6:2018/05/27 04:35

 俺の心には、大きな穴が空いていると分かった。それが、いつ空いたものなのか、大きくなったりしているのか、空いたままだと何か異常が生じるのか、すべて何も分からなかった。

 だけど俺は、とにかくコウイチにそれを覗き込んで、『水のない海』と言って欲しかった。そう、名前を付けて欲しかった。名前をつけることは、それを正しく理解する第一歩だ。だけど俺の『穴』は、いまだ名前を与えられず、誰にも理解されず、放置されている。俺は俺の『穴』を覗き込んだ。黒く深くがらんどうな穴を――。

 それはそっくりだった。あの、新宿に空いた大きな『穴』に。

 それがあまりにそっくりすぎて、あの『穴』は俺の『穴』なのではないかと、ありがちなことを思ってしまう。

 だけど、物語に登場した銃は撃たれなければならないとするならば、物語に登場した穴は、やはり埋められなければならないのだろう。

 そしてその『穴』を埋める手段は、一つしかない。

 俺は山手線の内回りに乗り込んで、もう人生で何度行ったかわからない新宿へと向かった。


 馴染みのある朝の新宿の空気だったが、俺は新宿駅から二丁目への道を歩いていた。いつもと反対方向に歩いているだけで、まるで空気まで違って感じる。体に注ぐ太陽の向きが違うからだろうか。

 大通りを歩き、二丁目への封鎖された交差点へ向かうにつれ、俺の中の違和感は大きくなった。

 ない。

 ないのだ。

 あれだけ大々的に置かれていた非常線がなくなっている。

 そんな馬鹿な、俺は思う。そんな馬鹿なことはない。そんなことがあればニュースになっているはずだし、人々が噂しているはずだし、絶対に何かしらを耳にするはずだ。

 しかし、そこに穴はなかった。その交差点は何事もなかったかのように復旧していた。

 信号が青になり、鳩の鳴くような通行音が聴こえる。俺はふらふらと、その交差点のど真ん中、穴のあったところの中心へと歩いていった。車の往来はなかった。

 足元には真っ黒なコンクリート。水どころか、コンクリートによって満たされてしまった、あの穴。

 俺は思わず笑いが溢れるのを感じた。そうか、やはりどんな穴もいつかは満たされるのだ。それが、望む形であれ、そうでなかれ。

 ――『水のない海』。

 コウイチの言葉を思い出す。あのコウイチが、この穴に飛び込んだことを思う。足元からコウイチを感じる。コウイチはこの下に眠っているのだ。この、黒く硬いコンクリートの下に。

 俺の海も、いつかは水を、あるいはコンクリートを与えられ、なみなみと満たされる。足元の硬い、揺るぎないその感触に、俺はその実感を深くする。

 すると、太腿のあたりに振動があって、俺はスマートフォンを取り出した。

 俺は驚く。メッセージをくれたのはコウイチだった。

『しばらく海外に行っていました。連絡できなくてすいません。お元気ですか?』

 俺は、足元にコウイチを感じていたのが、全くの勘違いだったと悟って、少し笑った。


(完)

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水のない海 数田朗 @kazta

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