第37話 帰還とこれから
あれからおおよそ二週間。
領主さまへの報告も済ませた私たちは、森の畔にあるトゥールズの街へと帰ってきた。
行き帰りの道中も含めて、一か月近い旅もそろそろ終わりである。
すっかり見慣れたはずの城門や街並みが、何とも言えず懐かしい。
「んん~~! 森の匂いが気持ちいいです!」
「そだねえ、離れてみると実感するね」
彼方に見える山や森から、微かに流れてくる森独特のさわやかな香り。
それが私たちの心を落ち着かせる。
やっぱり、エルフに取って森というのは特別な存在らしい。
自然がいっぱいのこの世界ではあまり意識することはなかったけど、森林の乏しい王国南部に行ってそれを痛感した。
向こうに行っている間は、朝に弱いこの私が割と時間通りに起きてたからね。
「さてと、ギルドへ行きますか」
「そだね。ふふふ、報酬は色を付けておいたって聞いたから期待が持てそう」
私たちから事態の報告を受けた領主さまは、報酬の引き上げを約束してくれた。
何でも、私たちが倒したアースドラゴンは本来のものからはかけ離れた強さだったらしい。
元のアースドラゴンのことを知らないので何とも言えないが、かつては人間の騎士団でも倒せる強さだったとか。
それを元に依頼を出したので、魔剣を使ったドワーフの戦士団が蹴散らされるほどの強さというのは想定外だったらしい。
恐らくだけど、黄金石の魔力を吸収してパワーアップしていたんだろうね。
「でもララート様、お金なんて貰ってもそんなに使わないですよね」
「いやいや、食費に使いますとも」
「いったいどれだけ食べる気なんですか……」
呆れたような顔をするイルーシャ。
曲がりなりにも、ドラゴン討伐の報酬である。
家が一軒買えるぐらいの額が出てきたっておかしくはない。
それを食費に使うというのだから、心配されるのも無理はなかった。
しかし、私はとってもグルメなのである。
美食を追求するには何かとお金がかかるのだよ、イルーシャ君。
「ただいまー!」
こうして話をしているうちに、ギルドへとたどり着いた。
私は元気よくドアを開けると、すっかり馴染みとなった受付嬢さんに挨拶をする。
「おかえりなさい! 既に依頼達成の報告は受けてますよ!」
「流石は冒険者ギルド、仕事が早いね!」
「すでに報酬のお支払いをする準備もできています。ただその前に、マスターとお会いしていただけますか?」
「マスターと?」
マスターというのは、この支部の責任者のことだ。
スキンヘッドの大柄な男性で、やんちゃした冒険者を怒鳴りつけているのを私も見たことがある。
そんな人が、いったい私たちに何の様だろう?
私とイルーシャが怪訝な表情をすると、受付嬢さんは緊張をほぐすかのように微笑んで言う。
「今回の件はあくまで事情聴取ですので。お二人の仕事ぶりに問題があったわけではありませんよ」
「ならいいけど。それで、何を聞くの?」
「そのことはマスターから直接お聞きになってください」
受付嬢さんがそう言うと、奥からスキンヘッドの男性が現れた。
彼は私たちの姿を見つけると、すぐさま近づいてくる。
「君たちがララートとイルーシャか?」
「そうだよ」
「マスターのエイハムだ。話は既に聞いているだろう? いくつか聞きたいことがある、執務室へ来てくれないか」
「わかった。イルーシャもいいよね?」
「ええ、もちろんです」
こうして私たちは、ギルドの奥にあるマスターの執務室へと向かった。
廊下を抜けて中に入ると、大きな執務机と応接セットが目に入る。
しっかりした企業の社長室みたいと言えば伝わるだろうか。
ラフな服装をしたスキンヘッドのマスターとは、微妙にキャラが合わない感じだな。
「へえ、ギルドにもこんな部屋あったんだ」
「主に依頼人との打ち合わせに使う場所だ。たまに大きな商会の会頭や貴族も来るからな」
「なるほど」
私はそのまま革張りのソファにストンと腰を下ろした。
うむ、なかなかいい座り心地だ。
組織が大きいだけあって、ギルドは結構儲かってそうだな。
「それで、聞きたいことって言うのは?」
「いくつかあるが、まずはアースドラゴンについてだ。魔力を吸収して強くなる性質があったと報告されているが、これは本当か?」
「間違いないよ。実際に、過去に確認されたときよりはるかに強かったみたい」
「あれは明らかに異常でしたね。ララート様の攻撃にもかなり耐えていましたし」
「そうか。我々としては、過去の強さを基準に君たちへ依頼を出したわけだが……申し訳なかった」
大きな身体を小さくして、エイハムさんは深々と頭を下げた。
私はすかさず、気にしてないよと宥める。
「仕方ないよ、ギルドの調査だっていつも完璧じゃないだろうし」
「……そう言うわけにもいかない。冒険者たちの命にかかわることだからな」
「じゃあさ、ここで私が許さないって言えば何か変わるの?」
「それは……」
「だったら、それは仕方ないで済ませてこれからを考えた方が建設的だよ」
私がそう言うと、エイハムさんは再び深々と頭を下げた。
……ま、人を詰めるのは私の柄じゃないからね。
このぐらいでちょうどいいのだ、代わりに再発防止策はしっかりと考えてもらおう。
「しかし、アースドラゴンは何でそんな性質を持ってたんだろうね? ハズレの個体だったのかな」
「それについてだが、最近、いくつか報告が上がっていてな」
「ほほう?」
「実は、アースドラゴンの他にも各地で強力なモンスターが目覚める事例が相次いでいてな。その中に、これまで見られなかった特徴をもつ個体が何体かいるようなのだ」
へえ、それはなかなか物騒なことになってるなぁ……。
エイハムさんの顔色があまり良くないあたり、事態はかなり深刻そうである。
アースドラゴン級の化け物が何体か暴れたら、人間の国の一つや二つは潰れちゃうからね。
「大丈夫……なんですか?」
「今のところは。モンスターに突出した個体がいるように、冒険者の中にも突出した武を持つ者がいるからな。彼らが何とかしてくれている状況だ」
「そりゃすごい、ちょっと会ってみたいね」
「君は既に、突出している側の中でもさらに突出している存在だからな。いずれ会うだろう」
エイハムさんはどこか呆れたような顔でそう言った。
まあ、竜級の魔導師なんて人間にはいないだろうしそういう扱いになるのも無理ないか。
とはいえ、私としてはできるだけ面倒ごとは避けていきたいところだけどね。
戦いは嫌いじゃないが、別にバトルジャンキーってわけでもないのだ
「あと、報告書に盗人についてのことが記されていたのだが……。この真偽は確かか?」
エイハムさんは声を小さくすると、少し距離を詰めて尋ねてきた。
誰かに聞かれていないか、警戒しているような雰囲気である。
私は念のため魔力を探り、周囲に妙な仕掛けがないかどうかを確認する。
「特に異常はないね。マスター、そんなひそひそしなくても大丈夫だよ」
「ありがとう。だが、内容が内容だけにな。ミスリルの加工技術となると、大国が関わる恐れがある」
「大国?」
「ああ。バルタイト帝国という国だ」
そう言うと、マスターは渋い顔をした。
なるほど、大国の暗部が関わるとなると緊張するのも無理ないな。
「情報の確かさについては、何とも言い難いね。確固たる証拠が出たわけでもないし……。一応、状況証拠はかなり揃っているけれど」
「……これはまだ、一般には知られていない情報なのだがな。先ほど言ったモンスターの目覚めに、一部だがバルタイト帝国が関わっているかもしれないという疑惑がある」
「本当ですか?」
「ああ。巧妙に証拠が隠蔽されていたが、ほぼ間違いない」
「そりゃとんでもないね」
「信じられません……なんだってそんなことを……!」
心底驚いた様子を見せるイルーシャ。
基本的にエルフは陰謀などには向かない種族である。
どうしてわざわざモンスターを目覚めさせるのか、皆目見当もつかないのだろう。
一方の私は、前世の経験もあってか何となく目的の見当がつく。
「モンスターを暴れさせて国力を弱める。それである程度うまく行ったら、援軍名目で軍を送り込んでそのまま乗っ取っちゃうとかかな」
「恐らくはそんなところだろう」
「まったく、困ったもんだねえ……」
「困ったなんてものではないのだがな。もっとも、帝国が手を加えなくてもモンスターたちは目覚めていたかもしれないが」
「どういうこと?」
私がそう尋ねると、マスターの顔がいっそう険しくなった。
彼は腕組みをすると、背もたれに深くもたれかかってため息をつく。
「魔竜と呼ばれる存在を知っているか?」
「魔竜? えっと、神話に出てくるやつ?」
この世界には、神と竜に関わる神話がいくつか存在する。
中でも最も有名なのが、魔に染まってしまった竜に関する話だ。
のちに魔竜と呼ばれるこの竜は、あらゆるモンスターの王であるとされる。
確か、他の竜との戦いに敗れて遥か大地の底に封じられていると聞いたけど……。
「ま、まさかあの伝説の魔竜が復活するんですか!?」
イルーシャがひっくり返りそうになりながら、そう言った。
その顔は蒼く、声が完全に震えてしまっている。
魔竜はこの異世界の住民にとって、まさに恐怖の象徴。
エルフの里でもそれは同じで、言うことを聞かない子どもに対して魔竜に食われるなどということもあった。
「大陸各地で龍脈が活性化していてな。その一部から魔瘴が噴き出しているのだ。これは、魔竜復活の予兆かもしれないと言われているのだ。あくまで一部の学者が予想しているってだけの話ではあるがな」
「そういうこと。こりゃ大事になって来たねぇ」。
「何を呑気な顔してるんですか、ララート様! あの魔竜ですよ!」
完全に取り乱してしまっているイルーシャ。
まったく、この程度でこんなに慌てるなんて修行が足りないぞ。
もうちょっと精神的な部分も鍛えた方がよかったかねえ。
私はイルーシャの背中に手を伸ばすと、ゆっくりとさすって落ち着かせる。
「まーまー、大丈夫だって。いざとなったら私が退治するから」
「いくらララート様でも、そんなこと……」
「できないと思う?」
ここで、私はあえて凄みを効かせてイルーシャに尋ねた。
にわかに私の身体から発せられた威圧的な魔力に、近くにいたマスターまでもが怯む。
するとイルーシャは、すぐさま落ち着いた様子で言う。
「…………すいません、ララート様を疑ったわけでは」
「ならばよろしい」
私は腕組みをすると、満足げに頷いた。
相手が伝説の魔竜なら、こっちは伝説の大魔導師だ。
簡単に負けてやるつもりはない。
それに魔竜か、恐ろしい敵ではあるけどちょっとワクワクしないでもないな。
なにせ、神話にその名に残るほどのドラゴンなのだ。
私の提唱した「強い魔物ほど美味しい理論」が正しいならば……。
「……うへへ」
「何ですか、そのちょっとお下品な笑い方は」
「いや、魔竜を食べたらおいしそうだなって思って……」
「おいしそうって、あの伝説の魔竜をですか!?」
ソファから立ち上がり、凄い勢いで声を上げたイルーシャ。
そのあまりの音量に、私の耳がキィンとした。
たまらず私は耳を抑え、梅干を食べたみたいなしょっぱい顔をする。
「そんなに驚かなくたっていいじゃん」
「そりゃ驚きますよ! いやむしろ、ちょっと引いてます……」
「師匠に対して真面目に引くな」
「だって、普通は魔竜なんて食べませんって」
私とイルーシャがこうしてヤイヤイ言い合っていると、エイハムさんはポンッと手を叩いた。
彼は深刻な表情から一転して、人懐っこい笑みを浮かべて言う。
「気に入った、それでこそ冒険者だ! 魔竜なんぞ、食くったれ!」
「うん、食べちゃおう! 今のうちに調理法を考えておかなきゃね!」
「あーもう、ララート様は本当にお気楽なんですから!」
呆れたように額を手で抑えるイルーシャ。
お気楽上等、二度目の人生……いやエルフ生なんだから楽しまないと。
その上で邪魔な障害があるなら、帝国だろうが魔竜だろうがみんなまとめて叩き潰す!
これが今の私、ララートさんのスタイルなのだ。
「俺からの話は以上だ。時間を取って悪かったな」
「別に時間はあるからいいよ。むしろ、これからどうしようかって思ってたとこだし」
「今回の依頼で、たくさんお金も入りましたからね」
まだいくらかは聞いていないが、ドラゴン討伐の代価である。
間違いなく、しばらく生活に困るような金額ではないだろう。
せっかくだし、ここらで少しのんびりしようとか考えていたのだ。
するとマスターは、ほほうと頷きながら言う。
「お前さん、さっきから話を聞いてると食道楽だろう?」
「まあね。食べるの大好きだよ、特にお肉!」
「ははは、エルフの癖に肉好きとは珍しいな! だったら、マーセル王国にでも行くといいかもしれねえな」
「何か有名なの?」
「ああ。あそこには魔境があってな。珍しいモンスターがわんさかいるんだ!」
「……行かなきゃ!!」
そう言われたら、行くっきゃないっしょ!
珍しい食材たちが、お肉が、私を待っている!
私は居てもたってもいられず、すぐに執務室を出ると旅立ちの準備を始めるのだった。
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