夜明けの死闘・3

「『魔界の雷サンダー・シェオル』」


 エレノアが呪文の名を呼ぶと同時に、上空に黒い雲が集まり始めた。明け方の空を闇に戻すその雲の中には、無数の緑色の雷が轟いている。彼女がテオドアたちに向けて爪の伸びた悪魔のような手をかざすと、轟音とともに稲妻が音を立てて襲い掛かってきた。幸運にも攻撃はわずかに逸れ、テオドアのすぐ横の地面に着弾する。だが、そばを通り過ぎただけで強力な電流がクラウスとテオドアの体を貫く。全身の筋肉が収縮し、二人は地面に倒れ伏した。


「クラウス、邪魔よ。狙いがそれたわ」


 あふれる魔力をうまく制御できていないのか、エレノアは忌々しげに手にまとわりついた電気を振り払う。そして地上に降り立つと、ゆっくりとテオドアの方に歩いて行った。


「見なさい、チャールズはまだ戦っているわ。それに比べてあなたは何なの。殺しもせずに無益に遊んで」

「は、母上……」

「口答えはおよし。あなたがそこにいなければ、この役立たずを処分できてたのに。結局、あなたもこいつと同じ役立たずなの、クラウス?」


 八つ当たりもいいところの彼女の言動に、クラウスは怒りを覚えて立ち上がる。


「何だと? 母上、俺はこいつに、罰を与えてやったまでで……」

「五月蠅いわね、引っ込んでなさい」


 エレノアが軽く放った雷撃は、クラウスの体を吹き飛ばし館の壁に激突させる。だがクラウスはふらつきながらも立ち上がった。想定外に弱い威力に、エレノアは一瞬困惑する。だが立ち止まったその隙に、空中に出現した巨大な光る岩がエレノアの脳天に落下した。


「母上、いい加減にしろよ。この俺様を馬鹿にする奴は、たとえあんただろうとも許さねえ」


 完全に理性のたがが外れている。それはエレノアも同じであった。暴走したクラウスの方に向き直ると、怒りに顔を歪めて連続で雷を放つ。クラウスは魔法の手でそれを防ぎつつ、空中に飛びあがって距離を取った。それを追いかけるエレノア。奇跡的に、テオドアは相手の視界から外れることができた。


「ルーシー、無事ですか……」


 しびれてうまく動けない体で、テオドアはルーシーの方に近づく。彼女はぐったりと動かないが、まだ息はあるようだ。上空に目をやると、エレノアとクラウスが激しい空中戦を繰り広げていた。その少し遠くの庭園には、黒い煙が充満している。テオドアは、まだジャックが勝利したことを知らなかった。弱々しい手つきで、少しでも安全な場所へ離れようとルーシーの体を持ち上げる。そんな彼の胸元で、時計は静かにカウントダウンを刻んでいた。


◇ ◇ ◇


 戦いの決着はあまりにもあっけなくついた。ローゼンバウム邸の尖塔の一つに、クラウスの死体が力なく突き刺さっている。その上空には、もはや人としての理性を完全に失ったエレノアが羽ばたいていた。今の彼女には、もはや血のつながりは一切意味を持たない。ただ自分の邪魔をするものを、力で蹂躙し滅ぼす。ただその考えだけが、彼女を突き動かしていた。心身ともに魔物と化した彼女は、次なる標的をテオドアに定める。彼の前に降り立つと、エレノアは弱々しく逃げようとするテオドアを見下し、その手に魔力を集中した。


「テオドア、我が一族の汚点。あなたなんか生まなければよかった」

「このような結果になってしまい、本当に残念です。母上……」


 息も絶え絶えにそう言う実の息子を前にしても、エレノアの胸には殺意以外の感情はなかった。氷のように冷たい目で、彼女は手から雷を放った。いや、放とうとした。


「……なぜ?」


 手のひらに集まった魔力は、放たれる前に雲散霧消した。改めてもう一度魔法を使おうとするも、今度は魔力そのものが集まらない。力の制御が上手くできない感覚は先ほどからあったが、今では魔力そのものが感じ取れなくなっていた。テオドアはその様子を見て、胸元の時計を見る。いつの間にか、十三分が過ぎていた。


「作戦、成功のようですね」

「私に、私に何をしたの!?」


 力を失い取り乱すエレノアを前に、テオドアは息を整え説明する。


「十三分前、あなたに撃ち込んだ銃弾。あれには、サザンウィルムの毒液が塗られていました。この遅効性の毒には、人間の魔法細胞の働きを弱める効果があります。簡単に言うと、母上はしばらく魔法を使うことはできない」


 その言葉を聞き、エレノアは力なくその場に膝をつく。テオドアはそんな彼女を前に、全身の力を振り絞って立ち上がった。


「かつて、父上が言っていました。私たちの魔法は、それを使えない人を助けるためにあると。しかし母上は、魔法を必要もなく他人を傷つけるためだけに使う。そんなあなたに、魔法の力はいりません」


 何か言いたげに口を開くエレノア。しかしその口から出てきたのは、言葉ではなく血だった。苦しそうに咳をしながら、血を吐き散らす彼女を前に、テオドアは血相を変えて彼女に抱きよった。


「なぜ⁉ あの毒は致死性ではないはず。いや、そうか、体が魔物化したから……申し訳ございません、母上。命を奪うつもりは……」

「いいのよ、テオドア」


 先ほどとはうってかわって、優しい口調でテオドアに話しかける。肉体はすでに魔物と化してしまい、魔力を奪う毒で体の機能が少しずつ壊死している。だがそれは同時に、彼女を蝕む魔物の狂気も奪い去ったようだ。かつての優しい目で、エレノアはテオドアの方を見る。


「テオドア……ごめんなさいね。私のせいで、家族がばらばらになってしまった」

「もう話さないでください。今から毒を抜けば、まだ……」

「もう無理よ。いたずらに力だけを求めた罰が当たったのね」


 涙ぐむテオドアの手を、エレノアはその手で優しく包み込む。


「ハワードの言葉を守って頂戴。あなたは、その知識で人々の役に立てるわ。私を倒せたんだもの」

「はい、母上」

「よろしい。テオドア……あなたは役立たずなんかじゃない。立派に自分で戦える、自慢の息子よ」


 昇る朝日に照らされながら、エレノアはテオドアの腕の中で静かに息を引き取った。


◇ ◇ ◇


 数時間後、ローゼンバウム一家の死はヴァルナールの街中に知らされた。後ろ盾を失った近衛兵たちの一部は、住民たちの報復を恐れ散り散りになって逃げていった。支配者たちの悪行にうんざりしていた残りの近衛兵たちは、嬉々として囚われていた住民たちを解放し、街中に独裁者の死を告げて回った。ジャックたち三人は近衛兵たちに連れられ、すぐに治療を受けられる場所に運ばれた。


 ジャックが目を覚ますと、そこは病院のベッドの上であった。周囲を見回そうと体を動かしたところ、全身の皮膚に激痛が走る。すぐさま待機していた僧侶や看護師が、安静にしているようにと注意した。


「ルーシー、テオドア、無事か……?」


 体を少しだけ起こしてもらうと、彼らは隣のベッドで回復魔法による治療を受けていた。二人とも傷だらけだが、五体満足で生き残れたようだ。ジャックは安心し、再び深い眠りに落ちた。


◇ ◇ ◇


 それから数日間、三人はヴァルナールの病院で過ごした。魔法による攻撃の後遺症は奇跡的に残らなかったものの、戦闘でひどく削られた体力が戻るにはまだ時間がかかる。回復を待つ間、ジャックとルーシーは何とかしてテオドアを元気づけようとした。一晩にして家族を全て失い、しかも実の母親を手にかけてしまったのだ。テオドアは深い悲しみに沈んでいた。


「テオ、元気出せよ……とは言えねえな。俺も弟を、その、殺しちゃったわけだし」

「ジャックは悪くないって。仕方なかったんだもん。テオドアも、正しいことをしたと思うよ」

「ありがとうございます。何だか、私は励まされてばかりですね」


 そう言って少しだが笑みを見せるテオドア。ジャックとルーシーは彼が回復してきたのを見て、笑顔になった。


「家族のことは、気にしないでください。魔皇帝側についた彼らはいずれ、冒険者たちに倒される運命だったでしょう。それに、私の家族は彼らだけではありませんからね」


 テオドアはそう言うと、ベッドの端に腰かけていたジャックとルーシーを抱き寄せた。予想外の彼のスキンシップに、ジャックとルーシーは恥ずかしがる。


「ありがとうございます、ジャック、ルーシー。あなたたちは、私の大切な家族ですよ」

「へへっ、気づくのが遅いぜ」


 照れくさそうにそう言うと、ジャックも負けじと二人を力強くハグする。ハグ大会が一通り終わると、ジャックは自分の家族のことを口に出した。


「ダグ爺、生きてるといいな」

「大丈夫、彼は強い人だもん、絶対どこかで頑張って生きてるよ」


 ルーシーが元気づけると、テオドアも加勢する。


「そうですよ。会ったことはありませんが、ジャックの話を聞くに、彼はすごいお人だ。私も必ず会って、挨拶しなければ」

「それに、王都を魔皇帝から取り戻さなきゃだしね」

「ああ、そうだな」


 ジャックはベッドから降りると、背筋を正して二人の前に立った。


「王都ルミナリスまではあともう少し、必ずたどり着くぞ! そんで、平和を取り戻す!」

「おっ、冒険者らしくなってきたね」


 ジャックをまねて、ルーシーも拳を天に向かって突き上げる。テオドアも同じようにし、三人の冒険者たちの拳が合わさった。


「いざ、王都へ!」


 魔皇帝に奪われた日常を取り戻すため、大切な家族に再び会うため。ジャック、ルーシー、テオドアの三人は、みなぎる決意を胸に拳を高く掲げた。

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冒険者未満の王都奪還 第一部 ドラゴンフルーツ @DragonFruits

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