狂読者

ぴのこ

狂読者

 今日も、ポストを開けることが憂鬱だ。退勤し、マンションに着き、ポストを開ける。以前は当たり前の日常動作だったはずのポストの確認が、今ではひどく恐ろしい作業になってしまった。

 一週間の労働を終えた金曜の夜。私はエントランスに入ると、集合ポストの中から自室の部屋番号が書かれたポストを認め、それを開けた。

 ああ、入っている。私はそれに触れたくもなかったが、取り出さなければいずれポストの中が埋まり、他の郵便物が入らなくなってしまう。私は人差し指と中指の指先で摘まむようにそれに触れ、なるべく視界に入れないように取り出した。それでも、目に入ってしまう。その手紙に黒いマジックで大きく書かれた二文字が。


「書け」




 事の始まりは、インターネット上の小説投稿サイトに投稿されたコメントだった。私はそのサイトでWeb小説を書くことが趣味だった。しかし、数か月前から仕事の忙しさと、アイデアの枯渇によって投稿頻度はみるみる減り、やがて一作も投稿しなくなってしまった。

 口惜しいがこのまま引退するかと考えていた頃、自作の感想欄にあるコメントが届いた。


「先生。どうして書かないんですか?先生に脳を焼かれた私はどうなるんですか?先生のせいで狂った読者のことも考えてください」


 随分と圧のあるコメントだな、というのがその時点での私の印象だった。しかし、どうやら私の作品のファンであるようだったし、次回作を心待ちにしていることは伝わったので、悪い気はしなかった。こんな私の小説を評価してくれたのかと、微かな嬉しささえ覚えていた。

 私はそのコメントに返信しようと思い返信文を書き始めたが、ふと思い直しキーボードを打つ手を止めた。途中まで書いた文を全て消した。もう書く気はないのだと伝えることが、心苦しかった。


 様子がおかしいと感じ始めたのは、その日から数日後だった。毎日届いたのだ。例の読者からのコメントが。

 「がらんどう」というハンドルネームのその読者は、私の自作の感想欄に毎日コメントを投稿していった。その殆どが、次回作の要望だった。


「先生。見てますか。見てるでしょ。書いてください」「私は先生の作品のせいで狂ってしまった」「私はただ先生に小説を書いてほしいだけなんです」「小説を書かないなんて、先生じゃない」「先生の作品を読むために私は生まれたんです」「先生の作品を読まないと息ができない。そんな命がいることを知ってください」「書かなくなった時が、死に時ですよ」「死にたいんですか」「書けよ」


 その要望は段々と過激化していき、ついには殺害予告とも取れる内容まで送られていた。

 私はいよいよ恐怖を感じ、「がらんどう」をブロックした。送られてきたコメントも全て削除した。

 けれども、無駄だった。「がらんどう」は、私にブロックされるたびに別のアカウントを作り、脅しとも取れる要望を送り続けた。私はもうサイトを開くことすら恐ろしくなり、投稿した全ての小説とともにアカウントを削除した。


 それさえ、恐怖のピークでは無かったのだ。ある晩、残業を片付けてマンションに戻った私は、恐怖で叫び声を上げた。腰を抜かした。その時エントランスに他の誰かが居れば、這いずってでも助けを求めただろう。

 ポストに入っていた手紙。差出人の名や住所は書かれていなかったが、裏面にはびっしりと手書きの文章が記されていた。


「先生。なんでアカウントを消したんですか?先生の小説は全部保存しているので大丈夫です。先生がご希望でしたらデータを送ります。それよりも、なんでアカウントを消したんですか?もう書かないつもりですか?ふざけないでください。私は先生の小説が無いと息もできない。今すぐ書いてください。書かないなんて先生らしくない。書け。書かなくなった時が、死に時ですよ。書かないなら」


 私の脳はその先の文章を読むことを拒否した。私は手紙をびりびりに破き、破片のすべてをエントランスのゴミ箱に突っ込んだ。


 一体なんだと言うんだ。私の作品に、それほど人を狂わせる魔力など無いはずだ。だというのに、「がらんどう」の言葉には鬼気迫るものがあった。狂気すら感じる、異様な熱。


 それからも、「がらんどう」からの手紙は届き続けた。私の住所を「がらんどう」に把握されていることが、何よりも恐ろしかった。今すぐ引っ越したかったが、このマンションは社宅のため難しかった。会社にトラブルがあったと報告しても、迅速な対応はできないと返答された。男の一人暮らしだ。大きな問題が起こることは無いと、会社も高を括っているのだろう。

 手紙の一枚を持って警察に行き、経緯を伝えて、脅迫の被害に遭っているのだと訴えもした。しかし、警察からの連絡は未だに無い。パトロールを強化すると伝えられただけだ。


 私は追い詰められ、小説投稿サイトのアカウントを復旧した。「がらんどう」を納得させるためには、小説を書くしかない。住所を特定して脅迫までしてくる相手だ。とにかく、宥めなければならない。

 土日の間、ずっとパソコンに向かっていた。小説を書こうとしていた。しかし書けない。物語が浮かばない。言葉を紡げない。


 書けよ。書かなくなった時が、死に時ですよ。

 「がらんどう」の言葉が、私の脳に響いた。それは呪いのように、私の意識を蝕んでいた。


 書けるものなら、書いている。時間があれば。アイデアがあれば。才能があれば。

 かつては、小説を書くことが楽しかった。私には文才があるのだと、勘違いしてさえいた。けれども、無いのだ。無かったのだ。

 真に才能があれば、アイデアが枯れることなど無い。せっかく芽生えたアイデアを、筆が進まず物語が展開できず活かしきれないからと捨てることも無い。小説の最初の一文字さえ浮かばず、書けないことに屈辱を抱くことなど無い。

 そもそも、私の作品など大したものではなかったではないか。


 本当に優れた小説とは、もっと魔力を有しているものだ。一語で読者を惹きつけ、一文で物語の世界に没入させ、寝食も忘れて夢中で読み進めさせ、物語の終わりを心底惜しませる。そんな小説。

 私の小説のどこにそんな魔力があった。あんなものは駄文の羅列でしかなかったではないか。頼むからやめてくれ。私に才など見出さないでくれ。私に才能というものがあったとしたなら、それはもう枯れたのだ。




「書かないんですか?」


 不意に、背後から声がした。いやにかすれた、男か女かも判別できない声。


「先生はもう、終わりなんですか?」


 振り返ることができなかった。恐怖で、体が硬直していた。


「じゃあもう、駄目です。私はからっぽなんです。がらんどうの心を、はじめて満たしてくれたのが先生の作品なんです。先生の作品が読めないなら、生きる意味が無い」


 鍵は。鍵は閉めたか。いや、警察を。違う。間に合わない。私がやるしかない。


「作品を生み出さないなら、そんなの先生じゃない。言ったでしょう」


 私は決死の覚悟で振り向いた。

 …もう遅かった。


「書かなくなった時が、死に時ですよ」


 冷たく光るナイフが、私に振り下ろされていた。

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