4:2018/05/05 16:45

 読書会に着いても、コウイチの姿が見当たらなかった。俺は体が強張るのを感じた。俺が参加し出してから、コウイチが読書会を休んだことは一度もなかったはずだ。

 数名の女性が、かたまって何か話をしている。話を盗み聞くと、誰かの葬儀に行ってきた、という話だった。彼女たちはひっそりと、それが誰かなのかを避けて話していたが、俺には分かった。それは、コウイチに違いない。

 同時に、俺の脳裏に、あのニュースが思い浮かぶ。コウイチはきっと、あの『穴』の中へ落下したのだ。コウイチの、あの『穴』を見ていた時の忘我の表情。コウイチは、望んであの『穴』へと入っていったのだ。重力に引かれて、あの『穴』の養分になる道を選んだのだ。

 そうしていると、主催者が部屋に入ってきて、読書会を開始するのでと着席を促した。俺たちは適当に席に座る。

 読書会は、恐ろしいほど平然と行われた。課題図書は、カフカの『変身』だった。

 読書会が終わると、普段は懇親会を兼ねた夕食になるのだが、俺は用事があるからとそれを辞し、新宿へ向かった。

 ビックロの横を通り過ぎながら、もとは何の施設がここに入っていたか、もう思い出せないことに気が付く。最初は違和感のあったあの馬鹿でかい下品なロゴも、すっかり見慣れてしまった。新宿は常に移り変わりながら、しかし『新宿』としての存在を保っている。――あの『穴』は、どうなるのだろう。あの『穴』もいずれ新宿の一部になるのだろうか。『穴』が新宿を飲み込むのではなく、新宿が『穴』を飲み込んでしまうように。

 そして、俺はそこにたどり着いた。穴の周囲に張り巡らされたカラーコーンバー。そのギリギリの外側から、中を覗き込んでいる。

 穴は、全く埋められるそぶりもなくそこにあった。黒く、ぽっかりと空いた穴……。おそらくは、コウイチが死んだ穴。コウイチを飲み込んだ穴。そう思って見ても、やはり俺にはそれが『水のない海』には見えなかった。

 小学生だろうか、子供がこちらにやってきて、ちらりと穴を覗き込むと、興味のない様子であっという間に行ってしまった。俺はそれが意外だった。子供なんて、絶対にこれに興味を示しそうなのに。

 しかし俺は、子供のことなんて何も分からない。ゲイの友人には甥っ子や姪っ子が生まれて、我が子のように可愛がる人もいるけれど、俺には生憎兄弟もいなかった。

 子供――女性にとって子供というのは、どういう存在なのだろう。女性を『産む性別』にカテゴライズする暴力性は、今更俺が何か言えるものではないが、女性はおそらくその人生の中で、人それぞれ形はあれ『こども』という存在を、強く意識して生きていくのではないかと思う。それが女性の意識にどのような影響を与えるかは知れないが――おそらくゲイは、その真逆だ。俺は自分がゲイであることを自覚したとき、「ああ、じゃあこどもは持てないんだな」と強く感じたことを覚えている。それ以来、俺の人生と『こども』は交わることなく過ぎてきた。俺はこどもの教育法を知らないし、生まれたての赤ちゃんのにおいもしらないし、何を食べさせてはいけないのかもわからないし、こどものほっぺたの柔らかな感触も知らない。知ることがないのだ。

 それは、悲しいことだろうか?

 そんなことを、去っていく小学生の背中を見ながら考えていると、背後で『穴』が少し大きくなった気がした。

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