二人の始まり。
28
書店にズラリと並んでいる彼の写真集を見つめながらも心の中で歓喜の声を上げていた。
丁度隣に立っていた若い女性二人が、彼の写真集を手に取ると。
「柚子格好いいー」
「最近特に格好良くなったよね」
「目の保養だわー。これ買ってくる」
「あたしもー」
そのままレジへと持っていく。
ああ、嬉しい、彼がついに認められる時がやってきたのだ。
邪魔にならないように退いて見守っていると、店内に入って来た女性客がまた彼の写真集の前へとやってきて、それを手に持ちレジへと持って行った。
堪らない幸福感を味わいながらも何度も心の中でガッツポーズを繰り返す。
そうしてようやく、あたしも恐る恐る彼の写真集へと手を伸ばした。
ああ、素晴らしい…生きてて良かった、ありがとう神様。
何度も神様にお礼を言いながらも積み上げられていた写真集を1冊2冊3冊4冊5冊と重ねていく。
6冊目を重ねようとしたところで。
「何冊買う気なのかな」
その手が隣から阻まれた。
驚いて見やるとサングラスにキャップのみの変装をしている彼こと、ゆ、ゆじゅ…柚子くんが居て。
「な…何をやっているんだあなたは」
「何をやってるはこっちのセリフなんだけど!?」
いや、違う、あたしのセリフだ。
重ねていた写真集と隣の彼を交互に見やる。
知っている人間、それこそファンなら容易に彼だと見破れてしまう変装ではないか。
あたしは慌てて彼の着ていたパーカーのフードをキャップの上からぐいぐいと被せた。
これで少しは良くなったものの、まだ安心は出来ない。
こんな人目の多いところでいったい何を考えている。
「誰かに見つかって騒ぎになったらどうするんだ」
「騒ぎになりそうなのは紬ちゃんでしょ。そんなに大量買いして目立ちすぎ」
「何を言う、まだ6冊しか重ねていない。21冊買うと言っただろ」
「そんなに買わなくて良いって!ていうか俺の家に貰ったのあるからそれあげるから!」
「馬鹿を言うな。ファンたるもの自分の稼いだ金で買う事がどれほどの幸せだと思っている。あたしの幸せを奪う権利はあなたにも無いのだぞ」
「分かったからせめて1冊にして!」
「駄目だ!保存用にせめて3冊っ」
「分かった、それで許すから2冊は俺に買わせて!」
「駄目だと言っているだろう」
小声で目立たぬように話してはいるものの、いつ他の客に彼の存在が気づかれるか分かったものでは無い。
早々にこの場から退散せねば。
あたしは抱えた3冊を手に急いでレジへと向かった。
彼が「あ…」と驚いたようにこっちを見ていて、あたしの後を我に返った様子で追って来るが、それより早く1万円札をレジに叩きつけた。
「付き合っててさ、彼氏の写真集3冊買う彼女が居るかな」
「ここに居るだろう。幸せだ、生きてて良かった、堪らない、大事にするから」
「変わらないよねー紬ちゃんって」
「変わった方が良いのか?だがしかし、これに関してはどうしても変わる事が出来ない。あたしはあなたのファンでもあるのだから」
「もうその点については諦めてますよ」
書店を後にして、彼のマンションへと向かいながらも購入した写真集を袋事ぎゅうっと両手で抱きしめた。
3冊分の厚みが今までの努力の結晶みたいで凄く嬉しい。
でもまだまだだ、これから目指すところはもっと上、もっと高みを目指さねばならないのだから。
「これは家宝にする」
「しないで?」
彼は呆れたように長い長い溜息を吐き出して、ふいにあたしの手をぎゅっと掴んだ。
そのまま指を交差させ繋ぎ合わせて来る。
「こ、こんな目立つ場所で何してる」
「紬ちゃんと手繋いでる」
「馬鹿なのかあなたはっ。他のファンに見られたらどうするんだ」
「別にどうもしないよ」
その油断が後々大変な事を引き起こすのだぞ。
内心では大慌てしているものの、結局繋ぎ合わせた手を離せないでいるあたしもあたしだ。
もも、もしも妙な輩が彼に危害を加えようとしたら身を挺してあたしが守る。
絶対に彼に手出しはさせない、だがら…良いだろうか―――――もう少しだけ彼と手を繋いでいても良いだろうか。
「は、早くあなたのマンションに行こう」
まだ繋いでいる手を離せないから、けれど誰かに見られては困るからと彼の手を引いて歩き出す。
彼が困ったように苦笑して、あたしの隣に並んで歩き出したのだった。
「待ってくれ、これから鑑賞会をしなければ」
「そんなの後で良いっしょ。ていうかもしかしてそのために早く行こうって言ったの!」
彼の住む部屋へとついた最中、すぐに抱きしめられてあわあわと慌てた。
だってこの写真集が発売するのをどれだけあたしが楽しみにしていた事か!
ぎゅうっと抱きかかえると、彼は困ったように肩を竦めてあたしを解放してくれる。
さすが彼だ、理解してくれたらしいーーーーーと思いきや、写真集を袋事奪われた。
「ああっ!」
「これは後にして」
フローリングの床へとそれを置くと、両手であたしの頬を挟んで顔を寄せて来る。
額を押し付けられ、触れるだけのキスをされたら呆気なく抵抗出来なくなってしまう。
「あ、あなたはこういう事に慣れているかもしれないが…あたしはあなたとしかしたことが無いんだっ」
だから毎度毎度心臓が破裂しそうになるこっちの身にもなって欲しい。
訴えかけると、彼はきょとんと目を丸くした後、じわじわと顔を真っ赤に染めていった。
「どうしたんだ」
まさか熱でもあるんじゃないのか。
おずおずと彼の額に手を伸ばすとその手を掴まれた。
あたしを見つめる瞳も何だかとても気恥ずかしそうで、頬の熱はまだ引いていない様子だった。
「慣れてないから…」
「え?」
「俺…、紬ちゃんが初めてだし」
「何が初めてなんだ」
「……キスするのも、こういうのも」
「嘘だろ」
「本当ですよ…」
「だってどう見ても手慣れてた」
「紬ちゃんの本心引き出すために必死だったんだよっ」
衝撃的発言に開いた口が塞がらない。
目を見開いて彼を凝視するが、どうやら嘘では無いらしい。
彼のような素敵な神様を全人類が放っておいただと?ありえない。
この世の中は何かがおかしい、いや待て、彼の神々しさに気圧されて近づく事が出来なかったのか。
そうだ、そうに違いない。
――――と、そこまで考えたところで疑問点が湧いた。
彼はあたしが初めてだと言った、つまり……キスをした事も手を繋いだ事も…付き合う事も全部あたしが初めてだと…。
そうして忘れていた記憶がこの最悪なタイミングで蘇った。
もしや…彼のファーストキスを奪ったのはあたしなのでは無いだろうか。
あの日、彼を誘拐したあの時、脱水症状を起こしていた彼にパニックになり頭の中が真っ白になった。
彼の事を殺したらどうしようと慌てた結果、水を口に含んで彼にーーーーー。
「ああああああっ!!」
「なにっ!!」
「どうしよう神に罰せられる」
すぐさまその場に土下座しようとすると「しなくて良いから!」と彼に引き止められる。
止めないでくれ、あたしは何て最低な事をしてしまったんだ。
「俺、紬ちゃんが初めてで良かったよ」
「何…だと」
彼は恥ずかしそうに口を曲げた。
頬は未だに朱色に染まっていて、眉尻を下げたその表情が堪らなく可愛らしかった。
「初めて付き合った人がファーストキスの相手って運命的じゃん」
「そうか…そうなのか」
「そうだよ」
その言葉に、そうかもしれないとあたしは静かに頷いた。
おずおずと彼の頭へと手を伸ばす、可愛らしくてついつい頭を撫でまわしたいと思ってしまった。
彼の髪の毛は柔らかく、触れるたびに緩く巻いた毛先が踊るように揺れていた。
「あたしも、あなたが初めてだ」
手を繋いだのも抱きしめられたのも、甘えたり縋ったりしたのも全部あなたが初めてだ。
学生時代、あなたは皆の王様で神様で女神様で仏様だった。
絶対に手を伸ばす事が出来ない相手だと思っていたけどーーーー今、届いたよ。
今でも信じられないと思ってしまうし、いつか罰せられる時がくるかもしれないとも思ってしまうけど、それでも今凄く凄く幸せだ。
「…好きだ…あなたの事が凄く好き」
彼の頭をくしゃくしゃと撫でながらも呟くようにそう言うと、彼は気恥ずかしそうに「俺も好きだよ」と微笑んであたしの頬に口づけた。
互いに顔を見合わせ、互いに頬を朱色に染めながらももう一度顔を寄せ合って今度は唇にキスをした。
縋るように手を伸ばす、真っ赤な顔をしている彼がとても可愛らしくて不慣れながら彼の頭をくしゃくしゃと再び優しく撫でる。
耳まで真っ赤になったのはあたしも同じで、互いに苦笑しあってもう一度強く彼の背中へと両手を運び、互いにぎゅっと抱き合った。
視線の隅に彼の写真集が入った袋が止まる。
ああ、早く見たいーーーーけれど今は、まだもう少し彼にこのまま触れていたかった。
すれ違いラヴァーズ 里 @sato--0410
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