第23話

23・猫に会いたくなったなら



 その後もオレは断酒会の例会には足繁く通ったよ。

 DARC(ドラック・アディクション・リハビリ・センターを約してダルク。英語読みだと暗いの『ダーク』に音が似ちゃってあまりよろしくないというんで、フランス語読みで『ダルク』となったそうだ)を創設した故・近藤恒夫さんの書いた本を読み、その内容や感想を例会で話した事もあった。その本によると、DARCで行われている事も断酒例会と基本的には同じみたいで、「言いっ放しの聞きっぱなし」「批判やお説教は一切なし」というルールが徹底されてるそうだった。またその本によると、新入会の人には、なぜ他人の話をただ黙って聞く事が薬物依存からの回復に繋がるのかがなかなか理解できないらしく、それが分かるようになるまでには半年ほどかかるとも書かれていたんだ。で、それが理解できるような状態になる事を、「耳クソが取れる」と表現してたんだよ。

 実を言うと、入会したての頃のオレは、まだその耳クソが取れてなかったんだ。やはり心のどこかしらかで、断酒例会の人たちの酒害体験を他人事のように聞いていたんだ。

 またその本には次のような意味の事も書いてあった。曰く…。

「依存症は天から与えられたカード」だ、ってね。つまり近藤さんは、「依存し易い体質に生まれついてしまった以上、もうそういうものなんだと受け入れて、それをポジティブに乗り越えていこうじゃないか」と前向きに捉えているんだよ。オレはこれをなかなか面白い発想だなって思ったよ。高校野球の監督の立場に置き換えて考えるなら、愚痴ったところで自分のチームが強くなるわけじゃないんだし、今ある戦力でどうにか采配して試合をするしかないんだよね。ただスポーツと違うのは、戦うのは敵じゃない、思い通りに操る事のできる自分自身なんだよ。勝とうと思えば必ず勝てるんだ。この話にはサワノボリさんも賛成してくれてたよ。

「そのとおり。脳やら体質やらが生まれつきそうだったんですよ。んで、現代の医学では飲まないという選択肢以外に治す方法がないんですよ」ってね。



 何はともあれ一時的にとはいえオレは酒をピタリと止められるようになった。もちろんその後、結局は再飲酒スリップしちまった事それ自体は素直に認めるよ。でも少なくとも一時的にとはいえ止められたのはやっぱり断酒会のおかげだったと思ってもいるんだ。

 オレは断酒会で新しく働く事になった職場の話もしたんだ。

 ……新しく入った会社の副社長が文学好きで、面接の時にすっかり意気投合した事。

 ……それが理由で気に入ってもらえて、本来ならまだ入社したてでダメなんだけど、特別に残業・休出を許可された事。

 ……同じの班の正社員が二人同時に休んでしまい、その代打として重宝されている事。

 ……また二人の病欠だけが理由ではなく、生産そのものが例年になく増えていて毎日残業が続いている事。

 そんなこんなの様々な事情が重なったせいで、入社したその一ヶ月後に、なんとオレは月に90時間以上残業・休出をするハメになっちまったんだ。派遣会社の担当からは、「もうそれ以上やらないで欲しい。下手すりゃ新聞に載るレベルだ」とブレーキをかけられたよ。次の月もダブルエースのうちの一人が病欠で長期間休み続けたせいで忙しい日々が続いたんだ。でもオレは期待に応えたい一心で頑張り続けたよ。でも、副社長の心ない言動で、たちまち心が折れてしまったんだ。

 先月90時間以上残業した関係で、「今月の残業は60時間以内に納めてくれ」と派遣屋の担当から言われ、それをそのまま副社長に伝えた時の事だった。副社長からあからさまに嫌そうな顔をされたんだ。んなもんだから、オレはつい、

「労基法でそう定められているんだから仕方がないじゃないですか……」

 極めて当然の事を強い口調で主張しちまったんだ。その後さらに、

「……って言うか、あんまりこんな事が続くようじゃ、この会社の正社員は難しいと思います」

 つい本音がポロッと出ちまったんだ。そしたら副社長からこう言われちまったんだよ。

「なら入らなくてもええよ」ってね。

 その事でちぃっとばかし傷ついてしまったオレは、その夜思わず酒を飲んでしまったんだ。

「あの会社がブラック企業じゃないって言うならどこがブラックだって言うんだ!」

 その時オレは部屋で一人、かなり荒れちゃったよ。

「あんなに協力してやったのに、そんな言い方はないだろう!」

 その1本が2本になり、2本が3本になり、そしてアルコール度数が高くて安いウイスキーになるのは至極当然の結果だった。なぜってそういう病気だからさ。で、土日に連続飲酒をしてしまった結果、会社を連続で休んでしまったんだ。例会で散々聞かされた、アルコール依存症者あるあるな話だった。でも唯一の救いは、前回ほどひどく耽溺せずにすぐに復活できた事にあったよ。三ヶ月ほど飲んでなかったから、おそらく肝臓がある程度は回復していたんだろうね。

 再飲酒スリップしてしまった事を、オレは断酒会で正直に話したよ。んで、最後にこう話して締めくくったんだ。

「今回飲んでしまった事で学びました。飲酒して後悔する事はあっても、断酒して後悔する事はないんだって。だからもう一度断酒にチャレンジしたいです」

 もちろん誰からもお説教めいた事は言われなかった。むしろ逆にみんなからこう励まされたんだ。

「断酒会はお酒をやめた人たちの集まりじゃないんです。お酒をやめたいと思っている人、それからやめ続けたいと思っている人の集まりなんです。だからもう一度、再チャンレンジしましょう」ってね。

 ところがさ、例会が終わった後、廊下でキシモトさんから話しかけられたよ。んで、個人的にこう言われちゃったんだ。

「あたし、実はあなたはまた飲んでしまうんじゃないかって気がして仕方がなかったの。あなた無理をし過ぎよ。期待に応えようとして頑張り過ぎ。あんまり飛ばし過ぎないで」

 キシモトさんは、それはそれは悲愴な表情でそう話していたよ。まさか彼女から再飲酒スリップするんじゃないかと思われていただなんて、と知った時、オレ、正直めっちゃ悲しかった。



 例の一件で副社長と決裂した後、別の派遣先へと案内されるまで、オレはまた一ヶ月ほど仕事を休む事になっちまった。その間オレは図書館から借りてきた本を読んだり、近所の散歩をしたりして暇をつぶしたよ。職がない事から生まれる不安を噛み殺しながらね。ようやく案内してもらった職場は、幸運な事にオレの家からめちゃくちゃ近くで、車で10分かかるかかからないかぐらいの距離だった。それに、仮に残業をしたとしても東支部の例会になら普通に間に合う好立地でもあったんだ。オレ、原則的には無神論者なんだけど、この時ばかりは断酒の神様が導いてくれたんだと思う事にしたよ。ところでオレには、前にも大太に言ったとおり、仕事に対する向き不向きがものすごく激しいという持病があった。ところがオレさ、この工場の見学で建物の中に入った瞬間、本能的な予感を感じたんだよ、「この職場は自分に合ってる」って、……事実、後になって実際に就労してみたら確かに働き易かったんだ。時給がちょっとばかし低めなのが気になったけど、酒さえ飲まなきゃなんとかなると思えた。だってそうだろ、仕事帰りにコンビニで缶ビールなりハイボールなりを3本も4本も買えば、それだけでもう1000円、つまり1食分近いお金を使ってるって事になるわけじゃん、……ていう事は、一日4食食べてるのと同じ計算になるわけよ。これでさらにつまみも買えば一日5食だ。それだけじゃない、酒飲んで二日酔いになったり連続飲酒をしたりして仕事を休むようになればそもそも収入までなくなっちまう。でも酒さえ飲まなければ少しくらい時給が安くても長い目で見ればどうにかやりくりできるんじゃないかって気がしたんだ。正直、家賃や光熱費を少しばかり滞納しちまってるから、その事に関して不安がないと言えば嘘になる。でもそれは今に始まった事じゃない。イソップ童話「ウサギと亀」のウサギのように、一時的に気張って、遅れていた支払いが片付く頃になると酒を飲むようになって休みがちになり、で、結局また支払いが遅れちまう、というやり方は今までに幾度となく繰り返してきてるんだ。ただ、イソップ童話と違うのは、ウサギであるオレはただ寝ているだけじゃなくて、酒を飲んで寝ていたという点にあるんだけどね。でも、酒をやめた上で少ない収入から目の前の支払いを少しずつ少しずつ片付けていくという、亀のようなやり方をオレはまだ実践した事がないんだ。だったらそのやり方で本当に立ち直れるのかどうかを、自分の時間や人生を使って試してみるのも面白いんじゃないかと考えたんだよ。酒を飲んでいない時間は、とにかく静かで、清潔で、しかも亀のようにゆっくり過ぎていくんだ。時々それを退屈に感じて、酒を飲みたくなる事があるけど、それで寿命という名のトータルの時間を消耗してしまったら、それこそまさに本末転倒じゃないか。

 ……とにかく、酒をやめて普通の人間になろう、オレは心からそう思ったんだ。

 その新しい仕事が決まった後に参加した断酒例会で、ある人から次のような意味の話を聞いたんだ。なんでもその人は、オレと同じように東京からこの北関東の街へ越してきたらしい。で、数年前まだ酒飲みだった頃、たまたま連絡のついた中学の時の同級生にこっちへ遊びに来てもらった事があったんだそうだ。その人曰く……、

「……その時僕はとにかく酒を飲んでいて、お金がまったくなかったんです。んで、わざわざ東京から来てくれた友達に、飯やら酒やらを奢らせてしまったんです。普通なら逆ですよね、わざわざ来てくれたんですから、こっちが奢るのが道理じゃないですか。ところが僕は奢らせてしまったんです。僕はこの後、その友人を失いました……」との事だったよ。

 その話を聞いた瞬間、オレは自分の耳から耳クソが取れたって事をハッキリと実感したんだよ。「ああ、この人は、断酒誓約にもあるとおり、友人を欺いた時の事を率直に語っているんだ」って、ものすごく強くそう感じたんだ。それだけじゃない、「そしてその非を率直に語ってもいるんだ、酒に罪はなく、罪は飲んだ自分にあるって認めているんだ」ってね。それにオレ、この話をまったく他人事じゃないとも思ったんだ。「オレも東京生まれ神奈川育ちで、同じような事をしでかしてしまっていたとしてもちっとも不思議じゃないんだ」って。ノザワさんの言っていたように、「明日は我が身と思って聞こう」、オレは心の奥底から本気でそう思ったんだ。

 それからさらに次の例会で、サワノボリさんから聞かせてもらった話も印象的だった。曰く……。

「長く例会に参加していると、"なんだ、またその話かよ!"って思う事がたくさんあるんですよ。でも、たとえそうだったとしても、ちゃんと耳を傾けて聞くべきなんです。なぜならそれを語っている本人は、それを語るのは必要の事なんだと思っているからこそ語っているんです。それに、同じように聞こえていても、よくよく聞いてみると微妙に違うんです、全く同じじゃないんです、なぜそうなるのかと言うと、その人は、その同じ酒害体験をさらにさらに掘り下げて語っているからなんです。だからこそ、きちんと聞くべきなんです」

 なあ大太、オレがこんな話をしたのを覚えてるか?

「なんでそれが分からないのかが分からない。だって後日譚こっちを先に読む人だっているんだし、その人にも分かるような書き方をしなくちゃ相手にちゃんと伝わらないでしょ? だいたい、あの大文豪の太宰治だって、違う小説に同じネタ(婚約者に浮気された話)を何度も出してるじゃないか。確かに読んでるこっちからしたら、"またその話かよっ"ってなるよ。でも、書く方はそれが必要だと思ってるから書いてるんだ。もちろん反対意見があるなら聞くよ、ただしちゃんと最後まで読んだ上であればね。とにかく、原作者が目の前にいるからって、ちょっと気になったぐらいですぐにあーだこーだ言うのは止めてくれよ。情報が重複していようとなんだろうと、とりあえずちゃんと最後まで読んでから批評してくれよ」って言ったのをさ。

 確かに、「あのふた」と「まなかぜ」には、コスモの受験というネタが重複して出てくるのは事実なんだ。「あのふた」では、主人公であり物語の語り手でもあるユータの視点からコスモの受験の話が描写されているし、「まなかぜ」には「まなかぜ」で、ヒロインでありもう一人の主人公である歌祈の視点から、やっぱりコスモの受験の話が描写されてもいる。それをヒロミは「なんで同じ話が出てくるのか分からない」、と言ったわけなんだけど、それと一致してるんだよ、このサワノボリさんの話はさ。原作者であるオレは必要だと思ってるからこそ、コスモの受験の話を描写しているんだよ、……それも、違う人物の視点からね、……ああそうさ、違う人物の視点からコスモの受験ネタを描く事で、「さらにさらに掘り下げている」んだよ。酒害体験もそれと同じなんだと気づいたんだ。実を言うと、以前オブザーバーとして参加してた時も、「またその話かよ」、と思った事が何度もあって、それが嫌で断酒会から離れたというのも正直あったんだ。でもそれは間違いだったと気づいたんだ。ヒロミに対して「ちゃんと最後まで読んでからにして欲しい」と訴えたのと同じように、たとえ同じように聞こえる酒害体験だったとしても、ちゃんと聞くべきだったんだよ。このサワノボリさんの話を聞いたおかげで、オレはますますもってして自分の耳から耳クソが取れたって事を強く実感したんだ。そもそもそれ以前に、断酒会の人たちってけっきょくのところ、「酒はもう飲まない」って言ってるんだよ、……つまり、ひたすら同じ事を話し続けてるんだよね。

 ……分かるか? 大太、オレはこれでようやく目が覚めたんだよ! 

 それから更に1ヶ月ほど経って、新しい仕事が安定し始めた頃、オレの住む県の断酒会が主催する「断酒研修会」というセミナーが開催されたんだ。そこには東京・千葉・埼玉に住む断酒会の人たちも数名参加していた。サワノボリ支部長の話によると、

「我々が向こうに行っているから、向こうもこっちへわざわざ足を運んで来てくれてるんだよ」

 との事だった。もっともな話だよな。オレも、「今の仕事で収入が安定したら、よその県の例会にも参加する事も真剣に検討してみよう」と思ったよ。

「一つ質問なんですけど、その足のついでに、近くの観光地へ遊びに行ったりとかもするんですか?」

 ふと思った事を質問してみたら、「行くよ」、と、それはそれは気さくに答えてくれたよ。それを聞いてオレ、「悪くない、むしろ逆に楽しそうだ」って思ったんだ。

 研修会が終わると、サワノボリ支部長から、「今日の研修会の事を記事に書いてくれないか?」と話しかけられたよ。

「断酒会の機関紙に寄稿して欲しいんだ。小説で予選を通過した事のある君ならできるだろう?」ってね。

 オレはすぐにそれを書いた。あまりの早さに支部長は、それはそれは大変驚いていたよ。その支部長から「家族の事情で急遽、例会に参加できなくなった」という知らせを受けたのはそれから数日後の事だった。

「オレの代わりに司会をやってほしい」ってね。まだ新入会のオレがそんな事をして許されるんだろうか、と思ったけど、とにかくオレは言われたとおりに司会を務めた。多分、過去にオブザーバーとして何度も参加した事もあったし、その頃の経験値も含めての大抜擢だったんだろうね。とにかくオレはその席で、司会者としてこう発言させてもらったんだ。

「西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が、かつて彼らが犯してしまったユダヤ人の虐殺についてこのような発言をしています。"過去に対して盲目な者は、結局のところ現在に対しても盲目である"と。これ、我々断酒者にも応用できる言葉だと思うんです。つまり、"過去の酒害に対して盲目な者は、結局のところ現在の酒害に対しても盲目である"という風にも解せると思うんです。だからこそ僕らは、過去の酒害体験を掘り起こして率直に語っているんです。もちろんただ語るだけでは足りません、自分一人だけの酒害体験だけでは限界があるからです。だからこそ他人の酒害体験にも批判やお説教は一切ナシという前提でただ黙って耳を傾けていくべきなんです。そうしない事には、過去の出来事を忘れてしまうからです。人間は自分で思っているほど賢くはないんです。むしろ逆に愚かしいぐらいに忘れっぽい生き物なんです。事実、20世紀でもう懲りているはずの戦争を忘れているからこそ、ロシアはウクライナへ侵攻する事が、中国は尖閣にちょっかいを出す事ができるんです。違うとは言わせません。忘れていないと言うのであれば、どうして戦争の歴史を繰り返す事ができると言うんでしょう。悲しいけど、戦争なんて規模があまりにも大き過ぎて、我々庶民の力だけでは止めたくても止められないという現実があります。でも断酒は違うんです。酒を飲まない人生を歩み続ける事はできるんです。過去の酒害体験に対して盲目にならないためにも、例会に積極的に出席して過去の過ちを率直に語り合い、それに耳を傾け、そして互いに助け合って努力をすれば不可能じゃないんです。

 その上で、僕の過去の酒害体験を率直に語らせてください。僕はかつてひどい酒飲みだったせいで、元カノに逃げられました。酒欲しさに元カノに金銭的な負担をかけてしまっていた事が原因です。暴力をふるった事は一度もありませんでした、でも、暴言は何度も口にしていました。僕には父の攻撃的なもの言いが嫌だったから家を出たという過去があります。それなのに、父と同じ事をして、同じ結果を招いてしまったんです。それだけじゃありません、大好きだったペットの大太を動物病院へ連れて行く事を怠り、早死にさせてしまいました。酒を飲んでばっかりで、大太に療養食を買い与えてやらなかった事が原因です。でもその事を、僕は昔、全て他人や状況、そして何より酒のせいにして自分を正当化し逃げていました。だからこそ、もう二度と他人や状況や酒のせいにはしません。全ては飲んだ自分に責任がある事を全面的に認めます。

 ではもう二度とそんな事をしないようにするためにはどうしたらいいのでしょう? それはその最初の一杯をそもそも飲まない、この事に尽きるんです。飲んでしまえば1本が2本になり、2本が3本になり、やがてアルコール度数の強い安酒になるんです。そしてそんな美味しくもなんともない物を飲んで二日酔いになり、連続飲酒で出社できなくなり、結果、解雇クビになって仕事を失い、時間という取り返しのつかない貴重な資源までもを失う事になるんです。

 だからはっきり宣言します! 僕はもう二度と飲みません!」

 翌日、支部長から電話が来たよ。

「昨日の例会に参加してた人が、"とても初めてとは思えないぐらい司会が上手かった。これからも彼に任せたい"って言ってたよ。司会って簡単なようで案外難しくてさ、初めてやる人は大抵みんな緊張するんだよ。でも君にはそんなところがまったくなかったとも聞いた。だからオレからも頼む、またやってくれないか? オレももう歳だし、いつまでもオレ一人だけが司会をやるわけには行かないんだよ。どうしたって話がマンネリ化しちゃうし、一人の人間だけがいつまでも司会をやり続けるのは良くない、なぜって組織が動脈硬化を起こしちまうからさ。それに世代交代だってそろそろ真剣に考えないとね。だから、とりあえず次回からは交代でやってくれないかな?」

 まあ、文章を書くのと口が達者な事だけがオレの取り柄だからね、こんな事で断酒会を盛り立てられるんだったら、いくらでも協力しようと思ったよ。特にオレは正真正銘の天涯孤独の身だからさ、オレとプライベートで付き合ってくれる人たちがこんなにもたくさん居てくれるなんて、こんなに有り難い事は他にないんだよ。だからこそ断酒会の人たちは大切にしなくちゃって心から思うんだ。



 大太、本当の幸せって何だと思う?

 オレは、日々をらかにうする事、すなわち「安全」である事だと今ではそう思っているんだ。どこかの観光地やショッピング・モールへ出かけたり、美味しいものを食べたり、いい服を買ったり、女と一発やったり、そういった事を真っ向から否定する気はないんだ。でも、お出かけなんてそんな頻繁に行く必要はないんだよな。ご馳走だって、そんな毎日食べられなくてもいいじゃない、質素だろうとなんだろうと、食べ物それ自体にありつけないわけじゃないんだし。高い服だって買ったその時点では満足感でいっぱいになれるけど、でもいつかは擦り切れて着れなくなるんだ。エッチだって気持ちいいのは一瞬だけだしね。特に酒なんて最悪の場合、急性アルコール中毒であっという間に死んじまうって事だってあり得るんだ。それで果たして「安全」って言えるのかな? たとえ死なないにしても、連続飲酒しちまったら、簡単に一週間や二週間を棒に振って時間を無駄にしちまようにもなるわけだしね。欲張る必要はどこにもないんだよ。ただその日1日を穏やかに過ごす事ができれば、それだけでもうじゅうぶん過ぎるほど幸せなんだよ。だからもう二度と、酒は飲まないよ、絶対にね。

 いや、正直なところ、「絶対に飲まない」と言い切れる自信があるかって言われると微妙だけど、断酒会と共にある限り、不可能ではないと思えてくるんだ。もちろん、組織に頼らず一人で酒をやめている人が世の中に実在しているという事はオレもよく分かってる、ネットでもよく見るしね。でも、少なくともオレには出来そうにないんだ。ついでに言うと昔のオレと同じように、「自分はちゃんと酒量をコントロール出来てる、だから大丈夫だ」って思い込んでいるだけで、実際には全然ダメな人も世の中にはたくさんいるんだ。てゆーか、程度の差を無視しても許されるっていうなら、酒を飲む人なんてみんなアルコール依存症なんだよ。そんな人たちのためにも、断酒会は維持され続けなきゃダメなんだ。

 なんか今、断酒会員は年々人数が減ってきているって言われてるんだけど、むしろ逆にこれからの時代、増えてくるんじゃないかって気がしないでもないんだよね。だって今、酒の害ってどんどん明らかになるつつあるじゃない。昔はアルコール依存症は病気として認知されていなかった、むしろ逆に意思が弱い人がなるものだっていう風に認知されていたんだ。でも病気だって事が社会に知ら示されない事には、そもそも認知しようにもできないという見方も成り立つと思うんだよ。事実、今では酒に耽溺してしまう人は「依存症」だってみんな思うようになりつつあるわけだし。だからこそ、オレのように、医者にかかったわけでもなければアルコール病棟に入院した事のない人間が、自分から「依存症だ」って事を認めて断酒会に入会しようとする人がこれからはどんどん増えてくるんじゃないかって気がしてならないんだよ。ま、これはあくまでオレの勝手な推測なんだけどね。

 ただこれだけは言える、もしまたオレが酒を飲んじまったら、いつか成仏した時、大太に「虹の橋のふもと」で出迎えて貰えなくなっちゃう、それだけはなんとしても避けたいんだよね。そのためにも酒を断って誰もが認めてくれる真人間にならないとな。ま、もっとも、酒を絶ったぐらいで直ちに真人間になれるわけじゃないんだけどね。むしろ逆に、「酒をやめてようやくまともな人間になれました」、って思ってるぐらいでちょうどいいんだよね。

 いずれオレにも「虹の橋のふもと」へ逝く日は必ず来る。そりゃあもう、生きてる以上は仕方のない事だ。でもそれよりも先にハッピーが逝くんだよね。それを思うと寂しいな。でもなんかハッピーはめちゃくちゃ長生しそうな気がしてならないんだよな、明確な根拠があるわけじゃないし、そもそも寿命の問題に根拠なんかあるわけないんだけど、でもとにかくそんな気がしてならないんだ。ま、そうだとしても先に逝くのはハッピーなんだ、それはもう分かりきった事だ。とにかくさ、ハッピーと一緒にそっちで待っててくれよ。ただ、ハッピーにはあまりちょっかいを出し過ぎるなよな。ハッピーは他の猫たちとはあまり遊びたがらない孤独ぼっちが好きなタイプなんだ。しつこい男は嫌われるぞ。

 ずいぶん長く話したな。空が少し明るくなってきたよ。もっとも今日は土曜日だから、今から寝たって支障はないんだけどね。まあ、とにかく、また会おうよ。

 それじゃあ、元気でな!



 ……おっと、一つ言うのを忘れてたよ。そもそもなんでこんな事を「虹の橋のふもと」にいる大太に長々と話したのか、その理由をまだきちんと説明してなかった。実は次の日曜日、新しく働く事になった会社の女の子とデートする約束ができたんだよ。オレがこの話を始めたのは、大太にその事を伝えたかったからなんだ。

 ついでにもう一つ言っておきたい事がある。今夜大太に語った事の全てを、遅かれ早かれ小説に書いてまとめようとも思ってるんだ。きっといいのが書けると思うんだ。とにかく、書き上がったら書き上がったでそれも報告するよ。

 ともあれ、デートの結果は日曜日の夜、また大太に伝えるから。ま、もしかしたらこの部屋に来てるかも知れないしね。

 それじゃあまたね!

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猫に逢いたくなったなら 如月トニー @kisaragi-tony

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