待ちかねる

side story 純と愛

大学を卒業して、やりたい事が見つからず、何となく始めたバイトは気づいたら3つも掛け持ちをしていた。



喫茶店で働き出して、2年になる。



店の上の賃貸住宅に入居したのがきっかけで、ビルのオーナーが喫茶店も営んでいると聞いて、何気なく訪れたら店構えと店長の魅力に惹かれてバイトを申し出た。



「いらっしゃい」


「今日は純君の日だ」



嬉しそうに話しかけてくれるこの人は、他のお客さんと少し違う。



「何すか、俺の日?」


「今日は純くんが働いてる日だねってこと」



カウンターに座りながら、当たり前に笑いかけてくれる。



「ナギちゃんいらっしゃい」



凪沙さんが来ると、店長は前のめりになる。



「蒼汰さんこんにちは」



二人は随分前から知り合いだと聞いている。



凪沙さんは常連だけど、お客さんと言うより、店長の身内のような…距離の近さがある。



「ナギちゃん待ち合わせ?」


「はい。間に合いましたね」



凪沙さんの待ち人は、凪沙さんのおじいさん。



「奥の席、空けてるから」


「ありがとうございます」


「先にコーヒー飲む?」


「おじいちゃん来てからにします」



いつも二人は、おじいさんが来るまでカウンター越しに話をしている。



「ナギちゃん走ってたね」


「え!見てました?」



まるで、おじいさんが来る束の間に、相引きをしているようだ。



「見てたってゆうか、見えたってゆうか」


「一緒です。私からしたら…」


「あれ、何かごめん」



店長の表情が、話し方が。接し方、態度が。一々分かりやすい。



まるで隠す気が無い。



ここで働き出して二人の距離感には直ぐに気づいた。多分常連のお客さんや、凪沙さんのおじいさんも気づいている。2人の想いに。



だけど交際をしている訳じゃない、この2人。



周りは好き同士だと分かるのに、何故か形にならない。



「この前、俺も見かけましたよ。凪沙さんが走ってるの」



なんせこの人は、この近くのビルの中にあるオフィスで働いている。



偶然見かける事は少なくなかった。



「え…純くんも?やめてよ、恥ずかしいんだけど」


「なんでそんな走ってんすか?」


「人を待たせないようにしようと思って」



待ち合わせ相手を待たせないように、いつも走っているらしい。



「誠一郎さんの教えだよな?」



店長が何気なく発した言葉に、凪沙さんが微笑み返した。



こっちが照れ臭くなるぐらい、凪沙さんは店長の一言一言に好感を得ている表情を見せる。



何がどうなって、こんなにも拗れたのか…



まじでさっさとくっ付いてくんねぇかなって、この2人の距離感に真剣に悩み出している。



「凪沙さんが前話してた映画の予告、俺も見ました」



だから時に、横槍を入れたくなる。



「ほんと?どうだった?」


「良かったです。予告だけで引き込まれました」


「わかる。やっぱりコマーシャルって大事なんだよね」


「映画も見たくなりました」


「だよね?見たいよね」


「凪沙さん一緒に見に行きましょうよ」


「え?」


「映画見に行きませんか?」


「え?純君と私が?」


「はい」


「ごめんね、私映画は一人で見たいから」


「デートに誘われても?」


「え?」


「好きな人に映画を見に行こうって、デートに誘われても行かないんすか?」


「好きな人に誘われたら行くよ」


「…そうすか」


「純君もしかして、好きな人が居るの?」



何故それを店長に聞かない…



「俺の事は良いんすよ…」



思わず溜め息が出る。



「凪沙さんはどうなんですか?」


「何が?」


「いや、好きな人…」


「え?」


「てゆうか、凪沙さんってどんな人が好きなんですか?」



我ながらナイスアシストだと思った。



「どんな人って、そんなの純君だって知ってるじゃない」



そう言って、凪沙さんは「ね?」と店長へ笑いかける。


あからさまなアプローチに、どんな反応を示すのかと、思わず店長を凝視してしまった。



店長は「ん?」と凪砂さんへ微笑み返し、凪沙さんも「ん?」と微笑み返した。



なんだろう…


鈍感と鈍感が対峙すると、一周回って何も無かった事になってしまう。



「何の話?」


店長が凪沙さんへ聞き返した。



「私の話し」


「ナギちゃんの話し?」


「そう、私の好きな人の話し」


「あぁ、はいはい」



どこに納得できる内容があったのか、はなはだ疑問が残る。



「あの…店長、分かってます?」


思わず口を挟んでしまった。



「そりゃあね。ナギちゃんとは長い付き合いだから」



…絶対分かってない。


俺の本能がそう訴えてくる。



多分店長は、凪沙さんが店長に好意を抱いているとは夢にも思っていない。叶う筈がないと思い込んでいるのか、片想いが長過ぎたのか、何を言われてもピンと来ていない。



これまでの二人の関係は知り得ないが、どう見ても両想いなのに。片想いが拗れているのだけは分かる。



「ナギちゃんの好きな人は、聡明で穏やかで、優しい人」



店長は凪沙さんに向かって、「だったかな?」と問いかけた。



「正解」


凪沙さんはやっぱり嬉しそうに笑って見せた。



「いやそれ…」


店長の事じゃん。



「学生の頃からずっと言ってるよな?」


「はい。今も変わってません」



届いていない想いに、それでも凪沙さんは嬉しそうに笑う。



「店長はどんな人が好きなんですか?」



らちが明かない二人の関係に、満を持して口を開いた。



「どんな人か…今度考えとくわ」



返って来た店長の言葉に、俺如きが何かしたところで結ばれる様な簡単な関係ではないと痛感した。




…———玄関の扉を開けた瞬間に、やけに煙草の臭いが纏わりつく。



「ここで吸うなって言ったのに…」



ベッドサイドに腰掛けたまま、煙草を咥えている奴に溜め息が漏れた。



「あっちで吸えよ、臭いがつく」



キッチンへ行くよう促したら、奴は黙って立ち上がった。



喫茶店でのバイトが終わり、部屋へ戻ってみるとこの有様。



ここへ越して来て2年。


この間更新したばかりの賃貸住宅はこれからも住む予定で、家具や壁にヤニがつくのは頂けない。


なんならこの部屋で喫煙を許可した覚えはない。



「純」


「何?」


「こっち来て」



キッチンから離れた場所に居ても、一人暮らしの部屋ではすぐに声が届く。



「煙草臭いから嫌だ」


「こっち来て」


「嫌だ」


「純」


「行かねぇって」


「純」


「っクソ…」



いつもこうだ。いつも自分の思う通りになると思っている。



「そんな怖い顔すんなよ…」



近づくと、頬をつねられた。



「うるさい煙草臭い」


「禁煙したら良いのかよ…」


「する気ないくせに」


「何怒ってんだよ…」



イライラしていた。



「世の中には適当な奴も居るのに…」


「なんの話だ?」


「おまえがいい加減な奴だって遠回しに言ってんだよ」


「遠回しに言うなよ」



真面目に返すだけ無駄だと知っている。



「俺の事、適当で良い加減な奴だと思ってんの?」


「そうだろ」


「おいおい、心外だな」



笑って近づいて来るこいつは、そうやってすぐに距離を詰めれば落とせると思っている。



「誰と比べてんだ?」



興味がない事も知っている。



「おまえには死んでも言いたくない」


「なんだよそれ」



奴は笑いを含んだ表情を見せると、どこから持って来ていたのか、缶コーヒーの中に煙草の吸い殻を落とし入れた。



「いつまであの人にこだわってんだ?」


不意に呟かれた言葉は、声色が落ち着いていた。



「誰だよ」


「下の店長」


蒼汰さんの事を言ってるんだと理解した。



「拘ってない」


「拘ってんじゃねぇか」


珍しく声のトーンが大きくなっている。



「…何言ってんだ?」


「純が喫茶店で働くなんて言うから、おかしいと思ったんだ」


「何でだよ…」


「あの人の方が良いならそう言えば良いだろ」


「…何だよそれ?」


「回りくどい事してんじゃねぇよ」



キッチンに呼びつけておいて、用が済んだかの様に一人取り残された。



「どこ行くんだよ?」


置いて行かれた事よりも、身勝手な言動に腹が立つ。



「純に振り回されるのはしんどい」


「はっ…?何言って…」


「いっつも店長店長って、純はあの人が好きなんだろ?」


「はっ?何だよそれ…」


「俺がどんだけ想っても、純がこっちを見ないなら意味がない」


「ちょっと待てよ…」



荷物を持って玄関へ向かおうとしている奴の腕を掴んで止めた。



「おまえ俺の事好きなん?」


「何言ってんだよ今更」


「今更じゃねぇよ…聞いてねぇし…」


「好きじゃない奴の所に足繁あししげく通うかよ」


「…そうゆう事はきちんと言葉にしろよ」


「してんだろ」


「伝わってない」


「純が好きだ」


「…俺だっておまえが好きだ」



俯いて出た言葉は、発した後で目線を合わせた時に、ずっと言いたかった言葉だと気づいた。



「言っとくけど、蒼汰さんはそうゆんじゃないから」


「それにしては、気にかけてばっかじゃねぇか」


「そりゃそうだろ…」



待たされ続ける側の気持ちは、俺だって理解できる。



「純愛なんだよ」


「だから何の話だよ?」


愛斗まなと



名前を呼ぶと、奴は不貞腐れた顔を向けて来る。



「俺たちの話しをしよう」


「さっきからしてんだろ」


「そうじゃなくて、これからの事を…」


「純に対して、俺はこの2年ずっと、友達として接して来た」


「うん…」


「もう、好きだって隠さなくて良いか?」


「いいよ…」




待つのは性に合わないと気づいた。


待ち続けるのも待たせるのも、俺にはしんどい。




次あの二人に会ったら、


良い加減ゴールを決めてくれ…と、言うつもりだ。

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待ちぼうけ リル @ra_riru

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