いや〜ん バカンスぃ〜(邦題)
スロ男
Ian, vacancy
バカンスといえば南の島。というのはいつ頃からの話なのか。船旅が普通だった頃などは、そもそも遠方に旅行に行こうなどと考える人も少なかったのではないか。
何も考えていないような阿呆っぽい笑みを
連れのPP(あだ名)がだらしなく相好を崩しているのは、褐色の南国美人の胸が豊満だったからだろう。
「あらあら、あなたったら!」
脇腹をキュッとつねると、大袈裟なほどにPPは飛び跳ねた。
いわゆる婚前旅行というやつだった。正式に婚約をしたわけでもないが、大学で出会い、交際を始めて早一年。もうすぐ卒業ともなれば、岐路にも立たされる。特にPPことネメシア・ラトゥアは誰かに交際を申し込むたびに結婚を前提にというので、
肌は浅黒く、精悍というよりはおとなしい熊のような外見に、意外と女性人気がないわけではなかったのだが、その「結婚を前提に」というのがどうにも学生には重いのだった。
なので蛇子がPPの告白を受けたというので周りは沸いた。おめでとう、子供は何人? などとアナウンサーのような口調で訊かれ、蛇子は大袈裟に首を振りながら「ラグビーチームぐらい?」と答えて場をさらに沸かせた。
英国連邦所属の小国から留学してきたPPは家業を継ぐために国へ帰る(何の仕事かは周りはわかっていない)、蛇子も内定が決まったというので、大分早めの卒業旅行ということで南の島へ訪れたのだった。
オンシーズンではなかったが、人気なのか宿もなかなか取れず、蛇子がイライラしていたところPPが旅行サイトを漁ると、小洒落たリゾートホテルがすぐに取れた。
「納得いかない!」
喜ぶべきところで喜べないのは蛇子の不徳だったが、PPは無邪気に笑って「タイミングタイミング!」と言った。振り返ってみても、確かに異様に
南の島に来たというのに、本国で見そびれた日本製怪獣映画が4DXで上映するというので、島にひとつだけあるシネコンへとふたりはやってきた。封切り日だったらしく、席はひとつも空いてなかった——と思いきや。去りかけたふたりに店員が声をかけてきた!
「ちょうどいま並びでふたつキャンセルでました! 結構良い席ですよ!」
手を取り合ってはしゃぐふたり。勿論、蛇子は怪獣映画が特に好きなわけではない。なんとなく、相方にいつも釣られてバカップルっぽい対応になってしまうだけだった。
そして映画が始まった。
体感型の上映である4DXは、さながらアミューズメント施設のアトラクションだ。
揺れる、爆音、風、そして匂いまで。
怪獣のおならの匂いとか、なぜに嗅がなければならないのか。うはー、くせー、と楽しそうに笑声をあげるPPを横目で見ながら苦笑する蛇子だった。
結末間際、雰囲気の出始めた主人公とヒロインのシーンで、蛇子はPPに小さく謝って席を立った。「ごめん、ジェーンから」
お手洗いの前を抜けて喫煙所へ行き、カムフラージュの電子煙草を片手に持ちながら、蛇子はスマホを耳にする。何度かうなずき、小さく舌打ちし、そしてついに怒りを表した。
「別れろって⁉︎ 誘惑しろだ別れろだ、ヒトの気持ってものを考えたことある?」
コホコホと咳は出たけれど。
映画を見終えたあと、まだ夕食には早いというのでパブへ寄ることにした。軽くて香りも味も甘いビールで喉を潤しながら、PPはいかに映画が良かったかを身振り手振りを交えて語った。
笑顔でうなずきながら蛇子は楽しげなPPを見つめ、けれどふとした瞬間にふっと視線が落ちてしまうのだった。
「ねえ、ヘビコ。海岸を歩かないか」
いつもと調子の違うPPの声にハッとなって蛇子は顔を上げた。失態だった。いまの顔を見られてないか?
「あら、まだお腹空かないの? スナックの食べすぎなんじゃない」
「いや、そうじゃないんだ」
いつもならジョークにはジョークで返すはずのPPの、普段らしからぬ雰囲気に蛇子は唾を飲み込んでから、うなずいた。
パブから海岸までは、そう遠い距離ではない。島の周囲をぐるりと囲むようにして走る環状線沿いにホテルも商業施設も建ち並び、海岸までは精々五百
まだ陽は沈んでおらず、確かに夕食には早すぎる時間かもしれない。
いつもみたいにべらべらと喋るでもなく、PPはのそのそと歩いた。なんとなく心細くなって蛇子は手を伸ばしたが、いつものように気軽に手を繋ぐことができずにいた。
潮風の匂いが強くなり、遠目に海が見えてきた。空の色は水平線付近はやや濃く、まるで海から墨が染み込んでいってるように見えた。太陽が海を犯す頃には、血のような赤が噴き出すのかもしれない。
「ねえ、ヘビコ」
しっとりとした声をPPが出すものだから、思わず「ひゃ、ひゃい」なんて使ったこともないような部分から声が出た。
「ぼくの生まれた場所は、やっぱこんな感じで……ここみたいに観光客なんていないし、かといって工業化もされてないから、随分と質素な感じなんだけど」
「う、うん」
砂浜に足を踏み入れ、砂の鳴く音が周囲の物音には混じらず、妙にくっきりと聴こえる。
立ち止まったPPは、夕焼けで赤く染まった顔を蛇子に向け微笑んだ。
「君と結婚するのはヤメにしようかと考えている」
「え……」
蛇子は不思議な感慨に囚われた。交際を始めて一年、プロポーズめいた告白から始まり、この一年ずっと楽しくやってきた。
いや、楽しく感じてもらえるよう努めてきた。
それは成功していたはずだった。
だが、実際に結婚の足音が聞こえ始めると、蛇子はこの先をどうすべきかという点で悩むことが増え、充分には
『事情が変わった。別れろ』
映画館での通話を思い出す。まさに願ったり叶ったりの
「いや。いやだ!」
蛇子は言った。涙声でも弱々しくもない、意志をはっきり感じさせる声で。
「わたしは、あなたと結婚する。そのつもりで交際を続けてきたし、その気持はどんどん強くなっているんだから」
「……ほんとに? だって念願の企業への就職も決まって、君のキャリアは大きく拓けているっていうのに」
「キャリアなんて幸福のために得るものであって、その逆じゃない。わたしは、多分あなたとなら幸せになれる。そんな気がしたの」
嘘ではなかった。
もしかするとこの一年間で、一番屈託のない言葉だったかもしれない。ここのところ苛立っていたのは、相手にではなく、自分が何を求めているのかがわからず、勝手に苦しくなってただけ。そう蛇子は唐突に気づいたのだった。
PPが蛇子を抱きしめてきた。暖かく、大きな熊のぬいぐるみに抱っこをされたような安心感。
「結婚してくれ、ヘビコ……」
「それは一番最初に聞いた」
可笑しくて笑ったはずが、なんだか堰が切れたように溢れでた。
「PPってあだ名も気に入ってるけど、名前で呼んでくれないか、ヘビコ」
「ええ、ネメシア。……愛してる」
ホテルに付属のシーフードレストランは高価で豪勢だったが、ふたりはそうそうに腹に適当に詰めると急いで部屋へと向かった。
蛇子は激しく欲情していた。抱かれたかった。いや、抱きたかった。そのフェロモンにやられたのか、温厚なネメシアもどこか殺気立っているように見えた。触れるとピリピリと痺れそうな欲望の気配。
蛇子はお互いの顔を食いちぎるようなキスを交わしたあと、いそいそとPPのスラックスを脱がせにかかった。いつも見合いのあとのお試しのような交わりしかしてこなかったのに、今日の蛇子は積極的で、PPはされるがままだった。
蛇子がPPの巨大な
「ヘビコ、ヘビコ、ダメだよ……もう」
聞こえていないはずはなかったが、蛇子は喉奥で先端のとっかかりを擦りあげ、敏感な部分では舌面をくねらせ、さらに追い立てた。激しさは、増す。
いままで口の中で
あ、とネメシアの声が途切れた。
丁度最奥を突かれたタイミングのことだったので激しく咽せそうになりながら、蛇子はようやく止まった。情けなく膝をがくがくさせる彼の腰を掴みながら、今度はゆっくりと時間をかけて抜いていく。まだ射精は続いている。苦しさに涙目になりながら、舌の上に零れ続ける精液の、苦いような、微かに甘いような味を感じ、吸って、またその鈴口を舐め取りつつ、ようやく完全に離れた。
ベッドにへたりこんで、はあはあと荒い息を抑えられないネメシアを見上げながら、彼の精液を呑み込もうとするも、なかなか胃の腑に落ちていかない。嚥下してもそこに留まろうとする手強い残滓以外はなんとか飲み込むと、なんだか怖いものを見るような眼の彼が、愛おしくて蛇子は微笑んだ。
それから何時間ほどふたりはまぐわっていたのか。蛇子は大小合わせるとちょっと数えられないぐらい達し、彼女の
蛇子の乳を弄びながら、半ば眠ったような声でネメシアが寝物語をする。今日はびっくりするようなことばかりだとか、そもそも最初からヘビコには驚かされてばかりだったとか云々。
聞く方もだいぶトロンとしていて、さざ波を聞くように男の声を聞き、心地好さにいよいよ睡魔が近づいてくる。その手はすっかりしおたれたネメシアの男性器を握っており、なんだか夢に
ダニエル・クレイグ似のメンターが裸で横で寝ていて葉巻を吹かしている。金髪というより銀髪に近い胸毛が、誰かとは大違いだと思うと、なんだか
「ターゲットは連邦の小国の第五王子。独立派の心理的シンボルになってる。大きな波ではないが、いざという時の保険だ」
「眠れる宝箱」
蛇子の言葉に、メンターが反応したのがわかった。ごくわずかな筋肉の動き。
「宝石や
「連邦内での独立の気運が高まるのが嫌なのか、そうでないのかはわたしには
「やれるか? 籠絡するということは、つまり肉体も使え、ということだぞ」
そんなこと今更言われなくても、と蛇子は思う。諜報部にスカウトされてから一年、尾行術や格闘術、それから房中術までメンターからみっちり仕込まれた。惚れてしまったから、寝れるのだとでも? ……そうかもしれない。けれど、このいまの気持すら真実かどうかはわからない。
「
懐かしい夢を見た気がして蛇子は
ベッドから降りると床は思いの外ひんやりしていた。体の内でまだ熱が燻っているからかもしれない。熱いも冷たいも、相対的なものに過ぎない。
裸のまま窓際に行き、外をぼんやり眺める。二色に分かれた青が、見ていては気づけない隠微さで袂を分かっていく。樹脂の海岸の上で青い油の海がねっとりと動く、閉じられたコップのような玩具をなぜか思い出した。
——あの時、あの通話の時、わたしが怒りに震えたのは、自分がまるで枕のように簡単にひっくり返すことのできるモノみたいだと思わされたからじゃない。
あの瞬間は、確かにそう感じられたが、思い返すと違うのだ。だって、それはわたしの仕事だから。
蛇子が許せなかったのは、ネメシアの気持を弄ぶことを簡単に命じてしまえる、組織や国といったものの傲慢さだった。
もしかすると始まりは同情みたいなものだったのかもしれない。恋ではない。最初から彼に恋なんてしていなかった。けれど、いつも一緒にいるうちに、生まれてきたものはある。確かにあるのだ。
空っぽだと思っていた自分の中に芽生えた、何か——
「愛してるわ、か」
軽々しく口を突いて出た言葉は、嘘ではないけれど、きっとどこかで観た/聴いた/読んだものの焼き直しだ。
でも、それでいいのだ。
蛇子は大きく伸びをする。
目的と手段がてれこになって、やがて何を求めていたのかわからなくなるように。手段でしかなかったはずの何かが大きな意味を持つようなことも、決して少なくはないはずだ。もしかすると本当に大きな潮流に翻弄されることになるかもしれないが。望むと望まざるとに関わらず。
親英派の第一王子がスキャンダルで失脚し、ネメシアの国はざわついている。中立の第二王子まで欠けたりするようなら、独立派の擁する第五王子の立場は一気に変わりかねない。まして花の名を関したこの男には、どんな偶然や時機が巡ってくるか、まったくわかりゃしないのだから!
それでも、いまは。
なにものでもないふたりとして、たっぷりとヴァカンスを楽しむのだ。
どこか見えない水平線から、犯されたはずの海から、真新しい太陽が生まれ出でようとしている。
朝だ。
いや〜ん バカンスぃ〜(邦題) スロ男 @SSSS_Slotman
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