後編

(中編からの続きです)


 そういえば、この作品のタイトルは『言葉は上手く伝わらない』になっていますね。飯間氏は「言葉は伝わらない」としていたので、ここでも違うところがあります。確かに厳密に言うと「言葉は伝わらない」とは思うのですが、生活するなかで(とりあえず)意思疎通ができているという点では全否定するほどではないかなと個人的には思っているので、私はあえて『言葉は上手く伝わらない』というふうにしています。


 ただ、言葉を伝えるときに「相手と全く同じにはならない」というのはよく分かります。


 例えば、「好きな食べ物は何?」と聞いたとき、「オムライス」と答えたとしましょう。

 でも、「オムライス」と答えたとしても、答えた側が思い浮かべているものと、聞いた側の思い浮かべたものは違うと思います。「オムライス」といっても色々ありますよね。ケチャップライスが薄い卵に巻かれたものもあれば、とろとろの卵がケチャップライスの上にかけてあるものもあるわけです。薄い卵に巻かれたものでも、家族の人が作ったものや、作っているお店によって盛り付け方が違ったり、入っているお肉の種類が違ったり、味付けが違うこともありますよね。

 でも、人の脳はこれらを「同じもの」と認識できるわけです。「オムライス」といったらオムライスという定義に入っていたらOKというわけです。お陰で私たちは、「オムライス」といったら「オムライス」の話をすることができるのです。


 こんなふうに言葉は通じるけれど、どんなに簡単な言葉のやり取りでも人によってそれぞれ微妙に違うわけです。そしてその微妙な部分は、もしかすると誰とも一致しないかもしれません。「もしかすると」なんて保険をかけていますが、この手の話に慣れている人は、「絶対」というと思います。

「双子は同じになるんじゃないの?」という人がいるかもしれません。確かに、双子は同じ「オムライス」を思い浮かべるかもしれませんが、想像している大きさや角度は違うかもしないので、やはり絶対に同じとは言えないように思います。ですがこの場ではそんなことはどっちでもいいですし、私は別に研究者でもないので「もしかすると」って言っておきます。


「もしかすると誰とも一致しない」って話に戻します。なぜそう言えるかと言えば、私たちは誰とも同じではないからです。言葉という共通する道具を使っているから「同じ」のように思っているだけで、本当は誰もが違う感覚を持っているんです。

 皆、景色は同じように見えているし、同じものをさわったら同じように感じると思っています。でも、本当はちょっとずつ違う。色だって形だって違うんです。

 もちろん、「同じ」と思うことも大事なことです。近しい感覚があることも確かだからこそ、私たちはその感覚のことについて言葉で共有することができるのですから間違ってはいません。言葉で共有できるからこそ、私たちは相手の気持ちを推しはかることもできるし、小説を楽しむこともできるのです。


 小説って色んな読み方ができますよね。読み手が想像を膨らませて文章とは違ったふうに解釈することもあります。しかし一方で、たとえ一語一句辞書で調べながら読んでも作者と同じ感覚にはなれません。「限りなく近く」は追い求めることができても、まったく同じようにはならないのです。


 小説はそれでいいものです。(そう思っていない作者さんもいらっしゃるかもしれませんが、ここでは「いい」としておきます)でも、相手とのやり取りの会話やコメントのやり取りはどうでしょう。


 例えばですが、「せいぜい」という言葉があります。「せいぜい頑張れ」というと皆さん、「期待されていない」と感じるかもしれません。でも「せいぜい」には「十分に」という意味もあります。ですから、「せいぜい頑張れ」は「十分に頑張れ」と励ましの意味にもなるのです。


 このように自分ではポジティブに書いていても、見る角度を変えるとネガティブになる場合もあります。もちろん、意図的に誤った読み方をすることはいけないことです。

 しかし、言葉の捉え方や各々の前提条件が違っていたら、やはり相手とのやり取りに誤解が生じてしまうこともあり得るのです。言葉というのは読んでいる人の持っているもの、知っていること、感じていることなどによっても、伝わらなかったり、誤解も生まれるのです。


 そのため前編の冒頭のようなことも起こります。

 小説なら人様に迷惑を掛けなければ自由に読んでもいいですが、相手とのやり取りの会話やコメントはそうはいきません。相手と似たような前提を持っていたらすんなり話が進むかもしれませんが、そうでない場合はすれ違いが生じやすくなり、伝えることが難しくなります。

 もしそういう人と分かり合おうとするときには、時間がかかることでしょう。時間をかけて上手くいくこともあれば、そうでないこともあります。説明している間にも誤解が積み重なっていくこともあるからです。

 そのため中編で取り上げた養老先生の言葉の中にあったように、「気づくまで放っておく」ことも方法の一つなのかなと思います。少なくとも、言い合いをするよりは穏便に済むのではないでしょうか。


 本当に、言葉で相手に何かを伝えるというのは難しいですね。

 するっと真っ直ぐに伝わればこういうことにはならないのでしょうけれど、人によって捉え方の違いが出てくるからこそ、物語を想像豊かに楽しむことができるという点もあるので、言葉とは難しく、でも面白いものだなと思います。


 だからなんだ、という話ではあるんですけど、とりあえず私が「言葉は上手く伝わらないなぁ」と思ったことを書きたかっただけなので、これにてお話は終わりです。


 以上、「言葉は上手く伝わらない」と思ったお話でした。


(おしまい)


<引用書籍>

 飯間浩明『つまずきやすい日本語』(NHK出版 学びのきほん 2019.3.31)

 養老孟子『ものがわかるということ』(祥伝社 令和五年二月十日)

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言葉は上手く伝わらない 彩霞 @Pleiades_Yuri

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