第48話:案ずるより討つが易し⑧


 花に実体を持たせるのは、思ったよりも大変だった。本当は全部のつもりだったのに、数本しか出せなかったし、発動した瞬間にごっそり霊力を削られたのが分かった。じわじわと身体の奥から冷えてくる感覚があって、頭がくらくらする。いつものやつだ、早く立ち直らないと。

 (呪い、大人しくしてて! 繭になったんだから、早く師匠に伝えなきゃ……!)

 玄妙たちが気付かないよう、急いで頭を振ってやり過ごそうとする。そのかいあって、どうにか意識ははっきりしてきた……が、そっちに集中していたせいで、後ろから近づく気配に出遅れてしまった。

 「――動くな貴様ら!!!」

 「え、……むぐっ」

 「明璃殿!?」

 《ぷきゅー!!》

 降って湧いた声に、ようやく事態に気付いた面々の悲鳴が飛び交った。

 いつの間にか明璃の背後を取って、口を塞いだ上に懐剣のようなものを突き付けていた人影は、盾にした彼女をひきずって外に出た。こちらに視線を向けたままで慎重に階を降り、庭で繭となった蟲神の前まで移動していく。急いでその後を追い、松明に照らされた面差しを見て、悠那があっと叫んだ。

 「ワタシのこと攫って閉じこめたやつだ!! ……って、あれ? なんで何も着てないんさ?」

 「不可抗力だ放っておけ!! あたかも素っ裸であるかのような言い方をするな、人聞きの悪いッ」

 (人さらいって時点ですでに十分人聞き悪いと思うんだけど……)

 わりと冷静にそんなことを思う明璃を捕まえているのは、おそらくまだ二十を越さないくらいの女性だ。足元に見える緋色の長袴からして女房装束だと思うのだが、何故か上は白の小袖しか着ていない。どこかに引っかけて破きでもしたんだろうか。ついでに美人の部類に入るだろう容姿なのに、焦りと怒りと憎しみが入り混じった表情で台無しだった。

 そして見た目はさておき、声の方には覚えがある。どこで聞いたのか考えていると、先に思い当った玄妙が困惑した様子で目を眇めた。表情そのものの声音で、「……待て、まさか君、左大臣邸で文を渡してきた女房か!?」

 「ええっ、お兄さん知り合いなの!? まさか恋」

 「違う!! 断じて違う、天地神明に誓って違うぞ!! 歌をもらって返し損ねただけだ!!!」

 「き、貴様、そこまで心底嫌そうにいうか……!?」

 いや、当たり前でしょうが。屈辱でわなわな震える黒幕、確か瑞羽みずはといったか。とにかくそんな彼女に思わずジト目になる明璃である。共犯者とかならいざ知らず、誰が天下に盾突く大罪人と知った上でイイ仲になるというのか。

 ……いや、逆か。おそらくこいつは、世間での評判などから目を付けた玄妙を巻き込んで、都合の良い手駒にするつもりだったのだ。だからあんな回りくどい、もとい、貴族的には上品で柔らかな言い回しの歌で気を引こうとしたんだろう。何とも失礼な話だ。

 それは当事者もちゃんと気づいているようだった。現に、明璃の頭越しに睨んでいる目つきが恐ろしく鋭い。

 「言いそうなことはなんとなく分かるが、一応聞いておく。明璃殿をどうする気だ」

 「よ、よし、そちらから訊いてきたのは褒めてやろう! いいか、蟲神はじきに羽化を迎える。そこの瑠玖の姫は最初に喰らわせる魂として選んだ贄だ、すぐに返すが良い。さもなくば――少々質は落ちるがまあいい、こいつを代わりに喰わせてやる!!」

 やっぱりそう来たか。あの蟲の成体が魂を喰らうと聞いて、真っ先に生け贄の文字が浮かんだのだ。

 (おそらく、贄は霊力とやらが高いほど良い。そして古代の先例を見るに、喰われれば器の方も息絶える)

 もちろん悠那だって渡す気はない。が、人質を取られているのが何よりも問題だった。つい漫才のようなやり取りになってしまったが、その間も明璃に突きつけた懐剣は微塵もブレていない。本当に傷つける気かどうかは分からないものの、やろうと思えばやれる状態なのが恐ろしかった。

 全ての問題を一度に解決する方法は――ある。ひとつだけ。ただそれをやったら、きっと周りを傷つける。今まで信じて支えてくれた人たちを、真っ向から裏切ることになる。

 だが、それでも。

 「――明璃殿」

 呼びかけに、明璃が真っ直ぐ見返してくる。澄んだ瞳は緊張で硬い色をしてはいるが、恐れや絶望は全くない。ひとまずそれにほっとして続ける。

 「わずかだが手間を取らせる。ついでに少々、恐ろしい思いもさせる。――だが、絶対に二人とも助ける。今だけで良い、俺を信じてくれないか」

 「……っ」

 頭上の瑞羽が、隠さず怪訝そうな顔をしたのが伝わってきた。でも、正直そんなのはどうでも良かった。上っ面の大言壮語ではない、ちゃんと芯の通った強いことばだ。絶対そうなると、すんなり思うことが出来た。そんな言霊を預けてくれたことが、嬉しかった。

 一生懸命頷いてみせると、玄妙はほっとした風情で頬を緩めた。しかしすぐさま厳しい顔つきに戻ると、黒幕を真っ向から睨み据えて言い放つ。

 「ならば、何も心配ないな。――瑞羽とやら、どうでもやりたいようにやると言うなら致し方ない。だがそれならば、まずは俺の屍を越えて行け!!!」

 こんな大声は初めて聞いた、という大音声を放つと同時。闇夜にも明らかな凄まじい熱波が、玄妙の足元から一斉に立ち昇った。



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