犬系彼氏
東 里胡
第1話
「今何時だと思ってんの?」
深夜二時、これって丑三つ時とかいう時間よ?
鳴りやまないインターホン、モニターに映っていたのは三日前に別れた元彼。
「開けて?」
「嫌! 帰りなさいよ、新しい彼女のとこに」
「そんなんいないってば! なんなの? 一体!」
モニター越しに泣きだしそうなふくれっ面を見せる年下男。
その顔も可愛いって思ってた。あの日までは。
***
――二週間前のこと。
彼の誕生日。昼間のうちに忍び込んでパーティーの用意をしようと、合鍵で入った彼の部屋。
玄関には、見慣れぬ赤いハイヒールが彼のスニーカーの横に揃えられていた。
私が絶対に履かないようなアンクルストラップつきの華奢なヒールに嫌な予感が走る。
物音一つしない彼の1DK、玄関前のキッチンに静かに荷物を置いて。
開けたドアの先は遮光カーテンが引いてあり、昼間だというのに薄暗い。
やっと目が慣れた私が見たものは――。
ベッドに横たわる彼、その前に立膝で座る白いワンピースを着た長い髪の女の子の姿。
彼女が愛しそうに彼の頬を撫でて、重なる唇。
彼にキスを堕とした彼女は私の方を振り返って勝ち誇ったように微笑んだ。
声を殺し逃げ帰った。
何て酷い話だろう。合鍵を持っている私に、いつかバレるとは思わなかったの?
だったら言って欲しかった。他に好きな人が出来たのならば。
別れようって言ってくれたらよかったのに。
見たくなかった、見たくなかった。
あの子、私よりも年下だった。彼の大学の友達だろうか。そうよね、五つも年上の彼女より若い子の方がいいものね。
「別れましょう」と送ったメッセージの後、私は彼からの一切の連絡を遮断した。
***
「なんで、いきなり『別れる』なんてさ。ずっと帰ってなかったでしょ? 俺のこと、そんなに嫌いになった? それとも好きな人ができて、そっちに行っていたとか?」
「ふざけないで、友達のとこに泊ってただけ」
私だって寂しかった。一人でいたくなかったもの。
あの日のうちに泣きながら親友の家に押しかけて、二日も泊めてもらってた。
少しだけ気持ちが落ち着いて帰ってきたというのに、どうしてまた搔き乱すの?
「俺だって納得できないよ、どうして突然なの? 誕生日、キッチンにケーキがあった! 買ってきてくれたんでしょ?」
モニター越しの彼は夜中だというのを気にして声は抑えめだけれど、真剣な眼差しをしていた。
「だったら……、どうして浮気なんかしたの?」
「え? 俺が、浮気?」
「そうだよ。誕生日にあなたの部屋にいた女の子、誰なの? 白いワンピースを着た髪の長い赤いハイヒールの子。大学の同級生? 後輩? あなたにキスしてたじゃない!!」
「……知らないんだけど……、何それ?」
彼の目が見開き、縋るように歪む。
「最近、夜寝ると全然目が覚めないでグッスリなんだ。そのせいで昼まで寝ちゃって大学に行けないこともあって……。それで、さ……、枕もとに長い髪の毛が落ちてたことがあって……」
「え?」
「友達が俺を写した写真の背後に必ずといっていいほど白いワンピースの女が写ってて……」
「待って、ねえ、それって!」
そういえばあの時彼はぐっすりと眠っているようだった。私の気配にも彼女にキスされたことにも気づかないほどぐっすりと。
「もう一度ちゃんと話そう。俺、絶対浮気なんかしてない!!」
モニター越しでもその眼差しを見れば嘘なんか言っていないのはわかる。私のことが好きだって、伝わってくる。
私もまだあなたが大好きなの。大きなワンコみたいで素直で優しくて可愛い。
「今、開けるね……、私もきちんと話がしたい」
ようやくモニターの中で微笑んだ彼、私もその表情に安心してインターホンを切ろうとした瞬間。
彼の背後、ゆらりとまるで貼り付く影のように現れた。
白いワンピースに髪の長いあの時の女!
いつからそこにいたのだろうか?!
彼の後ろからモニターを見て挑発的にニヤリと笑った。
「ひっ」と息を飲むほどに真っ黒な目をした女に彼は気付いていない様子。
「う、後ろっ」
金縛りのようになった私の声が出た時には、彼の首に縄をかけた女。
ギリギリと締め上げられて、苦悶の表情に歪んだ彼は沈み込むようにモニターから消えた。
「うちのワンコがお邪魔をしました」
嬉しそうに笑ってペコリと私に頭を下げた女はそのままモニターから消えた。
震えながら辿り着いた玄関のスコープ越しにはもう誰もいない。
チェーンをして少しだけ開けたドアの向こう。
ズルッズルッズルッ、カツンカツンとヒールが遠ざかる足音がした。
犬系彼氏 東 里胡 @azumarico
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