第30話 金木犀と銀木犀の夜明曲

 半グレたちによる誘拐事件から数日が経ち。


 次晴によると、紡に懸賞金をかけていた闇サイトとやらは既に消えていたらしく、現在は組員によって詳しく調べさせている最中とのこと。


 しかし、その闇サイトのせいで紡の存在や懸賞金についてが裏社会で知れ渡ってしまった。そのため、未だ紡は懸賞金目当ての裏社会の人間に狙われる可能性があるという。なので、引き続き紡には烏藤組事務所に住み込んでもらい、用心棒として杏珠が身辺警護を務める方針は変わらないようであった。


 そんな話を次晴と終えた紡と杏珠は、組長の部屋を二人揃って出る。

 二人の足は自然と、いつものピアノがある部屋へと向かっていた。


 部屋に入ってすぐ、ピアノの前に座った杏珠が、紡を見上げて軽く首を傾げて見せる。


「できあがった曲。一緒に歌いませんか」


 紡と杏珠が二人で作詞作曲し、作り上げた曲は既に完成していた。

 紡は杏珠からの滅多にない誘いに思いがけず目を丸くするが、すぐに目を輝かせながら笑みを浮かべて、「うん」と大きく頷いて見せた。


 ピアノの前に座る杏珠の隣に立ち、紡は深呼吸をした。

 そんな紡を一瞥して、杏珠が僅かに目元を緩めると、その長く骨ばった指を白黒の鍵盤の上に滑らせる。間もなく、杏珠によるピアノの伴奏が始まった。


 紡の目の前に、杏珠のピアノによって創られた「世界」がぶわりと広がる。


 そこは、秋色の世界。金木犀と銀木犀の木々が立ち並び、華やかで、どこか懐かしさを覚える香りが鮮やかに鼻腔を擽る。

 金木犀の周りではイエローゴールドの火花が線香花火の如く眩く弾け、銀木犀の周りではシルバーの火花が蛍のような儚さで光る。


 そんな、おそろしいほどに幻想的な世界を、杏珠はピアノの伴奏だけで創り出した。


 紡はその木犀の木々と、火花が散る世界の中心に立ち、そばでピアノを奏でる杏珠の伏せられた銀色の睫毛に視線を奪われながらも、歌い出した。


 紡の低めの声が、秋色の世界に夜を落とす。そうして、サビに近づくにつれ紡の歌声は徐々に力強く高まっていき、いよいよサビに入ると、低い歌声が弾けて、狼の遠吠えの如く美しく響き渡った。


 そこになんと、紡のメロディに寄り添うように、杏珠の歌声がハモってくる。

 杏珠の歌声は、落ち着きのある色ではあるが、華やかな紡の歌声にも搔き消されないほどによく通る、芯の強い声だった。

 紡は初めて聴く杏珠の歌声に驚きながらも、自分の歌声と杏珠の歌声がぴったりとハモる快感に、全身が酔いしれる思いがした。


 そうして二人は、歌を歌い終える。

 伴奏を最後まで弾き切った杏珠は、伏せていた目を上げて、銀色の睫毛を瞬かせると紡に小さく笑って見せた。

 音楽を奏でた時にだけ見せる、杏珠の心底楽しそうな笑い顔。それを見るたびに、紡の胸の内は痛いほどに熱くなった気がした。


 もっと、見ていたいと──すきだと、思った。


 杏珠はピアノの鍵盤に再び触れながら、紡に独り言のような声を零す。


「おれには、極道の生き方しかありませんが。たまにはこういうのも、いいかもしれんですね」


 そんな杏珠の言葉に、紡は強い視線で真っ直ぐに杏珠を見据えながら、宣言する。


「そんなことない。杏珠の音楽は、世界に羽ばたくべきだ。そのためだったら、私は——何でもする。杏珠がヤクザだから、音楽が出来ないのなら。私はそのヤクザの世界も潰して見せるよ」


 紡の指を何本切り落としてもいい。手足をもいでもいい。内臓を売り払ってもいい。身体が汚くなってもいい。

『金木犀』が死んでしまってもいい──この手が血で染まり、汚れきって、地獄の底に行ったっていい。


 杏珠が、心の底から音楽を楽しめるのなら。


 杏珠が紡の宣言に「恐ろしいこと言わんで。それやと紡さん、魔王みたいやけん。本当に紡さんは、とんでもない事ば言う」と苦笑を漏らす。それにも構わず、紡は続けた。


「いつか杏珠を『金木犀』なんか軽々超える、『銀木犀』にしてみせるよ。私は」

「それは、どうしてもだめだ。諦めてもらうことになります。……でも、紡さんと一緒にやる音楽はすきです。おれ」


 頑なに首を横に振る杏珠だが、最後は小さく息を吐いて、穏やかに呟いた。


(それでも、諦めない……私、もっと。杏珠に、杏珠が思うままに、音楽を楽しんで欲しいから)


 紡は密かに、胸の内でそんなことを固く誓う。

 そして、杏珠がふと、思い出したように紡を振り返った。


「そういえば、この曲。名前、まだ決めとらんですね」

「あ。確かに」


 紡は首を捻らせて、うんうんと唸る。


「うーん。やっぱり曲名は欲しいな。杏珠と作った初めての歌だし。どんなのがいいか……」


 そこで杏珠が、微かに視線を漂わせたかと思えば、意を決したように目を瞬かせて、紡を見上げてきた。


「……『木犀たちのオーバード』、とか。どうでしょう」


「オーバード」とは「夜明曲」の意味で、夜明けを喚起させる、夜明けに関する曲とされる。

 または、フランス語では「朝の歌」とも言い、夜明けに別れる恋人たちに関する詩や歌のことも指す。

 そういう意味を、杏珠が知っているのかはわからなかったが、紡は素直に素敵な曲名だと思い至って、笑みを浮かべた。


「え、すごくいい名前だと思う! でも、何でその名前に?」


 紡が首を傾げると、杏珠は再びピアノを奏でながら答えた。


「おれは銀木犀にはなれんけど……金木犀の紡さんと、出逢えた記念にと思って。そんで、紡さんと初めて逢った時は、ちょうど夜明け頃でしたから」


 紡は「なるほど」と深く納得した。

 併せて、紡を襲ってきた半グレたちを半殺しにし、血みどろの手を伸ばしてきた杏珠を、あの時は「銀色の幽霊」だと思い込んでいたことを思い出し、紡は小さく噴き出した。今ではその「銀色の幽霊」——否、「銀木犀のような男」と、こうして音楽をしているのだから、人生何が起こるかわかったものではない。


「この歌は、紡さんだけのもんです」


 杏珠がピアノを奏でながら、紡を流し目で一瞥する。

 紡は杏珠の肩を軽く叩いて、笑いながら応えた。


「『木犀たちの・・・・・オーバード』だから、私と杏珠。二人の歌でしょう」


 杏珠は一瞬目を丸くするが、微かに口元に笑みを浮かべて頷くと、再び視線を白黒の鍵盤へと戻した。


「金木犀がそう言うなら。そうですね」


 今日も、ヤクザの事務所では「木犀たちのオーバード」が穏やかに、時に烈しく奏でられる。


 ◇◇◇


「金木犀のような歌手」と

「銀木犀のようなヤクザ」


 暴力と音楽。


 これは、相反する二つの才能に「木犀」たちによる夜明曲オーバード




【完】

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木犀たちのオーバード 根占 桐守(鹿山) @yashino03kayama

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