テオドアの帰還・2

 古都ヴァルナールは、オルドレア王国有数の大都市だ。旧帝国時代の建物が印象的な街並みは、厳粛な雰囲気を醸し出す。王都ルミナリスの通りを少しだけ思い出し、ジャックはしばしノスタルジーに浸った。だが、ここヴァルナールの人々の暮らしは、どうやらジャックたちのそれとは大きく違うようだ。


「しばらく見ない間に、街も様変わりしましたね」

「ああ、母上の治安強化政策が上手くいったようだ。おかげで、犯罪件数もかなり減ったよ」


 自慢げに語るチャールズの隣で、テオドアは複雑な表情で人々の様子を観察する。テオドアが街を去った時よりも張り詰めた雰囲気が、街の中を包んでいた。人々はどこか忙しそうに、顔色を伺いながら通りを行き来している。定期的に配置されている近衛兵が、その様子をいかめしい表情で見張っていた。ルーシーは物々しい雰囲気の近衛兵を見て、門番である自分の境遇と重ねわせる。王都ルミナリスでは、彼女は基本的に街の人々とにこやかに接することができた。たまに話しかけてくる顔なじみのおばさんや、新鮮な野菜を厨房に運びに来るおじいさん。だがここでは、近衛兵は市民を守る存在というより、市民を監視する存在として恐れられているようだ。


「何か、ルミナリスと全然違うね」

「ああ、思ってたよりも雰囲気が暗いな」


 この街出身のテオドアに失礼にならないよう、小声でジャックとルーシーは会話する。ジャックは冒険者の姿を探そうと通りのあちこちに目を向けたが、あいにくその姿は見当たらなかった。武器屋なども、多くの店が営業していないようだ。


「チャールズ、母上はお元気でしょうか?」


 自分たちを歩かせ、一人だけ馬に乗っている弟に、テオドアは問いかける。


「そりゃあもう、元気いっぱいさ。今日も使用人がワインをこぼしたとかなんとかで大騒ぎ。かわいそうに、今日付けで処刑だそうだ」


 物騒な言葉が飛び出し、ジャックとルーシーはぎょっとしてチャールズの方を見る。テオドアはさほど驚いた表情を見せず、暗い顔のままうつむいた。


「……そうですか。お変わりないようだ」

「王国の体制は変わっても、我がローゼンバウム家は変わらない。母上もこの間、魔皇帝陛下に呼ばれて王都の方へ行ったそうだ」


 魔皇帝の名を聞き、テオドアはチャールズの方を見て問い詰める。


「待ちなさい、では母上は、魔皇帝と手を組んだと?」

「そりゃそうさ。勝っている側につくのは当然の判断だ。魔皇帝陛下も気前良いお方でね、近衛兵団に魔物を貸し出してくれたんだ」


 ほら、とばかりにチャールズが上空を指し示す。羽音が響き渡り、あの日オルドレア城から出てきた翼をもつ魔物が空を舞っていた。その背中には近衛兵がまたがり、空から市民たちの動向を監視しているようだ。あの日の光景がよみがえり、ルーシーの顔色が悪くなる。ジャックも目を青く光らせ、無言でうつむいていた。


「母上に言いたいことがございます。チャールズ、母上には会えるのでしょうね?」

「当たり前さ。もう兄上が帰ったという知らせは届いているだろう。きっと今頃、晩餐会の用意を進めている頃だと思うよ」


◇ ◇ ◇


 重厚な門が音を立てて開くと、立っていた近衛兵が恭しくチャールズに向かってお辞儀をした。一行はベルベットの絨毯の上を歩き、客間へと向かう。廊下にはよく磨かれた甲冑が並び、歴代ローゼンバウム家当主の肖像画が壁から彼らを睨んでいた。


「兄上の部屋だが、もう物置にしてしまった。客間で我慢してもらうよ」

「構いません。そんなことだろうとは思っていましたので」


 テオドアの言い方には、いつもより棘がある。普段と雰囲気の異なる彼の横で、ルーシーは恐る恐る質問した。


「ねえ、テオドア? さっきから聞きたかったんだけど、何でテオドアは、家を出て冒険の旅に出たの?」


 テオドアはルーシーの方を見て、口を開きかけた。だが彼が話す前に、チャールズが口をはさむ。


「兄上は、家にいるのが嫌になってしまったのだよ。才能あふれる私たちと比べられるのがね」


 嫌みな表情で薄ら笑いを浮かべながら、チャールズはテオドアの方を見る。ため息をつき、テオドアは語りだした。


「ローゼンバウム家は、昔から魔導士の一族として知られています。オルドレア王国建国の際も、初代当主はオルドレア王の副官として、魔法戦争で重要な活躍を見せました。その魔法の力は私たちの血に刻まれており、今でもその力は衰えていません」


 ですが、と言葉を切り、テオドアは自分の掌を眺めた。


「私には、その力が発現しませんでした。唯一持っているのは、家族の皆が持つ『速読リーディング』の特殊スキルのみ。そこで私は、学者として見分を広めるため、家を出て自ら学びの旅に赴いたのです。もっとも、家の名を借りずに冒険を続けるのは簡単ではありませんでしたが」


 とうとうと語られる彼の半生を聞き、ジャックはなぜ今まで、テオドアが役に立とうとこんなにも頑張ってきたのか、その理由が少しは分かったような気がした。才能にあふれた親や兄弟の中で、自分だけ魔法が全く使えないのは辛いだろう。家族の役に立てず、居場所もない。そんな彼は、自分たちのパーティーの中でどうにか居場所を見出そうとしていたのだ。無意識にテオドアの背中をぽんぽんと叩く。


「テオ、大変だったんだな……」

「ありがとうございます、ジャック。さて、昔話はここまでにして、今は一旦休みましょうか。この後は晩餐会です。久しぶりにたくさん料理が食べられるはずですよ」


◇ ◇ ◇


 ダイニングホールの長テーブルには、すでに前菜が用意されていた。ジャックとルーシーは見たことのない料理に目を輝かせる。上座には、紫色のドレスを身にまとった女性が座っていた。テオドアの姿を見るや否や、手前に座っている儀礼用のスーツを身にまとった男性が声を上げた。


「テオドア! まさか帰ってくるとはな。そばにいる奴らは何だ? お前の従者か?」

「口を慎みなさい。恥ずかしいわ、クラウス」


 ドレスの女性がテンションの高い彼を諫める。冷たい目のその女性は、テオドアの方を睨んだ。


「紹介させていただきます。こちらは我が母上、エレノア・ローゼンバウム大公」

「そして俺が、長兄にして未来の当主、クラウスだ! テオドアの従者たちよ、ようこそ我が家へ!」

「面白そうな人だね」


 ハイテンションに料理の説明を始めたクラウスを見ながら、ルーシーはジャックに耳打ちする。そんなクラウスとは裏腹に、エレノアは不機嫌な表情を隠そうとしなかった。彼女がテーブルに置かれたベルを鳴らすと、すぐに近衛兵が彼女の元にはせ参じる。二言三言つぶやくと、彼らはすぐにその場を離れた。一時の沈黙が、場を支配する。最初に口を開いたのは、テオドアだった。


「母上、魔皇帝の配下となったというのは、事実ですか?」


 険しい表情で詰問するテオドア。エレノアは頷いた。


「なぜです、魔皇帝はオルドレア城を破壊した反逆者ですよ! そんな悪党の側につくなど……」

「お黙りなさい」


 高いよく通る声がダイニングホールに響く。テオドアは反射的に口をつぐんだ。エレノアは華美なメイクが施された目をテオドアに向けると、片手をあげた。指の間から緑色の閃光がほとばしり、即座に妖しい炎が彼女の掌に現れる。その炎は、まさにあの日王都ルミナリスを崩壊に導いた炎であった。ジャックとルーシーの顔が青ざめる。エレノアは手の一振りで炎を消すと、邪悪な笑みを浮かべた。


「教育が足りなかったようね、テオドア。魔皇帝陛下が反逆者かどうかは、どうでもいいの。重要なのは、あのお方が私たちに力をくださること。この力があれば、もう誰も私たちローゼンバウムに逆らったりしないわ。あの日みたいなことは、もう二度と起きないの」


 何か言いたそうに口を開くテオドアを、エレノアは手の一振りで黙らせた。そしてナイフでグラスを叩き、晩餐会の開始を宣言した。

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