら返ってむせてしまい水で流し込む。

 全然格好がつかない。

 もちろん羽鳥に格好つける必要もないんだけど。


「なんだよ、改まって」

「これ、写真展のチケットもらってさ、一緒にどうかなって」


 羽鳥は受け取ったチケットをみて相好を崩す。どうやらデートに誘うのは間違ってなかったようだ。ここまで上機嫌な羽鳥も珍しかった。一人世を拗ねていた時間が長かったせいか、羽鳥は感情を表に出すのがあまり得意じゃない。こういうふうに他人にはあまり見せないニコニコ顔を引き出せたときは、羽鳥以上に自分が笑顔になってしまう。


「へぇ高瀬、もしかして、こういうのが好きなのか?」

「いや、もらったチケットだけど、もしかして羽鳥は人の作品興味なかったか?」


 思えば、羽鳥が人の写真について語っている場面を見たことがないと気づいた。

 気を悪くしたかもしれない、そう思って引っ込めようとした。けれど羽鳥に手首を握られてしまう。


「違う違う。お前が大丈夫ならいいよ。ただ高瀬、怖くて泣いちゃうかもって思って。感受性豊かだし」

「えー別に、その写真展、心霊写真じゃないぞ?」


 行くのは上野で開催されている国際写真展だ。

 現代写真アート、海外の若手写真家たちの作品が一堂に会する展示だ。羽鳥と付き合うようになって、商業写真と芸術写真の違いは理解している。今回の写真は後者の分野だ。もしかしたら羽鳥の作品に近いところがあるのかもしれないと思った。


「感受性豊かって羽鳥もだろ、映画見て毎回うるうるしてるし。隠してたって俺は知ってるぞ?」

「それは、お前もだろ、お前の場合は号泣してる」

「まぁ、そ、そうだけど」

「……ある意味心霊写真より怖いかもね。俺はいいよ、行きたい。じゃあ、日曜日の十時に駅前のスタバで待ち合わせな」

「なんで? 一緒の家住んでるのに待ち合わせするのか?」

「だって、こういうのがしたかったんじゃないの? ちーちゃん」


 さも当然というふうに言われた。最初から高瀬の考えなど全部お見通しだったらしい。


「ッ、そ、そーだよ! 悪かったか! お前とデートしたかったんよ!」

「悪くない悪くない。嬉しいなぁ、デート楽しみにしてる。あー初めてのデートおめかししないとなぁ、何着ようタキシードとか?」

「お前なぁ、着れるもんなら着てこいよ」

 

 多分、似合うんだろうなと、惚れた欲目で一瞬考えてしまったのが悔しかった。


 *

 

 次の日曜日。高瀬はせっかくのデートなんだし、美術館だからと襟付きのシャツを選んだが、下と合わせると妙な組みわせになってしまった。冬ならコートを着てしまえば粗が隠れるのだが、あいにく今は夏だ。絶妙にダサいし日曜日のパパみたい。同じポロシャツを羽鳥が着ているときは、最高に決まって見えたのに。


 ペンキで汚れるからと普段の休みは作業着ばかりなので、自分に似合うおしゃれが分からない。もたもたしていたら、服で悩まない羽鳥は先に駅へ行ってしまった。誘ったときおしゃれするとか言っておきながら、羽鳥はいつもよく見る白のシャツにグレーのチノパンだった。何だかハメられた気がする。


 約束の時間ギリギリにスタバに着くと、狙ったわけでもないのにデートの定番のセリフ「ごめん、待ったか?」と言ってしまった。羽鳥はすかさず大真面目な顔で「いや、今来たとこだよ」って返してくる。滑ってないと思ったが、高瀬は羽鳥の手のカップが揺れてたのを見逃さなかった。


「……なぁおい、羽鳥、笑ってるだろ」

「いや、楽しいな、デートって。ちーちゃん俺のために服悩んでくれたんだなぁ、嬉しいなぁ」

「お前のせいだろう! 恥ずかしいな」

「全然、恥ずかしくないのに。ちーちゃんのスーツと作業着以外の私服久しぶりに見た」


 どうにも『ショートコント・デート』をして遊ばれている気がした。


 *


 写真展の中は、お互い自由に鑑賞して、三十分後に出口で待ち合わせることにした。

 会期の前半だからか、午前でも人が多く賑わっている。

 年齢層は幅広いが学生が多いだろうか。カップルよりは一人で来ている人が多い印象だ。


 ――もしかしてデートでくるような、内容じゃないとか?


 観覧順に展示を回り始めて、急に羽鳥が「怖い」と言っていたのを思い出していた。


(怖い写真って、一体どれだろう)

 

 展示の内容は事件や災害を取材したようなルポタージュ写真ではない。アート写真が泣くほど怖いというのが想像できなかった。

 それは今日まで見てきた羽鳥の写真が、優しく温かな作風だからそう思うのだろうか。


 順に見ている自分と違い、羽鳥は興味のある展示から見ているようだった。泣くと言った羽鳥本人は、壁にかかっている写真を見ても、少しも表情を変えていない。

 あれは高瀬をからかうための冗談だったのだろう。そう思い直し、高瀬は視線を作品に戻して丁寧に写真を鑑賞する。作品に付けられている創作意図や、作者の思い。それらをまとめた映像コンテンツなどなど。


 最初は「へぇなるほど、こんなことを考えて作品を作ったのか」と思いながら見ていた。けれど次第に羽鳥が言っていた「怖い」を感覚的に理解し始める。

 だんだんと、お腹の奥が重くなり、頭が痛くなってきて芸術鑑賞どころじゃなかった。

 三十分後、入り口を出る頃には色々と考えすぎて、ふらふらになっていた。

 楽しいデートに誘ったつもりなのに、何だか吐きそうだった。

 


 ロビーのソファーで一人ぐったりと頭を抱えて座っていると羽鳥が会場から出てきた。


「な、怖かっただろう? ちーちゃん」

「知ってたなら、先にもっと詳しく教えてくれ」

「芸術(アート)にも色々あるんだよね」


 羽鳥は、そう言って高瀬の隣に座った。

 会場で興味なさそうにしていた羽鳥は、ショップでパンプレットを買ったらしく手に紙袋が増えている。あんなにつまらなそうな顔で見ていたのに、芸術家の頭の中は分からない。

 少し顔を上げて、出口から出ていくお客の顔を見ると、三者三様だった。

 難しい顔をしていたり、感動して涙を流していたり、展示の素晴らしさを興奮して語りあっている学生同士もいる。お客の表情を観察しても、あの展示を見て、どういう感情になるのが正解なのか分からなかった。

 少なくとも高瀬はいい気分にはならなかった。暗くどんよりとした気持ちになる。写真展なのに、その写真を切り刻んでいる作品もあって悲しくなった。人の顔が映った写真を切り刻もうなんて、高瀬は今日まで考えたこともなかった。

 胸がギリギリと締め付けられるように痛かった。


 せっかくのデートなんだしランチも、そこそこ良いところに行きたくて目星はつけていた。けれど、どこにも行きたいと思えないし、このままソファーと一体になっていたかった。


「なぁ、高瀬」

「なんだ、飯、もう少し後にしないか?」

「かき氷食べに行こうぜ」

 

 そう言って隣からスマートフォンの画面を見せられる。


「それなら食えるんじゃね?」


 何で急に羽鳥が、かき氷を提案したのか分からなかったけど、画像を見せられた瞬間、今の気分にベストなチョイスだと思った。


 *

 

 羽鳥の連れてきてくれたかき氷屋は、美術館のすぐ近くにあった。

 ふわふわのきめ細かい氷は、口に入れるとさらりと溶けて、さっぱりとした甘さだ。羽鳥は甘いかき氷じゃなくて、変わり種のコーンポタージュとやらを食べている。高瀬は無難に抹茶だ。


「コーンポタージュって、美味しいのか?」

「んー昔食べたガリガリ君に似てるけど、こっちは高級レストランのコーンポタージュ? 面白いな」


 美味しいではなく面白いだったので味は微妙なのだろう。

 さっきの展覧会の内容を早く忘れたかったので、無心に長いスプーンを動かして食べていた。すると次第に頭がスッキリしてきた。

 自分が羽鳥を誘ったのに、逆にもてなされていて、なんだか悔しいなぁと思っていた。

 顔に出ていたらしく、羽鳥がじゃれるようにほっぺたをつねってきた。


「なに?」

「写真展、俺は楽しかったよ。次は俺が、高瀬が好きそうなところ探しておくな」

「えー本当に、あれ楽しかったのか? あんまり楽しそうな顔してなかったけど」

「楽しむにも色々あるだろう、笑うことだけが楽しむことじゃないし」

「そういうものか? まぁ、羽鳥がよかったならいいけど」


 ただ初めてのデートには向いていなかったように思った。


「――あの展示さ、俺、全然いいと思えなかったんよ」


 高瀬がそう言うと羽鳥は「そういうもんだよ」と、かき氷を口に含みながら言った。

 

「伝えたいテーマがあって、その手段に写真を選んだ人間と、表現したいこと自体が写真の中にある人間って相入れないんだよな」

「それ、羽鳥は後者だろう」


 羽鳥に「さすが俺の彼氏は俺のことを一番分かってる」と茶化された。伊達に長年ファンをやっていない。そして今日、自分は羽鳥の作品が好きなだけで他の芸術写真が同じように好きなわけではないと分かった。

 むしろ芸術というもの自体を何も分かっていなかった。

 

「前者は作品のゴールが先にある。たとえばそうだなぁ、簡単な例だと夏休みの絵画の宿題があるだろ。小学生がやる定番の」

「税金についてとか、愛鳥週間とか? 夏休みの思い出とか」

「そうそう。税金と愛鳥週間は、目的のある芸術。税金を大切に使いましょうとか、鳥さんを愛しましょうとか。夏休みの思い出は個人的に楽しかったことを伝えるのが目的。同じ絵でも目的と着地点が違うんだよ」

「あー分かるような」

「今日のは前者。作者に主張したい明確なテーマがあって、それを伝えるために写真を使っている。政治とか宗教とか民族問題みたいな」

「でもさ、あんなの、写真が可哀想だろ」


 それは怒りにも似た感情だった。だからこそ会場では口にするのが憚られた。その作品の素晴らしさを理解している人たちも会場にいた。理解できない自分に劣等感を覚えたり、申し訳なく思ったり。苦しくなったり。とにかく勝手に心の中をかき乱されるのが不愉快だった。


「作者は、お前を殺してやるってくらいの気持ちで創作してるんだろうし。頭からお尻まで作者の意図通り正しく鑑賞したら振り回されて当然。俺が怖い芸術って言ったのはそういう意味。テーマが明確な作品は、感覚が近い人なら感動するだろうし、遠い人なら不快に思う」

「なるほどね」


 言ってみれば高瀬のような何も考えずに素直に作品を見にきた人間は、作者にとっていいお客なんだろう。ただ感情は乱されたが、最後まで好きにはなれなかった。


「俺みたいな写真作品は手抜きだって、特に今日みたいな作家からは嫌われてるだろうね。俺は、逆にああいうのは嫌いだなぁ、息苦しいし夢がない。見てて楽しかったけど」

「えー無理してないか、嫌いなのに、楽しかったとか言わなくていいぞ?」

「俺とは違うスタンスで写真を撮っているんだし、違って当然。違いを楽しむのも大事かな。そりゃ……昔は余裕なかったし、高瀬みたいに腹が立ったりもしたけど。芸術鑑賞は学生の頃にもう慣れた」


 羽鳥は何だか昔を懐かしんでいるような目をしていた。


「……羽鳥ってちゃんと大学で勉強してたんだな」

「いいところの芸大行ったからな。大嫌いな親の金で」


 根は優しいのに、そうやってすぐに悪ぶる。


「なぁ、俺、いま、すごく羽鳥の写真が見たいなぁ」


 展覧会を見ている間、ずっと考えていた。嫌いに触れて、好きなものの形が鮮明に、今よりはっきりと浮き彫りになっていく。

 それが芸術鑑賞の形として正しいのかは分からないけど。

 

「へぇ、それは最高の口説き文句だな。推し変されたらどうしようかと思ってたのに」

「そんなこと絶対思ってないだろ」

「……思ってたよ。昔は、ね」


 羽鳥は幸せそうに、残りのしょっぱいコーンポタージュ味の氷を口に放り込んでいる。

 それを横目に残りのあずきを口に入れると、何だか、さっきより甘くなっている気がした。




 おわり

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