起こるべくして起こったこと
見られている気がする。
視線を上げると山村先生と目が合う日がさらに増えた。
あの日のことは忘れたかったし、私はなかったことのように振る舞っている。山村先生も同様に触れてこない。ただ、視線を感じる。贔屓の度合いも上がって、他の生徒も気付くほどだ。クラスは離れたけれど、村田さんにはすれ違いざまにきついことを言われる。
「山村先生はみんなのものよ」
「本気で女子高生が相手にされるとでも?」
「可愛いくもないのになんで?」
「誘惑してんでしょ?」
「あんたなんか山村先生に相応しくない」
全てもっともなことなので何も言えないし、村田さんには逆に申し訳なく思った。
私は高三の残り時間、私立の文学部国文科に入るために勉強に勤しんだ。当然、勉強すればするほど質問したいことも増える。私は過去問を解いては分からないところを山村先生に質問しに行った。山村先生は相変わらず嬉しそうに丁寧に質問に答えてくれた。
好きな人はできないまま。だから彼氏もいないまま。大学に入ったら素敵な恋愛をしたい。いや、絶対する。幸せそうな愛梨を見ているとそう思わずにはいられない。
*
卒業式。私は志望校への合格がもう決まっていて、心は大学生活にあった。大好きな古文の探究。サークル。初めての一人暮らし。初彼。きっと高校でできなかった楽しいことが待ってるに違いない。
山村先生は式の後、教室で一人一人に手紙と一輪のガーベラを配っていた。
私は自分の番の時、
「先生には本当にお世話になりました。ありがとうございました」
と感謝を述べた。山村先生の握手する手に力が入り、私は困惑する。
「中川、たくさん質問ありがとな。大学でも頑張りなさい」
真っ直ぐに目を見つめられて言われ、私は頷いた。
席に戻り、手紙を開けて書いてあった一文に私は驚いた。
『一時間後、体育館裏で』
私は手紙を周りから読まれないように慌ててたたんで封筒に戻した。
えっと。
どういうことだろう。
みんなにはなんて書いてあったんだろう。
胸騒ぎがする。すっぽかそうか。でもそれは今まで私に膨大な時間を割いてくれた山村先生に申し訳ない。
山村先生が教室を出て行く時、取り巻きの女子たちもついて行った。山村先生は相変わらず困った笑みを浮かべて対応していた。
「美彩、なんて書いてあった?」
愛莉が無邪気に聞いてくる。
「今までよく頑張ったな。大学でも元気に頑張りなさいって」
私は咄嗟に嘘をついた。
「なあんだ、みんな同じようなこと書かれてるのかも? でも、嬉しいよね、こういうの」
「そ、そうだね」
愛莉の顔をちゃんと見ずに私は返事した。
「美彩、山村先生ともう会えなくなるよ? いいの、告白しなくて?」
まだ愛莉は誤解している。
「だから、そんなんじゃないんだってば。そりゃ少しは寂しくなるけど」
「もう、素直じゃないんだから」
愛莉とはどうなるんだろう。
私の古文馬鹿のせいで、愛莉ともお互いの理解が結局進まなかった気がする。
「愛莉は西川君とはうまくいってるの?」
私の問いに愛莉は幸せそうな恥ずかしそうな笑顔を見せた。
「うん。同じ国立の志望校受けてる」
「そっか。二人とも受かってるといいね」
この言葉は心から言えてほっとした。
私たちはスマホで二人で写真を撮った。こんなことするのも初めてかもしれない。
「じゃあ、西川君と私帰るから。またね、美彩! 元気で!」
「うん。愛莉も」
また、か。本当に会ってくれるかな。
大学では私、勉強だけじゃなくて本当に理解し合える親友も作ろう。
後45分。
私はそこそこ顔を出していた文芸部の部室に行った。後輩たちから花束をもらい、言葉を交わして、部室をゆっくりと見回す。教室、山村先生への質問部屋に次いで長く過ごした場所。部活はやっててよかった。
スマホを見ると後10分ほどだった。
「先輩、大学でも頑張ってくださいね! 文化祭来てくださいね!」
「うんうん。ありがとね。貴女たちも文芸部潰さないよう頑張ってよ!」
「もちろんです〜」
私は後輩たちに手を振って、体育館の方へ歩き出した。
*
山村先生は少し遅れてやってきた。
息を切らして頬を赤く染めて。
「ごめん。他の生徒を巻くのに時間がかかって」
「いえ、大丈夫です」
「改めて、中川、卒業おめでとう」
山村先生は心底嬉しそうに目を細めて言った。
「ありがとうございます」
「どれだけこの日を待ったか」
「え?」
山村先生の目には私だけが映っていた。
胸がざわざわする。
「これで誰にも憚りなく彼氏彼女って言えるな」
私は目を大きく見張った。
仲良い愛莉でさえ最後まで私の気持ちを誤解したままだった。村田さんも、他の先生も、みんなみんな誤解して。そんな中、山村先生本人が誤解しないなんてことはあるんだろうか。
ううん。本当は分かっていた。山村先生が私に好意を抱いていると。私はそれを分かっていて、うまくあしらいながら利用していたのだ。自分が一番ずるいこと、本当は分かっている。
「中川が大学で他の男に目移りなんかしたら困るから、今言わせてもらうよ」
「え……?」
山村先生は薄いピンクのリボンのかかった黒い小箱を私の前に差し出した。
「開けてごらん」
私は言葉なくその小箱のリボンを外して、蓋を開ける。手が震えた。プラチナだろうリングの中央に光るのはどこまでも透明なダイアモンド。
ああ……!
「俺の給料ではそのくらいのしか買えなくてごめんな。ずっと一緒に古文の話をしよう、中川美彩さん。俺と結婚してくれるね?」
山村先生の目に迷いはなく、疑いもなく、ただ私を信じているのが伝わってきた。
こんな状況で断ることができる人なんているのだろうか。私はあの日の放課後を思い出した。明らかに私が悪い。
目の前が暗くなっていく。私はそれを見ないように目を閉じた。
「はい。先生」
感情のない声が口から漏れた。
「良かった! 実は結婚届も書いてあるんだ。でも、卒業してすぐではよくないかな。式は何ヶ月後にしよう? 美彩が学生のうちはちゃんと避妊するから心配しないで大丈夫だよ」
いつの間にか私は下の名前で呼ばれていて、話が勝手に進んでいく。山村先生はかっこいいから女慣れしているのかと思っていたけれど、こんなに純粋な人だったんだ。山村先生の喜びに溢れる声が遠く聞こえる。
私、こんな形で結婚することになったんだなあ……。本当にいいのかな。
「美彩」
山村先生の熱を帯びた声が急に近くから聞こえて私は目を開けた。山村先生の顔がすぐそこにあった。
先生は私の顎に手をかけ、私の唇を塞いだ。
ああ、私のファーストキスが。
好きな人と、したかったなあ……。
山村先生は何度も何度もキスをした。私は息の仕方が分からず、口を少し開けた。
山村先生の熱い
ああ。心が絶望に染まっていく。
私はそれを受け入れるしかなかった。
涙は出なかった。
了
先生と私 天音 花香 @hanaka-amane
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます