パン屋のむ↓す↓め↑
浅草文芸堂
第1話 事件前
その街では悪徳と暴力が蔓延っている。
銃声。
警察とギャングの抗争はいつ終わるとも知れない。
サイレン。
今日も救急隊の車両は走り続ける。
エンジン音。
アスファルト、タイヤを斬り付けた改造車が今日もゴムの焦げた匂いを撒き散らした。
そんな街に一軒のパン屋がある。
優しくて力持ちのパパ。
おしとやかで賢いママ。
親思いでかわいい娘。
彼ら家族は、そんな街で暮らしている。
◆
入り口のガラス戸が開いた。
青い服を着た女が入店してくる。
若くて細身。
今日は、高価なファーをまとっていた。
「大家さん、いらっしゃいませえ」
僕は声をかけた。
大家は、細身のシガレットを燻らせながら、薄い笑みを浮かべる。
「こんにちは、今日もいつものよろしく」
「はい、大家さん」
僕は籠の中のパンを3つ、取り出す。
それらを紙袋に入れ、蒼い服の女に渡した。
「お待たせしました」
「今日はパパとママはいない?」
「パパとママは配達に出てます」
パンの紙袋を受け取りながら、青い服の女は頷いた。
「そう。娘さん、あなたは店番?」
「そうですけど」
「ところであなた、お金が必要なんですってねえ」
「いえ、別に」
「あら、そうなの?」
「僕がお金が必要だなんて、どこから聞いたんですか?」
「風の噂よ、風の噂。でも、そう。いらないなら、こんな話は野暮ってもんよねえ」
「話?」
「ちょっとしたお小遣い稼ぎの話があったんだけど。ごめんなさいね、忘れて」
僕は店のカウンターから身を乗り出した。
「どんな話ですか? それって稼げます?」
「そうね。まあまあってところかな。ところで、パパの具合はどう?」
僕は一瞬、口を噤んだ。
それから、声を弾ませて答える。
「ええ! 元気ですよ」
「また街のごろつきと喧嘩したって聞いたわよ」
「ほんと、元気過ぎて困っちゃいますよ」
「PTSDとかいうの? 戦争さえなければねえ。普段はあんなにいい人なのに」
「パパはいつだっていい人ですよ。ちょっと手が早いだけで」
「ママも大変でしょう? 警察の厄介になったパパを迎えに行ったり、病院への支払いもあるし。ここの経営も大丈夫そう?」
「大丈夫です。うちの店、これで結構人気店なんですから」
僕達以外に人影のない店内を見回しながら、大家は呟いた。
「そう。なら安心ね。よかった。今日もパパとママは配達中なんだもんね」
「その、それで、お小遣い稼ぎの話って、なんですか?」
「聞きたい?」
大家はシガレットを吸ったあと、ふうっと紫煙を吐きつつ言った。
「まず、8039番地にあるロッカーから荷物を取ってきて欲しいの」
大家は小さな鍵を店のカウンターに、かちゃり、と置いた。
ロッカーのカギだ。
「8039ってダウンタウン地区の」
「荷物を取ったら、わたしに連絡して。次の指示を出す」
僕は大家から連絡先の携帯番号を教わる。
◆
僕は8039番地の路地裏から大家の携帯に電話をかける。
『はい?』
「もしもし、大家さん? ロッカーから荷物を取り出しました」
僕の手元には紙袋がある。
ずっしりと重い。
『了解。中身を確認して』
僕は紙袋を開けた。
油紙に包まれた、なにか重くて固いものが入っている。
がさがさと油紙を取り除いた。
そうして出てきたのは黒い拳銃だ。
『ちゃんと届いてた?』
「あの、これ」
『それ、誰にも見つからないように気をつけて』
僕は周囲を見回す。
野良犬が一匹、ゴミ箱を漁っている。
「聞いてないですよ、こんなの」
『お小遣いが欲しいんじゃないの?』
「それはそうですけど、パパとママが心配するようなことは」
『じゃあ止める? ここまでにしておく?』
僕は黙った。
つばを飲み込んだ。
舌で乾いた唇を濡らす。
『もしもし?』
「やります」
『そう。それじゃあ、それを持って8042番地のコンビニに向かって。着いたらまた連絡をちょうだい』
「コンビニ、ですか」
『くれぐれも、途中で警官に職質されたりしないようにね』
大家は携帯を切った。
◆
僕は再び、大家に連絡を入れる。
『はい?』
「8042、コンビニの前、着きました」
『じゃあ、例の荷物の使い方を説明するね。簡単よ。セーフティを外して引き金を引く。それだけ』
「このコンビニを、その、やれっていうんですか」
『店員に銃を突き付けて、ホールドアップしたら二発撃って。それで店員は殺せる』
「殺す?」
『捕まりたくなければ殺しておいて。口封じ』
「お金だけ手に入ればそれでいいんじゃないですか?」
『ダメ。殺して。殺した後、レジを撃って。そうやってレジを壊して中身を全部取る。その後、店奥にある金庫の鍵を開けて、そこの中身も盗る。そうしたら、あとはその場を離れる。急いで、目立たないように』
「人殺しはさすがに」
『やらなきゃお金は手に入らない』
「でも」
『終わったら、また連絡して。次は、金庫の中身を売る方法を教えるから』
プッ、と大家との電話は途切れた。
僕は携帯をしまう、
代わりに、拳銃を取り出した。
コンビニの前。
今、人通りはない。
けだるい昼下がり。
僕は大きく息を吐く。
それから右手に拳銃を持ち、左手でコンビニのガラス扉を押し開けた。
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