第7話 カンバスの兎

 墓参りから帰って来た翌日の日曜日。久しぶりに開けた店の最初の来店客は、やっぱり真宙だった。いらっしゃい、と迎えると彼が嬉しそうにはにかむ。

「宇佐木さんがいない間、ずっと開くの待ってたんですよ?」

「……せめて今度から突発でお店を閉める時はSNSでお知らせするよ……」

「そうしてください。今日は開いてるぞってことも告知した方がいいです」

 くすくすと笑う真宙が定位置になったソファに腰掛ける。今日のおすすめという名のお任せを注文されて、宇佐木はフレーバーの葉が並んだ棚に向き合った。彼に味わってほしいブレンドはたくさんあったけれど、真っ先に思い浮かんだのは昨日の景色だった。

 少し珍しい桜にローズや白檀のフレーバーなどを刻んで陶器製のボウルに盛り付けていく。ボトルに注いだ水に隠し味を足してから、アルミホイルを被せたトップの葉に炭で火入れをする。葉を蒸らす待ち時間にドリンクの準備をしようと振り返ると、興味深そうにこちらを伺っている真宙と目が合った。

「面白い?」

「はい。シーシャって、そうやって作るんですね」

「そう、意外と繊細なんだ。葉の盛り方や火の回り方で味もがらりと変わっちゃうし。だからこそ楽しいんだけどね」

「へえ……奥が深いんですね……」

 煙の邪魔しない飲み物を、と言われアイスティーを出してやると、真宙はしげしげと宇佐木の所作を眺めながらストローをくわえた。

 味を見つつ煙の吸い出しをしていると、わあ、と真宙が声をあげる。立ち上る白煙を見つめる瞳がきらきらと輝く様にどこか懐かしい既視感を覚えながら、宇佐木は小さく笑みを浮かべた。

 シーシャ屋を始めたのは、有間の影響だった。雲に似た煙の中に彼の姿が見えたから、自分の呪いを忘れないために、戒めるために始めたはずだったけれど。今はこうして真宙が笑ってくれるから。

「真宙くん、こっちおいで」

 作業場のカウンターの中へ入るよう促すと、怪訝そうな真宙がとことこと近寄ってくる。宇佐木はやや高い位置にある真宙の頬に手を伸ばすと、彼の唇を塞いで口に含んだ煙をふわりと吹き込んでやった。優雅さを含んだ華やかで甘酸っぱい煙。一瞬何が起こったのか分かっていない表情で、真宙が目を白黒させる。

 は、と唇を離し、真っ赤に染まっていく顔を見つめていると、真宙はしばらく硬直してからごくりと大きく呼吸を飲み込んだ。

「あっ……これ、桜の味だ。それとバニラ……」

「昨日の香り。真宙くんがつけてた香水がいい匂いだったから、ボトルの水にもバニラエキスを混ぜてみたんだ」

 そう返すと、真宙は自分の手首の内側を嗅いでから恥ずかしそうに顔を伏せた。

「確かにそうですね……あんま意識してなかったけど」

「君は甘い香りが似合うね」

「人からのプレゼントで……よく分かんないままつけてました」

「センスがいいな。フラれた彼女さんから貰った?」

「はい……」

 つい閃いたままを言い当ててしまい、気まずそうに真宙が目を伏せた。別にいいのに、と思いつつ宇佐木が煙を吸い上げると、こぽこぽとボトルの中で水音だけが鳴り響く。

 じっと思いあぐねるように視線を揺らしていた真宙が、どこか心細そうに宇佐木の腕を掴んだ。

「あの、宇佐木さん、」

「?」

 吸い出しを終えてマウスピースを離すと、不安げな真宙と目が合う。迷子の犬みたいだな、と思いながら続きを視線で促してやると、

「……俺、宇佐木さんと真剣にお付き合いしたいと思ってるんですけど、」

 そこへ不意に、彼の言葉を遮るようにドアベルの乾いた音が鳴った。来客の対応でカウンターを抜け出すと、ますますしょぼくれた様子で真宙が定位置に帰っていくのが見えた。本当に分かりやすくて可愛い子だ。

 先に新規客の注文を聞いてから、出来上がっていたシーシャを席に届けると、大きな体躯を所在なさげにソファに沈めている真宙の姿があった。いじけたようにクッションを抱きしめている様子に笑みを漏らしてから、宇佐木は彼の脇にシーシャの本体を置いた。

 そういえば、確かにちゃんと明言化していなかった。言わずともお互い察していれば問題ないと思ってしまう。

 無駄に歳だけ食った大人の悪いところが出たな、と内心でぼやきながら、メモ帳にペンを走らせた。書き慣れた住所と電話番号、それから日付。剥がしたページを真宙の手に握らせて、宇佐木はその耳元で囁いた。

「僕もお付き合いしたいと思ってるから、大丈夫だよ……今週末、うちにおいで? もしも道に迷ったら僕の番号に電話するといい」

 くしゃりと柔らかい髪を撫でてやると、真宙の顔が一気に赤く染まった。はい、と消え入りそうな返事が可笑しくて、熟れた苺のような頬をつつくと、真宙が安心したように笑う。

 考えたいことは山積みだったけれど、今は仕事に集中しないといけないな。宇佐木は落ちかけていたトレーナーの袖をめくり上げると、いそいそと作業に戻った。


§


 けたたましく鳴り響くアラームの中へ間延びしたチャイムが混ざり合い、不協和音が加速していく。無駄に広いクイーンサイズのベッドの隅に転がしていた端末を叩いて目覚まし時計を止めてから、宇佐木はのそりと毛布の塊から這い出た。液晶に映る時刻は夕方の十六時を過ぎたくらいで、デジタル表記の数字たちが蛍のように光っている。

 ベッドと反対側の壁に設置されたモニター付きのインターホンを焦点の合わない目で睨んでから、真宙の姿を確認してスピーカーに話しかける。そうだった、今日は彼が家に遊びに来る日で。

 ちょっと待っててね、と言った声が存外喉のあたりでごろごろしていて、玄関に向かう途中、キッチンで一杯水をあおった。

 もうちょっと早く起きて着替えるつもりだったのに、余裕で寝坊してしまった。あくびを噛み殺しながらドアを開けると、部屋着で寝ぐせだらけの宇佐木とは正反対に小綺麗な身なりをした真宙が立っていた。緊張と好奇心が隠せない浮ついた面持ちのせいで、普段よりもいっそう幼げな雰囲気に見える。

「おはようございます、宇佐木さん……起こしちゃいましたよね」

「むしろ起こしてくれてありがとう。店閉めて帰ったらすぐに寝るつもりだったんだけどさ、ドラマ見始めたら夢中になっちゃって、最終話まで完走しちゃったんだ……」

 どうぞ、と目を擦りながら真宙を部屋に招き入れると、彼はきょろきょろと興味深そうに室内を見回した。真宙の部屋よりも辛うじてひと回り大きい程度の1Kだったが、家具らしい家具がベッドとトレーニングマシンくらいしかないので広くは見えるだろう。隊舎にいた時のクセが抜けないようで、あまり手荷物は増えず部屋が散らかることは滅多になかった。

「シンプルな部屋だなって顔してる」

「そうですね。でもイメージ通りです。むしろ俺の部屋が散らかりすぎてるなって……宇佐木さん、お家だとシーシャ吸わないんですか?」

「うん。店まで歩いてすぐだし、わざわざ置かなくてもいいかなって」

 気兼ねなく吸えるのは魅力的だったけれど、自宅用に器材を置き始めたら一気に収集がつかなくなるはずだ。真宙はなるほど、と笑ってから壁にかかったテレビのモニタを横目に見た。

「ドラマは何を見てたんですか?」

「お客さんからオススメされて知ったんだけどさ、チェスの天才少女のお話で……」

「あ、それ俺も好きでした。チェスってかっこいいなと思ってルール知らなかったから調べたんですけど、全然覚えらんなくて」

「駒の動きとか複雑だよね」

 恥ずかしそうに笑う真宙の頭をくしゃくしゃとかき混ぜてから、宇佐木は彼をベッドに座るよう促した。

「お店と違ってうちにはソファがないので、ここらへんにどうぞ」

 はい、と真宙は明らかに緊張した面持ちでマットの端っこにちょこんと腰掛けた。飲み物を買ってきたというビニール袋をありがたく受け取ると、ソフトドリンク以外にも酒の缶とナッツやチーズなどの肴、それから、

「これは真宙くん用? それとも僕用?」

 0.01ミリとデザインされただけのシンプルな紙の箱。スキンの箱をつまんでゆらゆらと真宙の前で揺らすと、彼はわあ!と叫んで宇佐木の手元から箱をさらっていった。

「これはっ、違くて……! 俺用ではあるんですけど、念の為買っておこうかなって思っただけで使う予定はこれっぽっちもなくて!一時の気の迷いです!……カバンに入れたつもりで忘れてました、ごめんなさい」

 顔を真っ赤にして震えている真宙をくすくすと眺めてから、宇佐木は彼の細い顎に手を伸ばした。熱の昇った頬を撫でてから動揺にわななく唇をなぞってやると、真宙が潤んだ瞳を見開く。まだ若いからきっとそういう欲求は旺盛だろうに、と予想はしていたことだった。

「そこの棚の引き出し、開けてみて」

 ベッドサイドに置いた小ぶりなチェストの上には、寝る前に飲んだ薬のシートが散乱している。一段しかない引き出しを開けた真宙が中から取り出したボトルを眺めて、あ、と大きく口を開いた。透明なジェルが注がれた潤滑剤のボトル。きっとそのうち必要になるだろうな、と最近買い備えておいたのだけれど、思ったよりも出番が早いみたいだ。

「真宙くんは僕のことを抱きたいの?」

 彼が着込んだままの分厚いコートを肩から落としてやりながら尋ねると、真宙は不安そうに双眸を揺らした。

「……嫌、ですか?」

 彼が座っているせいで見上げられる形になった大きな鳶色の瞳。子犬のように潤んだ両眼を見つめ返しながら、ふわりと宇佐木は笑った。

「嫌じゃないよ……ただ、男の人とするのは初めてでさ。だから、優しくしてくれる?」

「っ、……もちろん、です」

 この子となら、どちらの位置に納まろうが構わないと思っていた。自分に抱かれた真宙も、自分を抱く真宙も、どちらにせよ愛らしいことに違いはないだろう。彼の欲求を満たせさえすれば、それが自分の幸福にも繋がるはずだ。

 ごきゅり、と生唾を飲んだ真宙の喉が鳴る。朱の滲んだ彼の額に触れるだけのささやかなキスを落としてから、宇佐木はくるりと踵を返した。

「……お風呂入って準備してくるからさ、好きなもの適当に見て待ってて?」

 チェストの上のリモコンを指すと、真宙はこくこくと人形のように頷いた。やっぱり素直で可愛い子だ。この歳で初体験を捧げることになるなんて、夢にも思ってなかったけれど。

 宇佐木は閉ざした浴室のドアに背を預け、早鐘を打つ心臓に耳を傾けた。自分が柄にもなく緊張していることに気が付いた途端、心拍数が跳ね上がってしまう。緊張と興奮がない交ぜになったざわめきは、久しく感じていなかった感覚だった。

 既に火照った頬をなだめてから、宇佐木はもたもたと部屋着を脱ぎ捨てた。

 余裕ぶっていられるかも分からないけれど、年上なんだからリードしてあげないと。


§


 風呂上りで体温があがったせいか訪れた微睡みに屈しかけていると、ベッドが小さく軋んで真宙が隣に寝転んでくる気配があった。シャワー室を出てきたばかりの火照った手がそっと頬を撫でてくる。いつもは冷え気味の指先も今日はさすがに温かかった。

「……宇佐木さん、寝ちゃいましたか?」

 不安げな囁きが耳朶に触れる。その手を掴んで濡れた手の平に唇をすり寄せると、真宙がひゅ、と短く息を飲むのが聞こえた。

「ん……起きてるから、大丈夫だよ」

「よかったぁ」

 ふにゃりと安心したように笑う真宙を見上げながら、宇佐木は腹の奥がじとりと疼くのを感じた。宇佐木の記憶の中にもあの夏の日、十歳前後だった少年の笑顔が朧げに残っていた。そんな純真無垢だった幼い子が時を経て今こうして目の前にいることの感慨深さと倒錯的な感情が絡まり合い、劣情の渦を巻いている。

「……真宙くんが大きくなっていく姿を、傍で見守ってみたかったなあ」

「急にどうしちゃったんですか?」

「君みたいな子が隣にいてくれたら、僕は飛び続けられたんじゃないかって気がしたんだ」

 最初の僚機を失ってから、ずっと冷たい孤独に苛まれていた。目印となる空に輝くポラリスのように、真宙の声が、眼差しが、寄り添ってくれていたらまだ飛べたのかもしれない、なんて。今となってはもう遅すぎる後悔なんだけれど。この子が焦がれてくれた自分は、もうどこにもいないんだ。

 真宙はぱたぱたとまばたきをしてから、どこか困ったように目を細めた。

「でも、俺は今の宇佐木さんが好きですよ。確かに空を飛んでる宇佐木さんは素敵だったし、もっとたくさん見たかった気持ちもあるけれど……でも俺が本当に恋に落ちたのは、今の宇佐木さんです。だから、」

 一人で泣かないでくださいね。

 そう呟きながら頬を拭われて、自分が涙を流していたことに初めて気がついた。ずっと胸元に留まっていた氷塊が溶けて、液体となっていく。その溢れた水が涙の川となって込み上げているみたいだった。この子の温かい手の平が、こんなにも容易く呪われた氷を溶かしてくれる。まるで魔法のようで。

 もっと、触ってほしかった。

 宇佐木は真宙の手を引き寄せて、着ていたTシャツの裾へと誘った。どこか躊躇いがちな仕草で、真宙が布地をたくし上げていく。薄暗い間接照明の下でもはっきりと見て取れる、宇佐木の割れた腹筋の影をなぞりながら、彼がほおと息を吐くのが聞こえた。

「綺麗なお腹……まだちゃんと鍛えてるんですね」

「そう、かな? これでも若い頃と比べたらかなりたるんじゃって……」

「全盛期の宇佐木さんヤバすぎません?」

 やっぱりちょっと見たかったな、と笑って、真宙の手がするりと脇腹をなぞってくる。期待で熱を孕んだ彼の吐息が首筋にかかり、その体躯を招き入れるように広い背中に腕を回した。貸してやったTシャツはゆとりが無かったようで、意外とついた背筋の感触がある。

 貪るような口付けで唇を塞がれて、どくどくと血が巡り始めるのが頭の中に響いていた。宇佐木が口を開くと、軟体動物のような真宙の舌先が口蓋を叩いてくる。柔らかくて熱い舌、自分と同じ歯磨き粉の味と、ミントの匂い。そんな些細なことすらも興奮剤にしかならず、宇佐木はより深く真宙の舌を求めた。いつもは辛いはずのミントの味も、今はやたらと甘く感じられて。

「っ、んぁ……ま、ひろく……っ、」

 口付けを交わしながら、真宙の手の平が胸板を這う。乳首をこねるように揉まれながら、ふっくりと勃ち上がってきた尖端を軽くつままれて、それだけで強い痺れが走った。

「ひっ! ……っ、ぅ」

 漏れてしまった声が存外甲高く、恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。頭をそらそうにも真宙の片手にしっかと首根っこを掴まれていて、逃げようがなかった。舌先を食んでは、ざらついた舌がもつれあう音がぐちゅぐちゅと鳴り響き、息が上がっていく。

 宇佐木が濡れた目で様子を伺うと、真宙の双眸も興奮で曇っているのが見えた。さんざん吸い上げた彼の唇が顎を伝い、鎖骨をくだっていく。Tシャツを乱雑に脱がされ、力の抜けたやわい胸筋をあちこち甘噛みされたかと思えば、尖端を舌で強くこねられて、ぴくりと腰が跳ねた。

 舐めて、吸って、噛まれて。

 今まで見たことがないくらい、熟れたさくらんぼのように充血した乳首を見下ろしながら、これは本当に自分の体なのだろうかと宇佐木は震える息を吐く。彼の手の中で作り替えられていくような感覚は、少し怖いけれど決して嫌じゃなかった。ここ数年、まともに性欲らしい欲求もなかった体には劇薬のような快感たち。

「宇佐木さん、敏感だし胸も大きいですね……俺の手でも納まらないや」

「っ、うぁ……そこっ……」

 真宙の白い歯牙が胸筋や乳頭を淡く噛んでは、赤い鬱血の花が散らされる。普段の穏やかな真宙からは想像しづらい獣じみた仕草たちに、下腹の辺りがきゅう、と疼くのを覚えた。彼に捕食される、という心地よい危機感。それから、どこか手馴れた性感帯の拾い方に、宇佐木はそっと彼の頭を撫でた。

「んっ、ぁ……もしかして、真宙くんってさ、同性とセックスしたこと……あるの?」

 ぎくりと広い肩の線が揺れ、真宙はイタズラがバレた犬のように目を伏せた。別に怒ったりしてないのに。

「……大学生の頃、同級生に誘われて、一度だけ……でも、それっきりです」

「そうか。だから僕以上に僕の体に詳しかったのか」

 腑に落ちた些細な違和感に宇佐木はふふ、と小さく笑みを漏らした。リードしなくちゃ、なんて気を張っていたけれど。

「僕だけが初めてなら、安心だ」

 よかった、と目を細めると、しょげていた真宙が嬉しそうに顔を寄せてきた。鼻先を宇佐木の髪にうずめながら、かすれた囁きが耳朶をなぞる。

「……俺、宇佐木さんのこと、ちゃんと気持ち良くできるように頑張るので」

「もうちゃんと気持ちいいよ……?」

「まだぜんぜん足りないです」

「ふあ、っ……」

 丸い指の腹の動きでくにくにと胸の尖りを潰されて、もどかしい快感の波が押し寄せてくる。さっきからソコばかり刺激されていて苦しい、と膝をすり合わせていると、真宙の頭が脚の間へと下っていった。

 ボクサーパンツしか身に着けていない下半身を愛撫されながら、もうだいぶ血を集めて硬くなっていた宇佐木の杭を見て真宙が安堵したように微笑む。

「よかった、興奮してくれてて」

「君にあんなえっちな触り方されたら、当たり前だ……っ」

 先走りが滲んだ布地越しにキスをされて、ふあ、と情けない声が漏れた。恥ずかしさから局部を隠そうと丸めかけた脚を手で制して、真宙の体が割り込んでくる。そのまま太腿まで下着を脱がされ、現れた茎にべろりと彼の舌が這わされた。分厚い濡れた舌の温度、ざらついた粘膜の感触。

「っ、う、……く、」

 下腹が震え、歯を食いしばって快感に耐えていると、真宙が無造作にペニスを口に含んだ。ぞっ、とそのぬるついた熱さに一瞬意識が白む。こういった類の愛撫は初めてじゃなかったはずなのに、くらくらするくらい気持ちがいい。

 そのまま容赦なく喉の奥まで咥え込まれて、宇佐木は濁った声を漏らした。サイズ的にもそう小さくはないはずだが、真宙はくぽくぽと口の中を鳴らしながら呑み込み、器用に亀頭を舐めては竿を指先でしごいてくる。宇佐木が心地よさに喘ぐたびに、彼の鳶色の瞳がふわふわと嬉しそうに揺れるのが見えた。そんな可愛い顔で笑われたら、我慢できるものもできなくなってしまう。

「ん、゛あっ、まひろ、く、んっ……」

 長い舌が宇佐木の弱い場所を察して絡みついては放される。敏感な裏筋から雁首にかけてのくびれをざりざりと舌で擦られてから、更に追い詰めるように陰嚢を揉まれて強い射精欲がこみ上げてきた。赤褐色の髪に指を差し入れ、やんわりと拒んでみたけれど彼の動きは止まらない。

「っ、あ! ……まひろく、だめ……も、放して、っ」

 そうどうにか絞り出しても開放してもらえず、柔い口内の肉がぎゅう、と締め付けてくる。引き絞られた喉奥が嘔吐反射で震えるのにも構わず、真宙は上下に激しく頭を揺すった。互いの体液が混ざり合って、重たい泡が立つ。

 延々と続く濃厚すぎる口淫に、目の前で白い星がまたたく。必死に欲を堪えていたけれど、やがて彼の強い吸い上げに誘われるがまま意識が真っ白に爆ぜた。

「んああっ、……いっ、く……っ!」

 全身を震わせながら、彼の熱い喉奥に精を吐き出し、体が一気に弛緩する。真宙は宇佐木の吐精を全て受け止めると、ごくりと喉を鳴らして満足そうに白濁を飲み干した。

「……ふふ、……宇佐木さんの味だ」

「飲んじゃった、の……?」

「ごちそうさまです。美味しかった」

 あっけらかんとそう言って、真宙は萎みつつある宇佐木のペニスにちゅう、とキスをした。それからごろり、と体をうつ伏せに返されたかと思うと、真宙の指先が背筋をなぞる。膝の辺りで留まっていた下着を脱がされ、腰や尻の肉をやわやわと揉まれて宇佐木はあえかな声を漏らした。ただマッサージをされているだけなのに、腹の奥に疼きが溜まって仕方ない。

「宇佐木さん……ここ、ほぐしてもいい?」

 尻たぶを割り開かれ、真宙の指先がトン、と蕾を叩く。滅多なことで他人には触られない場所への刺激にびくりと腰を揺らすと、真宙が可笑しそうに息を漏らした。

「触られるの、怖い?」

「は、っ、……いいよ。へいきだから、ほぐ、して」

 ちらりと真宙の下半身に目をやると、下着の中で彼の兆しが勃ちあがっているのが見えた。あんまり焦らして我慢させるのも可哀相だし、恐怖心など抱いている場合ではないのだろう。

 真宙は潤滑剤の中身を手に取ると、じっくりと体温を馴染ませた。枕を抱いて火照った顔をうずめていると、尻のあたりに生ぬるいぬめりが触れる。緊張をほぐすように腰から下の肉を丹念にまさぐられた後、硬く閉じた肉の蕾に真宙の指が添えられた。

「指、入れますね? 辛かったり、痛かったりしたらすぐに教えてください」

 うん、とか細い返事をすると、つぷりと指が体内へと沈んでいく感触があった。自分で洗浄をした時とは全く異なる違和感に自然と声が漏れてしまう。

「ぅ、あ……っ、」

「気持ち悪くないですか?」

「……ん、ふ、だいじょうぶ……っ、」

「ゆっくり動かしますから」

 骨ばった指がゆるゆると出し入れされ、意識して力みを抜くとやがて真宙の長い中指が全て飲み込まれる。時折中腹のポイントをかすめる度に、ぴりりと静電気のような刺激が走った。そこが前立腺ってやつなんだろうか、とぼんやり思いながら背中を震わせていると、ふいに真宙の指がぎゅう、とその一点を強く腹側へと押し込んだ。

「! っ、ん……あっ! ……っ」

 甘さと痛みの混ざりあった疼きが全身に広がり、宇佐木はたまらず声をあげる。なんかそこ、いやだ、ヘンになる。

 無意識のうちに逃げるようにくねる宇佐木の腰を片腕で手繰り寄せながら、真宙は小さく笑みを零した。

「ここ、気持ちいい?」

「あ、ぅ……わかんない……おなか、びりびりして、る……」

「本当に敏感なんですね、宇佐木さん……可愛い……」

 二本目の指が差し込まれて行く気配に息を吐いて、宇佐木は枕を握りしめた。腹の奥に重たい熱が降り積もっていき、ぐちゅぐちゅと鳴り始めた水音が鼓膜を叩くだけでも、脳髄が痺れてしまう。

 膝をつき腰を高く持ち上げられたかと思うと、後孔はぬるりと容易に真宙の三本目の指を飲み込んだ。獣じみた四つん這いで秘部をさらけ出した格好に羞恥心が募る。こんな姿を真宙以外に見られたら舌を噛み切るしかない。

 指を出し入れされながら、空いていた雄をさすられて宇佐木は快感に背をしならせた。ゆるく勃ち上がっていたペニスをしごきながら、三指で前立腺の膨らみを擦られてガクガクと腰が痙攣する。

「っ、ひぁあっ! ……あ、っ」

「お尻だいぶ慣れてきましたね。触られるの、好き?」

 そんなことない、と言葉では強がろうとしたけれど正直に頷きを返してしまっていた。すぐに崩れそうになる腰を懸命に突き出していると、真宙の指がちゅぽ、と音を立てて抜け落ちる。頑なだった蕾はすっかり濡れてとろけ、物欲しげにひくついてしまう。

「まひろ、く……っ、もう、いいでしょ……」

 くたりとシーツの上に突っ伏して懇願すると、そうですねと笑って真宙が宇佐木の黒髪をなだめるように撫でた。彼って意外とサドっぽいところもあるんだな、などと小休止の合間に考えていると真宙の手がスキンの箱へと伸びる。

 宇佐木は仰向けに転がって息を整えながら、下着とTシャツを脱ぎ捨てていく真宙の姿を眺めた。随分と背が高い子だとは思っていたけれど、さほど鍛えずとも恵まれた骨格をしているタイプらしい。ちゃんとトレーニングしたらすぐに体型が変わるだろうに、と思いながら彼の胸板や薄く割れた腹筋に指を這わせると真宙がくすぐったそうに苦笑する。

「……貧弱ですみません」

「そんなことないよ。肌も若くて綺麗だなと思って」

「部屋に引きこもりきりで、日焼けしてないだけです」

 ほの明るい照明の中で、肌理の整った白い肌が艷やかに光っていた。健康的な体つきを眩しく見つめていると、真宙が気恥ずかしそうにスキンの包みを開く。臍の辺りまで反り返った真宙の杭は、猛獣の涎のような先走りで濡れそぼっていた。体が大きいからそちらも立派なのだろうかとは思っていたけれど、現実は想像以上だった。

 ごきゅ、と生唾を飲み込んで下腹部をさすると、内臓の奥の方が切なく疼くのを感じた。指では到底届かない深い場所が、期待で濡れていく。念入りにほぐされたおかげで、恐怖心よりも飢餓感の方が勝っていた。ちゃんと受け入れられるのかは不安だったけれど。

「……可愛い顔とのギャップがえげつないな」

「ごめんなさい……しっかり準備したつもりですけど、もしも痛かったら遠慮なくぶん殴ってください」

「ん。大丈夫だと思うよ」

 君から与えられるものなら痛みすらも喜びに変わってしまいそうだし。

 真宙が血管の浮いた自身のペニスを扱いてからぱちん、とスキンをかける。継ぎ足されるローションの冷ややかさに息を潜めながら、宇佐木は大きく膝を開いた。

「っ、……いつでもどうぞ……?」

 腰を浮かせて尻の肉をかき分けると、その仕草に真宙がぐう、と喉を鳴らして呻く。もしかしてヘンに煽っちゃったかな? と巡らせかけた思考が、後孔にあてがわれた真宙の体温でどろりと溶けて消えてしまう。ちゅぷ、と水音を響かせながら杭が胎内に潜り込んでくる。硬い雁首を呑み、幹に浮いた太い血管の形に沿って蕾の皺が伸びていく感覚があった。真宙の手の平で胸板をさすられて、無意識のうちに止めていた息を思い出す。

「っ、う、んあ……っ、く……」

「ゆっくり呼吸して、体から力を抜いてください」

 悦びにわななく体を鎮めるように深呼吸を繰り返していると、弛緩した隙を見計らうように真宙が腰を落としてくる。未知の感覚による興奮と恐怖で全身が痺れ、彼のことを深く受け入れたいのに器官の作りが勝手に杭を押し出しかけてしまう。行かないで、と焦って真宙の腰に脚を絡めると、彼が可笑しそうに笑って宇佐木の下腹を撫でた。

「ちゃんと入るから、大丈夫ですよ」

 ふう、と息を吐き、硬く充血した根元に指を添え、真宙が一気に腰を押し進めてきた。閉じていた肉襞がぐぬりと開き、やがて行き止まりに辿り着く。切れた息に胸を揺らしながら、宇佐木は腹の奥に留まる存在の心地よさにとろりと瞳をなごませた。

「ふあっ、ぅ……おなか、あっつい……」

「っ……は……宇佐木さん、痛くないですか?」

「……いたく、ない……しあわせ……」

 彼の体温で溶かされた氷が再びほたほたと眦を伝って落ちていく。へらりと笑って下腹部を見やると、全ては収まっていない真宙のペニスの根元が見えた。まだあんなに余ってるなんて、どれだけ大きいんだ。全部入っちゃったら、どうなっちゃうんだろう?

「俺のが馴染むまで少し待ちましょうか。たぶん、すぐ動くと痛いだろうから……」

 真宙の手の平があやすように額を撫でてくる。半身を密着させるように抱きすくめられると、彼の腕の中にすっぽりと収まったような安堵感があった。普段は猫背がちなせいかあまり威圧感はないのだけれど、今は大きな包容力がある。真宙と繋がっている、そう考えただけで涙が止まらず、宇佐木は彼の頬に自分の頬を擦り寄せた。ちゅう、と耳たぶや唇を吸われながら、朱の昇った真宙の顔がふにゃりと笑みに溶ける。

「今この瞬間が夢だったらどうしよう」

「っ、こんなにあつくて、重たいものが、腹の中にめり込んでるのに?」

「俺にとってはとろとろであったかくて、夢心地なんですよ、宇佐木さんの中」

 すみません、と悪気もなさそうに笑ってから、真宙はよりいっそう深く宇佐木の腰を抱き寄せた。

「……そろそろ動きますね?」

 うん、と頷きを返すと真宙の腰がゆったりとくゆり始める。ぱちゅん、と水っぽい音を立てて汗ばんだ互いの肌が鳴った。真宙の硬い杭でかき回されるたびに、暴力的な快楽の嵐が腹の中を吹き荒れていく。前立腺を長いストロークで掻き出されたかと思えば、最奥を突き上げられるたびに内臓が甘く痺れる。

「あっ、ひぅっ……! っ、んああ……っ」

 経験したことのない快感の類に視界がちかちかと明滅して、宇佐木は誘導弾の接近を知らせる警報の幻聴を聞いていた。もしかして、僕、このまま死んじゃうのか? 命の危機とまではいかないだろうけど、空を飛ぶ喜びに近い高揚感。

「んは、ぁっ……あはは……っ、きもちよくて、おかしく、なりそ……」

「っ、は……俺も、めちゃくちゃ気持ちいいです……」

 宇佐木さん、と切なげに呼ばれて、その声に応えるようにきゅう、と彼の杭を内側で食いしめた。衝動を堪えるように眉間に皺を寄せた彼は、いつもより雄々しい色香を纏っているように見えた。真宙の額に伝う汗を唇ですくいながら、揺れる視界の中で宇佐木はそうだ、と呟く。

「まひ、ろ、くんっ……なまえ、っ、あ……」

「名前が、どうしたんですか……っ」

「っ、ぼくのこと、なまえで、よんで?」

 別に名字呼びを強いていたつもりはないのだけれど、ふと心の距離を感じてしまったのだ。

 はた、と驚いたように両目を見開いてから、真宙が嬉しそうに笑う。まるでヨシを言いつけられた犬みたいだな、と思いながら耳元に寄せられた唇が甘ったるい声を吐き出す。

「……大好きですよ、薫さん」

 きゅん、と腹の奥がすぼまって寒気に似た震えが走った。本能的に逃げそうになった腰を真宙の手で捕らえられてしまい、彼の杭が前立腺の膨らみを強く押し込んでくる。ぞわぞわとした快感の波があっという間に押し寄せてきて、宇佐木はあやふやな声を漏らしながら意識が真っ白に染まるのを見た。

「っい! あああっ……! ~~っ!」

 びくん、とつま先でシーツを蹴りながら、体を震わせて達する。真宙の昂ぶりに押し出された白濁が宇佐木の割れた腹筋をしとどに濡らした。目一杯収縮した内側が真宙の形にひずんで、その度に彼の熱の愛おしさで痙攣が戻って来てしまう。真宙が胎内にいる、そう我に返るたびに意識が寄せては返して。

「薫さん、前触ってないのに、お尻だけでイケましたね」

「はっ、ぅ……あ……っ、」

「処女なのにこんなに敏感なんて……えっちな体ですね……」

「……きみがっ、いっぱいさわ、るから……っぁ」

 まだ絶頂の余韻で締め付けのきつい肉襞を割り開くように、真宙の抽挿が再開される。過剰摂取の快楽にびりびりと脳の芯がしびれ、宇佐木は力なく彼の背中にしがみついた。

「゛あっ、う……まだ、イッた、ばっか……っ、待っ、」

「ごめんなさい、薫さん。俺もう、待てそうにないです」

 ごちゅん、と鈍い衝撃で腹の奥をノックされ、内臓全体に重たい痛みとしびれが走った。その痛みの伴う律動すらも、真宙に与えられたものだと思えば無条件に体が悦んでしまう。おかしくなっちゃう、もうだめだ、なにも考えられない。

 奥のさらに奥を暴こうとするような獰猛な腰つきに、宇佐木はゆるんだ唇からぽたぽたと唾液を滴らせた。

「もっ、むり……はいん、ないよ……そんなとこ、やだ……っぅ……」

「っ、……大丈夫、っ……俺のこと、まるごと全部、呑んでください」

 ほら頑張って、と笑う真宙の頭を抱き寄せて宇佐木は半ば祈るように息を吐いた。何度も訪れる浅い絶頂に意識を手放しかけながら、時折真宙の手に杭をしごかれてガクガクと腰が揺れる。腹の底から射精感とは少し異なる熱いうねりが迫ってきて、宇佐木は回らない舌で必死に懇願した。

「ふあっ! もら、……やめっ、でちゃ、゛う……~~~!」

 背を弓なりに反らせた瞬間、白濁と潮の混ざった体液がペニスからぷしゅりと吹き出した。真宙の抽挿に合わせてぼたぼたと垂れる濁りを見つめながら、宇佐木は煮えたぎる湯に放り込まれたような羞恥を感じていた。早く止めたいのに、もう体のスイッチが壊れてしまったみたいで我慢ができない。

 彼に貫かれるがままくったりと枕に頭を預けると、硬く閉ざされていた行き止まりが柔らかくうねり始めるのを感じた。拒む気は毛頭なかったのだけれど、全身のどこにも力が入らなくなっていた。真宙が最奥を拓こうと強く腰骨を押し付けるたびに、体の奥が空に向かって持ち上がるような浮遊感に襲われる。

 やがてひと際高く突き上げられた瞬間、張っていた膜が破けるようにぐぽ、と奥の口が開くような感触が走った。

「っ、゛ん……ひああっ……! ~~~~~っ! まひろ、く……っ」

 大きく充血した真宙の雁首を飲み込んで、蕾の入口に柔らかい下生えが触れる。肉襞で彼の茎を食い締めながら、宇佐木は喉を反らせて甲高い喘ぎをあげた。

「んあっ……゛あぁ……っ~~~~! ……っ!」

「よかった、全部入った……」

 とろりと熱で曇った真宙の双眸を見上げながら、宇佐木はねじ込まれた快感の大きさにはくはくと喉を震わせた。気持ちが良すぎて怖い、頭がおかしくなる。

「薫さん、初めてだから入らないかもと思ってたんですけど……偉いですね」

「あっ、ひぅ……う、うう、~~~っ!」

 涙や唾液で汚れた宇佐木の唇を舌で拭いながら、真宙が容赦なく抽挿を始める。眠たい腰の動きでゆっくりと直腸の終わりを舐られ、宇佐木はすがるように真宙の頭を抱き寄せた。もっと泣けと言わんばかりに重苦しい快楽を注ぎ込んでくるくせに、体に触れてくる手つきや言葉は痛いくらいに優しかった。深い場所をぐぽぐぽと執拗に擦り上げられて、簡単にやってきた快楽の大波に宇佐木は息を止める。

「いっ、くぅ……まひろく、いっちゃう……っ!」

「いいですよ……イッてください」

 そう囁かれた瞬間、全身が甘い痺れに包まれて視界に白い幕がかかった。ペニスが透明な潮だけを吐き出しながら、意識が高みに昇り詰める。今夜訪れた中でも一番長い絶頂に打ち震えていると、真宙があはは、とかすれた声を漏らす。

「薫さんの中、めっちゃ締まった……俺もそろそろイカせてください」

 耳朶にちゅう、とキスが落ちたかと思うと、彼のストロークが大きく早いものに変わる。後孔から杭が抜け落ちる寸前まで引いては奥の先までを貫く動きに、宇佐木は戻ってこない視界の中で幾度も果てた。

「ひっ……んぅ……゛あ……っ、は……~~~~っ!」

「っん……はぁ、薫さん……出して、いい?」

 言葉に出来ずにこくこくと頷くと、やがて重たい熱がスキン越しに爆ぜるのがわかった。しばらく昇った場所から降りて来られないまま目を閉じていると、案じるような手つきが体の線をなぞってくる。硬度を失った真宙の杭がぬろりと体外へと出ていく感触に背筋を震わせながら、宇佐木は気だるい目蓋をどうにかこじ開けた。涙腺が壊れたまま涙が止まらず、腹の奥には彼の輪郭をした熱が燃えていて、まだ繋がったままなんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。

 その名残りを皮膚の上からなぞっていると、傍らに真宙が寝っ転がってきた。汗みずくになった体を互いに抱きしめ合いながら、真宙がすりりと宇佐木の首筋に額を寄せる。やっぱり大きな犬みたいだ、と今は可愛げのある仕草に宇佐木は小さく笑った。時には獰猛な狼にも化ける、大きくて愛らしい獣だ。

「……僕も、好きだよ、まひろくん……」

 どうやら自分でも推し量れていなかった体力の限界が来たらしい。それだけは絶対伝えなくちゃ、と言葉を紡いだ瞬間、ブレーカーが落ちたように宇佐木の意識は暗がりへと吸い込まれていった。


§


 朝の日差しをしばらく眺めてから、宇佐木は普段滅多に吸うことのない紙巻き煙草へとマッチで火を点けた。フィルターは砂糖菓子のように甘く、吸い上げるたびに葉に混ざったクローブがパチパチと線香花火のように爆ぜる。

 無性に会いたくなって吐いた紫煙は、白い雲のように空を漂った。いつも漠然と感じていた息苦しさが今日はどこにも見当たらない。

 昨夜は疲労で綺麗に意識を飛ばしてしまった記憶があったが、朝はすっきりと目覚めることが出来た。腰から下は溶けたアイスクリームのように形が掴めず、違和感が絶えなかったけれど。

 まだ朝露の残った冷たいベランダへと直に座り込んで煙をふかしていると、まだ眠たそうな真宙がひょっこりと顔を覗かせた。

「薫さん、おはよ、ございます……」

「おはよう。真宙くん」

 寝ぼけ眼を擦りながらふらりと近づいて来たかと思えば、真宙は背後から宇佐木の体を抱き込むように腰を下ろした。うなじの辺りにかかる彼の吐息に笑いながら煙を吐き出すと、真宙がすん、と鼻を鳴らす。

「美味しそうなクッキーの匂いがする……」

「そう、クレテックっていう香辛料の混ざった煙草なんだ」

「珍しいですね。いい匂い」

 ふいに顎の辺りに手を沿えられて、真宙が顔を寄せてくる。その意味を察して含んでいた煙を口移しで与えてやると、宇佐木の唇をぺろりと舐めてから真宙はもごもごと味を吟味した。

「あまい……お菓子食べてるみたいだ」

 もうひと口ください、と言ってキスをされて、宇佐木はふ、と口の端で笑った。

「君、キスしたいだけだろ」

「バレたか」

 真宙の腕の中に体を預けると、埋み火のような熱を思い出してしまった。ジャムの空き瓶に灰を落としてから、ほうと深い息を吐くと、真宙の沈痛な声音が首筋にかかる。

「あのっ……薫さん、昨夜は無理させてごめんなさい……」

「おかげさまで足腰がさっぱり役に立たないよ。君が彼女にフラれた理由が分かった気がする」

 けらけらと冗談めかしてそう文句を返すと、真宙がくしゃりと顔をしかめた。

「うう……面と向かってはっきり言われたワケじゃないんですけど、多分そうです」

 好きになっちゃうと、コントロールが出来なくて。悲しげにひそめられた眉を見上げながら、宇佐木はゆっくりと煙を吐く。若さ故の貪欲さだろうな、と食欲旺盛な獣に散々しゃぶられた節々を思い返して苦笑が零れた。気持ちが良かったのは確かだから、別に構わないのだけれど。

「昨日は初めてで予想がつかなかったけれど、僕は体力だけならあるから……次も遠慮せず好きに抱いたらいい」

 そうしれっと返すと、真宙の大きな目が真ん丸に見開かれた。ぶんぶんと揺れる尻尾の幻を見ながら、真宙の額が肩口に擦り寄せられる。

「次回を許してくれるんですか……」

「君が思っているよりも、僕はちゃんと君に惚れているつもりだ」

 それに彼のおかげで胸が澄んだような心地だったから。薬に頼らず熟睡したのは何年ぶりだっただろうか。涙となってすっかり溶け落ちてしまったのか、氷塊の気配はもうどこにない。情事に乱れて泣きじゃくりながら手放したことだけがやや不本意だったけれど、あの大きな氷の塊を溶かしてくれたのはまぎれもなく真宙の愛情と、優しい彼の手の平のおかげだった。

 有間が死んだ時、一滴も涙が出なかったことを思い出した。

 彼の機体が海に墜ちていく時、回収された遺体、棺の中で眠った顔、骨と灰になった姿。

 声を上げて泣きたい気持ちだったのは確かなのに、泣くことが出来なかったのだ。

 吸い終えたフィルターの火をもみ消して、宇佐木はそっと腹に回された真宙の手を握り締めた。寝起きの温かい肌はさらりと乾いていて、触り心地が良い。

「とはいえ、僕はオジサンですから、お手柔らかに」

「……はい。大事にします。薫さんがおじいちゃんになっても傍にいますから」

 ふふ、と幸せそうに真宙が笑う。腕の中と同じように温かい彼の言葉に、明るい未来がふと見えたような気がした。

 まだ冬の匂いがする朝の風の中で微睡みかけていると、そういえば、と言ってふいに真宙が腰を上げた。部屋から戻ってきた彼が持っていたのは一冊のスケッチブックだった。はらり、と開かれた紙面には何十枚もの絵が描かれていた。どれも手書きで着彩がきちんとされており、絵のトーンも様々だったが、兎のモチーフが多いようだった。

「こんなにたくさん……もしかして、」

「頼まれてた、薫さんのお店に描くための壁画のラフです。時間がかかっちゃってごめんなさい。ずっと描いてはいたんですけど、どれもしっくり来なくて……でも最近やっとこれだ! ってアイディアが見つかって、」

 そう言って真宙が最後にめくった一枚に、宇佐木は視線が離せなくなった。様々な青と白を使って塗り込められた薄暗い空からは眩い光が差し込んでいた。丘には白い桜や花々が咲き誇り、煙が漂う逆光の中には一羽の黒い兎が佇んでいる。ピンと澄まされた長い耳と青い瞳は美しく、その背中には今にも穴倉から飛び立たんと広げられた真っ白な双翼が生えていた。傷だらけで羽根も不揃いだけれど、力強い翼。幻想的で静謐な、けれど希望に溢れた世界。

「すごい……」

「全部薫さんのイメージで描きました。俺が知ってる、薫さん」

「僕は……こんなに美しい人間じゃないよ」

「そんなことありませんよ。俺が大好きな薫さんはいつだって綺麗です」

 陽だまりのように笑ってあっけらかんと真宙が言う。もったいないくらいの言葉に溢れた涙が頬を伝ったけれど、その雫はいつも流れるものよりもっとずっと温かかった。宇佐木の涙を拭って真宙が頬を寄せる。冬空の下でもちっとも寒くなくて、胸の真ん中は炭よりも熱く燃えていた。

 何気なく放った自分の言葉をよすがに、真っ直ぐ飛び続けてくれた愛おしい子。その子がくれた贈り物が今まで見たどんな青空よりもきらきらと光って輝いていた。

 —— 綺麗なのは僕なんかじゃなくて、この子を通して見るからこそ美しく輝くのだろう。

 ほたほたと流れ落ちる涙を止められないまま、宇佐木はスケッチブックを抱きしめた。

「これがいい」

「よかった。全力で描きます」

 舌に名残った甘い煙と真宙の体温に包まれながら、宇佐木はふわり、と笑みを零した。

「完成が楽しみだよ」


END

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Vertigo in the Smoke 蜜井 眠 @mitsui_zzz

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