第22話

  22・断酒会・2 〜入会編〜



 断酒会の会員で、相談員もやってるノザワという人がオレの家に来てくれたのは、電話で連絡が着いてから2日後の事だったよ。

 彼が来る前の夜、オレは酒を断った。「たとえ寝られなかったとしてもとにかくこのノザワさんという人が来る明日まではやめよう」、オレは自らにそう誓ったんだ。

 翌朝、決して体調は良くなかったけど、とにかく無理やりに起き上がってオレは部屋を掃除した。まず最初に、空き缶やら食い散らかしたつまみの袋やらといった、酒に逃げた過去を証明する黒歴史を速攻で処分した。他にも汚い物は全部ゴミ箱にぶち込んだ。布団も汗臭かったからシーツを剥いで洗濯し、布団とともに外に干した。大太には何度も話しているとおり、母親は酒癖の悪いヤツであまり家の事をしてくれなかった、そのせいでオレは家事には慣れていた。近所のおばさんとかから、「シーツの洗濯なんてそこまでやるひとはなかなかいないよ」とかなんとか言われた事が何度もあった。向こうは褒めてるつもりなんだろうけどさ、オレはそのたびに気分が悪くなったよ。できて当たり前の事を、そんな風に言われると、むしろ逆に子ども扱いも大概にしろという気分になるからだ。まして相手が「おばさん」だと、言葉は悪いかもしれないけど、どうしてもその姿に母親を重ねてしまうんだよね。

 酒を断つと寝られなくなるだけじゃなく、大量の寝汗をかくという禁断症状も出るって本やらネットやらでよく見聞きするけど、それはまったくそのとおりで、とにかく臭くて汚かった布団は、幸いその日は天気がものすごく良かったんで半日もするとみるみる状態が良くなったよ。酒浸りで何もかも億劫だったオレは、実を言うとその時三日ほど風呂にも入っていなかった。だから余計に布団の状態が良くなるのが嬉しかった。もちろん、ノザワさんが来るまでの間に入浴も済ませた。バスタブに湯を張った後、シャワーで髪と脇とアソコと足をいったん普通の石鹸で洗い流してから湯船に入った。それでも湯船には垢が少し浮いていたよ。体をペロリと舐めてみたらめちゃくちゃ塩っぱかった。まだ体の中にたくさん毒が残っている証拠だと思ったよ。湯船から出た後、オレはシャンプーとボディーソープで全身をくまなく、それも二回洗った。そして風呂から出た。すると頭がクラクラし出して、思わずオレは盛大にコケちまったよ。んで、思わず、

「痛ぇ! 痛ぇ!」って何度も声に出しちまった。そうすればヒロミが心配して見に来てくれるって思ってしまったからだった。頭があんまりにもクラクラし過ぎてたせいでふとそう錯覚しちまったんだ。でも、「ああ、そういやヒロミはもうこの部屋にいないんだ、オレはハッピーを別にしたら正真正銘の天涯孤独で、怪我や病気をしても誰も助けてはくれないんだ」って事にオレはすぐに気づいたよ、んで、ものすごく不安になっちまった。どうにか立ち上がって汗が引くまで体を冷ました後、猫用トイレの中にあったとある物を専用のスコップで拾って処分した後(それだって結構溜まってたんだぜ)、部屋中に掃除機をかけた。換気のために開け放っていた窓から、原付バイクのエンジン音が聞こえてきたのはちょうどその頃の事だった。

「初めまして、断酒会員のノザワと言います」

 そう言って彼はオレに名刺をくれたよ。

「初めまして。今日はわざわざ来て頂いて本当にありがとうございます」

 オレは丁寧にお辞儀をした。靴を脱いで部屋に上がったノザワさんは部屋の中をひと目見た後、

「なんか、もっとひどい状態を想像していたんだけど、ずいぶん綺麗だね……」と呟いた。当然だよな、朝からみっちり掃除してたんだから。でもその事はあえて言及しない事にしたよ。ノザワさんは更にこうも付け加えた。

「……それに、なんだかまたずいぶんと多趣味な部屋だな」

 これまた当然だよな。夥しい量の本とCD。オーディオにお洒落な家具。ハンガーに掛けられたたくさんの洋服とジーパン。おまけにレッドウイングの渋い感じにエイジングしているブーツが二足。大太も知ってのとおり、そう思わない方がどうかしてると思うくらい、オレの部屋は様々なコレクションで溢れていた。インテリア雑誌に載っていてもおかしくないくらいの虚飾、ね。

 ともあれこんな風にしてオレはノザワさんと知り合った、そして断酒について色々と話し合ったんだ。オレは今までの経緯を全て話した。ノザワさんはそれらを全て、特にお説教めいた事を言わずに黙って聞き入れてくれた。ただし、

「止めようと思えばオレ、酒はやめられるんですよ。事実、2、3ヶ月とか、半年とか、それぐらいの期間、やめていた事があったんです」

 と話した時だけは別だったな。

「そんなのは自慢にもなんにもならないんだよ……」と、きっぱり否定されちまったんだ。

「……それができると言うんなら、どうして継続できなかったの? どうしてまた飲んじゃったの? どうして連続飲酒までしちゃったの? もし本当にやめられるなら、わざわざ僕に連絡してきたりはしなかったんじゃないの?」とも言われたよ。でも、それ、まったくそのとおりだと思ったよ。

 さらにオレは、断酒会に対して感じていた遠い日のわだかまりについても話をしたんだ。

 ……断酒会の人たちほどひどい酒飲みではない、事実オレはアルコール病棟に強制入院させられた経験はないし、と思っている事。

 ……その昔、一度断酒会と接触した時、「東支部より南支部の方がいいんじゃないか?」と言われ、「なんでアンタにそんな事を言われなきゃならないんだ」と疑問に思った事。

 前者に対してノザワさんは、

「他人事だと思わない方がいいよ、むしろ逆に明日は我が身と思った方がいい」と答えてくれたよ。また後者に対しては、

「当時の人たちはもうほとんど残ってないよ。残っていたとしてもきっとそんなやりとりや君の事なんかほとんど忘れてるよ。だから君もいい意味で忘れた方がいい。とにかく、もう一度例会に来なさい」と言ってくれたんだ。そして次回の例会が行われる市民センターの場所と日時を教えてくれた。だからオレは二つ返事で行く事したんだ

 例会が開催されるまでの間、とにかくオレは酒を断ったよ。酒がないせいで眠れない夜が続いたけど、アメリカのホームドラム、「プリズン・ブレイク」を観て、とにかく飲酒欲求を凌いだ。プリズン・ブレイクは長い上にとにかく展開がスリリングだったから、おかげでオレはすっかり熱中する事ができて、どうにか酒を忘れられたんだ。そうこうすするうちに、オレはキシモトさんという女性の断酒会員の人ともスマホを通して知り合った。大太は意外に思うかも知れないけど、女性にもアルコール依存症の人はいるんだよ。体の構造が同じである以上、飲めば酔っ払うのは当然だし、依存症になる可能性は性別を問わずあり得る事なんだ。むしろ逆に女性の方が、体に対する肝臓の比率が小さい分、少ない酒量で依存症になる恐れがあると本か何かで読んだ事もあったから、オレは女性のアルコール依存症者がいるという事実には偏見はなかったんだ。そのキシモトさんという女性にプリズン・ブレイクの話をスマホで送信すると、

「私もアルコール病棟から脱走して居酒屋へ行った事があるよ。あの頃は、それはそれで楽しかったけどね」と返信が来たよ。行間から伝わってくる雰囲気から、キシモト女史の人柄を「陽気そうな人だな」と想像したよ。スマホ越しとはいえ、なんかこの人とは気が合いそうだと思ったオレは、アルコールの離脱症状で震える手をどうにか動かして、スマホの画面にタッチしたんだ。

「それじゃあプリズン・ブレイクじゃなくてホスピタル・ブレイクですね」ってね。震えてるせいで誤字脱字だらけだったのを今でもよく覚えてるよ。

 ノザワさんが来てくれてから数日後、オレは暇だったんでもう一度掃除機をかけた。そしたらなんか掃除機が急に調子悪くなっちまったんだ。それを見てオレは、なんでだか自分でもよく分からないんだけど、憑物が綺麗に全部落ちたような気分になったんだ。普通は物が壊れたら嫌な気分になるのに、なんでそんな気分になったんだろうな、とにかく自分でも不思議に思ったよ。

 で、例会当日。オレは断酒例会が行われる予定になっている市民センターへ車を走らせたよ。誓って言うけど、それ以来オレは酒をずっと断っていた、……つまり飲酒運転をしていなかった。それはそうとしても、まだ酒の影響が抜けきっていなかったんで、正直運転は覚束なかった。ペダルをふんわり踏む事もできなかったし、そもそも運転そのものがめちゃくちゃ怖かった。道が暗かったし、まだ行った事のない場所だったんで道にも不案内だったから余計にそう思ったのかも知れないね。その頃オレはもう、NBロードスターからホンダのストリームに乗り換えていた。もうスポーツカーもマニュアルも卒業だ、と思っていたんだ。まだオートマだからなんとかなったけど、マニュアルだったらと思うとゾッとするよ、クラッチの操作はデリケートだからね。とにかく市民センターには無事に到着できたオレはそこにいる人たちと簡単な挨拶を済ませた。ノザワさんにキシモトさん、他にも話に聞いていた何人かの人たちがみんなオレを歓迎してくれた。

 例会は、昔オブザーバーとして参加した時とまったく同じように、まずは「断酒誓約」という言葉を、参加していた会員のうちの一人が音読するところから始まったよ。


過去の私が酒のために家族を泣かせ、親戚に迷惑をかけ、友人を欺き、人々を度々苦しめて社会に害毒を流したことは、酒に罪なく、罪は飲んだ私にあることを認めます。

 今後は二度と再び、このような大きな罪を犯さぬために、酒を断つことを誓約致します。

 酒は頭だけでは断ち切ることは出来ません。体で識ってこそ初めて一生涯、断酒の継続を持ち続けることが出来るのです。そのために次の事項を実践致します。


1. 永い間のきままな生活で、自分の心の鏡がすっかり曇っているが為に、よごれた自分の姿を見極める事が出来ず、その為に、真の反省と懺悔の生活を成し得(う)る事が出来ませんでした。今日、只今より心の鏡を磨くことに懸命に努力致します。

1. 心の鏡を磨くために先ず、一番身近な家族及び周囲の皆さんが喜んで下さる善意を、積極的に実行することから始めます。

怒ったりどん欲をおこしたり、愚痴をこぼすことが、人間同志の不和をつくる悪因である事を常に自分に言い聞かせます。

1. 一日一回は、必ず過去の非を反省致します。

1. 断酒ホトトギス会に入会したからには、常に『反省・感謝・報恩』の精神を全う致します。

1. 自分が救われるということは、他の人を救うことの中にあるという断酒道を実践致します。


 この後さらに、「断酒の誓」というのもあるんだ。


1. 私たちは酒に対して無力であり、自分ひとりの力だけではどうにもならなかったことを認めます。

1. 私たちは断酒例会に出席し、自分を率直に語ります。

1. 私たちは酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認めます。

1. 私たちは自分を改革する努力をし、新しい人生を創ります。

1. 私たちは家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをします。

1. 私たちは断酒の歓びを、酒害に悩む人たちに伝えます。


 ってね。その後さらに「心の誓」と「家族の誓」ってのもあるんだけど、ま、それは省くわ。

 同じ文言を全員で繰り返すってあたりがどことなく宗教っぽいんだけど(AA、つまり、アルコホリックス・アノニマスにも、12のステップっていう似たようなのがあるらしい。エリック・クラプトンの自伝の中にも書いてあった)、まあ断酒会が宗教に近い性格を持っている事に違いはないよな。ただし、信者を騙して金をボったくってるカルト教団とは違うという点だけは大太にも正しく理解してもらいたいんだ。カルト教団のように信者の数を増やす事が断酒会の目的じゃない。断酒会の目的はあくまでも、「酒害を世間に正しく啓蒙する」事にあるんだ。もちろん、酒害に悩み苦しんでいる人に入会を勧めはするけど、それはあくまで「例会で酒害体験を話したり聞いたりする事には飲酒欲求を抑止する力がある」という実体験があるからそうしているだけであって、会員数を増やすためにやってるわけじゃないんだ。反対に、カルト教団があーだこーだと教義上の理由をつけて信者を増す事を正当化するのは、増やさない事には儲けが出ないし、儲けが出ないと上のヤツらが甘い汁を吸えなくなるからなんだ。断酒会も会費を徴収してはいるけど、それは酒害を訴えるための機関紙などを刷るための物であって、むしろ逆に慢性的に金が不足しているぐらいだって話だったしね。例会だってカルト教団のように、宗教法人である事を隠蓑にして税金を払わずに所有している施設を使ってやってるわけじゃない、市民センターや生涯学習センターを使っているんだ。それも国からの助成金に支えてもらってね。そもそも断酒会にはいわゆる「上のヤツ」が存在しなかった。会員は皆平等だと常々そう教わっていたし、それにむしろ新入会の人の方こそ大事にされていた。昔からの会員だけだと、どうしても話がマンネリ化し易くなるし、刺激もなくなってくる。その点新入会の人が頑張って断酒している姿はいい意味で刺激になる。

「自分よりも若くて新しい人が止めようと頑張っているんだ、自分もまだまだ負けられない」って気持ちになるのは当然だよな。

 ひととおりの誓約の言葉が終わった後、今度は自由意志の交換というやつが始まった。これもオブザーバーとして参加した時とまったく同じで、例の、「言いっぱなしの聞きっぱなし」「批判やお説教は一切なし」ってヤツだ。話をする順序は司会の人たちの位置から時計とは反対回りに進んだ。ただそれは今回たまたま時計と反対回りになったってだけで、これには特にルールがあるわけじゃない。その時の人員やらなんやらを見て、司会の人が任意で決めるものなんだ。やがてオレの番が回ってきた。オレは今までの経緯を可能な限り手短に話した。これはもう大太には説明不要だよな。んで、ここでようやく心の澱が落ちたような気分になったんだよ。

「……というわけで、僕は酒浸りになっていたんですが、このままではダメだと思いネットで調べてノザワさんに来て頂いたんです。オレの部屋に来てくれたノザワさんには本当に感謝しています。彼は命の恩人です。もう、神様・仏様・ノザワ様です……」

 オレがそう言うとみんなが笑い出した。ノザワさんもノザワさんで、嬉しそうに、そして同時に恥ずかしそうに笑いながら手を振った。「大袈裟だよ」と言わんばかりだった。一人の酒害者が立ち直ろうとしているのを手助けした、……その事がノザワさんには至上の喜びだったんだとオレは思ったよ。

「……連続飲酒なんかしたって時間とお金を無駄にするだけだとよく分かりました。だからもう酒は真剣にやめようと思います」

 最後にオレはそう言って話を締めくくった。すると帰り際、以前東支部にオブザーバーとして顔を出していた頃に何度か会った事のあるサワノボリさんという人から話しかけられたんだ。

「歓迎するよ。よくもう一度戻ってきてくれたね。ありがとう」ってね。その頃にはサワノボリさんは東支部の支部長になっていて、彼が所属している東支部では司会もやっているって話だった。

「今日は本当にありがとう。次は東支部にも来てね」

 オレ、満足だったよ。

 その時のオレにはもう迷いがなかった。断酒会の人たちの言い分を素直に聞き入れ、そして入会金を支払って入会したんだ。



 ……それと同時にオレの腱鞘炎はついに完治した。さらにその後、腱鞘炎を患った職場から違う現場を紹介され、オレはそこで働く事になった。一週間ほど様子を見たけど、腱鞘炎が再発するような気配はまるで感じられなかったし、その派遣先は「半年すれば正社員にしてやる」と謳ってもいたしで、オレはそこでの再起を決意したんだ。ところがいざ入社してみたら腱鞘炎とはまったく無関係な部分で問題があった事が発覚したんだ。……いわゆる、ブラック企業だったんだよ。その事ですっかりメンタルが参っちまったオレは、悲しいけど再飲酒スリップしちまったんだ。

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