夜明けの死闘・1

 夜勤の見張りの仕事において、最大の敵は睡魔だ。ローゼンバウム邸の裏口の一つを守護する彼は、今まで一度も侵入を試みる敵に出会ったことがなかった。近衛兵たちの中には、魔皇帝からもらった魔物を乗りこなす者もいるが、彼にはそんな贅沢な装備は支給されていない。あくびを噛み殺しながら森の方をぼーっと見つめていると、茂みの奥の方に何やら動くものを見つけた。


「何だ……?」


 目を凝らしてよく見ようとすると、突然茂みから何かが飛んできた。彼が言葉を発する前に、それは地面にあたって砕け散り、謎の煙があたりに充満する。叫ぼうと息を吸った結果、近衛兵は煙を大量に吸い込んでしまった。夜勤の眠気と合わさり、眠り粉の効果はすぐに現れる。彼は地面に倒れるとすぐにいびきをかき始めた。煙の量が減ってから、黒装束に身を包んだ三人が茂みから顔を出す。


「作戦成功っと」


 ジャックはそう言うと、すぐに計画の第二段階へと取り掛かる。見張りを茂みの中に引きずり込むと、着ている服を剝ぎ始めた。彼が脱がせたそばから、テオドアがそれを装備していく。瞬く間に、テオドアはどこからどう見てもローゼンバウム家の近衛兵になった。顔を隠す兜を装着し終えると、テオドアは新しく作った武器をこっそり鎧の中に忍び込ませる。


「では、ジャック、ルーシー、私はこれで。二人も気をつけて」

「了解。テオドア、ばれそうになったらすぐ逃げてね」


 互いに作戦をもう一度復唱すると、テオドアは見張りの近衛兵が守っていた門の方に駆け足で戻る。残された二人は、テオドアに指示された場所、魔物小屋へと急いだ。


◇ ◇ ◇


「クラウス様はまだ起きていらっしゃるのか?」

「ああ、いつも通り囚人たちをいびりに行っているようだ。全く、あの態度にはさすがに……」

「おい! そんなこと言って、誰かがチクったりしたらどうする!」


 近衛兵詰め所では、夜勤の兵士たちが噂話をしていた。テオドアは平然を装い中に入り込んだが、どうやら近衛兵たちは彼の正体に気づいていないようだ。テオドアは少々声を低くし、近衛兵の一人に質問する。


「失礼。エレノア様とチャールズ様は、もう眠ってらっしゃるのか?」

「そのはずだぞ。少なくとも、エレノア様は侍女たちがもう寝かしつけた後だ。チャールズ様も、今はまだお部屋にいらっしゃると思うが」

「そうか、それは良かった」


 必要な情報だけを入手し、足早にその場を去ろうとするテオドア。その背中を、近衛兵の一人が呼び止めた。


「おい、ちょっと待て」


 恐る恐るテオドアは振り向いて返事をする。ここでばれてしまっては、計画が完全に水の泡だ。


「どうした……?」

「いや、制服に土がついてるぞ。館の中を歩き回るなら、きれいにしとけ」

「ああ、そんなことか。すまない、恩に着るよ」

「もし汚らしい姿でエレノア様の御前に出てみろ、速攻打ち首だからな」


 軽い口調でそう言うが、もはやそのような状況にも驚かなくなってしまった近衛兵たちにテオドアは同情するしかなかった。家族の横暴を聞き、彼の心に決意がみなぎってきた。


◇ ◇ ◇


「ここで合ってるんだよな?」

「だと思うよ、見張りいないし、何か魔物臭いし」


 ジャックとルーシーは、館の外側を回り、魔物小屋の裏手に来ていた。重厚な建物は、かつてジャックがダグリックと暮らしていた家よりもはるかに大きい。その中から、ときおり魔物の声と思しき物音が聞こえてくる。


「ルーシー、見張り頼む」


 近衛兵が来ないか彼女が見張っている間に、ジャックは建物の上にある通気口から侵入を試みる。ボルグリムの鍛冶場で新しく作った鉄の爪は、石壁を上るのにぴったりだった。通気口の格子をやすやすと外すと、ジャックは猫のように小屋の中へ飛び降りた。想定外だったのは、魔物が寝静まっておらず、突然の侵入者に気づいてしまったことだ。


「やべっ!」


 慌ててバックパックを探るも、眠っていた魔物、ペガサスは驚き暴れ出した。狭い囲いの中、ジャックは相手の突進を避けるのに精いっぱいだ。小屋の外で見張っていたルーシーも、異変に気づいた。


「ちょっと、どうしたの、大丈夫⁉」


 焦ってドアを開けようとするが、鍵がかかっている。開けられるのは中にいるジャックだけだ。騒ぎを聞きつけて近衛兵たちが来ないかと、ルーシーはひやひやしながらあたりを見回した。


◇ ◇ ◇


「お願いですクラウス様、どうか命だけは! 私には妻と子供がいるのです!」

「フン、テロリストは処刑されて当然。俺に命乞いしても無駄だぞ」

「そんな、私は何もしていません! 確かに夜間外出禁止令は破ってしまいましたが、あれは、娘の薬を……」

「お前の事情なんてどうでもいいんだよ。ここでは俺たちローゼンバウムこそが法。疑わしきは、罰するのが原則なんだよ」


 勝ち誇ったように笑うクラウス。その後ろから、一人の近衛兵が牢屋に入ってきた。名前を呼ばれ、クラウスがそちらを振り返った時、クラウスの右手に突然鋭い痛みが走った。何が起こったのか分からず、血の流れ出る右手を見つめる。近衛兵の方を見ると、その手には煙の上がる小型の武器が握られていた。近衛兵はその先端を、動揺するクラウスの額に突きつける。


「抵抗すれば、その大事な頭に穴が開きますよ」


 その声を聞き、クラウスは近衛兵の正体を悟った。


「まさか、テオドアか!」

「申し訳ございません、兄上。人質に取らせていただきます」


 そう告げる彼の声は、震えていた。


「母上とチャールズを大広間に呼びました。今からそこへ向かいます」

「なめた真似してると締め殺すぞ……」

「それより先に、私が引き金を引きあなたの命を奪うでしょう」

「おいおい、声が裏返ってるぞ。脅し慣れてないのか?」

「そういうあなたも、脅され慣れていないのでしょうね。ご自身の状況が分かっていないと見える」


 クラウスは手の痛みをこらえながら打開策を探すが、実際武器を突き付けられているのは事実だ。下手な動きは自殺行為となりえる。


「随分と変わったようだな、テオドア」


 そう吐き捨てると、テオドアに案内されるがままにクラウスは大広間へと向かった。


◇ ◇ ◇


 大広間には、すでに全身武装した近衛兵が大勢集結していた。エレノアとチャールズもその中央で、テオドアの到着に備えている。その時、大広間のドアが開き、頭に武器を突き付けられたクラウスが現れた。とっさに魔法を放とうとする二人を、クラウスはジェスチャーで制する。


「やめてくれ、こいつの『火器』とやらは俺をすぐにでも殺せる」


 そう言う彼は、右手と左肩から血を流していた。どうやら彼の言葉は本当のようだ。近衛兵の制服に身を包んだ男が、兜を外し素顔を見せた。


「テオドア、この出来損ないが。よくもまあこんなことを……」

「母上、この私、テオドア・ローゼンバウムは、今ここであなたに命じます。兄上とチャールズを連れ、オルドレア王国を出なさい。そして、二度と帰って来ないこと。嫌だと言えば、この場で兄上を処刑します」


 息子の口から語られる脅迫の言葉に、エレノアは驚愕を隠せない。チャールズが口をはさむ。


「兄上、冗談はやめてくれ。真面目に私たちに勝てるとでも?」


 そう言いつつも手を出してこない所を見るに、脅しは成功しているようだ。テオドアは恐怖に震えつつも、覚悟を決めて言い放った。


「あなたたちは、ローゼンバウム家の恥だ。父上はこんな結末を望んでなどいない!」

「五月蠅い!」


 エレノアが絶叫し、脅しも顧みず手に緑の炎をまとわせる。攻撃を放とうとテオドアの方に腕を向けた瞬間、大広間のガラス張りの壁が音を立てて崩れ、何かが部屋に突っ込んできた。


「ペガサスの群れ、お届けでーす!」


 部屋になだれ込むペガサスの群れ、その先頭にまたがるジャックが叫んだ。そのすぐ後ろのペガサスには、ルーシーが乗っている。たけり狂う魔物たちは、大広間を一瞬で混乱に陥れた。


「ナイスタイミングです、ジャック、ルーシー!」


 テオドアはそう言うと、手に持った火器をエレノアへと向けた。


「終わりにしましょう、母上!」


 空気を切り裂く爆発音とともに、テオドアの火器から放たれた弾丸がエレノアの肩を貫通した。

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