第4話

 町内会の役員が、アパートの経営者と知り合いだったらしい。念のため、敷地のお祓いをしたほうがいいのでは、と進言したそうだ。


 先方も、できたばかりのアパートだけに、妙な噂が立つのを嫌ったらしい。きちんと神主が呼ばれて、敷地の祠があったあたりで魂抜きの儀式が行われた。


 それ以降、アパートに住む子どもたちに、おかしな行動はなくなった。


──はずだった。


 思い出してしまったのだ。そして妻に話してしまった。

 なぜ、昔のことを忘れていたのだろう。


 あの日、飴玉を食べた友達は、あの屋敷の門の前で別れたあと、家に帰らなかった。今も行方不明のままだ。


 こわくて、だれにも本当のことが言えなかった。


 あの屋敷のあるじに脅された。だれにも言うな。

 鬼が来るぞ、と。


 もし、だれかに言ったら、間違いなく友達と同じになる。


 十数年経ってから、屋敷のなかで家主が孤独死していたのが発見された。死亡時期が寒い冬の時期だったせいか、放置された死体は腐敗せずに干からびて、発見されたときには真っ黒にミイラ化していたらしい。


 忘れられない記憶だったのに、すっぽりと記憶から抜け落ちてしまっていた。まるで丸ごと奪われたかのようだった。


 あれからもう四半世紀近くが経ち、二度と同じことは起こらないと信じ切っていた。


 それなのに。


 口のなかにあの時の飴玉の甘さが甦ってから、あのときのことを鮮明に思い出すようになった。黒い祠の光景が脳裏に焼きつき、ひとときも気が休まらない。


 家の正面に、祠のあった場所がある。窓の外を見れば、嫌でも目に入る。

 かつて祠のあった場所が、気になってしかたなかった。


 窓の外を覗く。アパートの敷地の片隅に、ぼんやりと老人の姿が浮かび上がる。


 どうしても目が向いてしまう。こちらに手を振るのが見えるからだ。


 最初は魂抜きの儀式が終わったから、成仏できるのを喜んで、手を振っているのだと考えた。


 だが、その姿は数日経っても一向に消えてくれない。

 それどころか、だんだんと姿がはっきりしてくるように思えた。


 周辺で異変を聞くようになった。近所の住人が、忽然と消えてしまった。一家族だけでなく、何人もの男女がいなくなった。


 そのなかには、昔からの知り合いもいた。彼らは同じ小学校の生徒だった。


 あの老人から飴をもらった子どもは、他にもいたかもしれない。あの敷地に忍び込んだ子どもたちは、きっと自分たちだけではなかったはずだ。


 自宅にいると、カーテンを引いていても窓の外を確認せずにいられない。


 老人は手を振っている。いかめしい顔つきが、ひどく歪んで口角が裂けたかのように笑いかける。


 老人が立つ地面からは、いくつもの黒い枯れ枝のようなものが生え、ゆらゆらとうごめく。黒い枝は、どれも先端が五本に別れている。


 老人は、手を振っているのではない。

 黒い枝状の細腕と同じく、しきりと手招きをしているのだった。


 老人の口が動いている。


 目が離せない。口のなかに、なんとも言えない味が広がる。

 これは恐怖を麻痺させる、幸福の味。怖いはずなのに、この家から離れられないでいる。


 黒い手が、しきりと招き寄せるのが見える。

 誘われて、目の前が黒く霞む。足が勝手に動き出そうとするのを必死にこらえる。


 口のなかで甘露の味がする。喉を鳴らして唾を飲み込む。


  ミィ、ツ、ケ、タ。


 背後から囁きかけられる。間近に迫る、たくさんの笑い声を聞いた。


 

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カクレオニ 内田ユライ @yurai_uchida

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