忘却曲線上のプリン

ミコト楚良

忘れてもよいことは忘れなかったりする

 わたしも年をとりました。

 覚えているうちに、話しておきたいの。

 駅のアーケード街をはずれたところに、その洋食店はありました。

 子供だったわたしは、その建物が何階建てだったか、四角かったか、タイル張りだったかも覚えていません。

 入り口のガラスケースの中に、洋食のサンプルが並んでいたのは、ぼんやりと覚えています。

 メニューは白く厚い表紙に何ページがあったのか、横書きの文字だけが並ぶ、それを開くとき、少し大人になった気がしました。

 4人がけのテーブル席、白いクロスの上に、お皿が運ばれてくるの。

 熱々のグラタンは、まっすぐのマカロニの中からも熱いホワイトソースが出てくるから気をつけないとね。

 デザートのプリンは、固めの仕上がり。砂糖を煮つめると、カラメルソースになることも知らなかった。茶褐色のカラメルと黄色味をおびたプリンとの境目は、ぼんやりと薄雲のようでした。

 ハンバーグもあった気がする。

 あまりメニューを覚えていないのは、わたしの記憶力のせい。

 ふたつ、みっつの、おどろいた出来事のせいで、他のことがふっとんじゃったの。   

 だんだんと、それが本当のことなのか自信がなくなってきて。だから、今のうちに話しておこうと思ったの。


 わたしはボタージュスゥプが好きでした。

 じゃがいもをまろやかにペーストした、その舌ざわり。

 その頃の、わたしのブームが貧乏ごっこだったから。

 なぜ、そんなひとり遊びをしていたのか。たぶん、児童向けのお話にたびたび出てくるスゥプという食物と、しいたげられたおひめさまという立場にあこがれたか。

 とにかく、「今日、食べるものは、この一皿のスゥプしかない」と空想しながら、スプーンを口に運ぶのが好きだったの。


 その日の私は、母が、けげんな顔をしようとも、スゥプだけオーダーした。

 ただ、頼んだことのないスゥプにした。

 すると白い色のスゥプがテーブルに運ばれてきた。やけに、さらさらだと思いながら、スプーンで口に運んだ。

(あれ)

 思っていたのとちがう。

 どう味わっても、これは牛乳? 


 そんな気がする。

 でもね、子供の舌だから。もしかして野菜の味とか、しなかったのかしらね。

 でもね、とにかく、ぬるめのホットミルクにしか思えなかったの。ダメ出しのように、コーンフロストのようなものが浮いていたし。

 それでも、スゥプってメニューには書いてあったから、あれはスゥプだったんでしょう。


 その洋食屋は、わたしが小学生のうちに閉店しました。

 ふりかえってみると、そんな予兆はあったのかもしれません。


 ある日、グラタンを頼んだのです。

 すると、中が凍っていて、むなしく冷たかったの。

 今まで、そんなことなかったのに。

 というか、いつから冷凍グラタンだったのだろう。

 

 ある日、プリンを頼んだのです。

 お皿の上の、そのプリンは、どの角度から見ても、そのツヤといい、上から見たときに、お花を思わせる形といい、プラスチックのカップの底の突起を、ぷちんと折る、を思い出しましたが。

 まさか?

 いいえ、その型を使った手作りプリンかしら。わたしは、最後まで信じる心を失いたくなかった、だけど。

 いいえ、味も、まちがいなく——。


 あのプリンなら、この令和の時代でもスーパーで売っている。

 それをみかけるたび、思い出す。あの洋食店を。

 こういうの、エビングハウスの忘却曲線にのっとった長期記憶っていうのでしょう?

 もっと別のことを記憶したい、わたしの人生。

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