ド底辺人間の告白

27

「お疲れ様でしたー」



「お、お疲れ様でした」




撮影を終えた彼が今日も今日とてあたしに挨拶を交わしてくれた。




けれど以前と違うのは、そこからご飯に誘われる事も無ければ、待ってても良い?とも尋ねられなくなった事。




ペコリと頭を下げて片付けに入りながらも、後ろ髪引かれる思いでついつい振り返ってしまい、彼もまた同じようにあたしへと振り返っていて互いの視線が重なった。




気恥ずかしくなって苦笑しながらも顔を逸らす。




何をやっているんだあたしは、自分から触れないでとお願いしておいて後悔してどうする。




今この瞬間彼のために全力を尽くすのがお前の仕事だろ。




ぴしゃぴしゃと両手で頬を叩きながらも自分を叱咤した。




邪念は今すぐ丸めてゴミ箱に捨てろ。




けれどもあれから既に2週間程は経っていて、心の内でしか言えないけれど彼不足…だと思うのだ。




触れたい甘えたいという欲求が湧き上がってくるのを必死に押さえつけてる。




「紺野―、写真集のコーディネイトどう?」




今もその欲求を脳内でぐしゃぐしゃと丸めた後、ぺいっと足元に放り投げて踏みつけていた。




そのタイミングで浅野さんに声をかけられて、何だか全て見透かされているような気持ちになってくる。




慌ててシャンと背筋を伸ばした。




「い、色々考えてはあります」



「そう?まあ、あんまり気負いすぎないように。いつもと同じようにやりゃ良いのよ。駄目なら駄目でハッキリ言うし」




そんな事を言われると尚更緊張してくるのですが。




そもそも彼相手に緊張するなというのが無理な話だ。




ずっと憧れていた存在の彼を相手にコーディネイト出来る日が来るかもしれないっていうのに。




「良し、今日は仕事終わったらあたしが飯奢ってやるわ」



「へ?」



「良いでしょたまには」



「お、お酒は……」



「飲ませないわよ。つうかあの後どうなったのか気になるんだけど、柚子とは進展してんの?」



「浅野さんっ」




悲鳴を上げたあたしを見て、浅野さんはおかしそうに笑うと「早く仕事片付けな」と言って肩をバシバシと強く叩いたのだった。




浅野さんを待たせていると思ったら申し訳なくて、出来る限り急いで仕事を終わらせた後、待ち合わせに指定してもらった浅野さん行きつけのバーへと急いだ。




扉を開けると浅野さんは既にカウンター席で一杯やっている様子で、グラスを片手に持ちながらも「お疲れー早かったわね」と微笑んだ。




「お疲れ様です、お待たせしましたっ」



「なーにー?まさか走って来たの?先に行って適当に飲んでるからゆっくりで良いって言ったでしょ」



「浅野さんを待たせるのは申し訳なくて…」



「あたし一人飯も一人酒も余裕で出来る人間だから今度からそういうの気にしなくて良いわよ」




言う浅野さんの前にはグラスの横にミックスナッツの皿と生ハムがのった皿が置かれていた。




本当だ、全然一人でも大丈夫そう。




「まあとりあえず座りなさいよ。酒は飲ませないからね、あんた面倒くさいから」



「め、面倒くさいっ」



「飲むなら柚子の前だけにしときなさい。って事でマスターこの子にノンアルコールで何か出してあげて」




もう二度とあんな失態は冒したくないので、彼の前でも飲酒は控えようと決意しているのですが。




以前してしまったあの行為を思い出し、穴があったら入りたい衝動にかられた。




店内が薄暗くて良かった、浅野さんはそういうところにすぐ気が付く勘の鋭い人だ。




頬が熱を持つのを感じながらも浅野さんに手招きされ、隣のスツールへと腰を下ろした。




マスターはすぐに頼んだ飲み物を届けてくれて、もう一度「お疲れ様でした」と乾杯して口に含むと凄く飲みやすいさっぱりとした味だった。




「あんたって楽しそうに仕事してて良いわよね」




目の前のミックスナッツと生ハムの皿をあたしの前に差し出しながら浅野さんは言う。




ついでに「何か食べたいものあったら適当に注文しなさい」とメニューも一緒に渡された。




それを開きながらも隣の浅野さんの表情を窺う。




浅野さんは相変わらず中世的な顔立ちで、この暗闇の中だと尚更女性なのか男性なのか分からない顔立ちをしている。




「浅野さんは仕事が楽しく無いですか?」



「楽しいに決まってんでしょうが」



「では何故?」



「アシスタント時代はこんな仕事クソだと思ってたけどね」



「クソですか?」



「雑用ばっかりで、あたしのしたい仕事はこれじゃねえよって毎日思ってた。でもあんたは何をするにも全力で楽しそうで、今更だけど過去の自分の行いを悔いる時があるのよね」




そういう気持ち、本当大事よ。




浅野さんはあたしの頭をぐりぐりと撫でまわしながらも呟いた。




あたしは何をするにしても絶対いつか身になる事だと思ってる。




浅野さんの仕事を間近で見れるし、刺激を貰える撮影風景も見れる、何より彼に尽くすための力を日々少しずつ培っていると思うと毎日が楽しくて充実してると思える。




「どんな仕事でも本気でやらないと、この仕事についた意味がありません」



「あははっ、あんたって本当最高だわ」




それに浅野さんはアシスタントをないがしろにしたりしない。




ちゃんと指示を出して、使ってくれる。




その気持ちに応えたい、浅野さんをガッカリさせたくない。




ぐりぐりと撫でまわされながらも「もっと頑張ります」と自分にも言い聞かせるようにそう言った。




浅野さんは一瞬驚いたように目を見開き、やっぱり楽しそうに微笑むと「あんたを見つけて良かったわ」と心底嬉しそうに言ったのだった。




彼の写真集撮影まではあっという間に日が過ぎた。




「紺野、次の衣装持ってきて!」



「はい!」




スタジオ内を慌ただしく走り回るあたしと同じく、撮影を一旦終えた彼と浅野さん伊月さんが別部屋へと足早に移動する。




一つの撮影を終えたらすぐに彼は次の衣装に着替えて再び撮影へと戻るの繰り返し、スタイリストの浅野さんもへアイメイクの伊月さんもあたし含めたアシスタントも皆が皆慌ただしく動き回っている。




浅野さんに指示された通り、次に使う衣装を抱えて彼が着替えとセットを行っている部屋へとノックをしてから足を向ける。




「次の衣装です」




手渡した服へと袖を通していく彼の前では浅野さんがそれを直し、伊月さんがアシスタントと共にヘアメイクを直しと忙しい。




あたしは彼が脱いだ衣装を素早く回収し、邪魔にならないように一歩下がった。




浅野さんの動きをジっと後ろから見つめ、記憶の中に収めていく。




セットを終えた彼はまた急ぎ足でスタジオへと戻る。




その後を浅野さんと伊月さんも着いて行き、あたしは次の衣装を用意する。




間違いが一つも無いように細心の注意を払いながらも、内心では緊張がピークに達していた。




彼の撮影は順調で、カメラマンの楓さんも「今日の柚子は撮ってて楽しい」と素直に褒めていて、それを聞いた彼は凄く嬉しそうに笑っている。




撮影を終えて再び彼が着替えに向かう。




「紺野」




その後を浅野さんと共に追いかけていると、ふいに浅野さんに名前を呼ばれてドキリとした。




一瞬の不安感とそれに勝る高揚感。




「あんたがやりな」




―――――きた。




「はいっ!」




時間の無い中、迷っている暇も無ければ迷う気持ちも無かったからあたしはすぐに大きく頷いて彼の元へと駆けだした。




「これお願いします」




いつも通り次の衣装を彼に手渡して、彼が着替え終えるのを一旦待つ。




隣から伊月さんが髪を整え始めたのと同時に、あたしも急いで彼の着ていたシャツのボタンを開けたり上に着ていたカーディガンを直したりと整えていく。




微かに指が震えて、心の内でしっかりしろと自分を叱咤すると。




「大丈夫」




彼が小さな声で呟いた。




頭上から落ちた声にふっと顔を上げると、彼はもう一度「大丈夫」と同じ言葉を繰り返した。




そうだ、こんなところで気圧されてる場合では無いだろう。




千載一遇のチャンスだぞ、これを逃してたまるか。




ぐっと奥歯を噛み締めると指先の震えが止まった。




急いでシャツの襟を直して「終わりました」と後ろに後退すると、伊月さんも同じく「俺も終わった」と彼の背中を軽く叩いた。




彼が急いでスタジオに戻る間際、ちらりと横目であたしを見た。




最高最上級に格好いい彼が視線だけで褒めてくれたような気がして、あたしは嬉しさを表情に出さないように必死に強く唇を引き結んだ。




「紺野良かったわよ」




スタジオへと戻り、彼の撮影風景を見つめていると、浅野さんが言葉少なにそう言った。




顔を上げると、視線は彼に止めたまま付け足すように「直すところ何も無くて憎たらしいくらいに」と優しく微笑んだ横顔が見えて、今日この日までずっと抱えていた重荷がほんの少し降りた気がする。




浅野さんのそれは最上級の褒め言葉だった。




撮影を終えて後片付けをしている間、未だに興奮が冷めずに急く気持ちを抑えるのが大変だった。




これは仕事なのだから、後片付けまできちんとしなければいけない。




分かってはいるけれど、早く彼に会いたかった。




浅野さんの顔に泥を塗ったりしないよう、何度も見落としが無いかチェックしてから仕事場を後にした。




帰路を急ぎながらも頭の中は彼の事ばかり考えていた。




今日の撮影風景、いつもの彼、笑った姿、怒った姿、照れくさそうな表情、それらで頭の中が完全に埋め尽くされた頃、彼のマンションにようやく着いた。




緊張しながらもマンションの入り口から彼の部屋番号をゆっくりと打ち込んでインターホンを押す、彼はものの数秒で。




『紬ちゃん?お疲れ様』




少し驚いたように応答して、すぐにオートロックを開けてくれた。




さすがに来るのが早すぎただろうか、全部お見通しみたいな態度を取られても恥ずかしかっただろうけど、全く予想していなかった様子で驚かれたのも恥ずかしかった。




けれど結局彼の声を聞いて、今現在こうして向かい合っている状況全てが恥ずかしいのだから、何がどうなっていても気持ち的には変わらなかったに違いない。




エレベーターで彼の住む部屋まで上がると、彼はいつも通り扉から顔を出しあたしを待っていた。




何度も言うけれどそんな事をしてマンションの住人に見られたらどうするんだ、その中にあなたのファンが居たらもっと厄介な事になる。




いつもの忠告を繰り返すと、彼もいつも通り「そんな事無いし、今出たばっかりだから」と言った。




そのまま部屋の中へと招かれて玄関に立ち尽くしながらも彼とジっと向かい合う。




言葉が途切れると今までに味わった事が無いくらいの不安感と緊張感に包まれた。




同時に本当に彼に気持ちを告白して良いのだろうかと自問自答を繰り返す。




そうして静かに目の前の彼を見つめ「いつまでも待てるよ」と微笑んだ姿を思い出した。




「今日……ずっと追いかけていた夢の一つを叶える事が出来た」




本当にたった一歩でしか無いかもしれないけど、あたしにとっては大きな一歩を踏み出す事が出来た気がする。




彼は静かに「うん」と深く頷いた。




「全部、全部あなたのおかげだ。あなたはあたしの努力と言ったけど、あなたが居たから頑張れてる。あなたが居たから今ここに立ててる」




震える唇から吐き出される言葉も全部、か細いものになったけど、彼の耳には届いている様子だった。




彼は静かに頷いてあたしの言葉を待っていた。




良いのだろうか、本当に…本当にこの思いを告げても許されるのだろうか。




自らの着ていた服を強く掴む。




すると、目の前で黙って聞いていた彼がそっとあたしの両手を掴んだ。




服から優しくその指を離すと強くぎゅっと握りしめられる。




温かい指先だった、温かくて優しい彼の手に包まれながら唇を噛み締める。




待っていて欲しいと言った、ちゃんと伝えに来るからと。




だからちゃんとーーーーーあたしの気持ちを。




「あなたが……好きだ。迷惑かもしれないと思って言わないにしようと思っていた…、だけどもう抑えておける自信が無い」




絞り出すような声で言うと、彼はフっと泣き出しそうな表情で笑って繋いだ手に力を込めた。




「抑えないでよ」



「あなたの負担になるかもしれないと…」



「なるわけないっしょ。凄く嬉しいよ」




恥ずかしそうに笑った彼の頬が徐々に朱色に染まっていく。




眉尻を下げた笑顔が本当に可愛らしくて、胸がきゅうっとしめつけられた。




「抱きしめても良い?」



「…だ…めじゃない」



「駄目じゃないって」




おかしそうに笑うと繋いでいた手をそっと離してあたしの身体を抱きしめる。




暫くぶりに包まれた彼の腕の中は本当に幸せな空間だった。




堪えていた気持ちが呆気なく爆発して崩壊して、自然と彼の胸元に顔を寄せるような恰好になってしまう。




指先でつんっと彼の服の裾を引っ張った。




「俺も紬ちゃんの事凄く好きだよ」



「……っ」



「俺と、付き合ってくれませんか」



「……後悔、しないのか」



「するわけないよ」




額にリップ音と共に口づけが落ちてきて、気恥ずかしさのあまり彼の身体にぎゅうっと抱き着く。




幸福感を噛み締めながら、あたしはゆっくりと頷いた。




あたしで良いのなら、あなたが後悔しないのならば、許されるならば、あたしもあなたと付き合いたい。




背中に回った腕に力がこもる、実感するように。




「好きだよ」




そう囁かれ、あたしは心の中で「あたしもだ」と頷いた。




好きな人に抱きしめられるとこんなにも幸せな気持ちになるだなんて知らなかった。




暫く彼の胸元に顔を寄せて甘えていたけれど、ふいに大事な事を思い出して顔を上げた。




彼がきょとんとした顔であたしを見下ろしている。




「あたしがあなたと付き合ったことで運気が下がったり調子が悪くなったり、周りから非難の目を向けられたらすぐに言ってくれ、すぐに別れる」



「付き合った瞬間別れの話!」



「当然だ、あなたとこうして一緒に居られる事事態ありえない話なんだから。この先の未来あなたの足を引っ張るようならあたしは潔く身を引く」



「ちょっとくらい躊躇おうか!」




暫くあたしを見下ろしていた彼は呆れたように「本当、紬ちゃんは紬ちゃんだよね」とぎゅっと再びあたしの身体を引き寄せる。




「今後、すぐに別れるなんて言葉が出ないくらい好きにさせる」




だから良いよ、彼はそう言って「もうこの話は終わりね」あたしの背中を壁に押し付ける。




「我慢してた時間、今取り返して良い?」



「だ…」



「拒否権無いけど」




あたしを見つめた彼の手が頬へと触れる。




瞳を閉じる間際見た彼の表情は少しだけ意地悪で、頂点の王様でも神様でも無くモデルの時ともまた別のものだった。




瞳を閉じるのが勿体ないと思う程、最強最高に格好良くてーーーーけれどその表情、これから先も見れるのかと思ったら堪らなく幸せだった。

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