ミルクとガムシロ ~笑顔を添えて~

望月 葉琉

ミルクとガムシロ ~笑顔を添えて~

「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」


 出社前、喫茶店でモーニングメニューを頼む。これがわたしの、新人時代からの朝のいつもの習慣だ。出迎えてくれた店員さんの問いかけに、返事をしながら人差し指で一を表現する。


「空いているお好きなお席へどうぞ」


 言われ、サッと窓際を確認する。気に入りの二人席が空いていたので、迷わずそちらへ足を向けた。朝一番にちょっとラッキーな気分になる。

 席に着くと、程なくして先ほどの店員さんがお冷とおしぼりを持ってきてくれた。


「ご注文がお決まりになりましたら、こちらのベルでお呼びください」

「今注文しちゃっても大丈夫ですか?」


 頼みたいものは既に決まっているため、メニューも開かずにそう尋ねると、店員さんは快く了承してくれ、ポケットから端末を取り出す。


「アイスコーヒーにトーストで」

「ミルクとガムシロはおつけ致しますか?」

「お願いします」

「少々お待ちくださいませ」


 ニコッと笑顔を向けられて、柄にもなくドキッとする。大学生くらいだろうか。若い女性の店員さんの笑顔は、それだけ素敵なものだったのだ。


 * * * * *


「いらっしゃいませ」


 また別の日。いつも通りに入店すると、件の店員さんが接客してくれた。来店したのがわたしだとわかると、サッと窓際へ視線をやる。


「いつものお席、空いておりますよ」


 笑顔とともにそう言われ、日常がちょっと特別な朝へと変わる。わたしを認識しているだけでなく、気に入りの席まで把握されているとは。少し気恥ずかしいが、悪い気はしない。


「ありがとうございます」


 心持ち軽やかな足取りで席へ向かう。お冷とおしぼりの乗ったお盆を手についてきてくれた店員さんに、


「今注文しても大丈夫ですか?」


 と尋ねると、また笑顔で頷いてくれる。


「アイスコーヒーにトーストで」

「ミルクとガムシロはおつけしてよろしいですか?」

「お願いします」

「少々お待ちくださいませ」


 これまたいつもと少し違う言い回しにドキッとさせられた。来店頻度がほぼ常連とはいえ、客数の多いこの店で、わたし個人の好みがバレているというのは、なんとも照れくさいものがある。


「お待たせ致しました、お先にアイスコーヒーですね」


 アイスコーヒー、ミルク、ガムシロップの順番に丁寧に並べてくれる手を見つめる。彼女の素敵な笑顔を、なんとなく今は直視できない気がしたのだ。


「トーストは今暫くお待ちくださいね」


 そうして厨房へ去っていく後ろ姿を眺めながら、いつの間にか緊張で詰めていた息をほぅっと吐き出し、今しがた届いたばかりのアイスコーヒーをなんとか一口飲みむのだった。


 * * * * *


「いらっしゃいませ」


 その日は前日、仕事で酷いミスをしたせいでくたびれた顔をしていたと思う。そんなわたしの表情に気づかないふりをしてくれているのか、店員さんはいつも通りのにこにこ笑顔で出迎えてくれた。


「アイスコーヒーとトーストでよろしいですか?」


 席に着いたわたしはそう問いかけられ、思わず店員さんの顔をバッと見上げてしまう。


「えっ、あっ、はい。お願いします」


 不意をつかれたわたしがどもりながら返事をすると、


「ミルクとガムシロもおつけしますね」


 と言いながら、店員さんは普段通り厨房へと去っていった。驚いた。これが「いつものやつで」というやつか、と妙な感心をする。間もなく到着したアイスコーヒ―とモーニングサービスのトースト。いつもの店。いつもの席。いつものメニュー。しかしそこに、いつも通りでないものを一つ発見した。一見、なんの変哲もなく添えられている紙ナプキン。いつもより一枚多いそれには……。


【元気出してくださいね】


 ボールペンで走り書きされたニコニコマークつきのメッセージに、わたしはまたもや、店員さんの顔をバッと見上げてしまった。店員さんは、いつものニコッとした笑顔になると、人差し指を口の前に出し、次いでいたずらっぽい顔になる。「内緒ですよ」そんな幻聴がしたような気がした。

 店員さんが去った後、バリバリとトーストを齧り、アイスコーヒーを飲んでいるうちに、ほろりと涙が一粒こぼれた。いつも通りの日常と、いつもと少し違う非日常。その両方にホッとさせられて、思わず気が緩んでしまったようだ。大丈夫、今日はやれる。不思議と、そんな気持ちになれたのだった。


* * * * *


「いらっしゃいませ」


 年度替わりの4月。いつも通りに来店すると、応対してくれたのはいつもとは別の店員さんで、件の店員さんの姿は見当たらなかった。彼女だけでなく、店全体の顔ぶれが変わったような気もする。それ以降通い続けても、彼女とは二度と会うことはなかった。恐らく学生さんだという予想は当たっていて、就職を機にアルバイトを辞めたといったところだろう。

 未練がましいかもしれないが、あの日持ち帰ったメッセージ付きの紙ナプキンは、未だに捨てられずに家にある。辛い時、困った時、あのメッセージには励まされた。彼女の笑顔を思い出せて、元気や勇気を分けてもらえた。わたしから彼女に分けられたものは何もないが、今はただただ、彼女の笑顔に幸せが吸い寄せられるよう願うばかりだ。


「お待たせしました、アイスコーヒーです」


 トーストより一足先に到着したそれを、ミルクもガムシロも入れずに一口含むと、ほろ苦い味が口いっぱいに広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミルクとガムシロ ~笑顔を添えて~ 望月 葉琉 @mochihalu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ