ローゼンバウムの闇・1

「美味しーい!」


 ルーシーが鹿肉のローストを食べながら、思わず声を上げる。ジャックも、鬼ライチョウの丸焼きに舌鼓を打っていた。テオドアとエレノアの間に漂う緊張感は感じていたものの、生まれて初めての豪勢なコース料理に二人の胃袋は支配されていた。一方テオドアは料理にあまり口をつけず、上品に鶏肉のパイを食べるエレノアに話しかけた。


「母上、いい加減目を覚ましてください。これでは二年前から何も変わっていないではないですか。いいえ、むしろ悪くなっている」

「それがどうしたの? いいじゃないの、おかげでここ最近、ヴァルナールは平和そのものよ」

「父上が今の街を見たら……」


 エレノアの顔色が一瞬にして変わった。音を立ててグラスをテーブルに置き、ワインのしぶきが二、三滴こぼれる。すぐに近衛兵が駆け寄り、無言でハンカチを取り出し汚れを拭き去った。


「ハワードの名を出さないで頂戴!」

「申し訳ございません、母上」


 すぐにテオドアが謝ると、エレノアは満足げな表情を見せた。チャールズも会話に参加する。


「父上も、我々の今の姿を見れば誇らしいだろう。王都の政変にもぬかりなく対応して、庶民たちの平和を守ってるんだからさ。魔皇帝陛下と良好な関係を築けたのも、全ては母上のおかげですよ」

「そうね、私たちはよくやっているわ。庶民たちが感謝して当然よ」

「正気ですか⁉」


 テオドアがテーブルをバンと叩いて立ち上がる。ジャックとルーシーは、驚いてそちらの方を見た。怒りで顔を真っ赤にしているテオドアは、ステンドグラスの外を指さして言った。


「街の状況を見なさい! 二年前よりも、さらに活気がなくなっている! 戒厳令はまだあるのでしょう? 平和維持の名目の元、いったい何人の罪もない人々を捕らえたと言うのですか!」

「テオドア、口を慎みなさい」

「いいえ、もう黙っていられません! あの事件の後、母上は変わってしまわれた。父上の築き上げてきた信頼を、全て支配と抑圧で塗りつぶした!」

「先に信頼を裏切ったのは、愚かな庶民たちでしょう!」

「確かにそうだ! ですが、それがあなたたちの悪行を正当化する理由にはならない!」


 烈火のごとく怒るテオドア。「悪行」と糾弾され、エレノアはついに堪忍袋の緒が切れた。


「言わせておけば、役立たずが偉そうに。この者たちを処刑しなさい!」

「ははっ、待ってました!『凶悪な手ヘイナス・ハンド』!」


 近衛兵たちが周りに集まる中、クラウスが両手をテオドアたちに向ける。ジャックが気づいた頃には、すでに彼の体は緑色に光る魔法の手に掴まれていた。身動き一つ取れないまま、三人の体が宙に浮く。巨大な手を操るクラウスは、そのまま三人を近衛兵たちの方に投げつけた。自らの力に酔いしれながら、彼はジャックたちを取り囲む近衛兵たちに命令した。


「適当に処理しといてくれ。そこの役立たずもだ」

「で、ですが、テオドア坊ちゃまも……?」

「つべこべ言わずに連れていきなさい!そこの男はローゼンバウム家の恥さらしよ!」


 エレノアが叫ぶ。近衛兵たちは慌てて、ジャックたち三人を立ち上がらせると部屋から連れ出した。


◇ ◇ ◇


「申し訳ございません、二人とも。私のせいで、こんなことに……」

「謝んなって。悪いのはあいつらの方だろ」


 ジャックはそう言いながら、特殊スキルで周囲を探った。ロープで両手は後ろ手に縛られてしまっているが、足は自由だ。そのため、近衛兵をどうにかできれば、逃げられる可能性はあった。とはいえ、屈強な近衛兵から逃れるのは至難の業だ。


 突然、背後で大きな音がした。見ると、テオドアが廊下に置いてあった甲冑に近衛兵ごと体当たりしたようだ。倒れてきた斧を押さえようと近衛兵が手を離した隙に、テオドアは姿勢を低くしてルーシーの縄を持つ近衛兵に不格好なタックルをかました。相手は少し後ろによろめくだけだったが、重戦車のルーシーが動くには十分だった。


「『盾の衝撃シールドバッシュ』!」


 盾を持っていないので、ただの体当たりだ。身に着けた鎧で近衛兵の剣をはじき、ルーシーはさらに多くの甲冑や近衛兵にめちゃくちゃに体当たりをかます。ジャックの縄が近衛兵の手から離れた。


「よっし、これでこっちのもんだ!」


 甲冑の手に握られている剣でロープを切ると、ジャックは自由になった両手で落ちていた戦斧を握る。重さによろめきつつも、近衛兵の足に向かって斧を振り回した。不意を突かれた近衛兵たちは痛みに悲鳴を上げる。


「こっちです、客間へ! 装備を取ったら窓から逃げましょう!」


 廊下の奥からさらなる追手が走ってくるのを見て、ジャックとルーシーはテオドアに導かれ走り出した。


◇ ◇ ◇


「ここまでくれば、もう追っては来れないでしょう」


 ローゼンバウム邸の複雑な庭を抜け、ジャックたちはいつの間にか街外れの深い森の中まで来ていた。爆弾系のアイテムをほとんど消費して、新しいバックパックはかなり軽くなっている。息を切らしながら、ルーシーが言った。


「それにしても、木に向かって飛び降りるなんて、テオドアも随分大胆なことするね」

「実は、幼い頃よくあのようにして自室から脱走していたんです。母上の言いつけで閉じ込められても、ああして庭の魔物を見に行っていました」


 そう言うテオドアも、せっかく新しく買った服は早くもあちこち破れてしまっていた。


「とりあえず、この地域からは離れたほうが良さそうだな」


 ジャックが言うと、テオドアが悩ましい表情を見せた。


「ですが、ここ周辺の村は全てローゼンバウム家の領地です。留まることはできないでしょう」


 歩きながら思案する三人。突然、テオドアが思い出したように顔を上げた。


「そうだ! この近くに、ドワーフの老人が一人住んでいるのです。彼の事は母上たちも知らないはず。行ってみましょう」


 あたりはすっかり暗くなり、魔物たちの時間となってきた。だが見つかる危険性があるため、カンテラを灯すことはできない。暗闇の中、三人はゆっくりと進み続けた。


◇ ◇ ◇


「ボルグリムさん! いますでしょうか?」


 テオドアが声をかけると、小さな岩壁に埋まるように建てつけられた扉が少しだけ開いた。禿げ頭のドワーフが隙間から顔を覗かせる。テオドアの顔を見ると、その小さな目が丸くなった。


「テオドアじゃないか! 入れ、外は危険だ」


 ボルグリムと呼ばれたドワーフの家は、小さな洞窟を掘ってそのままそこに家具を置いただけの質素なものだった。家の奥には鍛冶場が置かれており、火はついていない。ボルグリムは厳重に鍵を閉めると、テオドアたちの方に向き直った。


「何だって帰ってきたんだ、ここはもうハワード大公の頃みたいには戻れねえよ」

「トーレス村で、たまたまチャールズと出会ってしまったんです。仲間を殺すと脅され、仕方なく」

「それでわざわざローゼンバウム邸へ行ったってのか。馬鹿だなあお前、おとなしくしてりゃいいのに」

「母上のやり方を見て、黙っていられず」


 かつての友人同士が積もる話をしている中、ジャックが口をはさんだ。


「なあテオ、晩餐会の時から気になってたんだけどよ、何か昔事件があったっぽいな。もしよかったら、俺たちにも教えてくれねえか」


 テオドアはその言葉を聞き、ジャックとルーシーの方に向き直った。メガネをかけ直すと、語り始める。


「分かりました。実は、母上も昔はあのような人ではなかったのです。父上と同じ、その才能を人々のために使うお人でした。それが、あの日……」


 テオドアの脳裏には、彼の人生を変えたあの日の光景が映っていた。

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