鴨がくる
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鴨がくる
文久三年(1863年)。
京に春が訪れていた。
澄んだ朝の空気は、ほんの少し肌寒さを残しつつも、昼が少しずつ温かさを増してくる。太陽の柔らかな光が街路を照らす中、どこからともなく漂ってくる草の若い香りが、人々に春の訪れを知らせていた。
だが、京の人々にとって穏やかな春ではなかった。
安政五年(1858年)、日米修好通商条約が締結されて外国との貿易が始まると、京都・西陣の織物産業が大打撃を受け、貿易商人に対する殺傷事件が多発。
また、多くの勤王(天皇に忠義を尽くすこと)の志士が京都にやってきたことで、治安が急激に悪化した。
過激志士たちは、天誅(要人の暗殺)や
これを受け、幕府は治安維持のため「京都守護職」を設置。
主の
京都守護職は、もともと京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行や、新たに組織された京都見廻組を支配下に置く。
しかし、これらと会津藩だけでは手が回りきらなかった為、ある剣士組織が結成されることになる――。
新撰組である。
◆
京の繁華街。
かきいれ時の時刻を過ぎ、飯屋の忙しさは一段落した。
だが、店にはまだ数名の客の姿があり、酒の入った声で会話を楽しんでいた。
咲の威勢の良い声も、その中に混じっている。
咲は今年で16歳になる少女だ。美人ではないが、人なつっこい笑顔を持つ愛嬌のある娘だった。まだあどけなさが残るものの、あと数年もすれば引く手数多になるだろうと思われる器量良しでもある。
居酒屋の奥では、5人の男達が集まり、乱暴に酒を飲み交わしていた。
腰に刀を差しているが、脇差は無く一本差のところをみると、浪人に違いなかった。
仕える主君を失った武士は脇差を売って金に変える為に、刀だけの一本差で歩くことがある。彼らはそういった浪人達なのだ。
「おい、もっと酒を持って来い!」
一人の浪人が咲を乱暴に呼んだ。
この5人の中で一番の大男だ。
咲は、嫌そうな表情を見せながらも、素直に返事をし、奥の調理場に引っ込む。
そして、すぐにお盆に銚子を乗せて持ってくる。
「どうぞ……」
咲が男達の席を離れようとすると、大男が咲の手首を掴んだ。
「や、やめて下さい」
咲が抵抗するが、大男は離すこと無く逆に強く握る。
他の4人の浪人達は、そんな二人の様子をニヤニヤしながら見ていた。
咲の表情が苦痛に変わる。
「可愛いじゃないか。酌をしろ」
大男の言葉に、咲は怯えた表情で抵抗しようとしたが、大男は更に手荒に扱い始める。手首を握っていた手を放すと、今度は咲の肩に手を伸ばしてきたのだ。咲の肩を掴んだ大男は、そのまま強引に引き寄せた。
咲は思わず悲鳴を上げそうになるが、唇を噛んで何とか堪える。
そんな咲の表情を見て、大男は満足そうに笑った。酔って顔を真っ赤にし、目は据わっている。
咲は嫌悪感を覚えた。
店の客たちは、気まずそうに目をそらして、誰も関わりたくないという顔をしている。
しかし、その静かな緊張を破るような重い声を響かせた。
「おいおい、酒は楽しく飲んでもんだろうが」
黒い羽織袴姿の男が席に座ったまま手酌で酒を飲んでいた。腰から刀と脇差を差しているところを見ると武士なのが分かる。
「誰だ、お前は?」
大男は不機嫌さを隠そうともせずに、その男を睨み付けた。
男は立ち上がると、大男に向かってゆっくりと歩き出す。
すると、男の身体の大きさがより強調され、迫力が増したように見えた。
身長五尺八寸(175cm)以上はあるだろうか? 当時の男性の平均身長は五尺(151cm)だったことを考えれば背の高さが分かる。大柄な体格ながら均整が取れており、肩幅が広く胸板も厚い。筋骨隆々という言葉が相応しい男だった。
黒髪を短く刈り込み、鋭い眼光を放っている。
年齢は35歳くらいか。
腰の大小が無ければ、一見して侍とは分からないだろう。それほどまでに身なりの良い格好をしているにも関わらず、この男からはどこか粗暴な雰囲気を感じさせたのだ。
男は静かに口を開く。
「俺は、
鴨と名乗った男に凄まれた大男は、敵意をむき出しにした。酒が入っていたことで、気が大きくなっていたこともあった。
すると5人の浪人の一人が声を上げて笑い出す。
「かも、鴨って、あれか。鳥の鴨か?」
それを聞いた他の4人も大声で笑う。
「弱そうな名前だな」
「鴨がネギを
「まったくだ、笑わせてくれるぜ」
男たちは、下品な笑いを浮かべたまま鴨をあざけった。
だが、鴨の表情は変わらない。
表情を変えずに淡々と答える。
「ああそうだ。俺の名前は鴨だ……。弱いかどうかは試してみるか?」
男は挑発した。
すると鴨に一番近い所に座っていた男は腰の刀に手を伸ばしながら立ち上がる。
男の動きは、それだったが、それ以前に鴨が動いた。
帯に挟んでいた扇を掴むと、男の右手首に打ち下ろした。
重い音がした。
鈍い音が店に響き渡り、男は手首を押さえてうずくまった。
強烈な一撃にも関わらず、男の扇は折れておらず無傷だ。
鉄扇だ。
【鉄扇】
親骨を鉄で作った扇子の一種。
鉄の短冊を重ねたもの、また閉じた状態の扇子の形を模しただけで開かない(つまり、扇子の親骨型の鉄塊)鉄扇も存在する。
戦国時代から存在しており、陣中で避暑のための扇と非常時の護身具の両面で用いられていた。
武家社会のおり、刀を持てない場所などにおいて護身用として鉄扇を携帯した。
「ふん、刀は長いんだよ」
男は鉄扇で自分の肩をほぐすように、軽く叩いた。
「クソ!」
仲間を傷つけられた他の3人は、一斉に立ち上がったが、そこを狙って鴨は鉄扇を振り出した。
その速さは、風を切る。
鴨の鉄扇の標的になった男は反射的に腕を上げたが、その防御は無意味だった。なぜなら腕が上がる前に、鉄扇は男の脳天をまっすぐにとらえたからだ。
重い音を立てて頭蓋に打ち付けられた。
鈍い店内に響き、男の顔が歪んだ。
まるで意識を奪われるように、先めりに崩れた。
男は体が床に着くことなく、顔面を先にして床に倒れた。
いや、倒れるというよりも叩きつけられ、潰れたといった方が正しいかもしれない。腰を浮かせ顔と首を支えにした姿は、土下座しているようにも見えるが、明らかに違う。
完全に気を失っている。
男は起き上がらない。
床に顔を潰した男は痙攣し、鼻血が床に広がっていく。
その光景を見ていた他の3人の浪人達は、驚きのあまり動けなかった。いつもであれば、売られたケンカに対し雪崩込むように向かっていくのだが、今は誰一人として動けない状態だったのだ。
強さの格が違っていた。
鴨が倒した男は、最も腕の立つ男だったにも関わらず一撃で倒されたのだから。
鴨はゆっくりと歩いて近づくと、倒れている男の身体を足で蹴った。
反応は無い。
「酒が不味くなる。出ていけ」
鴨は、男たちに言った。
3人の浪人達は顔を見合わせて頷く。咲を掴んでいた男は彼女を離し、金を床机の上に転がすと、倒れている男を仲間に抱えさせて店を後にしたのだった。
咲は自分の無事を確認し、安堵したのか胸を撫で下ろす仕草をした。
そんな中、鴨は財布から金を出すと、床机の上に置いて出ていくことにした。
「あの。お武家様、ありがとうございます」
咲は慌ててお礼を言った。
すると、鴨は振り返ること無く答えた。
「これも役目だ」
それはぶっきらぼうな言い方ではあったが、優しさを感じる声だった。
「あの。私は咲と言います。お武家様の、お名前を聞かせて下さい」
咲が訊いた。
すると鴨は、振り返った。
「
そして鴨は、店を後にしていた。
◆
京都、壬生にある郷士八木家の邸宅での一室に明かりが灯っていた。
微かな煙が掛け軸の前をゆらりと漂う。遠くからかすかに聞こえる犬の遠吠えが夜の静けさを強調していた。
そんな部屋で、鴨は一人の男と会っていた。
新撰組局長・近藤勇だ。
汗の匂いが微かに漂っていることから、剣術稽古を終えた後のようだ。
(相変わらずだな)
もう夜半だというのにまだ稽古を欠かさない男を見て感心すると同時に呆れてしまう鴨であったが、組織の局長ともなれば弱くては勤まらないことも分かっていたので、口にはしなかった。
お互いに忙しい身でありながら密談が出来るというのは、互いの信頼関係あってのことだと理解しているからこその行動でもあった。
壬生新徳寺で庄内藩士・清河八郎に浪士組は幕府の為ではなく、朝廷の為に働くと聞かされた時は驚いたものだ。まさか尊王攘夷の先鋒になろうとしていたとは思いもよらなかったのだ。
だが冷静に考えればそれも当然かと思えたのも事実である。何故ならこの当時、江戸では尊王思想を持った者たちが徒党を組み暗躍していたのだから。
これに異を唱えたのが、芹沢鴨と近藤勇だった。
浪士組はこれにて二つに分裂し、浪士組を脱退した鴨と勇は京都に残留し「壬生浪士組」を結成することにしたのだ。
鴨の表情には穏やかな疲れが見えた。
勇は、その様子を見ながら、銚子を手にしていた。
「どうだ、京の風は?」
勇が口を開き、芹沢に酒を差し出す。鴨は左手で杯を差し出し、ふっと小さな笑みを落とした。
「乾いてるな、この京の風は。だが、それ以上に沈んでいる」
鴨はゆっくりと酒を口に含む。
酒の香りが彼の喉を心地よく通り抜けるが、苦みを感じる。その味わいは、心境の悪さを訴えていた。
鴨は続けた。
「町は華やかだが、陰では勤王志士共が跳梁跋扈してる。この乱れが進めば、いつ俺達が捨てられても慎重はない」
鴨は冷ややかに語りながら、ふと鉄扇を取り出し、手の中で軽く開いたり閉じたりした。
夜の闇が、彼の手元の鉄扇に反射し、鋭く光っている。
「この鉄扇のように強固に見えて、我々の運命も軽いものかもしれんぞ?」
近藤もまた酒を口にし、しばし沈黙が続いた。
開け放った窓からは静かな風が吹き込み、行灯の火がかすかに揺れていた。
「確かにな。この京には表と裏がある。……だが、それも俺たち次第だろう。この京を公儀の為に俺達が守るんだ」
勇は穏やかながら、強い決意を込めた声で続けた。彼の目は真っすぐに鴨を見据えている。
「使命、か」
鴨は目を細め、手の鉄扇の先端で畳を突いた。
「だが、近藤よ。守るという意味を考えろ。俺たちは待ってるだけの番犬じゃない。斬るべきは斬る。それが俺のやり方だ」
畳に押し付ける鉄扇の先端が、じわりと沈む。
彼の言葉には、乱暴者とは違う確信と覚悟が感じられた。怒りが、鴨の中には渦巻いていた。
芹沢鴨は鉄扇の使い手として知られている。
「今の京都は、まるで深い霧の中だ。この霧を晴らすためには、雨が必要だ。体を濡らし寒さをもたらしても、俺はこの京に雨を降らせる為にここにいることにした」
鴨は真剣な目で勇を見つめた。
勇はその言葉を聞きながら、彼の考え方は芹沢とは少し違うが、その覚悟には共感していた。彼もまた、守るべきものの為には戦う覚悟をしていたからだ。
「だが、芹沢。人の力で雨を降らせることはできんよ」
勇は柔らかいが、傲慢な発言をする彼を諭すように言った。
しかし、それでも鴨は動じない。じっと己の信念を貫くかのように鋭い眼光を向けてくるだけだ。まるで獲物を狙う鷹のような目であった。その視線を受けるだけで背筋が凍るような感覚が襲ってくるほどだ。
「降らせてみせるさ。血の雨を」
そう言った鴨の目は本気だった。彼は本気で言っているのである。だからこそ恐ろしいものがあった。
(この男だけは敵に回したくないな)
そう思いながらも、勇は静かに口を開いた。
「さすが新撰組筆頭局長・芹沢鴨。そうでなくてはな……」
勇の言葉に迷いはなかった。ただ真っ直ぐに目の前の男を見ているだけだった。
新撰組結成時、その編成は次の通りである。
局長・芹沢鴨、近藤勇、新見錦。
副長・山南敬助、土方歳三。
助勤・沖田総司、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、井上源三郎、平山五郎、野口健司、平間重助、斎藤一、尾形俊太郎、山崎進、谷三十郎、松原忠司、安藤早太郎。
調役兼監察・島田魁、川島勝司、林信太郎。
芹沢鴨は、3人の局長の中でも筆頭を名乗り、新撰組の長を務めていた。
◆
新撰組一行は、市中見回りに出たところであった。
目的は治安の維持や犯罪防止の為であるのだが、実際には幕府の威厳を示す為の示威行為に近いもがあった。
そんな中、鴨は一人京の町を出歩いていた。
鴨は目立つことが好きではないため着用していないが、周囲はそれを良しとは思っていないようだった。何しろ自分達が所属する組織の隊服なのだから当然だと言えるだろう。
勇も歳三に同調するだけに、屯所を出る時は裏口からそっと出るように心がけていた。
四条通りを東に歩き四条大橋を渡りながら、鴨川の方を眺める。
「俺と同じ名前か」
鴨は笑った。
芹沢鴨の前半生については、よく分かっていない。
生年も不明ならば、実は本名も不明で、本姓こそ「芹沢」であったことが有力視されているが、名前の「鴨」は、浪士組に参加する際、洒落っ気で付けた可能性が大きいとされる。
江戸時代、鴨肉と芹(セリ科の多年草)は、食材における絶妙な組み合わせとして人々に好まれていたことから、「芹とくれば鴨だろう」という具合に名付けたと推察されている。
また鴨は両手を懐中に入れて歩いていたという。これは袖から腕を通していない姿のことで、普通は刀にすぐ手をかけられる方が有利に決まっているが、彼はよほど剣に自信があったとされる。
実際、芹沢鴨は戸賀崎熊太郎から神道無念流を学び、免許皆伝を受け師範代を務めたこともある。
街の様子を眺めながら鴨が歩いていると、その足が止まった。
そして、彼の視線の先には一人の女性がいた。
長い黒髪と白いうなじが印象的な女性だ。
彼女は大きな荷物を両手に抱えたまま、よろよろと歩いていたのだ。どうやら買い物帰りらしい。荷物の重さに耐えかねているようだ。
鴨がこうして町を歩くのは、単純気まぐれではない。志士達が頻繁に動き回る京では、いつどこで問題が起こるか分からないからだ。特に最近は不穏な空気がある以上、警戒を怠るわけにはいかないのだ。
(あの女……)
女は、やがて体勢を崩したかのようにふらつき、そのまま倒れてしまった。手にしていた包みが地面に転がる。
それを見た鴨の表情が変わった。
すぐに彼女の元に駆け寄る。
女はまだ若く、二十歳前後に見えた。黒い髪を後ろに束ねているせいか、どことなく地味な印象を受けるものの、整った顔立ちをしていることに変わりはない。
彼女の傍らに駆け寄った鴨は、屈みこんで声をかけた。
「大丈夫か?」
すると女がゆっくりと顔を上げる。
「はい。すみません」
弱々しい声で答える女。
そんな中、鴨の目は鋭く光りを持った。
鴨が刃でも抜いたかのような気配を持ったことに、女は腰を抜かしたようにその場にへたり込んでしまった。目を見開き怯えた表情を見せている。
その時には、鴨は袖から両手を出すだけでなく、左手は鯉口を切っていた。
その目は殺気に満ち溢れており、まさに抜き身の刀のようだった。
鴨はゆっくりと立ち上がると、周囲を見た。
浪人らしい男達3人が半円を描くようにして取り囲んでいた。彼らは抜刀こそしていないが、その目には殺意が宿っているのが分かる。今にも斬りかかってきそうな勢いだった。
「見ない顔だな」
頭目らしき男が鴨に訊いた。
芹沢鴨の出身は水戸藩であるだけに、京に身を置く者からすれば、鴨は明らかに余所者と分かるのだろう。
すると他の男が追求する。
「最近、幕府が会津藩に京都守護職を組織したらしいが、そいつらじゃないのか?」
男達は明らかに敵意を持っていた。
だから鴨は答えてやった。
「俺は、芹沢鴨。会津藩御預、新撰組だ」
その答えに、男達の間に緊張が走った。
「会津藩だと」
「すると佐幕派(幕府を補佐する意)か」
男達は次々と腰の刀に手をかけた。
だが、遅い。
鴨は、すでに刀の鯉口を切っており、いつでも抜ける状態にあった。
男達は刀を抜いた。
その時には鴨はすでに、正面に立っていた男の間合いに入っており、抜き打ちに斬り付けていた。
左鎖骨から入った刃は肋骨を裂きながら心臓を割り、鳩尾を斬り腹膜を破り右脇腹を抜けた。
1人目。
鴨は左下に位置する刀に対し、手首を捻り刃を右に向ける。踏み位置を定め、足趾に力を入れる。人を斬るのは刀だが、それを斬る力は脚と腰だと言われているように、体重移動によって威力を増すことができる。
踏み込むと同時に振り抜く力を集中させるのだ。
鴨の刀が右に
刃先が空を裂くように音もなく閃き、すぐさま目の前の男の右下腹を捉えた。鋭い刃は男の衣服を捉え、その下の皮膚と筋肉を瞬時に斬り裂いた。
腹筋を断ち、内臓を瞬時に斬りながら左下腹を抜けた。
2人目。
鴨は右に移動した刀の勢いを利用し、背後を振り向く力に利用する。
すると、背後の男がようやく刀を抜き終わったところだった。
「ちょ……。ま、待て」
男はバカなことを口にする。
真剣勝負は試合ではない。礼も無ければ審判も居ない。
相手が待ってくれる道理などないのだ。まして命のやり取りをする場で、待ったを口にするとは言語道断であったろう。
鴨は刀を右手に下げた状態で歩を進める。
そして男に肉薄したかと思うと、男が叫びながら斬り込んで来た。
鴨は一気に踏み込んだ。
その瞬間だけ鴨の動きが加速され、まるで疾風のように男の脇をすり抜けていくように見えたことだろう。
抜けただけではない。
すれ違いざまの鴨の一太刀が、男の右胴を薙いだ。刃は骨盤上部を通過し右腰部後ろから抜け飛び出したのだ。
3人目。
鴨は振り返り、前に抜けた刀を振って残心を取った。
前には3人の死体が転がっていた。
周囲には血飛沫が飛び散り、地に赤い染みを作っている。
一太刀で命を奪う、凄まじい斬り方だ。
芹沢鴨は新撰組に参加する前は、水戸の攘夷派(黒船の時代から海外の侵略を防ぐ思想)組織・天狗党の一員で、「人を大根のように斬る」と言われた程の剣士であったのだ。
そんな鴨の実力を知る由もない男達は、挑む前に知るべきだった。
鴨は、女の方を見た。
彼女は呆然としてこちらを見ていたが、やがて我を取り戻したのか、鴨の方に駆け寄ってきた。
「どうか、お許し下さい」
女は、鴨の目の前で土下座をしたのだった。
◆
白昼堂々の殺人だけに、町奉行所の動きは中々に早かった。
鴨が刃を拭って刀を納めていると、ほどなく駆けつけた同心は鴨に十手を向けて来たので、新撰組であることを伝えるものの番所まで行くことになった。
番所で茶をすすっていると、浅葱色の羽織を着た局長・新見錦が、助勤・平山五郎を連れて身の証を立ててくれた。
新見錦は芹沢鴨と同じ水戸藩士で親しかった人物でもある他、同じく神道無念流の使い手でもある。
「芹沢。市中を見回る時は、せめて一言声をかけてくれよ」
錦はそう言って苦笑した。
結成し間もないだけに新撰組の名はまだまだ低く、このように疑われることも珍しくはないからだ。
「職務ではなく非番で出歩いていただけだ」
鴨は言い訳した。
鴨と錦、五郎が番所の表で話していると、女の声がした。
見ると、先ほどの女が表に立っていたのである。
「狼藉を受けていた女性で、俺が助けた」
鴨はそう言って、二人に説明した。
「ケガはなかったか?」
鴨の問いに、女は首を横に振った。
黒髪が長く艶やかで、肌は白く美しい顔立ちをしている。瞳は大きく潤んでおり、唇は小さく可憐だった。身体は小柄だが着物の上からでも姿の良さを感じさせるような身体つきだ。
(ほう……)
鴨は思わず見とれてしまった。
しかし、すぐに気を取り直すと、女に訊いた。
「名前は?」
「琴と言います」
女は答えた。
「芹沢様は、どのような方なのですか?」
琴の問に、鴨は京都の治安維持の組織・新撰組であることを伝えた。
「それで、あのような剣の腕前を。今の京では斬り合いを見ることは珍しいことではありませんが、あのように鮮やかに斬り捨てる方は初めてです」
琴は、あの時のことを思い出したようで彼女の顔は蒼白になり、額には冷たい汗がにじんでいた。
だが、鴨にとっては褒め言葉だった。
確かに京都の町中での斬り合いは多いが、それでも一太刀であれほど見事に斬れる者はそうそういないだろう。
芹沢鴨が修行した神道無念流は、稽古のときであっても軽く打つことは決して許されず、常に一撃必殺のような力強い打ち込みを良しとする。その為、神道無念流の出身者には豪傑のような怪力が多く、力強い剣術を得意とする剣士が多数いたことも鴨の強さの一因だ。
剣術をしていても竹刀が扱えるだけであって、決して刀を使える訳では無い。定められた箇所を打ち込んだだけで一本とする為に、叩くような斬り方しかできない剣士が多い。
その為、人一人を斬り殺すのに20ヶ所以上も斬ることになる。
元治元(1864年)年9月25日、長州藩の井上馨は俗論派藩士に襲撃され、20ヶ所以上斬られるも50針以上にも及ぶ大手術を受けて助かり、大正4年(1915年)まで生き延びている。
竹刀を素早く打ち込む為に足元は浮足立ち上体が崩れがちになる。当てることに傾向し、相手を斬ることを二の次にしてしまった結果だ。
「俺は剣の精神論など知らん。ただ己れの意志を通すために剣を振り回して来ただけの男だ」
それが自分のやり方だと言外に含ませながら言うと、琴は黙って頷いただけだった。
「ところで、なぜ俺に許しをこうた?」
鴨は琴に訊いた。
すると、琴は事情を話し始める。
「あの男達は、勤王志士の名を借りた不逞浪人なのです」
琴の話によると、彼らは最近京都に出没し始めた連中だという。
浪人達は商家を襲い金品を奪っていたが、最近はそれに飽き足らず人質交渉による身代金の要求を始めたのだ。
「確かに商家を襲っては金蔵から持ち出すには時間がかかりすぎるが、人質交渉なら用意された金を一気に手にすることができるからな」
鴨の言葉に、琴は頷く。
ところが先日、この連中が琴が務める西田屋の娘・美代を人質に取り、その解放の為に金銭を要求したというのだ。
美代の家は豪商であり、要求された金額はかなりのものとなるだろうと予想されているという。琴は美代と一緒にいたところを拉致されてしまったが、何とか隙をついて逃げ出したのだという。
「由々しきことですな」
五郎が顔をしかめながら言った。
五郎の言葉はもっともだったが、一方で鴨の中で新撰組の名を轟かせる機会でもあると言えるかもしれないとの考えがあった。
「我ら新撰組の出番だな」
芹沢は呟き、琴に訊く。
「琴。連中の人数は?」
すると琴は記憶を辿るようにして答えた。
「はっきりとは覚えていませんが、30人程かと……」
その言葉を聞いた瞬間、錦は腕を組んで唸った。
「芹沢。敵の数が多すぎる、京都見廻組にも応援を求めるべきだ」
錦はもっともらしいことを口にしたが、鴨の考えは違った。
「いや、新撰組だけで行う。他の者に手柄を渡す気はない」
そう言ってニヤリと笑うのだった。
◆
夕刻、京の町は沈む夕陽に飲み込まれつつあった。
橙色の光が優しく差し込み、石畳を照らしている。冷たい風が吹き抜ける度に、軒先の提灯がかすかに揺れ、微かな音を立てる。
その日、何かが起こることを予感していたのは芹沢鴨を始めとする新撰組だけだった。
四条大橋近くに建つ料亭の路地で、芹沢鴨と新見錦は潜んでいた。
西田屋には連中の要求通りの金を用意させ、取引現場の場所を聞き出している。娘の美代を無事に助け出すという条件の元、西田屋には新撰組による襲撃を納得させた。
取引開始の刻限の半刻(約1時間)前になると、男数人が姿を現してきた。連中の腰には刀が差されている。
例の浪人集団に違いなかった。
「こんな町中に集まるとはな……」
錦は緊張した面持ちで言った。
鴨は、その人の行き交う広場を見つめながら、静かに呟いた。
「だから良いのだ。これが人里離れた廃寺なら目立ちすぎる。かえって人が多い場所の方が、連中が出張っても不自然さはない。そして何より、今回の取引金額は千両だ。額がでかいだけに、それだけ人目につく。一気に持ち去るには……」
鴨の言葉に、錦は思わず苦笑した。
「舟ということだな」
そう思いながらも、錦もまた同じことを考えていたからだ。
夕日の斜光が、鴨の目は真っ赤に染まっていた。それは彼の心中に潜む緊張を物語っているようだった。
約束の刻限近くになると
大八車には、金が積まれている。
「来たぞ」
錦の言葉に、鴨もそちらを見る。
2人の
遠くから見るだけで、連中がただの集団ではないことを示していた。
鴨は手に汗を感じ、呼吸を浅くした。
もうじき、新撰組の戦が始まるのだ。
鴨は向かい側の路地で待機している近藤勇、土方歳三の方を見る。二人は無言で頷き返すのみだった。
全ての合図は筆頭局長である、芹沢鴨が出す手筈になっている。
まだ仕掛けられない。
人質である、美代の安全が確保されていないからだ。
そんな中、鴨は左手で刀の鯉口を切る。
広場の片隅では、大八車と
西田屋の主人が、何か言う。
すると、
鴨の居る位置から、若い娘が猿ぐつわと手を縛られているのが見えた。
西田屋の主人の反応から、美代であることが確証できた。
(よし、今だ!)
鴨は勇に合図を出した。
その瞬間、一斉に飛び出した5人の影があった。
先頭を走るは沖田総司であった。
続いて永倉新八、斎藤一、山南敬介、藤堂平助が続く。
いずれも剣の達人達であり、その実力に疑う余地はなかった。
浅葱色の羽織を着た集団に、男達は慌てて刀を抜き始めるが臨戦態勢を取っていなかっただけに、その反応は出遅れた。
浅葱色の羽織に身を包んだ5人は、一瞬のうちに5人の浪人を斬り捨てた。
広場には、血に濡れた屍が散乱した。
正確で無駄がなく、圧倒的だった。
あの5人が人質の保護、及び西田屋の主人と金の確保した以上、何も心配する必要はない。
その時には、芹沢鴨を始めとする、新見錦、近藤勇、土方歳三の4人も飛び出していた。
「予定通りだな、近藤」
鴨は隣に立っている近藤勇に視点を置いた。鴨の声は冷静で、むしろ目前に広がっているこの危険な状況を遊びのように楽しんでいるかのようだった。
だが、勇は成功と失敗の一線上にいる事を考えていた。それは彼ら自身の命運をも握り潰しかねない程の反省だ。
敵の数の多さは知っていた。
知った上で、あえて新撰組だけで事件の始末に挑んだのだ。
緊張が滲んでいる。
それに応じるように、新撰組の周囲を浪人達が取り囲んで来た。周囲には京の人々がおり、突然の自体に皆悲鳴を上げて逃げ出す。
そんな中でも鴨達は落ち着き払っていたのである。
いや、正確には落ち着いて見えただけだと言うべきだろう。
なぜなら、彼らの内心の焦りや恐怖心は計り知れないものだったのだから。その証拠に鴨の目だけは鋭く光り続けていたし、その手の震えを止めることはできなかった。
突然の浅葱色の羽織集団に、浪人達の間に動揺が広がった。
浪人の一人が訊いた。態度から頭目と分かる。
「貴様ら、何者だ」
その問いに、鴨は答えた。
「新撰組。俺は筆頭局長、芹沢鴨だ」
名乗りを上げると、勇が続く。
「一人も斬り漏らすな!」
その言葉に、新撰組の隊士達の目の色が変わった。
全ての通りは隊士達が埋め尽くし、もはや逃げ道などなかった。
2人ずつ、3人ずつに分かれて、新撰組はそれぞれ一人の浪人を相手にする形をとった。
土方歳三による指導によるものだ。1対1でも決して遅れを取ることはないだろうが、複数で囲っての連携攻撃を行うことで、勝率を少しでも上げようという目論見だったのだ。
新撰組と浪人集団との斬り合いが始まると、京の町は阿修羅地獄と化した。
浅葱色の羽織が夕闇にひらめき、剣が閃くたび、鮮血がまるで紅い霧のように飛び散る。
刀と刀がぶつかり合う金属音が耳を突き刺し、その音は京の静寂を切り裂き、人々の心に恐怖を植えた。何が原因で、どうして起きているのかを理解する間もなく、町中にいた町人や商人、旅人達は転がりながら声を上げて逃げる。
その姿はまるで暴風に予告もなく吹き飛ばされる枯れ葉のようだった。
「ひ、人殺しだ!」
悲鳴が少しで上がる、人々は足早に駆け抜ける。
人々の混乱と恐怖が、町に伝染していく。
逃げ惑う群衆が通りに埋める開け放たれた商店の戸を見て、中へ逃げ込む者、路地裏へと走り込む者、あるいはただその場で立ちすくむ者。
しかし、地獄と化したその場所から出るのは簡単ではなかった。
泣き叫ぶ子供を抱えた母は足がすくみ動けず、腰を抜かした老人はその場から一歩たりとも動くことができなかった。
そんな中、新撰組の隊士たちは一切の迷いなく浪人達に向かい、思い切って斬り伏せていた。
それは筆頭局長・芹沢鴨も同様であった。
目の前にいる浪人は、刀を手に振り上げていた。浪人は一歩踏み込み刀を振り下ろせば、鴨を斬れる間合いにあった。
それに対し鴨は、自ら歩を進めた。
浪人に驚愕の色があったその刹那、鴨の刀が閃いた。
浪人の左肩口から斜めに深く切り裂き、胸元を貫いて抜けた。血飛沫が宙を舞い、浪人は無言で地に崩れ落ちた。
1人目。
その隣に居た浪人が鴨に狙いを定め、刃を振り上げたその時だった。
鴨の背後に控えていた男が浪人に斬りかかり、その命を絶った。
近藤勇だ。
勇は返り血を浴びていたが、その目は死んでいない。その鋭い眼光はまるで獲物を狙う鷹のようだ。勇もまた鴨と同じく、敵を斬り殺していくことを楽しんでいたのだ。
鴨はその横顔を見て思った。
道場剣術ではない実戦剣術・天然理心流の威力を見た気がしたからだ。
鴨は思わず笑みを漏らす。
すると、土方歳三が勇に続くように斬り込む。
彼の眼前にも敵がいる。
勇に負けじと彼もまた戦いを楽しんでいるように見えた。
いや事実そうなのだろう。
土方歳三という男は、常に冷静な男だという印象がある。
だが、この男の本質は、戦場においてこそ最も輝くのではないか? そんな気がしていた。
鴨は、土方歳三という人物に対してそんなことを考えていたのだった。
(さて、俺も負けてられねえ)
そう思うと、鴨も目の前の敵に集中すべく、自らの呼吸を整え始めた。
そんな鴨を、まさに鴨と思った浪人が左から襲いかかって来た。
鴨は風に流される柳のごとき動きでそれを躱し、前を過った浪人に対し、その背中に刀を振り下ろした。
その一刀は浪人の肩甲骨を割り、肺腑を抜けて胸前に抜けた。
2人目。
鴨はその場に一瞬も留まらず、無意識に近い本能的な動きで体を反転させる。
浪人の顔は恐怖と決意に歪んでおり、こちらに向かって突進してくる勢いは凄まじかったが、鴨の冷静さの前には勝手な力の覚悟だった。
軽い息を吐き、鴨は一瞬で判断を下す。
次の動きを計算し、空気を切り裂く俊敏さで前方に踏み込んだ。
その瞬間、敵は対応する間もなくする鴨に不意を突かれる。間合いが一気に詰まるが、浪人の目は全く追いつかなかった。
鴨は右腕に全身の力を集め、刀を逆袈裟に斬り上げた。
疾った刃は浪人の腹部に深く入り込み、肝臓を正確に捉えた。
抜けた。
肝臓が斬られたことで、内部の血液が一気に溢れ出し、男の体はそれによって身を崩す。目の焦点が一瞬にして定まらなくなり、浪人は床に崩れ落ちた。
3人目。
「次は、貴様か」
鴨の冷たい眼差しは、次の戦略となる浪人を捉えていた。
男は声とともに刀を振り上げ、必死に突進してきた。全ての力を振り絞って突進したたが、その動きは焦りに満ちていて、まるで命を捨てるかのように無謀だった。その手には、冷静さも緻密さもなく、ただ必死に恐怖が見えるだけ。
鴨はその突進を冷静に見極め、ほんの一瞬で判断を下す。
浪人の動きは遅く、突き出した刀は防御にならず、ただ自らをさらけ出すに過ぎない。隙間だらけの攻撃、それは鴨にとっての格好の餌食だった。
(遅い)
鴨は心の中で静かにそう囁きながら、軽やかに足を踏み出す。彼の足さばきは、まるで風のようにゆっくりと横に移動する。
浪人は鴨を横切る。
鴨はその前進を冷静に見ながら、次の瞬間には手首を返して刀を振った。
空気が裂け、刃が落ちる。
鴨の刀は正確無比な太刀筋で、浪人の両手首を瞬時に切り落とした。
刀柄を掴んだままの両手が地に落ちる。
両手首を失った、浪人は自分が何をされたのかも理解できないまま、茫自ら自らの両腕を見て、情けない顔をした。
刀を持てない敵を始末するのは簡単だ。
鴨は撫でるように浪人の頸動脈を刀で斬ると、血が鉄砲水となって吹き出した。
4人目。
(これで4人。あと何人いる……。いや考えるまでもない)
鴨は鋭い目差しで周囲を一瞬にして見渡した。
冷たい空気が瞬間に漂い、音なき緊張感が肌に張り付いていた。足音、息遣い、衣をこする音――どれもが次の動きを予感させる。鴨は全てを逃すことなく、鋭敏な感覚を研ぎ澄ませていました。
ふと、右の死角から一人の浪人がやって来た。
男の刀が振り上げられ、鴨の肩口を狙った袈裟斬りだ。
鴨は、すぐにそれを目にした。動揺も焦りはない。なぜなら、浪人の動きを読めるからだ。男の刃を、鴨は後ろに捌いて流す。
鴨は相手の体を狙い定める。
左脚を半歩。
さらに本命の右脚を、一歩前へ踏み込む。
腰から足にかけて力を鋭く集中させ、慎重に先に出ると、鴨の刀は浪人の胸の横に裂いた。切先が浪人の胴体を深く斬り込み、肋骨を絶ちながら抜けた。
浪人はそのまま前に倒れこむ。
その体は斬られたことに気づいたよりも早く力が緩み、膝が崩れた。
血の匂いが空気に広がり、音もなく地に吸い込まれていく。
5人目。
鴨は次の敵を求めた。
――何人斬っただろう。
鴨は、数えるのを忘れていた。
周囲に倒れた浪人たちは、すでに命を絶たれた死者であり、生きている者は自分以外には誰もいないように感じた。
周囲では、新撰組の隊士たちはそれぞれの敵と激しい斬り合いを繰り広げていた。
「全員、逃がすな!」
近藤勇の声が響く。
鴨もその言葉に反応し、再び前方に歩みを進める。
刀は再び敵を探している。
血塗れの地が彼の足元で音を立てるたび、浅葱色の羽織が風に舞う。
そして彼の目に、次なる浪人が映った。
「覚悟はあるか?」
鴨は一言だけ、冷たく言い放ち、刀を八相に構えた。
道の端に座り込んだ母子が居た。
二人は鴨の人を斬る様を見て震えていた。
母と子は抱き合っており、身を寄せ合って震えており、その姿からは命乞いをする気力さえ感じられなかった。母の腕の隙間から見える子供の顔は恐怖で引きつっていた。
子供は泣きながら母の体にしがみついていたが、もはや泣く元気もない様子だった。そんな子供に構わず母はひたすら泣いてすがりついていたのだ。
我が子の命を守ることだけに必死なのだろう。その姿は哀れではあったが同時に惨めでもあった。
鴨の顔は笑っているようにも見えたし、怒っているようにも見える奇妙な表情だった。
だが、それでいて口元だけが微笑んでいるようで不気味でもある。
彼が口を開く度に牙のような犬歯が覗いた。まるで肉食獣を思わせるような獰猛な笑みである。
その姿は、まさに悪鬼と呼ぶにふさわしい雰囲気を醸し出していた。
悪鬼は、京に血の雨を降らせた。
◆
幕末の京都では、
「鴨がくる」
と言えば、恐怖の対象であったという。
言わずもがな、鴨とは芹沢鴨のことだからだ。
芹沢鴨の人物像は、子母澤寛の「新選組三部作(『新選組始末記』『新選組遺聞』『新選組物語』)」に詳しく、酒豪で、昼間から飲んでおり、酔っていないことはなかった。数々の乱暴狼藉の記録から、手のつけられない凶暴な悪漢のように描かれることが多い。
しかし、いずれもかなりの創作が入っているとされ、信憑性には欠けるとされる。
正反対の逸話としては、八木家の娘が夭折した際には、芹沢鴨は近藤勇と帳場に立って進んで葬儀を手伝ったり、暇潰しに面白い絵を子供たちに描いてやるなどして、好かれていたという。
粗暴が目立つ人物だが、芹沢鴨の強さは圧巻で、新撰組最強とも言われる。
鴨は力士とケンカになった際、逆袈裟斬りで力士を絶命どころか、体を両断したとある。剣の達人ですら袈裟斬りなど、上から斬りつける最も強力な斬撃を用いても人体両断など容易にできないにも関わらずにだ。
しかも、当時、鴨には酒が入っている状態に加え、常人よりも体格の良い力士を両断したのだ。
惨殺された力士の遺体を見て、近藤勇は驚愕した。
故に、芹沢鴨の存在が邪魔になっても正面から堂々と斬れなかった。
暗殺という手法しかなかったのだ。
暗殺計画は、近藤派の土方歳三、沖田総司、原田左之助、山南敬助の4名が実行役だったとされる。
4人は、芹沢鴨が酒に酔って寝たところを襲撃し暗殺を成功させる。
死没 文久三年(1863年)九月十六日。
芹沢鴨の新撰組での活躍は、わずか半年程であった。
これによって新撰組は、近藤勇主導の新体制が構築されることになる。
鴨がくる kou @ms06fz0080
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