5:2018/05/26 20:35
「それで、もし良ければ――私とお付き合いしてくれませんか?」
コウイチを失ってから二回目の読書会。課題図書、ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』。その食事会のあとの駅までの帰り道、俺は仲の良かった女性に告白をされた。
女性から告白されるのは久しぶりだった。女性から告白されることに対して、別に迷惑だとか、気持ち悪いとか、そういうことは思わない。ただ、いつもその糸を垂らされたときに発生する、これを今自分が掴めば、という感情が、しばらく心を泡立たせて尾を引くだけ。こんな声が聞こえるみたいだ。
『お前は今ならやり直せる』『まだ普通になれる』『その糸を掴んで、上へと昇れ!』
だけどその糸はいつだって余りにか細く、芥川龍之介の話みたいにそれを掴んだって、俺はまたここに落ちてきてしまうことが明らかなのだ。
「ダメ、かな?」
俺にそう問いかける彼女を見て、彼女とは良い友人になれそうだったのに、と思う。
男女間に友情なんて成立しない、なんて言う人もいるけれど、それを聞くたびに俺はいつも、その理論でいけば、ゲイは誰とも友達になれないのではないか、なんて思う。女性の友人とは相手から恋愛感情、男性の相手には自分からの恋愛感情、そしてゲイの友人からは互いに恋愛感情の可能性が生じてしまう。ぼんやりそんなことをまた考えていたが、目の前の彼女の返事を待つ真剣な表情を見て、そんな場合ではないと思い至る。
「ごめん、気持ちは嬉しいけど」
「そっか。わかった。ごめんねこっちこそ。……好きな人がいるの?」
告白を拒否されたのに、彼女はさほど残念そうでもなかった。
彼女の言葉に、俺の脳裏にダイキの顔が浮かぶ。好き。好きって、なんだろう。俺はダイキのことが好きなんだろうか。あの後何度か会ったダイキとは、ただひたすら体を重ねただけなのに。
「ああ、まあ、そんな感じ」
またそうやって嘘をつく。だけど彼女にそんなことを言えるはずもない。セフレがいて、ちょっといい感じだから、ごめんね、なんて。
彼女と別れ、ガラガラの電車の中で俺はダイキに電話をかけた。また会いたくなったのだ。ダイキは電話に出て、すぐに来ると言う。今日は上野で俺たちは待ち合わせた。
ホテルを探すのが面倒なので、ハッテン場でいい? とダイキに訊いた。ダイキは構わないとあっさり答えて、俺たちは上野の有名なハッテン場に二人で向かう。俺たちは軽くシャワーを浴びると、すぐに行為に及んだ。個室の中、音は聞こえないものの、周囲から男たちの欲望の気配が全身に感じられるほどに濃い場所だった。俺はまるで『身を清めて』いる気持ちだった。頭の中に、先ほどの女性の顔が浮かんだ。俺は尻を出入りする性器の硬直を感じながら、俺はゲイ、俺はゲイなんだ、と頭の中で言い聞かせる。
『好きな人がいるの?』
そんな言葉が蘇る。俺はダイキと舌を絡めるキスをしながら、今度はコウイチのことを考える。コウイチのことは好きだった、とてもとても好きだったと、素直に思う。
「んぅ」
コウイチ、と漏れそうになる声をなんとか抑えて、激しくしごきあげるダイキの手の中で俺はイった。
「お前、俺とやる時、いつも他の男のこと考えてるだろ」
ダイキに腕枕されながら二人で寝転んでいると、そんなことを言われた。
ダイキはごろりと寝転んで天井を見上げた。俺がそんなダイキの表情を盗み見ると、思いの外爽やかな表情をしていた。
俺はその時、怒って欲しかったのだ。思い切り怒って、俺を怒鳴りつけて、なんなら殴るでもして、俺に執着して欲しかったのだと思う。だけどダイキはもちろんそんなことはしないし、俺ももう大人だから「そんなことないよ」とだけ言う。するとダイキは意外そうな目で俺を見て、
「ま、いーけどね」
とだけ言った。
俺たちは互いの心に土足で踏み込むことがない。それが関係を続ける上でのマナーだった。だから、どんなに体を重ねようと、心が重なることは無い。だって、そんなのは疲れてしまうし、人にはいろいろ事情があるのだから。互いを傷つけないこの『大人』の関係は、いつの間に成立したのだろう。俺は、俺たちはいつの間に、こんな関係を築けるようになっていたのだろう。
多分この関係は、ゆるゆるとだらだらと続くだろう。互いを傷つけることもなく、核心に踏み込むこともないこの関係は、余りに居心地が良すぎるから。
だけどそれは結局ほんの暇つぶしにしか過ぎず、本当に埋めて欲しいものを補ってくれることはないのだろう。
俺が本当に欲しいもの。本当に埋めて欲しい『穴』。それは、きっと俺の尻の真ん中にあいたあの『穴』じゃなくて……。
そう思って世界を見ると、すべてのものがただの時間潰しに思えてしまった。読書も、映画鑑賞も、ポケモンGOも、誰かと会って話をすることも、誰かとセックスをすることも、ただの時間潰し。それを死ぬまで繰り返して、やがて墓穴に埋められる。そのために俺たちは、時間に空いた『穴』をせっせと埋めているのだ。
朝になり俺はハッテン場を出てダイキと別れると、始発の動き始めた駅に向かった。
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