(6)

「……冷たい態度を取ったことは謝るよ」


 ヘンリーの顔にはもう、心ない微笑はなかった。


 代わりに、愛おしい者を見る目を向けるが、やはりそこにはいくばくかの悲しみが見て取れた。


「けど、君が物語の主人公で、私は主人公の伴侶になり得ないだなんて聞かされて……心穏やかならざる気持ちになったことは、知って欲しい。それに、まるで私の言葉には耳を貸さない君を見て、私は怖くなったんだ。……君の、その本心を知ることが怖くなって『距離を置こう』と言ったんだ」


 ヘンリーの本心に触れたモードは、言葉に詰まって、呆然と彼を見ることしかできない様子だった。


「――ねえ、君は私を見ている? 私にかけた言葉の数々は、君の心から出てきたもの? それとも、その物語に最初からあった言葉なのかな」

「わ、わたしは……!」


 モードは声を詰まらせる。けれども今度はうつむかなかった。モードはまっすぐに、ヘンリーを見ていた。


「わたしも……最初は物語通りに動けばいいと思っていました。それは動かざる事実です。でも、その……その小説は短編なんです。だからというわけではないのですけれど、その小説の中でわたしとヘンリーがどういう付き合い方をしていたのか、どういう態度でいたのか、どうやって仲を育んでいたのか……具体的な描写はなくて……」


 モードの横顔は必死だった。


 必死だったけれど、イズーには彼女のその横顔は、なによりも輝きを放って、尊く見えた。


「……ヘンリーにかけた言葉のすべては、間違いなくわたしの心から出たもの……。だから、だからわたし、まだ会ってもいない『お話の中の真のヒーロー』じゃなくて、たくさん言葉を交わしたヘンリーのことが好きになった……ヘンリーとの関係を踏み台にしたくなかった。もしヘンリーが心変わりしたのなら、わたしのことが好きじゃなくなったのなら――きっとわたしは耐えられない。だから……。……いえ、ごめんなさい。言い訳をするつもりじゃなくて――」


 モードは涙をこらえるように目を細めた。


「あのね、モード。今一度きちんと言葉にするから、ちゃんと聞いて欲しいんだけれど」

「はい……」

「私は君を愛している。ちょっと思い込みが激しくて、自分に自信がないところには困らされることもあるけれど……。君と一時的にせよ距離を置いて、確信したんだ。私は、君を愛している。……ただイズー嬢への行いは看過できないと思ったから、ああいう態度を取ったのだけれど……少し、やりすぎたと思っている。モード、君は……許してくれる?」

「許すも、なにも……悪いのはわたしだし、ヘンリーは王子として公正な態度を取ったと思っているから……」


 モードは泣くまいとするように、素早くまばたきをする。


「――ああ、これで仲直りですね!」


 湿っぽい空気に、アラスターのからっとした大きな声が割って入る。


 そんなアラスターへ、ヘンリーはじっとりとした視線を送った。だが、そんなヘンリーの目を見て、あわてているのはイズーだけのようだ。


「これ以上無益な謝罪合戦は見たくありませんので、これで仲直りということで」

「アラスター……もっと言い方には気を配ってくれないか? モードが気にしてしまうだろう」

「今ここで砂を吐いてもいいんですよ?」

「吐けるなら吐いてみろ」

「おやおや」


 身分に頓着した様子のないヘンリーとアラスターのやり取りを見て、イズーはプライベートな空間にいるときのふたりに思いを馳せた。


「仲直り、できてよかったですね」


 イズーがモードにそう話しかければ、モードは白目の部分を赤く充血させて、何度かうなずいた。


「ありがとう……貴女たちの助力のお陰ね……」


 モードが重ねて謝罪をしようとしている気配を察知し、イズーは待ったをかける。


「このあいだの通り、謝罪は既に受け取っていますから、これ以上は受け付けません!」


 イズーがきっぱりとそう言い切れば、モードは口元をもごもごとさせたあと、居心地悪そうにしつつも、もう一度「ありがとう」と言って微笑んでくれた。


「それでいいんです。笑いあってハッピーエンド。それに越したことはありません」


 長い話し合いをしていたせいで、ティーカップに注がれた紅茶はすっかり冷めきっていた。


 けれども頭上に広がる晴れ晴れとした青空と同じように、イズーの心は清々しい気持ちでいっぱいだった。

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やらかしヒロイン救済記! やなぎ怜 @8nagi_0

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