狐憑きの少女 後編―演繹法的な解決

 秋と千鶴は再捜査のために再び弧月家に向かった。この屋敷を訪れるのは一週間振りだった。ふたりは殺人の容疑者―弧月愛対面した。


「これより愛さんには倫理テストを行います」

「それはどういうテストですか?」

 愛は首を傾げた。

「簡単に言えばその人の性格を調べるテストです」

 ほんとうに簡単な回答だった。ただ性格を知りたいだけなら、MBTIでもエニアグラムでもいい。秋は意図的に本質を避けた。

「この画像を見てどう思いますか?」

 秋は携帯端末を取り出した。画面には包丁の画像映っている。

「刃物ですね」

「そうです」

「どうと言われましても…」

 秋は能力を使った。

「けっこうです」

 次はとある女性の写真を写した。

「お母様の写真ですね」

「お借りさせていただきました」

「懐かしいです。おかしいですね。お母様の記憶なんてないのに…」


 千鶴は違和感を覚えた。殺人者の反応とは思えない。そもそも秋はなにをしたいのだろう。当の秋は愛をじっと観察している。その時間は包丁の画像のときより長い。


「けっこうです」

 秋は続ける。

「次の問題は口頭になります。特に正解はありませんから思ったままを答えてください。あ、その前にネコは見たことあります」

「たまに窓の前を歩いてますよ」

 愛はにっこりと笑った。もっともその窓には鉄格子がつけられていたけれど。

「もし猫がお風呂で溺れてたとしたら、あなたならどうします?」 

「助けます。猫ちゃん可愛そうですよ」

「そうですね。では次は……」

 その後も画像を見せられたり、質問されたりが続いた。テストが終わったのは数十分後だった。

「お疲れ様です。テストはもう終わりです」 

「はあ」

 なにがなんだかさっぱりという顔であった。

「一度失礼します」

 部屋を出ると千鶴は質問した。

「あれはなんのテストだったの?」

「人を殺せる人間かどうかを調べるものだよ」

 召使いの顔が強張った。

「ボク倫理テスト診断士の資格持ってるんだ」

「なにその資格?」

「精神系の能力者だけが取得できる資格さ」

「初めて聞いた」

「超マイナー資格」

「道理で知らないわけだよ」

「正直愛さんの回答はどうでもよかった。重要なのは心の動きだ。それをボクの能力で調べてた」

「けっきょく愛さんの診断結果はどうだったの?」

「今の彼女は人を殺すことはできない」

「ならもう無実じゃ」

 秋は首を振った。

「今はだよ。昔はべつだ」

「でも事件当時の心理状態なんて調べようがないよ」

「そうだね。だから逆算して考える」

「逆算?」

「まあ見てればわかるよ」

 秋は召使いを向く。

「愛さんの担当医に合わせてください。常駐してると聞いています」


 ***


 担当医の石川は中肉中背のメガネをかけた男だった。歳は四十から五十代。専門は精神科らしい。

 ふたりは石川の対面座った。

 きちんと整った部屋だった。本棚には医学の専門書並んでいる。


「まず石川さんはいつからこの屋敷に常駐してるのですか?」

「あの事件の後からですね。弧月家と関わったのもその頃です。知り合いの先生からの御縁です」

「愛さんは事件についてなんと言ってました?」

「なにも覚えてませんでした。なんでも奥様の亡くなられたお部屋で気絶していたそうですね。でも記憶がないことはあの子にとってはよかったと思いますよ」

「愛さんには具体的にどういう処置をされました?」

「ほとんどなにも。事件があったばかりの頃は寝つけない様子でした。ただ子供でしたからね。大人と同じ薬をあげるわけにもいきませんし。漢方薬を処方しました。でもそれもすぐに必要なくなりました。今では定期的な検診を行っているだけです」

「つまり、特別処置はしていないと?」

「はい。必要ありませんでしたから」

「聞きたいことは以上です。ありがとうございました。召使いの方を呼んでもらえますか?」

 秋と千鶴は部屋を出た。

「次は誰に会うの?」

「後は桂さんに事情を説明するだけださ」

「でも愛さんのお父さんは?」

「根掘り葉掘り調べる気はないよ。最低限聞きたいことは聞き出せたからね」


 ***


 ふたりは弧月家の主―弧月桂と対面した。千鶴はこの老婦が苦手だった。緊張するからだ。


「再捜査は終わりました」

「それで、あなたの結論は?」

「愛さんは殺人者ではありません。警察が自殺と判断したのなら、やはり自殺だったでしょう」

「理由を説明してもらえますか」

 秋はうなずく。

「まず事前に連絡したように愛さんには倫理テストを行いました。結果彼女は人を殺せない人間と判明しました。よろしいですか、殺そうにも殺せないのです」

「なぜそう断言できるですか?」

「そういうテストだからです」

 秋は端的に答えた。

「愛さんは目前で刃物を向けられても目をつぶりながら頭を抱えるタイプですよ。なんの抵抗もできない。珍しいんですけどね、そこまで極端な傾向は」

「専門家が言うのならそうなのでしょう」

 老婦は認めた。

 秋は続ける。

「つまり、大前提として現在の彼女に人を殺すことは不可能です。では過去はどうだったのでしょう」

 千鶴は「あっ」と思った。

 秋の意図に気づいたのだ。

「まず愛さんが殺人犯だった場合を考えましょう。彼女は母親を殺せるような不安定な精神だった、あるいは正当防衛を行うだけの意志力があった。しかし、さっきも話したように現在の愛さんに殺人は不可能です。この状況を説明するには2通りのパターンが考えられます。まず1つ目のパターン、愛さんは殺人を犯すような不安定な精神状態であったけれど、石川先生の治療により完治した」

 秋は続ける。

「ふたつ目のパターン、愛さんは母親に襲われた、正当防衛により殺した、ゆえに現在トラウマと思われる極端な心理傾向を示してる、となります」

 秋は続ける。

「ただこのどちらのパターンでも説明がつかないことがあります。そもそも石川先生はこれといった治療を行っていないんですよ。軽いうつ病とはわけが違います。人を殺してしまう程の不安定な精神状態が治療せずに回復するものでしょうか。これはパターン2でも同じです。そもそも愛さんには心的外傷がなかった。母親を殺せば、普通心に傷を負いますよね? でも負ってない。それは愛さんが殺人犯ではないからです」

「言い分はわかりました。でもあなたのおっしゃってるのは普通の子供の場合です。愛は普通の子供ではありません」

「な、なんで信じてあげないんですかっ」

 千鶴は思わず怒鳴った。

「愛さんは殺人犯ではなかった。なにが問題なんですか。これじゃまるで――」

 秋は千鶴を制した。

「お気持ちは理解します。ただボクはあなた方を糾弾するつもりはありません。だからこそ、今回息子さんには事情を聞きませんでした。今揃ってる情報だけで愛さんの無実は証明できると思ったからです」

 千鶴は納得できなかった。しかし、その気持ちは自制することにした。

「ではもう少し客観的な事実に基づいて推理しましょう。ボクはここに来る前に恵さん自殺に関する当時の捜査資料も見ました。資料によると彼女は包丁で胸を刺されて床に倒れていたそうですね。部屋の鍵は閉まっていた。愛さんを疑っているのは、一緒に部屋にいたからですよね」

「それだけではありません。愛は包丁を握ったまま気絶していたのです」

「なるほど。でも愛さんが殺したとするとおかしな点があります」

「おかしな点?」

「刺された箇所です」

「愛さんは当時ほんの子供です。背丈の差がありますよね。もし愛さんが殺したのなら、お腹のあたりを刺してたのではないでしょうか」

「それでも…」

「絶対に犯人でないとは言えませんね。でも包丁には恵さんの指紋も残っているんですよ。普通召使いがいるのなら、料理は召使いに任せますよね。また刺された部位は心臓です。即死です。刺だからされた後についた指紋ではありません。少なくとも包丁を持ち出したのが恵さんであることは明らかなんです。なぜこのような状況になったのかも想像はつきます。お話ししますか?」

「もう、けっこうです」

 老婦は諦めた。


 ***


「なんで止めたの?」

 秋と千鶴はバス停に並んでいた。

 他の客はいない。

「糾弾することが目的ではなかったからさ」

「わたしは糾弾なんかしてないよ。むしろ愛さんのことを人殺しのように扱ってたのは自分たちの方でしょ」

「そうだね。でもその愛さんが殺人犯でないとしたら、誰が犯人になる?」

「自殺でしょ」

 まさか、他に犯人が?

 しかし、秋はさっさりと肯定した。

「そう、自殺だね」

「なら誰の責任でも――」

 千鶴は言葉に窮した。ようやく秋の言わんとすることを理解した。

「法律上の責任はない。自殺まで追い込んだ人たちは確固として存在するんだよ。そして恵さんを追い込んだのはあの屋敷の住人たちだ。概ねどういう状況だったのかも想像はついてる」

「さっきも言ってたね」

「うん。まず弧月家は祖母の桂さんが権力を握っている。恐らく恵さんの旦那は桂さんの言いなりだったと思うよ」

「なんでそんな人と結婚したんだろ?」

「自由恋愛とは限らないよ。古い家だし」

「あ、そっか」

「恵さんは他所から嫁いで来た人らしいから元々風当たりは強かったと思う。それがなくとも愛さんの件がある。恵さんの立場は苦しかったはずだ」

「でも旦那さんは庇わなかった」

「少し庇ったかもしれないけれど、面と向かって戦うような度胸はなかったと思う。そして、愛夢さんの問題も加わった」

「でも弟さんは超能力者ではないよね?」

「愛夢さんは健康体でも出産後したばかりの恵さんは精神的に不安定だったはずだ」

 だから、自殺した…?

「恐らく自殺の現場にいたのは恵さんが心中しようとしたからだろう。未来のない自分と愛さんふたりで。でもいざ手にかけようとしたとき、娘の愛さんを巻き込むことはできなかった。まあ全てはただの推測だけどね」 


 あの狐の少女は母親の自殺をどう捉えているのだろう。もう覚えてないのかもしれないし、それならそれでよいのかもしれない。

 秋はなにげなく空を見た。昼下がりの空は太陽がぎらぎらと輝いていた。


「バス来たよ」

「うん」

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桐一葉くんの超能力な事件簿 @4310002024

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