狐憑きの少女 前編―家庭訪問

 秋と千鶴は山道を歩いているところだった。ふたりは制服姿だった。木々が太陽を遮り、空気がひんやりと気持ちいい。歩くたび落葉を踏んづけるふさふさとした感覚がある。


「その弧月さんってどんな子なの?」

 千鶴は尋ねた。

「ボクも知らない。わかってるのは超能力者かもしれないということだけだ。ゆえに軟禁状態にあるらしい」

「そんなに危険な能力者なの?」

「危険はないよ。ほんとうに危険な能力者なら軟禁なんかできない。そもそもスカウトなんて話にもならないさ」

「ならなんで弧月さんは閉じ込められてるの?」

「古い家らしいからね。超能力を不気味に思ったんじゃない?」

「可愛そう」

「推測だけどね」

「でもなんで軟禁されてるのに能力を持ってることが伝わってるの?」

「いつまでも出席しない生徒がいたら学校の先生が訪問に来るでしょ。小学校にも一度も来たことがないらしいよ」

「なんで今さら? 弧月さんって普通に学校通ってたらもう高校生だよね。義務教育でもないのに」

「そりゃESP育成学校ができたからさ。生まれながらの超能力者なんて貴重だからね。学校としては喉がから手が出る程欲しい逸材だと思うよ」

「なら先生が訪問すればいいのに」

「べつに学校から命令されてるわけじゃないさ。依頼はもっと上から。つまり政府だね。でも強制されたわけでもない。断る理由もなかったし」


 秋が千鶴を呼んだのにはふたつの理由があった。ひとつは男子ひとりでは弧月愛が萎縮してしまうかもしれないから。

 ふたつ目はもしスカウトに成功すれば秋たちと同じ学校に行くことになるからだ。顔なじみがいた方がいい。


「断る理由ならあるでしょ」

「どんな?」

「面倒だから」

「きみと一緒にするな」

「もう手伝ってあげないよ」

「今からひとりで帰るの?」

「もう意地悪ぅ」

 千鶴の頬が少し膨らんだ。

「あ、見えたよ」


 都合よく弧月家に到着した。弧月家は伝統的な日本家屋だった。屋敷は塀に囲まれている。しかし、2階建てだった。


「なんか怖いね」

「まあ雰囲気はあるね」

 秋はインターフォンを押す。

「どちらさまですか?」

 女の声だ。

「超能力育成学校の桐一葉です」

「お話は伺っております。少々お待ちください」

 秋と千鶴は待った。

「緊張するね」

 千鶴はいった。

「いやべつに」

「あっそ」

「慣れてるんだよ」

 扉が開く。

 使用人だった。歳は三十から四十だろう。地味な印象を受けた。しかし、この屋敷にはぴったりだ。

「こちらの方は?」

 使用人は千鶴に目を向けた。

「えっと」

「秘書です」

「わかりました。どうぞこちらへ」


 秋と千鶴は主人――弧月桂の部屋に通された。

 弧月家の主は老婦だった。

 この老婦に対し、千鶴は厳しい人という印象を受けた。もっと端的に言えば怖かった。自分のお婆ちゃんとは大違いだと思った。

 形式的な挨拶を済まし、秋は本題に入った。


「お孫さんに合わせていただけますか?」

「どうぞ。そういうお話でしたからね。ただそちらのお嬢さんは止した方がよいと思います」

「なぜです?」

 秋は老婦の言い方に違和感を覚えた。

「むしろ娘さんと円滑なコミュニケーションをはかるために連れて来たのですが」

「身の安全を保証できないからです」

「淑やかなお嬢さんだと伺っています」

「そうですね。でも彼女には前科があります」

「初耳ですね」

「公にはなってませんから」

「で、前科と言うのは?」

「実の母親を殺害した疑いがあります」

 千鶴は息を飲んだ。

「公には自殺ということになってますけどね。でも殺人疑いがあるからこそ、私は愛を閉じ込めているのです」

「もう少し詳しい説明をお願いします」

「十年も前の話です。娘の自殺した部屋に愛もいたのです。でも私たちはそれを警察に隠しました」

「事情はわかりました」

 秋は千鶴を向く。

「悪いけど待っててくれる?」

「いいよ、わたしも行く」

「でも――」

「だってわたしそのために来たんでしょ。それに桐一葉くんもついてるし」

「わかった」


 秋は思いの外あっさりと許可した。彼も本気で弧月愛が殺人犯とは考えてないのだろう。それも当然と言えば当然の話、十年前と言えば弧月愛はほんの子供だ。そんな幼い子供が殺人犯とはにわかには信じがたい。


「あなた方がよいのならかまいません」

 老婦は召使いに目を向けた。

「彼らを案内なさい」

「かしこまりました」

 秋と千鶴は召使いの後を追った。途中黒髪の少年とすれ違った。

(かっこいい子…)

 千鶴は思った。

「彼は?」秋は尋ねた。

「愛さまの弟君です」

「彼は隔離されてないのですね」

「愛夢さまは普通の人間ですから」

(冷たい言い方…)

 千鶴は思った。

「なるほど」

「こちらが愛さまのお部屋でございます」

 召使いは扉をノックした。

「先日お話したお客様がいらしました」

「どうぞ」淑やかな声だった。

 召使いは鍵を取り出した。

「厳重ですね」

「そういう言いつけですから」

 がしゃんと鍵が開いた。

「失礼します」

 召使いは扉を開けた。秋はわずかに眉を動かした。千鶴は「あっ」という声を手で押さえた。

「こんにちは」


 弧月愛は着物姿のまま星座し、頭を下げた。髪はあまり切ってないのだろう。金髪は腰まで伸びている。そして、頭には大きな狐耳があった。

 そりゃ隔離されるわけである。弧月愛は見るからに人間離れしていた。


 ***


特異体質ミュータント系の能力者でしたか」

 秋は得心したという風にいった。

「みゅうたんと?」

 聞き慣れぬ言葉に愛は首を傾げた。

(可愛い)


 千鶴は思った。

 思わずぎゅっとして、頭を撫でてあげたい衝動に駆られる。そう思うのは容姿の可愛らしさだけの問題ではないだろう。

 愛からは微塵も攻撃性を感じられない。

 なぜこの家の人たちはこんな可愛い子を恐れているのだろう。しかしその疑問は愛夢の姿を思い出し、消えた。愛の髪は金髪、愛夢は黒髪、似ても似つかない。加えて獣耳まで生えているだから、家族としては気持ち悪いだろう。


「あなたの病状のことですよ」

「ちょっと桐一葉くん。あの姿は病気でないことはわかってるでしょ」

「その方が伝わると思っただけだよ」

「いい愛さん。あなたの姿は超能力という才能なの。病気なんかじゃない」

 千鶴は熱弁した。

「気にしていませんからだいじょうぶですよ」

 愛は困ったような笑みを浮かべた。

「どうぞお座りください」

 愛に促されふたりは机の前に座る。

 部屋は畳敷きであり、四角い机がぽんと置かれてる。木製の机だった。部屋の済には本棚がある。

「本がお好きなんですか?」

 秋は本棚を指した。軟禁されてるだけあり、本は豊富だった。古い家らしく、古典が多い。

「することがありませんから」

 千鶴は小説の作者名を読みあげた。

「教科書に乗ってる人がいっぱい」

「読んだことあるの?」 

「ないよ」

「受験のためだけに覚えた感じ?」 

「悪い?」

「べつに」

 愛は微かに笑み浮かべた。

「失礼。それでは本題に入りましょう」

 秋は続ける。

「ボクが来た理由は聞いてます?」

「わたしの病気、いえ超能力というのですか? それを調べるために政府の方が来られると聞いています」

「正確に言えば政府の運営する学校にぜひ来てもらいたいと言うのが今回の主旨です。ただあなたの家庭は少々特殊ですからね。まず一度本人と話してみようということになりました」

「はあ」愛は曖昧な返事をした。

「先程彼女が言ったように」

 秋は目線で千鶴を指した。

「あなたの姿は病気ではありません。超能力と呼ばれています。特異体質系と言うのは能力の分類ですね。この系統の能力者は自分の身体を変異させる力を持っています。獣の姿になるのは典型的な特殊体質系の能力ですね」

「他にどんな能力があるんですか?」

 愛は質問した。

「主に人の心に干渉する精神系。物体に干渉する操作系。身体を強化する身体強化フィジカル系がありますね」

 秋は説明を続ける。

「ESP育成学校にはいろんな能力者が集まっています。もちろん愛さんと同じ特異体質系の能力者もいます。興味はおありですか?」

「どうでしょう。実感がわきません」

(そういえばこの愛さん学校にも行ったことないんだよね)

 千鶴は思った。

「ただもしおばさまが行けと言うのなら、断る理由はありません」

「わかりました」

「あの」千鶴はおずおずといった。「外に出たいとは思わないの?」

「一度も思わなかったと言えば嘘になります。ただ、わたしはこの生活に慣れてしまいましたから」

 自嘲するような言い方だった。

「そう、ですか」

「愛さんのお気持ちはわかりました。また桂さんとお話してみますね。失礼します」

「遠くからありがとうございます」

 愛は畳に手をつき、頭を下げた。秋と千鶴は部屋を出た。扉の前では召使いが待っており、すぐに鍵を閉めた。厳重過ぎるような気がした。

「また奥方のところに案内してもらえますか?」

「かしこまりました」

 召使いは歩き始めた。

「わたしいる意味あった?」

 千鶴は廊下を歩きながら尋ねた。

「ボクは話しやすかったよ」

「ありがとう」


 ***


「あの子の様子はどうでした?」

 桂は尋ねた。

「問題なく学校生活を遅れると思います」

 秋は答えた。

「詳しい検査がまだなので正確なことは言えませんが、正直お孫さんの能力そう珍しいものではありません。学校の設備で十分受け入れ可能だと思います」

「でもあの子には――」

「殺人の疑いがあると?」

 秋は言葉を引き取った。

「そうです」

「その件なんですけどね、ボクに調査させていただけませんか?」

(えっ?)

 千鶴は内心驚いた。

「あなたの気がかりはお孫さんが問題起こし、弧月家の家名に傷を残すことでしょう? でも孫さんの疑いが晴れれば、あなたも安心して学校に送り出すことができる。もちろんこの捜査は内密に行います。と言ってもボクが独断で決めるわけにはいかないので、政府の許可は取ります。ただし、警察の介入はさせません。というより動かないでしょう。昔の事件ですからね。悪い話ではないと思います」

 重苦しい沈黙があった。

「あなたは精神系能力者でしたか」

「はい」

「油断ならない方ですね。こちらの考えを見透かされてるようです」

 秋は老婦の言葉を待った。

「いいでしょう。好きにしてください」

「ありがとうございます。ではまた後日、日程が決まり次第連絡いたします」

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