第6話 大団円

 このサナトリウムというところは、ほとんどが、

「資料館」

 として、退役し、

「現役のところは、まずないだろう」

 と言われている。

 しかし、実際にそうであろうか。

 以前、聞いた話であるが、

「どこかの、樹海のように見える大きな森の奥に広がっている、湖畔の先に、サナトリウムを思わせる建造物がある」

 と言われている。

 その建物は、あくまでも、

「昔のままの作り」

 ということで、

「もし使われているとしても、その使用方法は、薬物か何かの研究室使われるのではないだろうか?」

 と思われていた。

 確かに、ある企業の研究室が、

「サナトリウムを再利用している」

 と聞いたことがあるが、それはあくまでも、

「表に出る薬品」

 というわけではなく、ひそかに、いかにも、国家機密に近いくらいのものを開発している場合が多いのだ。

 だから、大学からの予算は出ない。その変わり、国家の暗躍しているグループが金を工面するのだ。

 そこは、秘密の諜報機関というものを、どこかの組織が持っていて。それを利用して、研究を続けているということであった。

 それを考えると、

 サナトリウムを利用するのは薬品開発の中でも、

「表に出せないもの」

 というか、世間に公開するまでは、

「研究していることすら、秘密にする」

 というもので、まるで、大東亜戦争時代の、

「731部隊」

 を思い起こす人もいるだろう。

「ドイツのホロコーストも真っ青」

 といってもいいだろう。

 この舞台は、主に、

「細菌兵器」

 あるいは、人体の限界に挑戦するという実験を行っていたのだ。

 そんなことがもし、公表されてしまうと。

「ドイツのホロコース並みのものでは済まない」

 というほどに、人道的に非難されることになるであろう。

 だから、敗戦の時に、陸軍は、この部隊の徹底的な隠滅を図った。捕虜も。一人残らず殺害し。生き証人を作ってはいけなかったのだ。

 しかし、彼らは誰一人として裁かれていない。多分、そのことについては、

「知られていない」

 いや、

「知ってはいけない秘密」

 というものが、蠢いているに違いない。

 サナトリウムの利用法として、そんな、

「現代における731部隊だ」

 といってもいいかも知れない。

 某国との共同研究なのだろうが、

「日本でやっているのだから、いざとなったら、すべてを日本に擦り付けて、さっさと後始末をすればいい」

 と思っているのかも知れない。

 それらの研究というのは、ハッキリと決まっているわけではなく、最近では、社会問題として起こっている、

「精神疾患」

 というものの研究であった。

 ただ、これは、実際には。

「精神疾患」

 というものを。いかに問題視しているか?

 ということを世間に思わせておいた隙に、その先には、

「国家のため」

 いや、

「自分たちの利益のため」

 ということのために、隠れ蓑にするには、ちょうどよかったのだ。

 そもそも、不要になったもので、

「買い取ってくれる」

 というのであれば、その使用目的などどうでもよく、

「もう、手を離れれば、別に監視することもない」

 ということで、隠密裏に利用するとすれば、そこは、

「一番、ヤバいものを隠すには、ちょうどいいところとして、

「隠れ蓑」

 としても、

「厄介払い」

 ということで、

「これ以上、怪しまれることはない」

 ということになるのだということであった。

 その研究室は、基本的に、このお話で培われてきた発想から、生まれたものであり、それらは、どこをどう通っても、

「精神疾患に通じる」

 というもので、まるで、ことわざにあった、

「全ての道はローマに通ず」

 という言葉の通りなのかも知れない。

 そう、一つの考え方として、

「長所と短所は紙一重」

 であったり、

「バカとはさみは使いよう」

 という言葉もあったりする。

 すべてにおいて、同じものはないのだが、微妙に対処法が同じだったりすれば、今回のこのお話に通じてくるものがあるのではないだろうか・

 ということは、一種の、

「輪廻してくる理論」

 というものは、そんな発想を抱くことで、最終的に、今回は、

「森に囲まれた秘密のサナトリウム」

 というところに行きついたのだが、そこが、最後の砦ということではない。

「限りなくゼロに近い」

 という発想で、

「合わせ鏡」

 などというものを思いついた。

 しかし、結局は人間の脳にも限界がある。そこで、無限に発想ができるようにと考えたのが、

「精神疾患」

 という人たちを使った。

「人間の脳の限界を無限にする」

 という発想なのだろう。

 世の中が、本当に、それで回っていくのかどうか、そもそも、話をしていただけでも、繰り返させるわけなので、すべてのものに、このような、回り続ける無限に広がる、

「きりもみ輪廻」

 といえるのではないだろうか?


                   (  完  )

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輪廻対称 森本 晃次 @kakku

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