第29話 銀色極道と金色硝子

 杏珠は紡たちがいなくなったのを気配で察すると、大きく息を吐き出して、緩んでいたネクタイを締めなおした。そして、ぼそりと小さくぼやく。


「……ヤクザを舐め腐りやがって」


 刹那。杏珠は固まっていた半グレたち数人の顔面に拳を数発叩き入れ、目にも留まらぬ疾さで回し蹴りを放つ。すると、瞬く間に十人は巻き込んで半グレたちが倒れ込んだ。

 人間業とは思えない動きに、悲鳴を上げて逃げる者もいれば、怯えきって腰を抜かす者もいる。杏珠は逃げ出そうとする半グレの胸倉を引っ掴んで、首を傾げて見せた。


「ひ、ひぃ……!」

「なんしよる。ヤクザに……何より、あの人・・・に手ェ出しとって。ただで生きて帰れるとでも思っとったか?」


 杏珠は引き寄せた半グレの顔が潰れるまで殴り倒すと、すぐにそこらへと捨てる。半グレたちが情けない悲鳴を上げた。


「こ、ころさないで……!」

「なんばいいよる。殺すわけないやろ」


 杏珠は大きく目を見開いた不気味な目で、吐き気を催すほど強烈な殺気を半グレたちに突き刺した。


「生きてこその、だろうが。あの人に手ェ出したんだ。死にたくなるほどの地獄、味わっていけ——屑共」


 ◇◇◇


 半グレたちをあらかた片付けた杏珠は、他の烏藤組組員に連絡をとって拷問やら後始末を任せると、紡と玻璃を車に乗せ、廃工場を後にした。


 車に乗る前も乗った後も、紡に散々大したことも無い怪我についてを気にされていたが、その紡も流石に疲れたのか、今は後部座席で眠っている。

 無理やり杏珠の隣の助手席に乗り込んできた玻璃は、いつも通りの読めないにこやかな笑みを浮かべたまま、車窓の外を眺めていた。


「アンちゃんさあ。紡に、なんか言ったでしょ」


 ふと、今まで大人しく黙っていた玻璃が口を開いてきたので、杏珠は小さく息を吐く。おそらく、紡が眠ったのを見計らって、何か杏珠から聞き出したいことでもあるらしい。

 杏珠は、玻璃を無視すると更に面倒になることを覚えたので、短く応えた。


「何か、とは」

「紡、暴力が嫌いな人だったんだよ? 暴力とか喧嘩やる人は〝普通〟じゃないからって。紡はずっと、〝普通〟になりたがってた。そんな紡が、今日は……吹っ切れたみたいに、思うままに暴力を扱ってたんだ。昔の紡・・・に、戻ってた。あそこまで紡を大きく変えれるのって、もうアンちゃんくらいしか原因が思い浮かばない」


 玻璃は車窓に顔を向けているが、目は伏せているようだった。どこか歯痒そうな表情をしているようにも見える玻璃をちらりと一瞥し、杏珠は淡々と言った。


「お前がそばにおったからやろ。紡さん、強かけん。足手まといのお前を何とかするために、本気出しただけだ」

「えー。俺、足手まとい? 格闘術の師匠には、こっちの才能もあるって言われたのに」

「喧嘩と格闘術は違う。紡さんは、大事なもんのために喧嘩する。今日もそうだった。あの人は、もともとそういう人やろ」


 杏珠が断言すると、玻璃が目を丸くして杏珠の横顔を見つめ、「大事なもの、か……うん。確かに紡はいつも、そうだな」と眉を下げて苦笑した。

 杏珠は短く鼻から息を漏らして、当然のことだと頷く。


「それに、おれが紡さんに言ったことは大したことじゃない。ただ、どこぞのなんも知らん他人が勝手に言いよる〝普通〟とやらは、紡さんには似合わん。そう、思ったこと言っただけだ」

「……ああ、そっか」


 玻璃はまた驚いたように目を見開くと、座席に深く身を預けて、目を閉じた。そして、小さく呟く。


「俺も同感。紡に普通は似合わないね。それに紡は、もともと音楽の天才なんだから……どうやっても普通にはなれないか」

「ああ」

「でも、紡のもう一つの天賦の才——暴力の才能を本格的に開花させちゃったのは、アンちゃんだからね」

「ああ?」


 杏珠が微かに眉根を寄せて、玻璃を一瞥する。座席に深く寄りかかって、こちらに顔を傾けてくる玻璃は、どこかひどく悔しそうな顔をしていた。


「紡がアンちゃんの音楽の才能を開花させたように。アンちゃんも、これから一生眠ったまま終わるはずだった紡の才能を、掘り出したんだ——やっぱ二人は、互いによう似とるわ」


 玻璃はそう言うと、ふいと逆方向に身体を傾けて、杏珠にそっぽを向く。同時に、深い溜め息を吐き出しながら、珍しい口調でぐちぐちと零した。


「はあ~……ほんま、ズルいわ。それだと、まるでみたいやんけ。ヤクザのくせに、紡にあそこまで言わせるとか……いやまだ俺には幼馴染のアドバンテージがある! まだまだ勝負はこれからや……」

「おい。ごちゃごちゃせからしいぞ、クソガキ」

「うっさい、クソヤクザ」


 杏珠がぎろりと睨みを利かせると、それに対抗するように、玻璃も杏珠を背中越しに睨み返してきた。


「銀木杏珠。お前みたいなクソヤクザに、紡の隣は立たさへんで」

「ぬかせ」


 玻璃の言葉に、杏珠は小さく息を吐いて応えた。


「誰があの人の隣に立つか。おれは、あの人の遥か下から——地獄の底・・・・から、見とる。それだけでいい」


 それを聞いた玻璃は、杏珠に背を向けたまま至極呆れたように「そういうことちゃうねん。はあ~……ほんま馬鹿な男やで。アホらし」と大きく溜め息を吐き出したのだった。

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