夜明けの死闘・2

 混迷を極める大広間の中、エレノアは憤怒の形相でテオドアたちを睨みつけていた。そこにはもはや、母親としての慈愛はみじんも感じられない。目の前にいる反逆者たちを叩きつぶそうと、ただ憎しみのみが彼女を突き動かしていた。銃撃により受けた傷を魔法で即座に回復させると、両手に魔力を集中させる。


「テオドアァァアア!」


 彼女が叫ぶと同時に、手先から緑色の雷撃がほとばしった。ジャックたちは必死で攻撃を避けつつ、各々近くにいたペガサスに飛び乗る。


「攻撃は命中しました。あとは十三分間逃げ切るだけ!」


 胸元の時計を見ながらテオドアがそう言うと、大広間の混乱に乗じて三人は割れた窓から明け方の空へと飛び出していった。


「母上、奴らが!」

「何をぐずぐずしているの、追いかけなさい!」


 怒り狂うエレノアの命令の元、近衛兵たちは我先にと大広間を飛び出していった。残されたチャールズとクラウスは、エレノアの方を向きニヤリと笑う。


「では、私たちは空から。兄上、今回はうまくできそうか?」

「うるさい、言われなくとも!」


 そう言うと同時に、クラウスの背中が膨れ上がった。バキバキと骨の折れる嫌な音が聞こえ、彼のスーツの背中が破ける。そこから、コウモリのような骨ばった翼が現れた。その横でチャールズも同じように変身を行う。皮膚の色は灰色に変色し、顔立ちが悪魔のように引きつっていく。魔皇帝が彼らに与えた力は、彼らの肉体を魔物のそれへと書き換えていった。巨大な翼をはためかせ、兄弟は反逆者たちを追い空へと飛び立つ。エレノアはそんな彼らを見ながら、自らも変身の準備を始めた。


◇ ◇ ◇


「うそ、あいつら追ってくるよ!」


 ローゼンバウム邸上空を飛び回りながら、後方を振り返ったルーシーが叫ぶ。ジャックとテオドアが反応する間もなく、緑色の火球が彼らのすぐ横をかすめた。見ると、異形の姿となったクラウスとチャールズが、三人を墜落させようと魔法を放ってくる。


「クソッ、避けられねえ!」

「ジャック! ルーシー!」


 慣れないペガサスのかじ取りは難しく、翼に火球の攻撃を受けたペガサスたちはバランスを失い地面へと落ちていった。


◇ ◇ ◇


「痛ってえ……」


 中庭に茂みに墜落したジャックは、何とか最悪の事態は免れたようだ。ペガサスの方は、残念ながら息をしていなかった。わずか数分間の相棒の死を嘆く暇もなく、巨大な何かが着地した音が響き渡る。茂みの中から首だけを出してそちらを見ると、同じく墜落したテオドアとルーシーに、異形の兄弟が迫っていた。テオドアは必死で火器を構えるが、ルーシーの方はまだ起き上がれていない。ジャックは迷わず立ち上がった。


「おいデカブツ! 俺が相手だ!」


 投げつけた魔法爆弾は、大したダメージを与えることはできなかった。だが、チャールズの気を引くことには成功したようだ。額から二本の角を生やし、牙の生えた口は耳まで裂けている。まさに魔物といった形相の彼は、ジャックの方に向き直ると、大声で威嚇した。


「兄上! そちらは任せた。私はこの汚らしい男をやろう」


 そう言うと、チャールズは両手をジャックに向けた。


「燃え尽きろ! 『爆炎葬クリメイション』!」


 燃え盛る緑の業火が、ジャックに向けて放たれる。間一髪で攻撃をかわすも、髪の毛の焼け焦げる匂いが鼻をついた。チャールズはなおも火を放ち続ける。立ち上る黒煙から肺と目を守るため、ジャックはマスクをつけた。そして腰のベルトからナイフを取り出す。電気属性のエンチャントを施されたそれは、以前ゴバンガ山のダンジョンで見つけたものだ。


「頼んだぞ、『ハリンター』」


 大陸中で信仰されている雷神の名を付けたその武器には、使い手をも感電させてしまうという欠点がある。だがジャックには作戦があった。身に着けた灰色のグローブが、彼の手を暴れる電撃から守る。岩山ガーゴイルの革は電気を通さないという知識は、彼がダグリックから教わったものだった。


「煙幕か。隠れても無駄だぞ、下賤な奴め」


 手持ちの魔法爆弾を限界まで使い、チャールズの視界を奪うジャック。ただでさえ燃えた生垣から黒煙が上がっている所に、魔法の煙を追加したのだ。周囲は濃い煙で充満し、チャールズが羽ばたいても煙はなかなか晴れなかった。相手を見失い周囲を見回すチャールズの背中に、鋭い痛みが走った。


「貴様……!」

「流石にこの程度の電撃じゃあ倒せねえか」


 ジャックが飛びのくと同時に、チャールズのかぎ爪のついた大きな手がその場をかすめる。再び煙の中に隠れたジャックに、チャールズの怒りは高まる一方だ。彼は一点集中の攻撃から、周辺の被害を無視した広範囲攻撃へと作戦を変えた。


「『死の流星群チクシュルーブ』」


 両手を宙に掲げるチャールズの上空に、巨大な火球が現れる。直後、無数の小さな火球がそこから飛び出し、あたり一面に降り注いだ。攻撃がジャックに当たったかどうかを知るすべはない。チャールズはただ、みなぎる力に任せて攻撃を続けていた。


「ちくしょう、このままじゃ死ぬ……」


 マスクによって有毒ガスから守られているジャックも、降り注ぐ火球を避け続けるのには限界があった。すでに上昇した気温で意識はもうろうとし、あちこちを火傷している。幸いにもチャールズは動かずに魔法を唱えているので、位置を見失うことはなかった。だが有効な攻撃手段がない状況では、このまま熱と煙で殺されるのがオチだ。


「考えろ、今の俺の手札でできること……」


 腰のベルトにつけた水筒を取り出し、全身にかけて少しでも火傷を防ごうとする。その時、ジャックの頭にアイデアが浮かんだ。即座に『ゴミ漁りスキャヴェンジ』を発動し、チャールズの方を探る。


「集中しろ……『役に立つもの』の定義を、変えるんだ!」


 白黒の視界に、金色に光る塊が現れる。今のジャックにとって『勝利の役に立つもの』。それはチャールズの脳だ。捉えたチャールズの脳の位置を、ジャックは視界から逃すことなく彼に接近した。迫りくる火球も、チャールズのすぐ近くには降り注いでいない。生き残るための道筋が見えた。


「貫け、『ハリンター』!」


 チャールズの角にロープをひっかけ、背中を駆け上がって頭に近づく。突然のことに狼狽え、暴れるチャールズ。しかしジャックは持っていた水筒の中身を彼の頭に振りかけると、電流の流れるナイフを力いっぱい彼の頭に突き刺した。


「ギャアアアァァアァアァァ!」


 声にならない悲鳴が、歪んだチャールズの口から放たれる。水で導電性が高まったその傷口に、ジャックはさらに深く『ハリンター』を突き立てた。脳に直接電流を叩きこまれ、チャールズの肉体は完全に機能を停止する。がっくりと膝をつき、魔物と化した彼は地面に倒れ伏した。周囲の煙とともに、勝利したジャックの意識も徐々に薄れていった。


◇ ◇ ◇


 ジャックがチャールズと戦っていた頃、テオドアとルーシーはクラウスの攻撃から必死で逃げ回っていた。テオドアに撃たれたクラウスの傷も魔物に変身した際に治ってしまったようだ。クラウスは空中に魔法で岩や巨大な手を生成し、逃げ惑う二人を攻撃する。とどめを刺さないその戦い方は、まるでおもちゃで遊ぶ子供のようだ。テオドアが放った弾丸が彼の皮膚にわずかな傷しかつけられないことに気づいた彼は、勝利を確信し醜悪な笑みを浮かべた。時には無数の武器を、時には鎧姿の戦士を、魔法で召喚する彼の攻撃に、テオドアとルーシーは完全に防戦一方となっていた。


「テオドア危ない!」


 もう何度目か分からないが、ルーシーがテオドアへ迫りくる攻撃を盾で弾き飛ばした。だがその代償に、別方向からの攻撃がルーシーを襲う。石畳に体を強く打ち付けた彼女は、痛みにうめき声をあげた。体を起こそうとするも、手足に力が入らない。焦点の定まらない目でテオドアの方を見る。疲れた体に脳震盪というダブルパンチで、彼女は戦線復帰することができなかった。


「兄上、もうやめてください! 私はともかく、彼女を傷つけるのは!」

「テオドア、お前は本当に無能だな。反逆者は徹底的に虐め尽くす、もう二度と歯向かえないようにな!」


 そう言うと、彼は獣のように大きく開いた不格好な口でニヤリと笑い、テオドアを叩きつぶそうと巨大な魔法の手を出現させた。テオドアが死を覚悟した瞬間、頭上ですさまじい雷鳴がさく裂した。


「まだ殺していないの? なら、私が手を下すしかないようね」


 鳥のような翼で空を舞う、異形と化したエレノアの姿が、そこにはあった。

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