第49話:案ずるより討つが易し⑨



 紅い光、いや、焔の欠片が混じった熱波で、衣の袖はばたばたと翻り、烏帽子が吹っ飛んで髪も解ける。しかしそんなことが些末に思えるほど、玄妙の変化は目覚ましかった。

 まず、黒い瞳が黄金きんに染まった。両の頬と手の甲、そこから続く前腕と上腕に、燐光を放って浮かび上がってきたのは漆黒の鱗。さらに手と足の爪が尖って伸び、舞い飛ぶ火の光にぎらりと輝いた。

 どこからどう見ても人外ながら、禍々しさは一切ない。むしろどこかに霊妙なものを感じる、神々しいまでの変貌ぶりだ。まだ一度も実際に見たことはなかったが、もしかして。いや、もしかしなくても。

 「お、おまっ、おまえ……ッ、何か重ね掛けした術の気配がすると思ったら、『りゅうの落とし』か!?!」

 「らしいな。母は物心つく前に儚くなったから、父からの又聞きだが」

 事も無げに言ってのける相手に、今度こそ瑞羽は絶句した。

 世に数多いる霊獣の中にあって、神にも通ずるとされる別格の存在。それが龍だ。主に雨風や雷といった天候を操り、普段は海や湖に棲んでいる彼らは、ごく希に人と交わることがある。長寿ゆえか本当に珍しいことだが、そうやって二世を契った者の間に生まれ落ちる子どもを呼ぶ言葉だった。

 しかしながら、そうした子どもは大抵長く生きられない。持って生まれた莫大な神通力が、この世に存在するための身体を内側から損なったり、有象無象の物の怪やあやかしを呼び寄せてしまうからだ。完全に人界との縁を切って常世とこよで暮らす、もしくはすべての通力を封じ込めて察知されないようにする、という方法が考えられる。この男の場合、もしかしなくても後者だったのだろう。

 「俺は特別通力が多い上、制御も不得手と来てる。都で暮らす上で万が一にも漏れ出さないよう、厳重に術を重ねてもらってたんだが――気が変わった。

 この際、俺の進退なぞどうでもいい!! 明璃殿に何かしてみろ、後ろの繭ごと一切合切、灰燼に帰してくれる!!!」

 「ひ……ッ!?」


 ごわぁっ!!!


 叫ぶと同時に巻き起こった火炎の渦が、玄妙を中心にして迸った。幸い庭の少し広い場所に出ていたおかげで、残った殿舎までは届かなかったが、真正面から火の粉と熱風を浴びた方は堪らない。咄嗟に懐剣を持った方の腕で顔を庇って、

 「今さ月桃!! はーいーやっっ」

 《ぷっきゅー!!!》


 ぐべっ!


 「がはっ!?」

 凶器が離れたのを見て取った瞬間、死角にいた悠那が思いっきり黒猪を投げつけた。なかなか良い音がした上に、頭に着弾したおもちは懐剣を咥えて持ち去ってくれている。なんて出来た魔物なんだ、君は。

 「……ぶはっ、ありがと悠那さんとおもち!! どっせえええええい!!」

 「ぎゃああああああっっ」


 どっしゃあ!!


 すかさずもう一方の手を振り払った明璃が、瑞羽の奥襟を引っ掴んで背負い投げを決めた。悲鳴を上げて宙を舞い、白砂の上に脳天から叩き落された黒幕が、げふっと呻いて動かなくなる。顔を覗き込んだところ、白目をむいて完全に気絶していた。よし!

 《――明璃さああああん!!! ご無事でしたかああああっ》

 「ごはっ!?」

 「うわあ!!」

 上から降ってきた真っ白い物体が、ちょうど瑞羽の真上に着地した。もう一回呻いて泡を吹いた下手人はほったらかして、踏んづけている当事者――新雪のように真っ白な毛並みの虎が顔を擦りつけてくる。その背に跨って苦笑しているのは、今朝がたに別れて以来になる卯京だった。

 「こらこら、落ち着かんか。もう決着はついとるし、明璃だってぴんぴんしとるだろうに」

 《そんなこと仰って!! 卯京様だって『あんの腐れ外道、うちの弟子に傷ひとつでもつけやがったらタダじゃ済まさん!!』て、さっきまで怒髪天だったじゃないですかあ!!》

 「そこはいちいち報告せんでよろしい」

 「……師匠、心配しててくれたんですか?」

 「んっ? ……そりゃあお前、当然だろう。私が油断したせいで下手人が逃げて、お前にちょっかい掛けてやる! って捨て台詞まで残して行ったら」

 「えへへ、はあい。――あっ、そうだ! 玄妙さんがですね」

 ぱきぱき、と、どこかで何かが小さく鳴った。硬いものにひびが入っていくような、細く繊細な音にはっとする。急いで振り返った先には、今まさに内側から光を放ち始めている巨大な繭があった。これはまさか……

 「も、もう羽化し始めてる!? ええっと、どうしましょう、もう呪符が品切れで」

 「よしよし、そう慌てんでよろしい。今回はもう全員疲労困憊だろうと思ってな、頼れる助っ人を依頼してきた」

 「助っ人? って――」

 珍しいことを言う師匠に首を傾げたとき、ばさあっと布が翻るような音がして、視界がふっと一段暗くなった。

 見上げれば繭の上によじ登って、うんと伸びをするような仕草ではねを広げている蟲神の姿がある。青い複眼に櫛のような触覚、そして梟の目を思わせる模様が付いた極彩色のつばさ。これは一族の名にある蝶というより、蛾の方が近いのかもしれない。

 通常の虫と違って、身体を乾かす時間は要らないようだ。綺麗に伸びた翅を打ち振って、蛾の姿をした神は優雅に舞い上がった。そのまま旋回し、市中に向かって飛び去ろうと――


 ばりばりばりばりばりばり!!!


 《ふも~~~~~~っっ》

 「わっ!? ――って、結界が出来てる!」

 いつの間に作ったのやら。内裏の真上を覆うようにして、今しがた叩き落された蟲神よりもさらに巨大な、網状の結界が形成されていた。地響きとどーん、という音で成功を察したのだろう、わあっと明るい歓声がここまで届いてくる。

 「――うん、成功したようだな。どうだ明璃、うちの寮の若いのも大したものだろう」

 「ひゃっ!? あ、あれ、蒼真様? いつの間に」

 「つい今さっきから。卯京が血相変えて式神と走っていった、と聞いて、ちょっと様子を見に来たんだ。あと珍しい龍の仔を見に」

 「本当にもうあなたって人は……いえ、有り難いんですけども、ええ」

 ひょっこり現れて言う蒼真、本当に何てことなさそうな口調である。まるで自室で白湯でもしばいているようなのほほん、とした調子に、側で聞いていた卯京も渋い顔をしているが、本人は全く気にしたそぶりがない。……うん、この人は師匠にお任せしよう。

 さっさとそう決めて踵を返す。庭の奥で所在なげに立っている、先ほど大活躍だった人のところに真っすぐ駆けていくと、びくっと身を引こうとしたのに構わず話しかけた。

 「玄妙さん、さっきはありがとうございました! どこか痛かったりしませんか、掛かってた術の反動とか」

 「……、え? い、いや、どこも」

 「そうですか、良かった。師匠のことだから、使う相手に無理のかかることはしないだろうとは思ったんですけど――あっ、それから」

 「う、うん?」

 「蟲神って、羽化してもあの鳴き方なんですね?? もっとこう、格好いい感じになるかと思ってたのになぁ」

 いや可愛いんですけどね? と、全く普段通りに話しかけてくる明璃に、身構えて固くなっていた玄妙の身体から力が抜けた。……良かった、怖がられてはいない、みたいだ。本当に良かった。それだけのことが、こんなにもうれしい。

 「……うん。そうだな、少々間抜けだ」

 「ねえ?」

 まだ下りたままの髪の間から、泣きそうな顔で笑ってみせた玄妙に、明璃はいつも通りのにっこりで応えた。





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