天秤の快楽

「美潮、最近学校はどうなんだ?」


 朝食のハムエッグとトーストを食べていると、向かいの席で仕事の書類を見ているお父さんが話しかけてきた。


「うん、毎日色々勉強できるし、クラスの子もいい人ばかりだから楽しいよ」


「そうか、なら良かった。転校したてで上手く馴染めるか心配だったんだ」


「有難う。心配しないで」


「お姉ちゃんは昔から、みんなに好かれる天才だもんね。羨ましいな~」


 隣の席でスマホで何かを打ち込んでいる妹のかおりがニヤニヤしながら言う。


「ふふっ、いきなり彼氏を作ってる香に言われたくないって」


 そう冗談めかして言うと、香は顔を赤くして慌てたように言った。


「うそ! なんで分かったの」


「あなたはすぐ顔に出るから。大丈夫、誰にも言わないから」


「お願い! 流石にバレー部の先輩たちに知られたら洒落にならないからさ。流石にキャプテンと付き合ってるのはやばいんだって」


「はいはい」


 私がそう言うと、お父さんも笑い出し食卓は和やかな雰囲気に包まれた。


 これが私、仙道美潮の朝の風景。

 警視総監であるお父さんの克哉かつやは、組織では冷徹な「カミソリ」と言われているらしいが、家ではいつもニコニコ笑っている気のいい男性。

 妹は学校では、その美貌と愛嬌ですでに多数のファンが男女問わずついているらしい。

 二人とも自慢の家族だ。


 私は……どうなんだろ?

 まあ普通かな?

 正直、集団の中の自分の立ち位置にそこまで興味は無いけど、これから学習や実験を行うに当たり都合の良いキャラクターになれるよう、演技や心理学は身に着けたいと思う。


 後、もっと家庭内での信用を高めて、大学に入る頃には1人暮らしをしたい。

 すでにお父さんは入る大学の近くのマンションに、と思っているらしいけど、防音ならいいな……放流した獲物を逃がさないためにも。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 クラスに入ると、そこではすでに中の良いグループが昨夜見たであろうテレビや動画配信グループの話題で盛り上がっていた。

 そして、その内の何組かが私を見ると、パッと笑顔になり駆け寄ってくる。


「仙道さん! 昨日の○○の配信見た! すっごく面白かったよね」


「仙道さん、浅尾巧あさおたくみのドラマ見たでしょ! すっごくかっこよかったよね」


 それら一つ一つに、相手の望む返答と表情を作り返答する。

 ほんと、面白い。

 驚いたり興奮した「ふり」をするだけでこんなに喜んでくれるんだ。

 自分たちに何の得もない……ああ、違うか。

 

 1人で生きていけない弱い固体が、群れを成す事で生存の確率を高める。

 生存率が上がればそれは本能的に嬉しいだろう。

 まして、私は警視総監の娘。

 固体としての価値は高い。

 私を群れに入れることで、生存確率は飛躍的に高まるのだから。

 当然心にも無い媚へつらいくらいするだろう。


 これについては答えが出ているのでもう興味は無いけど、私自身も自分の学びのための環境を整えないといけないから、敵は作らないようにしたい。

 今のようにいわゆる「みんなに愛されている」と、何か成そうとする際に便利。


 そんな事を考えながら朝の会話を行っていると教室のドアが開き、担任の「湯本恵子ゆもとけいこ先生」が入ってきた。


 有名な国立大学の教育学部をこの春卒業して、赴任した先生だ。

 ボーイッシュな感じの人で、生徒にはかなり強気だがそれが自信の無さの裏返しだろう事は容易に分かる。

 ダメだよ、先生。

 「ふり」をするなら徹底的にやらないと、却って弱みの宣伝になるから。


 クラスに漂っていた先ほどまでの弛緩した雰囲気が嘘のように、緊張感に包まれる。

 湯本先生は挨拶の後、私たちを見回すと小さくため息をついて言った。


「先週、20時頃部活帰りの生徒たち数名が繁華街を歩いている所を巡視していた私と盛岡先生が発見しました。その場できつく注意しましたが、皆さんは当然そんな事はしない人だと信じています」


 そう言うと、釘を刺すようにクラス全員を見回した。

 そんな事してもする子はするんだけど。

 私みたいに……


 すると、先生の目が最後に私でわずかな時間止まった。

 

 私は不安そうに目を逸らす「ふり」をしながら、内心ほくそ笑んだ。

 これはこれは……

 

 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 数学の放課後、職員室に届け物をするために向かうと、丁度次の授業の準備をしていた湯本先生が私をチラッと見たのに気付いた。

 せっかくなのでご希望に沿ってあげようと、先生のところに向かうと言った。


「先生、今朝のホームルームで私を見ておられましたが、何かあったのですか?」


 湯本先生は逡巡していたが、やがて小さく息をつくと口を開いた。


「今から少し時間取れる? お話したいことがあるんだけど、進路指導室に来てもらってもいいかな」


「はい、もちろんです。私も丁度先生にご相談したい事があったので」


 さて、お勉強の時間だ。

 楽しみだな。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 湯本先生と共に進路指導指導室に入ると、そこは使っていないせいか仄かに埃っぽさがあった。

 

 先生は私に手前の席を勧めると、机を挟んだ向かい側に座って躊躇いがちに話し始めた。


「ねえ、仙道さん。あなたは転校してから非常に品行方正で成績もいい。ご家庭も……円満だしね。だからあなたを信じてここで話すわ」


「円満」か。

 教師とて人の子。

 家庭事情であからさまに差別するのは知ってたけど、こうまでえこひいきしてもらうとは。

 ほんと、印象は武器になるな。


「卒直に話します。この前あなたを……その……ホテル街で見たんだけど、あれは……」


「はい。事実です」


「……え?」


「初めて知りあったおじさまとラブホテルに入りました。と、言っても行為には及んでませんが」

 

「な、なんで……なんで、そんな事を」


 おやおや、気の毒なくらい狼狽えて。

 私が「そんな事してません」と言えば、キッとあからさまにホッとした顔をして、お開きにしたんだろうな。

 で、彼氏とのデート?


 でも残念。

 

 先生、あなたは私に長く付き合ってもらうことになる。

 私のお勉強に。

 そのために準備してたんだから。


「勉強したくて。人間の心を学びたいんです、私」

 

「ご、ごめんね。先生、あなたが何を言ってるか……」


 私は先生の手をそっと握ると、優しく微笑んで言った。


「これからゆっくり教えてあげます。長いお付き合いになるんだから」


「仙道さん。あなたの冗談に付き合ってる暇はありません」


 私は無言でカバンから出した写真と書類を並べた。 

 それは湯本先生が異なる男性とホテルに向かっている写真5枚と、その5名の男性との逢瀬の詳細が時系列に記入されている報告書だった。


 湯本先生の顔色が面白いくらいに変わった。


 これはこれは……


 人はこんなに簡単にゆさぶられる物なんだ。

 まあ、元刑事の私立探偵に依頼してるから、品質は保証済だけど。


「私、湯本先生を心から尊敬してるんです。だからたまたまお勉強で遅くなった帰りに、先生をお見かけして、ビックリして後をつけて……そしたら。ショックで色々調べちゃって」


「うそ!」


「うそ?」


「こんなの狙ってないと出来ない。最初から」


「私がラブホに行ってたのは、人の心が知りたいからです。人はなぜ恐れるのか? 今は……人をどこまでコントロール出来るのか。先生は充分な収入がおありの人。でも、人は道理のみで動くわけじゃない。あなたは重度のセックス中毒。そして、ギャンブル中毒でもある。スリルから逃れられない」


 湯本先生は気の毒なくらい怯えていた。


「あなたを次の勉強のパートナーにしようと思ったのはそれが理由です。理屈で考えればあなたのしてることは意味不明。何のメリットもない。快楽のみ。でもあなたは面白いことに、収入や立場を天秤にかけるその瞬間に喜びを感じてる」


 私は席を立つと先生の背中に回り、後ろから抱き締めた。


「これから沢山のスリルを与えて上げます。私のお勉強に付き合って下さい」


「……なんなの……それ?」


「それは始まってからのお楽しみです。あ、あとあなたをパートナーにしたいのはもう一つ。私、女性との性的接触にも興味あるんです」


 そう言うと、私は先生の顔を両手で引き寄せるとキスをした。


「いけない……仙道さん……やめて」


「もう遅いですよ。何もかも」


 私はそのまま先生を抱き締めて、もう一度キスをした。

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美潮は世界を汚したい 京野 薫 @kkyono

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