終章




 「――成程。では、殿舎以外に被害はなかったんだね。それは良かった」

 「はい、御上おかみ。不幸中の幸いにございました」

 爽やかな秋晴れの日。一の人である藤実幸雅の邸にて、向かい合って語り合う者たちがいた。片方は邸の主たる左大臣、もう一方はというと、つい先日まで寝付いていたその甥だ。

 今日は比較的顔色も良く、自力でしとねの上に半身を起している。その賢明な顔つきに亡き義兄が重なって、つくづく無事でよかったと思う幸雅である。この方にまで先立たれたら、いつかあの世でうんと文句を言われるに違いない。いや、その前にまだまだ元気なその連れ合いから泣かれてしまうから、そっちの方が辛いか。

 叔父の心中を知ってか知らずか、危ういところで命を拾った相手はにこやかに話を続ける。その手元には、先程自分が持ってきた書状が広げられていた。今回の一連の事件に関する報告書だ。

 「陰陽頭はよく寮を率いているな。全ての者が怪異に立ち向かえるわけではない、と常々言っているが、不向きな者にも出来ることを采配して事に当たらせてくれる。本人は不本意だろうが、あの人事は間違っていなかったと思っているよ」

 「ええ、彼にしか出来ないことにございましょうな。貴方の警護を賜った卯京も、よく気遣ってくださいます」

 「こちらが無理を言って、蔵人所くろうどどころに詰めさせてしまったからな……一時は家族のように育ったというし、尚のこと気にかかるんだろう」

 帝の座所がある清桜殿せいおうでん、そのすぐ向かい側に位置するのが蔵人所だ。政務を直接補佐する殿上人が詰める場所であり、所属できるのは高位貴族の子弟に限られる。が、特例中の特例として異動させてしまったのがこの二人だった。直接帝に拝謁できるよう、従五位じゅごいの位まで付けて。

 実際、今回のような有事にはすぐに動けて、内裏としてはとても有り難い。が、本人はきっと大変な思いをしているだろう。本日のようにしっかり休みを申請して、心身の疲労回復に勤しんでほしいものだ。

 「そういえば大臣、今日は卯京の邸で集まりがあるんじゃなかったかい? またお弟子殿が腕を振るってくれるとか」

 「はい、友人が多く集まるということで張り切っておりました。私は残念ながら執務がありますので、後から参加の予定です」

 「……ええー、良いなぁ。たまには温かいものが食べたい。

 お忍びで同行させてくれないかな? 叔父上」

 「だめです。まずは身体を治しなさい、晴雅はるまさ

 「はあい……」

 宮中と違って人目が少ないので、こういう気楽なやり取りが出来るのがまたありがたい。軽くおねだりして釘を刺されている若き今上帝に、護衛として付き従う近衛府の面々が微笑ましそうにしていた。




 山芋とむかごを炊き込んだ姫飯。稚嘉わっかから届いた鮭の焼き物と、そのアラを使った汁物。ついでにコケモモの実。さらに、

 「はいさーい、作りたての砂糖入り揚げ菓子サーターアンダギーさー! かんでかんで~~~」

 「わあ、いい匂いだね。悠那は料理が上手だ」

 「えへへ、そんなことないよー。ほらほら、銀嶺さんもどうぞ!」

 「ふふ、ありがとう」

 にこにこと優しい笑顔で、山盛りの揚げ菓子を持ってきてくれた悠那を撫でてやる銀嶺である。相手も照れくさそうにしつつ大人しく受け入れていて、何だかとても良い雰囲気だった。うん、平和だ。

 「何だ何だ、すっかり懐いたなぁ。瑠玖るきゅうの姫様、さすがに地元まで連れていかんでくださいよ? いくら精霊でも暑すぎてへばってしまう」

 「わ、わかってるよー! ワタシだって月桃サネンだって当分帰らないし、もっと明璃さんやら真藍さんと仲良くなりたいし!!」

 《ぷきゅー》

 「ありがとうございます。たくさんお話聞かせてくださいね~」

 「あらあら、光栄ですこと。うふふ」

 ――都と大内裏を震撼させた陰謀を阻止して、はや数日。一連の事件の処理が大方終わったというので、晴れて集まった一同である。目的のひとつは、今回の件についての最終報告を聞くこと。そしてもうひとつは勿論、各自で持ち寄った美味しいものを食べることだ。

 「いやしかし、黒幕がわりとあっさり吐いて、いや、聞き取りに応じてくれて良かったな! まあ全部鵜呑みにするわけにはいかんが」

 「師匠、今なんか物騒な……いえ、何でもないです。はい」

 さらっと恐ろしい単語が聞こえた気がする。つい習性で突っ込みかけた明璃だが、どうにか思いとどまって口をつぐんでおいた。目をやった玄妙が神妙な顔つきで頷いているのを見て、さらに確信する。これは知らない方が幸せなやつだ。

 ――古の蟲神を甦らせ、帝の一族を黎安京ごと滅ぼそうとした、古蝶族の瑞羽。反撃した女性陣によってぼこぼこの有り様だった彼女は、蒼真率いる陰陽寮に引き取られ、今回の一件に関する様々なことを聴取されたらしい。

 予想通り、おもちや角鹿山の奥方を暴走させたのも、干物になっていた怪魚の幼体を復活させたのも彼女だった。蟲神が孵化するまでの間に、出来るだけ都を混乱させておきたかったらしい。ただ狂暴にさせる、というよりは、特別活性化して『自分のやりたいことだけをやるようになる』術だったそうで、

 「奥方が森を動き回っておったのは、連れ合いを探してのことだったな。怪魚については元々狂暴な性質を持っとるから、復活させれば後は勝手に暴れてくれる。で、おもちなんだが」

 「はい、何となく分かりました。……おもち、使節館から外に出た時って、もしかしてお腹空いてた?」

 《ぷきゅ!》

 「あ、やっぱり。だからお邸に突撃してきたんだ」

 「びっくりさせてごめんねー。もう、ほんと食いしん坊なんだから」

 《きゅうぅ……》

 「はは、まあまあ。とにかくあ奴が羽化させた蟲神は、古蝶の呪術全般に関わる力の源らしい。

 おかげで霧生にかかった呪いも、どうにか解く目処がつきそうだ。明璃、お手柄だったな」

 「~~~っ、はい!!」

 えらいぞ、とわしわし頭を撫でられて、うっかりちょっと泣きそうになった。誰に褒められてもきっと嬉しいが、今までの努力を知っている卯京に認めてもらえたのは、やっぱり特別だ。

 が、人前で涙が出るのは少々、いやかなり恥ずかしい。なのでその前に、空いていた高坏を持って急いで席を立った。

 「えっと、コケモモが切れてるので、追加持ってきますね! 師匠も銀嶺さんも飲み過ぎちゃダメですよっ」

 「ほいほい、分かっとるわ」

 「ありがとう、気を付けるね。……ねえ玄妙君、話すなら今じゃないかな」

 「っ、は!? いや、俺はその」

 「ええいもう、やかましいわ! こいつに手出ししたら許さん、て啖呵まで切っといてなーにをぐずぐずしとるか、早う行ってこい!!」

 「う゛っ、……し、失礼します!」

 そっと促してくれる銀嶺、および器用に囁き声で一喝する卯京に、何やら迷っていた玄妙が続いて席を立った。急いで廂から簀子に出て、明璃の後を追いかける横顔が、結構かなり赤い。

 「……上手くいくといいねぇ」

 《ぷぅ》

 「大丈夫ですよ、きっと。それにもし明璃さんに恥をかかせるようなら、私の爪がうなるだけですわ♪」

 「ひえっ!? く、玄妙さーん、ちばりよー!!」

 《ぷきゅ~~!!》

 うふふふ、とあくまでも笑顔で恐ろしいことを言う真藍。勤続数十年の女房兼式神が醸し出すド迫力に、怯えた悠那とおもちの応援がへろへろと響いた。




 「――明璃殿!!」

 「わっ」

 厨に行く途中の渡殿で、こっそり目元を擦っていた明璃は飛び上がった。あわてて振り返った先に、追いかけてきてくれたらしき玄妙の姿がある。

 貴族というのは、実は日常生活の場面ごとに着るものが決まっている。今日はごく内輪の集まりだから、いちばん軽装といえる狩衣姿だ。確か山で駆けつけてくれた時もこの格好だったな、とぼんやり思っていると、相手が口を開いた。

 「その、驚かせて済まん。ひとりになりたいだろうに不躾だった。……ええと、俺の家系というか、血筋のことなんだが」

 「ああ、はい。お母様が龍女でいらしたんですよね、師匠からも聞きました」

 ざっとした話は先日、本人からも卯京からも教わっていたので、こくんと頷いて話を促す。相変わらず緊張した様子で、玄妙が話を続けた。

 「母が棲んでいたのは、東の山中にある泉だった。そこで狩りに来て、たまたま道に迷った父と出逢ったらしい」

 人気のない深山、訪れるのは獣か精霊くらいしかいないところだ。母も驚いたが父も相当驚いたと思う。なんせほぼ秘境と言っていい場所で、うら若くも麗しい(本人談)女性と相まみえたのである。当然二人は恋に落ちて結ばれる……とは、ならなかった。

 「……母は相当気位が高くてな、己の許可もなく侵入していけずうずうしいと、山から叩き出したんだと。しかも複数回」

 「わ、わあ、お母様お強い……!!」

 「いや本当に。それにさっぱり堪えなかった父も父なんだが。――で、とうとう根負けした母が折れてくれて、山を下ったんだそうだ」

 後に生まれた一人息子の玄妙は、散々その話を聞かされて育った。当然のことながら、なんでそこまで頑張れたんですか、とも訊いた。そうしたら、

 「どうしてもこのひとが良かった、んだそうだ。だからお前もこの人だ、と思ったら、絶対手を離すなよ、一生後悔するからな、と」

 そういうもんなのか、とぼんやり頷いたものだが、今ならわかる気がする。だからと、まっすぐに明璃を見て息を吸い込んだ。

 「だから、後悔しないように伝えたい。――俺は、貴女が好きだ」

 「っ、はい……!?!」

 ぶわあっと、首から上が真っ赤になったのが良く分かった。聞き違いでなければ今、告白とかされなかったか、自分!?

 なんでとか、どこらへんがとか、いつからですかとか。訊きたいことは山ほどあるのだが、全部のどに詰まって出てこない。持っていた高坏を握りしめてうんうん言って、最終的に転がり出てきたのはたったひとつだった。

 「あの、わたしも、です。多分……」

 だって、嫌いな人のそばには一瞬だっていたくない。なのに出逢った時から歌作りを手伝ったり、いっしょにあやかしを追いかけたり、逆に追われたり、そんなことが全く苦にならなかった。今さっき師匠から、呪いが解けるかもと言われたときだって、嬉しくはあったがほんのちょっとだけ寂しかった。その原因は多分、いやきっと、玄妙と同じだ。

 「や、多分じゃ失礼ですね!? あの、好きです、きっと」

 「ほ、本当か!?」

 「冗談で言いませんよ! わたし言霊を使うのが専売特許みたいなもんだから、嘘は出来るだけ吐くなって言われてますし――ぎゅっ」

 何を言っているのか分からなくなった辺りで、伸びてきた腕に抱きしめられた。ちょっと息が苦しいしだいぶ恥ずかしい。が、まあいいかと思ったのは惚れた弱みというやつだろうか。うん、たぶんそうだ。きっとそう。

 「ありがとう、嬉しい。……歌は下手だが、大事にする」

 「そーしてください、是非に」

 抱き合ってくすくす笑う若い二人を、秋の日差しが照らしていた。







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黎安京あやかし異聞~見習い陰陽師、黒の少将と出逢うこと 古森真朝 @m-komori

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