ローゼンバウムの闇・2
テオドアが冒険の旅に出るよりもずっと昔。まだ幼い少年の彼は、家族とともに市場へ視察に訪れていた。父ハワードは、人々との交流を為政者として何よりも大切にしていた。空は青く晴れ、活気あふれる市場にはあちこちで値段交渉の声が響いていた。
「父上、これは何ですか?」
テオドアが小さな鉄製の籠を指さしながら、興味津々に問いかける。籠の中には、テオドアの知るどの本にも載っていない、小さな妖精が入っていた。
「珍しいものを見つけたな。それはウルリックピクシーだ。ウルリック山脈でしか見られない、貴重な種族だよ。こんなものも売っているのか。旅人の往来が増えてきたようだな」
ハワードが市場で取引されている品物から街の状況を分析する中、テオドアは美しい妖精にくぎ付けになっていた。そんな彼を、大柄な兄が後ろからどつく。
「おい、妖精なんて女の子のものだろ! チャールズ、俺たちはこっちで魔法武器見ようぜ!」
からかいながら、クラウスとチャールズは武器屋へと走っていく。そんな彼らの後を、近衛兵たちが慌てて追いかけた。エレノアが心配そうにハワードに語りかける。
「あなた、こんなに子供たちを自由にさせていていいのかしら? もし攫われたりしたら……」
「大丈夫さ、エレノア。私は、私の民たちを信頼している」
夫の言葉に安心感を覚え、エレノアはいつもと変わらない週末を満喫しようと歩き出した。
◇ ◇ ◇
最初の爆発音は、何の前触れもなく、活気にあふれる市場に響いた。魔法爆弾の小瓶はハワードとエレノアの歩いていた数メートル先に着弾し、炎を上げた。とっさに防御魔法を展開し二人の身を守るハワード。周囲を見渡すと、覆面を被った男が建物の陰へと走っていく。すぐに近衛兵たちが駆け寄ってきた。
「エレノア、クラウスとチャールズを連れて逃げろ。私はテオドアを安全な場所に」
エレノアが駆け出すとすぐに、新たな爆発が民家を吹き飛ばした。幸いにも、二人の子供たちはすでに大人顔負けの防御魔法で身を守っていた。エレノアの視界に、たった今魔法爆弾を投げた暴漢が映る。男が逃げる間もなく、エレノアの手から雷属性の魔法が放たれ、男は感電し動かなくなった。
「母上、何が起こっているのですか⁉」
泣きつくクラウスとチャールズを抱き寄せ、逃げ道を探すエレノア。しかしパニックに陥った人々が通りのあちこちで渋滞を起こしており、なかなか前に進めない。すると、彼女の目に夫の姿が飛び込んできた。少し離れた地点で、彼は魔法でバリアを張り一般人を無差別攻撃から防護している。テオドアもおそらく、その傍らにいるのであろう。彼女は加勢しようとそちらに向かった。
「あなた! 逃げるわよ!」
「待て、この人たちを守らねば……うぅっ!」
突然、ハワードが膝から崩れ落ちる。悲鳴を上げる人々の中に、暴漢の一人が紛れ込んでいたのだ。彼の手に握られていたナイフは、ハワードの背中から心臓に突き刺さっていた。
「あなた!」
泣き叫び、エレノアの全身から魔力がほとばしる。ビームのように圧縮された魔法の光弾は、テロリストたちの頭を一瞬で吹き飛ばした。なおも市民が逃げ惑う中、エレノアは夫に駆け寄り、すぐに回復魔法を唱える。
「無駄だ、エレノア……心臓をやられた」
「そんなこと言わないで!」
ハワードは血を吐きながら、傍らで怯えているテオドアを優しく撫でる。そして、エレノアの方を向いて言った。
「家族を……頼んだぞ」
テオドアは、その瞬間を今でも鮮明に思い出すことができる。ハワードの目から光が消え、エレノアが絶叫する。彼の日常が壊れてしまった瞬間であった。
◇ ◇ ◇
「それからというもの、母上は変わってしまいました。めったに笑顔を見せなくなり、私たちへの教育もより厳しいものとなりました」
そう言いながら、テオドアは腕を少しだけまくる。白い肌には、切れたような痛々しい傷跡があった。その傷跡が鞭によるものだと気づき、ジャックは鳥肌が立った。
「幸いにも、兄上やチャールズには母上の求める才能がありました。自分たちの身を守ることができ、民が恐れて反乱できないような、強力な力。しかし私には、それがなかった。私は家での居場所をなくしてしまったのです」
悲しそうな目でそう語るテオドア。ルーシーはかける言葉が見つからなかった。
「学問によりどころを見出そうとしましたが、家にいてはそれも限界がありました。そこで二年前、私は家を出て冒険の旅を始めたのです」
「それで、俺たちと出会ったってわけか」
ジャックがそう言うと、テオドアは微笑んだ。
「そうです。私の人生において、二人と出会ったことは最も幸運なことだと思いますよ」
「ありがと、テオドア。私たちも、テオドアと会えてよかったよ。テオドアは絶対、役立たずなんかじゃない」
「そうだそうだ。悪いが、テオの家族は人を見る目がねえな」
やっといつもの明るさがパーティーに戻ってきた。その時、これまで黙って話を聞いていたボルグリムが口をはさんだ。
「仲間ができたのは結構だが、これからどうすんだ、お前さんたち? とりあえずヴァルナール地方から出たほうがいいだろうが」
「いえ、私はもう逃げません」
メガネの奥の真剣な目は、覚悟を決めていた。
「母上たちの圧政は、決して無視できるものではありません。それに魔皇帝と結託したのなら、オルドレア王国への反逆罪です。ローゼンバウム家の問題は、ローゼンバウム家である私が片をつけます」
「そう来なくっちゃな! よっし、アイテムの準備だ」
「私も賛成。だけど、相手は超強い魔法使いでしょ。本当に勝てるかな……?」
テオドアは二人の方に向き直ると、にっこりと笑った。頭を軽く指で叩きながら言う。
「大丈夫。私たちには、知恵と工夫があります。それに、彼らは私たちの力を見くびっている。いつも通り、隙をついて戦いましょう」
◇ ◇ ◇
ボルグリムの工房には、彼の作った様々な武器が置いてあった。ジャックは残り少なくなった手持ちの武器と見比べながら、必要なものを取捨選択する。ルーシーは槍先を新調してもらい、その感触を確かめるように小屋の外で素振りをしていた。テオドアはといえば、炉に向かいながら慣れない手つきでハンマーを振り下ろし、金属の板を加工している。ボルグリムが横から指導をし、時には非力な彼の手をサポートする。テオドアの武器の構想が、現実の物となろうとしていた。
「あとは、射出する金属片、『弾丸』を作るだけですね……」
テオドアが独り言を呟くと、近くで道具の整理をしていたジャックが質問した。
「なあ、その弾丸って、相手に向かって飛んでくんだよな? だったら、軽いほうがいいよな」
「ええ、そうですね。何か使えそうな物でも?」
「これなんかどうだ、ドーラ鉱山の鉄でできたナイフ。こいつを溶かして作れば、軽くて硬い塊がいっぱいできるはずだ」
そう言ってジャックが手渡したナイフを、テオドアは受け取る。ナイフ自体は刃こぼれと錆がひどく、使えそうな物ではなかった。だがジャックの手にかかれば、ハズレ装備でも役に立つ。
「ありがとうございます。やはり武器の知識に関してはジャックが一番ですね」
「当然。その代わり、屋敷での案内とか指示とかは頼んだぜ」
「任せてください。必ず、母上たちを止めましょう」
数日後の夜、三人は装備を整えボルグリムの小屋を出た。宵闇の中、上空を旋回する見張りにジャックたちの姿は見えない。息を殺して森の中を進む一行の前には、ローゼンバウ邸の明かりが煌々と輝いていた。
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