第3話

 この事件のあと、あのアパートの敷地にはなにかあるんじゃないか、と噂が立つようになった。


 町内の古株によると、あの土地には曰くがあると言う。


 あそこには、土地の持ち主、つまり住人が建てた祠があったはずだ。あのあたりには沼があって、宅地を造成するときに潰したらしい。あそこに住んでいた住人に不幸が続いて、屋敷神を祀るようになった。


 すごく古いものだから、整地したときには形を為していなかったかもしれない。だがあれは屋敷神だ、もしかしたら撤去するときに、きちんとたましい抜きをしてなかったんじゃないか。


 その話を聞いて、思い出した。

 そうだ、たしかにあった。昔、幼いころに見たことがある。


 古い屋敷の周りは、玄関に続く大きな門扉以外、高いブロック塀で囲われていた。時折変な臭いがするので、家主が動物を殺してるらしいと囁かれていた。


 小学三年生の時だったと思う。友達と道路でキャッチボールをしていたら、手が滑って塀のなかに放り投げてしまった。


 買ってもらったばかりのボールを無くしたくなかった。


 塀の向こうへの好奇心もあり、敷地のすみ切り部分に設置された大きな石を足場にして、ボールを拾いにいったのだった。


 敷地内に踏み入り、やたらと育った庭木と雑草をかき分けた先に、それを見つけた。


 手作りの不格好な祠だった。空気はやけに湿気ていて重く、かびの臭いがしていた。祠はいぶしたかのように黒ずんで、土台になっている石も同じように黒かった。


 地面はぬかるんだ黒土で、周囲の木々は白く枯れている。


 その枝に、なにか黒い紐のようなものがいくつも垂れ下がる。近づいて気づいた。これは、生きものの死骸だ。すっかり干からびている。


 だが、頭骨の形には見覚えがあった。鱗がついていたり、羽のあるもの、毛の生えたもの、大小さまざまの死骸が崩れたかたちでぶら下がっている。


 急激に、恐ろしさを認識した。

 心臓が跳ね上がり、呼吸が荒くなる。足が震える。


「誰だ、おまえら」


 背後から声をかけられて、飛び上がった。振り返ると、背後にいた友達が人物の横を駆け抜けようとしているところだった。


 だが、逃げ切れなかった。


 むんずと、友達の腕を男がつかんだからだ。


 しかめ面をした男は白髪交じりで、汚れた作務衣さむえを着ていた。さほど背が高くはないが、子どもを捕まえるだけの腕力はあった。


「逃げんな、なにしに来た」


 腹の底から響く男の声は一本調子で、怒っているようには聞こえない。はなせ、やめろ、と友達が悲愴な声を上げ、自分の腕を男の手から引き抜こうとして暴れている。


 男は友達をつかんだまま、左手に持っていたものを祠に向かって投げた。赤い滴を飛び散らし、濡れた雑巾が地面に落ちたような音がした。


 なにを投げたのか確認したかったが、振り向いたらよくないことが起こりそうな気がして動けなかった。


「すみません、勝手に入ってしまって……ボールがここらに入っちゃったんで、探してたんです」


 しどろもどろに答えると、初老の男は「ボールぅ?」と拍子抜けした声を発した。


 ああ、と合点がいったようにうなずく。


「そんなら、さっき表に放り出したぞ」


 え、と腕をつかまれたままの友達と目が合い、男へと視線を向ける。


「はよ、出てけ」


 そう言って、男は友達の腕を放した。

 ふいに恐怖が軽くなった。男の気が変わる前に立ち去りたかった。


 すいませんでしたと頭を下げ、ふたりで入ってきたほうへと向かおうとする。


 ふたたび声をかけられた。


「出口はそっちじゃねえ。向こうだ」


 正面の出入り口を示される。素直に従い、足を向けたとき、「そうだ、おまえら」と呼び止められる。


「ここのことは誰にも言うな。そのかわりに、こいつをやる」


 振り返ると、男が近づいてきて友達の手になにかを渡した。


「なんですか、これ」


「アメだ、美味えぞ」


 にんまり笑い、「いいか、ここのことは言うなよ」と男は脅した。


他人ひとに言うと、鬼が来るぞ」


 目が笑っていない。背筋が冷えた。

 うなずきながら、門扉まで走った。


 あんな異様な体験をしたにもかかわらず、どうしてすっかり忘れていたのだろう。


 そういえば、と考える。アメ、どうしたんだったか。


 友達がもらったはず、で……そうだ、門の外に出たときに、ひとつ手渡されたんだっけ。


 くるりと紙が巻かれ、両端をぎゅっと絞った、そのかたちを覚えている。

 やけに白く薄い紙で、中の球体が透けていた。


 紙を広げてみると、大玉よりは少し小さい、真っ黒なあめが出てきた。素材は黒砂糖なのだろうか。飴ならば練って形を整えるうちに空気が入るものだが、つやつやとした表面はガラス玉のようで、黒いのに向こう側が見えそうな透明感がある。


 不審な人物からもらったものを、安易に口に入れるほど不用心ではない。


 こんなものが食えるか、と思って友達を見ると、嬉々として飴玉を口に放り込んでいるところだった。


 驚いていると、友達はうひゃあ、と声をあげた。


「おい、これすげぇぞ! ものすごくうめぇ!」


 すげぇ、なんだこれ、と感嘆の言葉を次々に口にする。


「おまえ、食わねえのかよ」

「だって……」


 ためらっていると、友達は急に不機嫌になって目を細め、にらんできた。


「俺が食って大丈夫なんだから! おまえも食えってば!」


 目を見開いて、大声で迫られる。いやだ、と言えなくなった。


 ただ、恐ろしかった。


 つまんでいた黒い飴玉を、友達に奪われたかと思うと、無理やり口のなかに突っ込まれた。


 その瞬間、飴玉が唐突に液体になって、舌のうえでとろけた。甘味が脳天に直撃する。いままで味わったことのない味だった。甘くて、幸せな感覚が口内に転がる。

 ふわりと心地よい甘い香りが鼻の奥に残り、このまま飲み込んでしまいたくなる。


 だが。


 その味は、勝手に喉に入り込もうとしているのに気づいて、我に返った。ぐっと喉が絞まった。


 異物感にむせて、咳き込み、その場で嘔吐した。


 友達はそのようすを冷淡に眺め、顔をしかめた。


「なんだよ、もったいねぇな。だったら俺がもらったのに」


 舌打ちをして、冷えた目線を投げかけてくる。

 まるで、人が変わったかのようだった。



  

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