第4話 シカ肉のステーキ

「え!売ってない?」


「そうだ」


「何も?キャンプ場なのに?」

 

 管理人は無表情のまま、静かに頷いた。


「まじかよー!なんか売ってると思って何も持ってきてないよー」


 管理人の変なキャンプ場紹介を見たあと、いくつか質問してから販売商品について尋ねた。最近のキャンプ場は、地元食材の販売や飲食提供、オリジナルのミールキットまで置いてあるところまである。ところが、このキャンプ場は飲食どころか物販さえも行っていない。あわよくば、PRを名目に提供してもらおうという下心もあって何も持ってこなかったのは失敗だった。


「原田は、予約の時にホームページ見てないのか?」


 大手キャンプ予約サイトで、適当なところをクリックして選んだので詳細までは見ていなかった。


「じゃあ、一番近くで買い物できるところってどこですか?」


 自分のミスなのに、つい苛立った口調になってしまった。


「そうだな、車で30分のところにおばあさんのやってる小さな商店があるが、気まぐれで閉めるから。行くなら早めがいいぞ」


―まじかよ。


 ここまで来るのに徒歩で30分かかってんのに、それから車で30分って・・・。自分を癒すために来たのに移動だけで疲れちゃうよ。


「どうした?キャンセルするか?払い戻しはないぞ」


—これ以上この人と話しても意味がない。まあ、これも動画のネタになるか…。


「いや、大丈夫です。入ります」

 

 仕事を忘れて楽しもうと思っていたのに、いつの間にか動画を取る気満々になっている自分に思わず苦笑いしてしまった。




「どうもー、野人太郎です。野人太郎の原人ライフはじまりまーす!ウホウホ!」


 手早く、テントとキャンプギアを展開し、念のために持ってきたオズモポケット3で動画撮影を開始した。


―あの、変な管理人に撮影の許可取るのを忘れたけど、ま、後でいいか。


「今日は、T県にある『ほほえみヶ丘希望の森キャンプ場』に来ております」


 キャンプ場全体が映るようにカメラを周辺に向けていると、入口付近に誰かが来ているのが見えたので、慌ててカメラを自分に向け直した。


―他人が映ると、許可取りとか編集が面倒くさいんだよな。 


「このキャンプ場、とても珍しいキャンプ場でして・・・」

 

 入ってきた年配の男性は、こちらが動画を撮っていることに気づいてくれたのか、少し離れた場所で静かに設営を始めた。


「何が珍しいって、まず、電波がない、飲食がない、そしてなんと物販もない!ないない尽くしのキャンプ場なんです」


「悪かったな」


「ひっ!」


 突然の声に驚いて情けない声を出してしまった。これでまた、編集が面倒になる。


—いや、素のリアクションが意外と受けるかもな。


「お前、何してんだ?」


「何って、YouTubeの動画撮ってんですよ」


 急いで、オズモポケットの録画を止めた。管理人の無表情な視線が突き刺さる。


「YouTube?あー、お前、あのユーチューバーとかいうやつか。何やらひとりで騒いでるんで、空腹でおかしくなったのかと思ったぞ」


「一応、チャンネル登録者数8万人越えです」


「ふーん、それって凄いのか?」


—この手の人には、何を言っても通じないか…。


「あ、撮影した動画、投稿しちゃって大丈夫っすか?」


「それは構わんが、あんまりひとりで騒いでいると、頭のおかしい奴に見えるぞ」


—頭がおかしいのはどっちだよ…。


「はは、すみません、気を付けます。建物とか映しても大丈夫ですか?あと、嫌じゃなければ管理人さんも一緒に撮りません?」


「何を撮ってもいいが、俺はやらん。自分の映像が、自分の知らないところに残るのは気持ち悪い」


「了解です。管理人さんは撮影NGですね。もし、映っちゃったら、モザイク処理しますけど、それでいいですか?あと、声も変えます」


「いや、自分の顔に勝手にモザイクをかけられたり、音声を変えられるのは犯罪者みたいで嫌だ。それはやめてくれ」


—このひと、面倒くさっ…。


「多分、俺が映ることはないだろうから、気にせず撮影してくれ。万が一映っても気にしないでいい。ま、撮影を楽しんでくれ」


「はあ、じゃあ一応撮影オッケーということで・・・」


「こんにちは」


 いつの間にか、隣のおじさんキャンパーがすぐそばまで近づいてきていた。


「おう、茂、また来たのか」


「あ、管理人さん、また来ました。お世話になります」


―明らかに管理人よりこのおじさんの方が年上なのに・・・やっぱこの管理人ちょっとおかしい・・・。


「まあ、俺はなんのお世話もしないけど楽しんでくれ、茂」


「ちょっと、さっきからお客さんを茂って・・・」


 最近は、傍若無人な振る舞いを「かっこいい」と思っているのか、礼節を欠くユーチューバーが増えている。それにもかかわらず、そういう輩が自分の動画よりも多くの再生回数を獲得しているのが理解できない。だからこそ、自分は礼節を重んじる姿勢を大切にしている。


「ああ、これか、茂のところは家族で利用してくれるんで、永田じゃ誰を呼んでいるのかわからないからな」


—このひと、何言ってんだ?


「ところで、茂、シカ肉食うか?」


「いいんですか?管理人さん、処理が上手だから臭みがなくて美味しいんですよね」


「おう、わかった。後で持ってくる」


「いや、でも、私は以前も頂いたので、この青年にあげてください」


—野人太郎って…


「いや、大丈夫です。俺、あんまり得意じゃないんで」


 以前、案件で訪れたキャンプ場で食べたジビエ料理のシカ肉が鉄臭くて、それ以来、シカ肉はどうも苦手だった。


 管理人は、「野人なのに野生の肉が食べれないとはな…」とブツブツ言いながら、管理棟の方に歩いていった。


「面白い管理人さんですよね」


 茂さんは、人の良さそうな笑顔で、管理人の後ろ姿を見ていた。


「面白いっていうか、失礼ですよあの人」


「ははは、あの人はね、多分、野生の人間なんですよ」


「野生の人間?」


「そう、自然の中で生きる野生の人間。だから、裏表なく、ありのままに生きているんだと思うよ」


「そんなもんすかね」


「あ、動画撮ってるんだよね。邪魔してごめんね。あと、一緒に撮影はできないけど、映ってしまう分には気にしないから、遠慮なく撮影頑張って」


「ありがとうございます」


 管理人との会話が聞こえていたのか、それだけ言うと、茂さんは自分のサイトに戻っていった。


―やっぱ、本物のキャンパーに悪い人はいないな。




「それではみなさん、おやすみなさい」


 オズモポケットの録画を停止した。周囲はまだ日没まで時間があるものの、寝袋に横になった顔のアップ映像だから問題ないだろう。あとは、星空とテントの明かりが消えるシーンを撮影して、明日の朝、「空腹で眠れなかった」風に仕上げれば、撮れ高としては十分だ。


 テントの外に出て、大きく背伸びをする。


—疲れたぁ。俺、何しにこのキャンプ場に来たんだっけ?


 その時、隣のサイトから肉が焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。


—腹減ったな…。


「おーい、撮影終わった?」


「はーい。お騒がせしてすみませんでした」


「なんのなんの、終わったんだったらちょっとおいでよ」


 普段なら、こういう誘いは丁重にお断りするところだが、茂さんはとても感じのいいキャンパーなので、少し話を聞いてみたくなった。


 茂さんのサイトに近づくと、肉の香ばしい匂いがさらに強くなってきた。


—しまった!俺、めっちゃ腹減ってたんだった…。


「良かったら、夕食お付き合いいただけませんか?」


「あ、でも、俺、何も持ってなくて…」


「知ってます。さっき、管理人さんから聞きました」


「え?」


 撮影中に姿や気配を感じなかったが、どうやら管理人がこっそり話していたらしい。


—え、じゃあ今焼いてるのはシカ肉…?


「申し訳ないけど、イスとカトラリーは準備してもらえる?」


「あ、はい。持ってきます」


—まあ、ひとくち食べて駄目そうなら、断ればいいか…。


 自分のテントに戻り、カトラリーと食器が入った収納バッグを手に取った。何か持っていけるものはないかと探してみたが、調味料すら見当たらず、諦めてテントを離れた。


「ホント、すみません。お邪魔します」


 茂さんの正面にイスを置いて座ると、先ほどまで音を立てて網の上で焼かれていた肉塊はなくなり、その代わりにピーマンや玉ねぎ、ニンジンが丸のまま焼かれていた。


「なんかワイルドっすね」


「あ、これ?一人の時は食べきれないから切るんだけど、誰かが一緒に食べるときはこうして丸ごと焼くのが一番美味しいんだよ。付き合ってくれてありがたいよ」


「いや、こちらこそ助かりました。茂さんはこのキャンプ場、よく来るんですか?」


 申し訳なさと気恥ずかしさを誤魔化すために、話題を変えた。


「そうだね、もう4年になるかな」


 茂さんは、初めてこのキャンプ場に来た日のことや、3歳のお孫さんがいて、一緒にキャンプするのが夢だという話をしてくれた。


「なんかいいでしょ、ここ。人少ないし、細かいルールもないし。時々、無性に一人になりたくなる時があって、そんな時ここに来るんだ」


「あ、すみません。おひとりの時間なのに…」


「いいんだよ。一人になりたくて来たのに、しばらくするとやっぱり誰かと話したくなるもんだよ」


—最近は、ソロでキャンプに入っても、クライアントがいたり、視聴者さんが気づいて一緒に過ごしたりして、ひとりでゆっくりキャンプすることがなくなったな…。


「お、そろそろいいかな」


 茂さんはそう言うと、少し焦げ目のついた野菜をカッティングボードに取って、手際よく半分に切り分け、皿に盛り付けた。野菜をすべて盛り付け終えると、次にアルミホイルに包まれていた肉塊を丁寧に切り分け、同じように皿に盛り付けた。


「どうぞ、肉は塩コショウだけしてるけど、野菜は焼いただけだから、もし足りなかったら自分で味つけて」


 そう言いながら、茂さんはたくさんの調味料が入ったスパイスボックスを指さした。


—シカ肉苦手って言ったはずなんだけどな…。


 断る雰囲気でもなかったので、とりあえず縦に半分にされたピーマンを口に入れた。


「うまっ!なんすかこれ、甘くてめっちゃうまいです!」


「そうでしょ。野菜は切らずに焼くと、水分が中に閉じ込められて、すごくジューシーになるんですよ」


ピーマンは、切って炒めたものとは違い、シャクシャクした食感はないけれど、噛むたびに甘い汁が口いっぱいに広がる。次にナスをひとくち齧ると、こちらも蒸されて柔らかくなった果肉から甘い汁が溢れ出てきた。ピーマンで感じたような青臭さは一切なく、ナスそのものの濃厚な味が口の中を満たす。ニンジンもとても甘く、皮付きなのに簡単に噛み切れ、逆に皮の食感がアクセントになっていた。どの野菜もそのままで十分に美味しく、驚くほどの自然な甘みと風味が感じられた。


「美味しいでしょ?」


「野菜って、こんなに美味しくなるんですね」


 茂さんは嬉しそうにこちらを見ていた。空腹のせいもあって無我夢中で食べている自分を見られていたと思うと、急に恥ずかしくなった。


—今さら、シカ肉食べないとは言えないよな…。


 肉の塊が目の前にあるのを意識しつつ、どうするべきか迷いながら、できるだけ小さめのシカ肉を選んでフォークに刺す。鼻先に近づけて匂いを嗅ぎたい気持ちもあったが、たまにテレビでタレントがやっている姿を見ると品がないように思えて行儀が悪く感じていた。覚悟を決めて口に入れる。


―あれ?臭くない?


 恐る恐る咀嚼してみると、柔らかい肉から肉汁が溢れ出てきた。わずかに鉄っぽい匂いはするものの、以前食べたシカ肉に比べるとまったく気にならない。噛むほどに旨味がじわじわと溢れてくる。シンプルな塩コショウの味付けに加え、肉自体の持つ自然な塩味と旨味が口いっぱいに広がった。


「これ、シカ肉ですよね?」


「あ、シカ肉苦手でしたっけ?」


 茂さんがいたずらっぽく笑った。


「いや、無茶苦茶うまいっす!前食べた時と全然違う!」


「処理が違うからな」


「ひっ」


 突然、暗闇から浮かび上がった管理人の姿に、またしても情けない声を出してしまった。


「しっかりと血抜きして、近くの沢でしっかりと冷却するのがポイントだ。腹が減ったら、心が荒む。おい、野人、茂さんにしっかりお礼を言うんだぞ」


「いやいや、お礼だったら、こうして二人分のシカ肉を持ってきてくれた管理人さんに言ってください」


「ふたりともありがとうございます。なんか久しぶりに楽しいキャンプしてます!」


「そうか、それは良かった。まあ楽しんでくれ。俺は帰る」


 そう言い残して、管理人は颯爽と森の中に消えていった。


—意外といい人なのかも…。


 食事を終えた後、片づけを手伝ってから早々に自分のテントに引き上げた。久しぶりに純粋にキャンプを楽しんでいるような気がした。


—これじゃ、明日の朝、「空腹で眠れませんでした」なんて、とても言えないな。


 食事中、一瞬撮影しようかと頭をよぎったが、やめておいて良かった。あの時間は、自分の中に静かに残しておくべきもので、それで十分だと感じた。




カチカチッ


 帰宅後、撮影した動画をチェックしていた。管理人の言った通り、最初に話しかけられた場面以外は、その姿も声もまったく映っていなかった。


—あの管理人、何者なんだ?

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ほほえみヶ丘 希望の森キャンプ場 北野裕司 @U-_-ZY

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