第2話 事件後


 留置場の檻が、ガン、と鳴らされる。

 俯いていた僕は、顔を上げた。

 檻の外に、白髪で背の高い警官が立っている。

 その手に持っているのは警棒。


「で、こっちのはなんだ?」

「コンビニ強盗です。もっとも未遂ですが」


 白髪の警官の後ろから金髪の警官が答えた。

 僕はコブのできた頭を確かめながら、彼等の言葉を聞き流す。


「こちらが被疑者の所持品です」

「なんだ? なんでこんなに小麦粉を持ってる? おい、お前」


 呼びかけられ、僕は警官たちに顔を向けた。

 と、白髪の警官が呟く。


「……パン屋の娘か……!」


 僕は破かれた服の胸元を手で押さえた。

 顔を逸らす。

 留置場の中、僕は1人だ。

 へたり込んでいる僕を、白髪の警官は見下ろしてくる。


「道理で見たことのある顔だ」

「ご存じなんですか、副署長」

「この娘が8042番地のコンビニを襲ったっていうのか」

「はい。ただ、銃を突きつけたものの店長に反撃され、殴り倒されたようです。通報が無ければ、逆に殺されてたでしょうね。まったく、素人がはしゃぐから……」

「だが、おかげであのコンビニをガサ入れできた」


 白髪の警官は僕の持っていた小麦粉を手に取った。

 重さを確かめている。


「これから忙しくなる。こんな子供に時間をかけてる場合じゃない」

「と、言いますと?」

「盗みも傷害もしていないんだろう? 初犯でもあるし、釈放だ」

「よろしいんですか?」

「これから売人共のルートをしらみつぶしで当たることになるんだ。ケチなコンビニ強盗なんか放っておけ」


 金髪の警官が留置場の檻を開けた。


「出ろ」


 僕はよろよろと立ち上がる。

 白髪の警官の目を見ないようにして、言う。


「いいんですか?」


 小さな声。

 白髪の警官は大きく溜息を吐いた。

 そして、僕の手に小麦粉を押し付けてくる。


「さっきまでパンを捏ねてたんだろ? こんなもの持ち歩くくらい真面目に働いてたのはわかる。お前はパン屋なんだ。もうこっちには来るな」


 そうして僕は解放された。

 痛む頭を抑えながら、僕は南警察署を出た。


  ◆


 パン屋に戻る。

 もう連絡が行っていたようだ。

 パパとママが店先に立っていた。


「ムスメ!」


 パパが真っ先に気付く。

 駆け寄ってきた。


「ムスメ、大丈夫なのかい?」

「一体何があったの? どうしてコンビニ強盗なんか……」


 ママの声は静かだ。

 僕は俯く。


「それにしても、よく釈放されたなあ、ムスメ」

「いいから、中で話しましょう」


 ママは僕の身なりを見て、言った。

 店内に入る。

 ママは僕に上着をかけてくれた。


「それで、どうしてあんな真似をしたの?」

「……お金が必要だと思ったんだ」


 僕は答える。


「でも、副署長さんに言われて気付いた。僕は、パン屋の娘なんだって。パン屋の娘でいたいんだって」

「なら、強盗なんかしちゃダメよね」

「うん」


 ママの穏やかな声に、僕は頷く。

 パパが眉間に皺を寄せた。


「ムスメ。お前、誰かにそそのかされたんじゃないかい?」

「ううん」

「もしそうなら、パパがそいつをぶん殴ってきてやるから正直に言いなさい」

「そんな奴いないよ」


 と、ママが僕を抱きしめる。


「誰もそんなひとはいなかった。そうなのね? ママ、わかったわ。じゃあ、この話はこれで終わり」

「ママぁ、でもさでもさ」

「大丈夫よパパ。私達家族はこんなことでバラバラになったりしない」

「そっか~。ママがそう言うなら大丈夫だね」

「そうよ」

「愛してるよ、ママ」

「私もよ、パパ」


 ママはパパも抱きしめた。

 僕達は家族3人で抱き合う。


  ◆


 昼下がりのパン屋。

 僕は店番をしている。

 客はいない。

 と、携帯が鳴った。

 連絡してきた相手の名前を見て、僕は電話に出た。


「はい」

『あなたは賢いね』


 落ち着いた声。


「大家さん」

『警察で私の名前を出さなかったでしょう。どうして?』

「副署長に話をつけてくれたのは大家さんですよね」


 僕は答える。


「僕を釈放するようにしたのは大家さんでしょ。そんな人の名前を警察で話しても無駄、っていうか空気読めてないって言われちゃいそうでしたから」

『それで? まだお小遣い稼ぎで働く気はある?』

「いいえ。僕はパン屋の娘なんで」

『そう。あなたにとっては、パン屋の娘であることが一番大切なことなのね。わかったわ。そういうことなら、それを大事にしなくちゃね』


 大家からの電話は切れた。


  ◆


「これは一体どういうことだい?」

「わからないわ、パパ」


 階下から、パパとママの会話が漏れ聞こえてくる。

 夜半、パパとママの押し殺したような声が聞こえてきて、僕はそっと耳を傾けていた。


「急に1000万払えだなんて、そんなお金あるわけないじゃないか」

「なんでも、このお店をもっと高い値段で借りたいっていう人が出てきたらしくて」

「あんまりじゃないか! 払えないなら出ていけだなんて」

「せっかくここまでパン屋としてやってこれたのに……」

「こうなったら、そいつぶん殴ってやる!」

「ダメよ、パパ。また警察のご厄介になっちゃうわ」

「こうなったら……」


 僕は音を立てずに自室に戻る。

 携帯を取り出した。

 電話をかける。

 短いコール音の後、相手が出た。


『はい?』

「いい儲け話はありませんか」

『そうこなくちゃ』


 電話の向こうで大家がくっくっと笑った。

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パン屋のむ↓す↓め↑ 浅草文芸堂 @asakusabungeidou

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